第12話 異世界少女、スタジアムで叫ぶ①

「リベルテわかばッ! リベルテわかばッ!」


 左側の観客席からは、深緑色のユニフォームを着た集団のチャント叫び


「イーンヴィクタス! イーンヴィクタス!」


 右側の観客席からは、オレンジ色のユニフォームを着た集団のチャント叫び

 それぞれ数百人の集団が太鼓のリズムに合わせて、大きなチャントを青空の下のスタジアムに響かせる。ゴール裏では大きなフラッグも振られていて、まだ試合前だっていうのに両方のチームのサポーターが全身全霊のチャントでスタジアムを盛り上げていた。


「おお……なんとも、意気の込もった鬨の声だな」

「鬨の声って、戦じゃないんだからさ」

「これは、上を目指すための戦いなのであろう? だとしたら、立派な戦ではないか」

「うん? ん-……おお、そう言われりゃあ確かに」


 大真面目なルティに苦笑いしそうになったけど、考えてみれば言われたとおり。選手やサポーターの人たちにとって戦いには違いないから、なかなかいい解釈かもしれない。


「しかし、サスケよ」

「ん?」

「あの〈ごぉる〉裏に人はたくさんいるが、どうしてこちらの席は人がまばらなのだ?」

「……うーん」


 確かにゴール裏に比べると、スタンド席は5~6割の入りってところだけど……サポーターが高確率でいる場所でそれを言っちゃうか。


「えーっと……あっちは熱心に応援したい人たちがいて、こっちはじっくりと試合を見たい人たちがいる、って感じかな」

「そういう住み分けがされているのか」

「あと、このN4リーグは上から4つ目の階級だ。街の人たちにも知られるようになってはきたけど、まだまだ発展途上で、応援する人たちを集めている最中っていうのもある」

「なるほど、続く戦いの中で仲間を集めていくのだな」


 納得したようにうなずくルティの向こう側で、リベルテ若葉のロゴ入りタオルを肩に掛けたおじさんもうんうんとうなずいている。よかった、この説明で合ってたか……


「この席が全て埋まったら、まことに壮観なのであろうな」

「ああ。いつか、そういう日が来たらいいな」


 俺とルティが立っているのは、若葉市民公園にある陸上競技場のスタンド席。若葉駅からバスで15分ぐらいのところにある、小さなスタジアムだ。


 サッカー用の天然芝フィールドを囲むように陸上競技用のトラックがあって、その周りに観客席がある。とはいっても、俺たちがいる階段状のスタンド席は3000席ぐらいと小さめの規模で、両サイドのゴール裏の席は芝生。スタンドの向かい側には駐車場と田んぼが広がっていて、N1やN2に所属するチームのスタジアムに比べればとてもコンパクトだ。


「松浜くん、ルティさん、お待たせしました」

「赤坂先輩」

「ルイコ嬢!」


 後ろから声がしたので振り返ると、先輩がゆっくりと階段状の通路を降りていた。風でさらさらと揺れる短めの髪のせいか、いつもよりも活発的に見える。


「準備が終わったそうですから、そろそろ行きましょう」

「いよいよ〈すたじお〉に入れるのですね!」

「ただ、とても狭いスタジオなので、見学できるのは試合開始前と試合が終わってからだけということでした」

「なんと。実況している姿は見られぬのですか……」

「その代わり、いいものを用意してありますから。実況はそちらで聴きましょう」

「いいものですか?」

「ええ」


 首を傾げるルティに、先輩がいたずらっぽく笑ってみせる。そういえば、ここはあのサービスをやってるんだっけ。


「さっきも言ったとおり、放送中は静かにしてるんだぞ」

「わかっておる。我とて、そのくらいの分別はある」


 くるりと俺の方を向いて、ルティがふふんと笑う。雲一つないぽかぽか陽気の中ではしゃぐルティは、やっぱり年相応……よりもちょっと下ぐらいの、元気いっぱいの女の子って感じがする。


「ほらっ。行くぞ、サスケっ」

「そんなあわてるなって」


 スタンドの階段通路を駆け上がっていくルティを、俺も早足で追いかける。一番上まで上がると出入口を繋ぐコンコースになっていて、その真ん中には中継放送用のプレハブ製スタジオが用意されていた。


「失礼します」


 赤坂先輩に続いてスタジオに入ると、だいたい6畳ぐらいの部屋に、わかばシティFMにあるのよりも小さい放送用の機材やノートPCが詰め込まれていた。

 壁にはリベルテ若葉のフラッグやらタオルマフラーが所狭しと貼られているあたり、どこを応援してるのかは一目瞭然だ。


「おお、いらっしゃい。君たちが、今日の見学者さんかな?」


 その機材をいじっていた人が、こっちのほうに振り返る。やわらかそうな表情で俺たちと目を合わせたのは、眼鏡をかけた白髪交じりのおじさんだった。


「お久しぶりです、松浜です」

「えっと……初めまして。アカサカ・ルイコ嬢の友人の、エルティシア・ライナ=ディ・レンドと申します」

「ああ、佐助くんか。お久しぶり。そして、エルティシアさんは初めましてですね。私が、今日の実況を担当する山木やまき浩継ひろつぐです」


 自己紹介をしてから一礼する俺とルティに、おじさん――山木さんも同じように自己紹介をしておじぎしてくれた。相変わらず、歳が離れていても礼儀正しい人だ。


「サスケは、ヒロツグ殿と面識があるのか?」

「山木さんは、わかばシティFMのスタジオでも毎週サッカーの番組をやってるんだ。試合がある前の日とか、サッカーの試合が無い時期にもあるから、時々合うんだよ」

「そうなのか。ヒロツグ殿は、熟練の方なのですね」

「今の私の楽しみといったら、これぐらいだから」

「またまた。定年になったとはいえ、まだまだ現役バリバリのアナウンサーじゃないですか」

「定年?」

「山木さんは、今年で62歳なんだ」

「62歳なのですか!」

「わっはっはっ。身体は年老いてはきましたが、まだまだ心は若々しいつもりです」


 年齢を聞いて驚くルティに、山木さんは少し恥ずかしそうに、それでいて自信ありげに言い切ってみせた。


「おっと、そろそろ時間かな」


 スタジアムに勇ましい音楽が流れ始めると、山木さんはフィールドのほうをちらりと見てから、


「もうすぐ放送開始ですから、お静かに見ていてくださいね」


 にっこりと笑ってみせて、機材のほうへ向き直った。


「はいっ」

「拝見させて頂きます」


 俺たちの返事にうなずいて、くるりと背中を向ける。続いて、腕時計を見ながら備え付けの壁掛け時計、放送機材のデジタル時計をチェックしていって、最後にモニター用のヘッドホンを装着した。


「今のは、何をしていたのだ?」


 その一連の山木さんの動作に、ルティが耳元がこそこそとささやいてくる。


「まず、時計に狂いが無いかの確認だな。あと、今頭につけたのは自分のまわりの音を遮って、聴きたい音だけを聴くための機械なんだ」

「時計はわかるが、そのような機械をつければならぬのは何故だ?」

「今みたいに試合会場がざわついてたら、集中出来ないってことさ」

「なるほどっ」


 ちょうどいい例を挙げてみたら、ルティが手をぽんっと叩いた。こういう時は、身をもって実感してもらうに限る。


「それで、今ヒロツグ殿の目の前にあるのが〈まいく〉とやらか」

「ああ。本社のスタジオにあるのとは、ちょっと違うけど」

「単なる棒に見えるのに、あれで声が多方に伝わるとは……なんとも不思議だ」


 そこまで話したところで、俺の肩が指でちょいと叩かれる。ルティも同く叩かれたようで、いっしょに横を向くと赤坂先輩がカーディガンのポケットから名刺サイズの黒い板のようなものを取り出してみせた。


「何なのですか? これは」

「おでかけ中にラジオを聴くための機械です」

「これで? 『らじお』を?」

「まずは、イヤホンをつけちゃいましょうか。松浜くんは、自分でね」

「了解です」


 巻き取り式になっている左耳用のみのイヤホンを引き出して、耳につけたらボリュームを上げる。そうすれば、スイッチが入って聴こえてくるっていう実に簡単な作業……なんだけど、


「ひぁっ、はわっ、あわっ」


 耳にモノを入れられるのが慣れないのか、ルティは赤坂先輩の手が耳に触れる度にくすぐったそうに声を上げていた。それでも、声のボリュームは落とそうと努力してハスキーな声になっている。


「あとはボリュームを上げれば」

「……おおっ!?」


 そして、かちりという音に続いて小さな叫びが上がった。


「音がっ、音が聞こえますっ!」

「ルティさん、しーっ」

「はっ……も、申しわけありませんっ」


 先輩が人差し指を手に当てれば、ルティがあわてて口を手で押さえる。

 まあ、今のは先輩が驚かせたようなもんだから仕方ない。とにかく、俺も電源を入れてっと。


『間もなく12時50分。ここでわかばシティFMの駅前本社スタジオから、若葉市民公園陸上競技場にいる山木さんへとバトンを渡したいと思います。山木さん、今日もよろしくお願いします!』


 イヤホンから流れてきたのは、わかばシティFMの本社スタジオにいるアナウンサーさんのトーク。それから一瞬の間があって、


『翻せ、グリーンフラッグ! N4リーグ・ファーストステージ第9節、リベルテ若葉実況中継!』


 山木さんの張りのある声で、激しいBGMに導かれながらタイトルコールが流れる。これは事前収録だから、まだ本人の口は動いていない。


「若葉市民公園陸上競技場、12時50分を回ってN4リーグのアンセム、テーマ曲とともに両チームの選手たちが入場して参りました。ホーム側は、我らがリベルテ若葉。アウェイ側は昨年N4で総合5位の成績を収めたインヴィクタス新発山しばやま。今季初昇格のリベルテにとっては、非常に大きな壁となるであろう強豪チームですが、我々がN3リーグへ行くためには、必ず越えなければいけない相手でもあります」


 BGMが流れてしばらくして、山木さんの実況が始まった。その肩越しにガラス窓の向こうを見ると、実況どおり両チームの選手が並んでフィールドへと歩き出している。


「みなさんこんにちは。リベルテ若葉実況中継、担当アナウンサーの山木浩継です。ゴールデンウィーク3日目の5月1日、若葉市民公園陸上競技場の天気は雲ひとつ無い快晴で、気温は23度と絶好の観戦日和となっております。もし今日の外出を迷われてる方がいらっしゃいましたら、これを機会に我らがリベルテ若葉の活躍を見に来るのはいかがでしょうか。チケットも大人の方は1000円、18歳以下の方であれば無料。試合終了までは、まだまだたっぷりと時間はあります!」


 一旦間を入れてから、実況を再開。アナウンサーの大先輩なだけあって山木さんのタイミングは抜群で、手元のメモをもとに今現在の天気情報や観戦情報も盛り込んでスラスラとリスナーに伝えていく。


 隣のルティは、口をあんぐりと開けて山木さんの後ろ姿に見入っている。ちょいちょいと肩を指でつつくとこっちを向いたんで「どうだ?」と笑ってみせたら、物凄い勢いで頭をぶんぶんと縦に振った。それだけ、山木さんの実況に圧倒されているらしい。


 続いて両チームのスターティングメンバーやリーグにおける現在の状況、けが人情報を伝えたところで、事前に収録してある監督と選手へのインタビューへと移っていった。


「ふうっ」


 山木さんはカフを下げながら片方だけヘッドホンを外すと、そばにあるペットボトルから水を飲んでひと息入れた。機材にこぼれないようにするためか、フタの部分からストローが出せるアタッチメントをつけている念の入れようだ。


「お見事です!」


 我慢が出来なくなったらしく、感服した様子のルティが称えると、


「ありがとうございます。いやぁ、好きなチームの実況は難しいですね」


 その言葉に振り返った山木さんは、照れくさそうに笑っていた。


「そうなのですか? 流れるような言葉で、とてもきれいな実況でしたが」

「結構大変なんですよ。入れ込みすぎては、聴く人に引かれてしまうこともありますから」

「……今の言葉、父さんに聞かせてやりたい」

「佐助くんのお父さんは、それがいい取り柄じゃないですか」


 言葉がグサグサ胸に刺さってうろたえる俺を、山木さんがそう言ってなだめる。父さんもいつか、その心境にたどり着く……のか? 本当にそうか?


「山木さん、それではそろそろ」

「ああ、もう時間だからね。佐助くんもエルティシアさんも、楽しんで来てください」

「はいっ」

「楽しんで参ります」


 キックオフまで、あと5分。赤坂先輩に促された俺とルティは、山木さんに一礼してからスタジオを出た。こうして間近で仕事を見るのは、やっぱり勉強になるな。


「サスケ、サスケっ」

「ん?」


 スタジオを出てスタンド席へ戻る途中、隣を歩くルティが俺を見上げてたずねてきた。


「サスケの父御ちちごは、いったいどういったお方なのだ?」

「俺の父さんか?」

「うむ、ヒロツグ殿と面識があるようにも聞こえたが」

「面識があるっつーか、父さんにとって山木さんは大先輩ってとこかな」

「大先輩ということは、そなたの父御も実況を生業としているのか」

「そんなところだ」

「そうか。今度、是非お目通り願いたいものだ」

「うーん」


 父さんと会ってみたい、か。


「ちょっと難しいかも」

「そうなのか?」

「父さんは『野球』ってスポーツの実況をしていて、帰ってくる時間がバラバラなんだよ。毎日実況をやるってわけじゃないけど、それでも実況だけじゃなくてリポーター……現場からの報告とか番組作りの補佐とかあるし、会社にだって行く必要がある」


 ナイターの試合があれば、日付が変わって帰ってくるのは当たり前。デーゲームでも、翌日実況があれば会社に戻って資料を整理して午前様。遠征があったりしたら、数日間は帰ってこれないことだってザラだ。


「そ、そのような過酷な状況で、父御は本当に大丈夫なのか?」

「もちろん休みはあるさ。だから、休みの日ぐらいはゆっくり寝かせてやりたんだ」

「ならば、致し方ないな……」

「ただ、ラジオを知りたがっている子がいるってことは話しておくよ」

「まことか!」

「話しておくだけだぞ、今のところは」

「それでよい。それで、十分だ」


 スタジオを出て、また陽の光を浴びたルティがにっこりと笑ってみせた。

 俺までつられて笑ってるし……頼まれた以上は、少しでも力になってやりたい。

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