第14話 異世界少女、高校へ行く①
手にしていたゴミ袋を置いて、開けた下駄箱へ上履きを入れる。
代わりに革靴を取り出して地面へ置いた俺は、そのままつっかけるようにしてそれを履いた。
「あれっ。松浜、もう帰んの? 珍しいじゃん」
トントンと靴先で履きならしていると、後ろから同じクラスの戸田がランニングシューズを手に声を掛けてきた。
「違うって。ゴミ当番だよ、ゴミ当番」
「あー、そいつはご苦労さん」
「戸田は部活か?」
「うん。そろそろ部内の記録会も近いから」
ジャージ姿の戸田は、いつでも走れるとばかりの臨戦態勢。俺よりいくぶんか背が小さくて童顔な戸田は、陸上部で日々長距離を走り続けている頑張り屋だ。
「戸田こそご苦労さん。今度、報道部がそっちへ取材に行くらしいぞ」
「えー」
「そう嫌がるなって」
「だって、面倒なんだもん」
「あっちも仕事だから、それは仕方ないな」
放送部と報道部。響きはよく似ていても、校内放送とラジオ番組制作が主なウチら放送部と、校内の出来事を記録していく報道部とでは活動内容がかなり違う。それでも、部室が近いっていうこともあってある程度の情報交換はしていた。
「それはそうだけどさー……よっと。んじゃ、そろそろ行くね」
「おう」
俺が相づちを打つと、ランニングシューズを履き終わった戸田は俺の横をするりと抜けて元気よく昇降口を出ていった。放課後すぐだから人混みもなく、その後ろ姿はあっという間に視界から消えていく。
「んじゃ、俺も行きますかね」
地面に置いた革靴を履いて、ゆっくりと昇降口を出る。ゴールデンウイークまっただなかとはいっても、今日は合間の平日。放課後の昇降口は、多くのおしゃべりであふれている。
一昨日はルティと出会って、昨日はルティと実況の見学へ。それでもって、今日はラジオドラマの収録の見学。登校日の今日は、ルティと赤坂先輩が学校へ訪問することになっていた。
昇降口を抜けて体育館への渡り廊下を横切れば、生徒用の自転車置き場に出る。そこを曲がって校庭のほうへ行くと、校内専用のゴミ集積場が見えてきた。その一角にかかっている網をどかして、ゴミ袋を置いてからもう一度網をかけなおす。帰り際に出来ることだから楽っちゃ楽ではあるけど、部活がある身としてはなかなかめんどくさい。
「松浜せんぱいっ」
「ん?」
声がした方を向くと、有楽がぱたぱたとこっちへ走っていた。昨日や一昨日と違って、今日は当然ながら学校から指定されている紺のブレザーとグレーのスカート姿だ。
「おう、どうした」
「赤坂せんぱいとルティちゃん、見ませんでした?」
「見てないぞ。まだ来てないのか?」
「ふぅ……はい」
軽く上がっていた息を深呼吸で立て直そうとして、有楽のポニーテールがゆらゆらと揺れる。
「授業が終わってすぐに正門へ行ったんですけど、なかなか来ないんです。自転車口かなーとも思って行ってみても、そっちにも来てないみたいで」
「あー、有楽よ」
「はい?」
心底心配そうな有楽に、俺は呆れながらも尋ねることにした。
「放送室と部室は行ったか?」
「いえ、直接正門に行きました」
「あのな、赤坂先輩はここの卒業生だよな?」
「そうですね」
「卒業生ってことは、わざわざ放課後に来なくても事務室に行けば入れるよな?」
「……あっ」
「放課後前に来たかもって――」
「行きましょう、せんぱいっ!」
「あっ、コラッ! 走るなっ!」
最後の問いかけに答えることなく、有楽は弾かれるように昇降口のほうへ駆けて行った。あいつ、ルティが来てからポンコツに拍車がかかってねぇか!?
仕方なく早足で昇降口へ行けば、すれ違いざまに同級生たちが「相方なら走っていったぞー」とからかうように言ってきやがる。まったく、いらん恥まで増やしやがって!
「おいっ、有楽!」
あわてて2階の放送室に飛び込むと、スタジオへ繋がる通路に突っ立っている有楽の姿があった。
「お前なあっ!」
「せ、せんぱい」
「ごまかすなっ」
「ちがいますってば! あれっ、あれっ!」
「あれ?」
仕方なく、泡を食ったようにあわてる有楽が指さした方を見てみたら、
「はあっ!?」
なんでルティがヘッドホンをつけて、その上マイクに向かってるんだよ!
「あっ、鍵かけてやがる!」
スタジオに入ろうとしても、ドアノブはびくともしない。そんな俺の間抜けな姿を見てか、防音用の分厚い窓ガラスの向こうにいる部長と副部長……桜木ブラザーズの姉は大胆不敵に、弟はニコニコと俺たちのことを眺めていた。
「入れて下さいっ! おねがいしますよぅ!」
その分厚い窓を、有楽がまるでおあずけ状態の猫みたいにカリカリとひっかこうとする。
一方ルティは、気持ちよさそうに歌っているようで体をゆらゆら揺らしたり、大きく身振りをしている最中。その上目を閉じていて、俺たちのことにはまるで気付いていない。赤坂先輩も、そんなルティをスタジオの向こうの調整室で微笑ましそうに見ていた。
「これ、ルティが歌い終わるまで入れる気はないな」
「そんなぁ……」
「有楽、昨日七海先輩に電話したときはどうだったんだ?」
「普通でしたよ。あたしが見初めた子を連れてくるの、楽しみにしてるって」
相変わらず防音ガラスをかりかりとひっかきながら、有楽が諦めきれなさそうに口をとがらせる。うーん、それくらいだったら別に変わったところは――
「あと、『なーにしよっかなー』って」
「それ普通じゃねえし!?」
「だって、部活中にもよく言ってるじゃないですか」
「あの人の『なーにしよっかなー』は、何か企んでるサインなんだよ!」
「ええっ!?」
「それでどんだけ校内が激動したことか……」
『体育祭の部活対抗レース談合盗聴事件』とか『桜木姉弟クラス入れ替わり潜入実況録音事件』とか『オールアドリブ姉弟恋愛モノ生ラジオドラマ事件』とか、桜木ブラザーズがそのひとことからやらかしたことは、挙げても挙げてもキリがない。今俺らがいる場所で、先生や他の部の人たちが必死にドアや窓を叩く姿なんてザラに見て来た。
もうどうしようもないと思いつつため息を吐いてると、歌い終わったらしいルティが満足そうに笑ってモニターヘッドホンを外した。
「ルティちゃん、ルティちゃん」
それに気付いた有楽がこつこつと窓ガラスを叩くと、こっちに気付いたルティが満面の笑顔でぶんぶんと手を振った。と、それと同時に分厚いドアの鍵ががちゃりと音を立てて開く。
「ふっふっふっ」
「七海先輩……」
「七海せんぱいっ、ずるいですよ!」
続いて開いたドアの向こうには、いつの間にかドアの影に潜んでいたらしい桜木ブラザーズの姉・
「すまないね。エルティシアくんの初めての歌声は、ボクらがもらってやったよ」
「ごめんねー。姉さん、こうって言ったら聞かない人だから」
その後ろから現れたのは、ほとんど同じつくりの顔でほんわかと笑っている桜木ブラザーズの弟・
「でも、わざわざ俺たちを締め出さなくてもいいじゃないですか」
「キミたちはルティ君の初めての声を独占した。だから、ボクがルティ君の初めての歌声を独占してもいいではないか」
「そんなの乱暴ですっ!」
「まあまあ。佐助君も神奈君も、そう怒らずに入りたまえ」
あくまでも余裕綽々な七海先輩に呆れつつ、促されてスタジオへ。俺の後に入った有楽は一目散にルティへ駆け寄ると、ぎゅっと抱きついて「はなせー!」とわめかれていた。
「ごめんなさい。七海ちゃんがルティさんに『歌を録ってみないか』って聞いて、やるって言ったら突然鍵を閉めちゃって」
「録音の最中に君たちが扉を開けてしまえば、ノイズになってしまうからね。気持ちよく歌ってもらうために閉めたんだ」
「んー……まあ、それだったら仕方ないっすね」
手を合わせて謝ってきた赤坂先輩に、七海先輩が補足の説明を加える。
背は高い方な赤坂先輩と並ぶと、七海先輩はさらに高め。というか、俺よりも高い上に腕を組んでいたり、ゆったりと腰に手を当てていたりするから結構威圧感がある。
「あとは、ボクたちが独占したら面白いかなぁっていうのもほんの50パーセントぐらいはあった」
「やっぱりそうじゃないですか! つーか割合でかっ!」
「はっはっはっ」
「姉さん、昨日神奈ちゃんから電話をもらってからずっとうずうずしててね。放課後すぐにここへ飛び込んできたよ」
「そういう空也だって、自習を途中で抜けて来てたじゃないか」
「僕も結構楽しみにしてたのさ」
「やっぱりあんたら双子っすよ」
「「お褒めにあずかり光栄の至り」」
「褒めてねえっての」
悪びれることなく、空也先輩が七海先輩と並んで笑ってみせた。二人とも短めの髪だから、中性的にも見えるしウイッグをつければ女性的に……というか、実際よくそれで入れ替わりとかやってるんだから、本当にタチが悪い。
俺が若葉南高に入学して以来、桜木ブラザーズからは毎日ずっとこんな感じでからかわれたり遊ばれたりしている。先輩がやらかしたことの後始末をさせられたのも、十や二十じゃ利かない。それでも、このふたりが巻き起こすことが楽しくて放送部から離れられずにいた。
「それじゃあ、佐助君と神奈君にもルティ君の歌声を聴いてもらおうか。神奈君、そろそろルティ君を解放した方がいいんじゃないかな」
「んー……わかりました。ちょっとはルティちゃん成分が補充できたかな」
抱きついていた有楽が腕をそっとほどくと、ルティが力なく俺のほうへよろめいてきた。
「はぁっ、はぁっ……た、助かった」
「大丈夫か?」
「うむ、少々息苦しかったが」
息を整えてから、ぴんっと背筋を伸ばして俺を見上げる。その服装は、一昨日と同じ紅いブレザー姿に見えてちょっと違うところがあった。
「今日は、あの紋章はつけてないのな」
「うむ。大事なものだから、ピピナが預かると言ってな」
「そっか」
まわりを見ても、確かにあのチビ妖精の姿はない。もし姿を見せていたとしたら、確実に桜木ブラザーズの餌食になっていただろう。
「準備できたよー」
PCで作業をしていた赤坂先輩が声を掛けてきたことで、わいわいと騒いでいたスタジオの中が静まる。それを見計らうようにして、天井に組み込まれたひと組のスピーカーから初めて聴く歌声が流れだした。
耳に届くのは、ルティ独特の凛とした声。その声は日本語でも、英語でも、俺が知っているような言語でもない不思議な言葉で綴られていて、時に静かに、時に力強く変化していく。
録音を担当した当の七海先輩と空也先輩は腕を組んで聴き入っていて、赤坂先輩はにこやかに聴いている。有楽も意外と静かに聴き入っていて、俺は隣で目を輝かせて聴いているルティの横顔を見ながら、その歌声を聴いていた。
どこか現実離れしている歌声だけど、その歌声は確かにルティのもの。上手いか下手かで言えば、正直どっちとも言えない。時々調子が外れたりもするし、ただ感情にまかせて歌っているところもある。それでも、さっきまでルティがマイクに向かってこれを歌っていたのかと思うと、自然とくちびるの端が上がってきた。
楽しんで歌っているのが、めいっぱい伝わってくる歌声だから。
やがて終わりに差し掛かったのか、ゆったりとしたテンポで優しいメロディーが歌い上げられていく。最後、伸びやかな歌声は霞むように消えて、スタジオが静けさに支配される。
「うむ、実にいいね」
それを破るように、七海先輩が大きくうなずいた。
「一昨日瑠依子先輩の番組を聴いて、昨日神奈君から電話があってからもっと声を聴いてみたいと思っていたが、実に楽しげでよかった」
「それに、今までに聴いたことがない歌声だよね。今のは、どんな歌なのかな?」
「我の国で秋にある収穫祭の、豊穣を祝う歌だ。女衆が皆で歌うことになっている」
「ヨーロッパのある地方の歌なんだって」
空也先輩の質問に答えたルティの言葉を、赤坂先輩が補う。
これは昨日有楽も交えて決めたことで、他の人にルティのことを聞かれた場合は「ヨーロッパの出身」で、さらに詳しく踏み込んでこられたら赤坂先輩にゆかりのある「ポーランドのほう」と答えることにした。
直接目の当たりにした俺らはいいにしても、初対面の人に「異世界出身です」と言ったところで「何言ってんだこいつ」と思われるのは目に見えてるから仕方がない。
「だから、喜びにあふれた歌だったのか」
「わかるのか?」
「歌うルティ君の表情からよくわかるよ。録音したのを聴いていても、さっきの歌う姿が浮かんでくるほどにね」
「我の歌声をそう評してくれたのは、ナナミが初めてだ」
七海先輩の評に、安心したようにルティが笑みをもらす。
「よーしっ、もらった! ルティちゃんからパワーいっぱいもらった!」
「ついさっきまで、悲しそうに窓をひっかいてたとは思えない元気さだね」
「空也先輩たちのせいですよっ」
有楽はというと、気合充填十二分といった勢いを空也先輩にからかわれていた。空也先輩、本当にこういうポジションが好きだよな。
「サスケ、サスケ」
「ん?」
そんな二人を眺めていたら、ルティが俺のブレザーの裾をくいっと引っ張ってきた。
「サスケは、我の歌声をどう思った?」
言われてみれば、ちゃんと口にしてなかったっけ。
「いい歌だった。俺まで楽しい気持ちになれたよ」
「そうか、サスケも楽しかったか」
えっへんと胸を張って、ルティが満足そうに笑う。どうやら、ルティ自身にとっても会心の出来だったらしい。
「それでは諸君。ルティ君から良い刺激をもらったところで、そろそろラジオドラマの収録のほうに入ろうじゃないか」
ルティの歌声で盛り上がっていた俺たちを、七海先輩がパンパンと手を叩いて制する。
「空也と神奈君は、ボクとここで打ち合わせ」
「おっけー」
「らじゃ!」
「佐助君は、調整室で機材のチェックと収録の準備を頼む。瑠依子先輩とルティ君も、調整室で見学をお願いします」
「了解っす」
「わかりました」
「わかった」
促された俺たちは、先輩に言われたそれぞれの持ち場で準備を始めた。
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