第8話 異世界少女の来訪事情①

 ドライヤーの音が、リビングに鳴り響く。


「あわわわわ……」


 その音に混じっているのは、女の子のうなり声。


「ルティちゃん。震えないで、じっとしててー」

「そ、そう言われても、風がこそばゆくて……」


 温かい風のはずなのにガタガタ震えているルティをなだめながら、有楽はドライヤーとふわふわのタオルを使って丁寧に長い銀色の髪を手入れしている。


「るいこおねーさん、なにをやいてたです?」

「『鮭』っていうお魚ですよ。ピピナさんとルティさんのところにもいますか?」

「にたのはいるですね。みんなよく『コメ』といっしょにたべてるです」

「ルティさんも言ってましたけど、そちらの世界にもお米ってあるんですね」


 キッチンでは、料理中の赤坂先輩とオーブントースターに腰掛けたチビ妖精がおしゃべりしていた。


「…………」


 俺はというと、そのど真ん中のダイニングにじっと居座っているわけで。

 左側には、女の子。

 右側にも、女の子。

 かたやお風呂上がりのダブルパジャマで、かたや料理中のエプロン先輩。

 ただラジオに出て先輩の手伝いをしただけでこんなことになるとは、12時間前には思いもしなかった……というか、思っていたら絶対にヤバい奴って言われる。


「松浜せんぱーい」

「ん?」

「こういうときは、流されるのに限りますよ」

「何がだよ」

「ファンタジーな現象には、逆らっても抗えないものなんです」

「お前はなにを言ってるんだ」


 ドライヤーをかけながら声を弾ませてるけど、そうじゃない。そういうことじゃない。初めて女の子の部屋に連れてこられたあげく、男女比1対4な状況に追い込まれている、そのことが問題なんだよ……


「よく、ルティに合うパジャマがあったな」

「うちの2番目の妹が、ちょうどルティちゃんと同じぐらいの背格好でしたから」

「だから有楽とお揃いってわけか」

「異世界の女の子とお揃いなんてチャンス、あたしが見過ごすと思います?」

「いや、ドヤァって感じで言われても」


 こいつ、思いっきり楽しんでやがる。

 赤坂先輩からのお誘いもあって、有楽はお泊まりということになった。そのついでにルティのお風呂係を申し出て、風呂上がりの今は近所の自宅から持って来た淡いレモン色のパジャマをふたりして着ている。

 俺? もちろん、いくらか話したら帰るよ? というか、帰らなきゃヤバイだろ。本気で。


「あの、赤坂先輩。やっぱり手伝いますよ」

「いいのいいの、松浜くんは今日の立役者なんだもの」

「そ、そうですか」


 気を紛らわせようと先輩に申し出てはみても、さっきからうれしそうにお断りされ続けている。仕方なく、浮かせていた腰を下ろしてまた有楽とルティを眺めることにした。


「はいっ、おしまい」

「おお……こんな見事に乾くとは」

「ふふふっ。ルティちゃんの髪、きらきらのさらさらだねぇ」

「こらっ、やめいっ! こそばゆいではないかぁっ!」


 有楽よりひとまわり身体が小さいルティは、すっかりされるがまま。確かに銀色の髪は綺麗だし、可愛いから気持ちはわかるが、


「有楽、ルティは疲れてるんだからほどほどにしとけ」

「わかってまーす」

「ううっ」


 弾むように返事をしながら、ルティの長い髪をブラシでとかし始める有楽。口だけで本当はわかってねーんだろ。


「なーにルティさまをみてるですか、このえろざる」

「誰がエロ猿だ、このチビ妖精」


 そんなふたりの微笑ましい光景を見ていたら、ぱたぱたと飛んで来たチビ妖精が邪魔しに来やがった。


「そんなえろえろなおさるさんは、ルティさまのこーきさでめがくらんでしまえばいーんです」

「なんだよ『こーきさ』って。『可愛らしい』じゃダメか」

「おうつくしいと、はいつくばりながらいえばいーのです」


 ぴしっ、ぴしっと蹴りは入れてくるものの、羽ビンタに比べればどうってことはない。ちなみに、チビ妖精も風呂は済ませていて緑色のワンピースに着替えていたりする。いつもは不思議な力で自由に着替えられるらしいんだけど、弱まっている今は有楽お手製の人形用のドレスを着させてもらっていた。


「ひとつ疑問に思ったんだが……」

「なんです、むちなえろざる」

「お前もルティも、日本語が話せるんだな」

「あー、そのことですか」


 何でもなさそうに言いながら、チビ妖精はテーブルの上に降り立って向かいにぺたんと座った。


「『そら』をとぶこえをきけば、しぜんといくらかわかるようになるです」

「ずいぶん便利な力だこと」

「とーぜんです。それに、ピピナはルティさまのしゅごよーせーなのですから『きす』してわたせば、ことばがちょっとずつわかるよーになるのですよ」

「キス……だと……?」

「あーっ、へんなそうぞうをしましたね! やっぱりえろざるです!」

「してねーよ!」

「ルティさまのほっぺたにピピナのくちびるを『ちゅっ』とすればいいんですー。ざんねんでしたー」


 馬鹿にしたように笑われてるけど、言えねえ……一瞬でも『昔読んだ絵本の妖精みたいだな』とか、メルヘンなシーンが思い浮かんだだなんて、口が裂けても絶対言えねえ。


「ま、まあ、なんだ。さっき上で『たましいがぺこぺこにならないようにした』って言ってたけど、そういう風にルティへ生命力とかそんな感じのを移してたってことか」

「おおっ、そこに気付くとはただのえろざるじゃねーですね。そのとーり、ピピナがルティさまにぱわーをわけてたですよ」


 えっへん、とばかりに胸をはるチビ妖精。なりは小さくても、それなりに出てるところは出てるらし――


「ていっ」

「あいたっ!」


 こ、こいつまた羽ビンタしやがった!


「むー、やっぱりこいつはばかえろざるです。ゆだんならねーです」

「何も言ってねえだろうがっ」

「おまえのめがそーいってたです」

「んなバカな」


 まさかこいつ、人の心も読めるってわけじゃないよな?


「まーそんなわけだから、むっつりおさるさんはルティさまのつぎに、ピピナをあがめたてまつるといーのですよ」

「だーれが崇め奉るか」

「あらあら、ふたりとも仲がいいんですね」

「……先輩には、そう見えるんですね」


 のほほんとした先輩からの言葉に、ただただ脱力するほかない。

 まあ、部長と副部長に弄られてるときも先輩からはそう見えてるらしいから、仕方ないか……


「わあっ、おいしそーなのがいっぱいですっ」

「ごめんなさい。こういうのしか用意出来なかったけど」


 そう言って先輩がテーブルに置いたのは、おにぎりがたくさんのった大皿だった。


「おおっ、オムスビではありませんか」

「へえ、ルティちゃんのとこだとおむすびのほうで通ってるんだ」

「うん? ああ、ピピナの力で我がそう言っているのだな。もっと別の言葉ではあるが、我が国にもこういう食べ物はあるぞ」

「しゅーかくさいのときにたべるんですよねー」

「チビ妖精、さっきパン食べてまだ食べる気か」

「へっちゃらのへーです。ピピナだって、みっかかんなーんもたべてなかったんですから」


 とは言うけど、縦置きにした半切れのトーストと同じぐらいの身長なのに、本当に大丈夫なんだろうか。というか、それを食べてもサイズが変わらないとは……


「ピピナさんには、小さめのを作ってみました」

「わーいっ」


 続いて、ピンポン球ぐらいのおにぎりが小さめの皿に盛られてチビ妖精の前に置かれた。他にも卵焼きやお漬け物のお皿、牛肉とごぼうの煮物が入った丼を先輩が次々とテーブルへ並べていく。


「和食にしたんですね」

「ルティさんから、この世界独特のものが食べたいってリクエストがあったの」

「ワショク……うむ、ニホンの料理のことだな。短い間ではあるが世話になるのだし、その土地のものになじむのがよいと思ったのだ」


 俺の向かいに座りながら、当然だとばかりに言うルティ。14歳のわりには俺よりしっかりした物言いではあるけど、おにぎりを見て輝かせている目と笑顔はやっぱり子供っぽかった。


「先輩のおにぎり、久しぶりなんで楽しみです」

「松浜せんぱい、食べたことがあるんですか?」

「合宿とか文化祭のときに、陣中見舞いで部に差し入れしてくれたんだ」

「じゃあ、今日のあたしは先取りですね。具は、鮭とおかかと、昆布に野沢菜。上にちょこんとのっけてるの、わかりやすいですねー」

「お母さんのをまねただけだよ」

「いえいえ、参考になります!」


 有楽もまた、目を輝かせながら俺の隣に座る。豆腐とわかめの味噌汁を置き終わった先輩も、外したエプロンを椅子の背にかけてからルティの隣の席についた。


「こちらでは、食前のあいさつはどうしているのでしょうか」

「『いただきます』って、手を合わせてあいさつするんです」

「『いただきます』ですか。大地の恵みを頂くのに、よきあいさつですね」


 手を合わせる先輩を真似して、ルティも手を合わせる。有楽といたときも思ったけど、姉妹って感じがして微笑ましい。


「それでは、いただきます」

「「「いただきます」」」

「いただきますですっ」


 先輩のあいさつに続いて、一礼。さて、どれから食べるか……って、


「ルティ、その黒いのは剥がしちゃだめだ」

「そうなのか? ササの葉っぱのように、手に取りやすくしているのかと思ったのだが」

「ルティちゃんの世界だとそうしてるんだね。これは海苔っていって、日本ではごはんといっしょにこれを食べるの」

「ふむ」


 一瞬ためらってから、ルティが鮭のおにぎりを勢いよくかじる。


「ふむ……んくっ、おおっ」


 そして、勢いよくもうひとくちかじった。


「あむっ、んむっ、んむっ……んくっ、おいしいっ。とてもおいしいですっ!」

「ありがとうございます。たくさんありますから、いっぱい食べてくださいね」

「はいっ。あの、ルイコ嬢。このノリというのはどこで獲れる植物なのですか?」

「これは植物じゃなくて、海で獲れたものを加工して作るんですよ」

「ルティちゃんの世界にも、海はあるよね?」

「あるにはあるのだが、我が国は四方とも山に囲まれていて海とは縁遠いのだ。でも、シャケに似た魚は川で獲れるし、味もよく似ていて美味いな」

「あむっ、あむっ……へー、のりをおこめとしゃけとをいっしょにたべると、こんなにおいしーんですね」

「うむ、とても勉強になる」


 ルティもチビ妖精も、声を弾ませながらおにぎりをぱくついている。チビ妖精にいたっては、ピンポン球大のおにぎりを抱えるようにして勢いよくクレーターを作り出していた。


「なるほどな。んじゃ、俺もひとつ」


 俺が手にしたのは、昆布のおにぎり。ひとくち食べると、香ばしい海苔の香りと甘く煮た昆布の味が口の中に広がっていった。スタンダードな味付けだけど、これがまた美味いんだ。


「カナよ、その手にしている棒は何なのだ?

「これ? これはお箸って言って、日本だとこの二本の棒を使っておかずとかごはんをつまんで食べるんだよ」

「オハシとな」

「こんな風に使うの」


 なんでもない風に言いながら、有楽は手にしていた箸の先をちょいと開くと、玉子焼きをふわりと切って口に運んで、


「あむっ、あむっ……んむっ、ねっ?」


 しっかりと噛んで飲み込んでから、ルティににっこり笑いかけた。


「この棒は、そのためのものだったのか……うむ?」


 ルティも見よう見まねで持ってはみたけど、箸はぽろり、ぽろりと手から転げ落ちていく。


「むむぅ……」

「あの、フォークとナイフも用意してますから、使っていいんですよ」

「しかし」

「どうしても使いたいですか?」

「はい……出来れば」

「じゃあ、明日からいっしょに使い方の練習をしましょうか」

「まことですか?」

「はいっ。こちらの世界は明日もお休みですし、お箸は扱うのにどうしても慣れが必要なものですから」

「では、よろしくお願いいたします!」


 先輩が優しく諭すと、かたくなになりかけていたルティはあっさりと受け入れた。口調はちょっと偉そうでも、素直に話を聞く子なんだろう。

 その後、ルティは牛肉とごぼうの煮物をトングで取り皿へ盛ると、ナイフとフォークを使っててきぱきと切り分けてから静かに口へ運んでいった。噛んでから飲み込むまでの姿もとてもスムーズで、ウチでパンにかじりついていた姿とは大違い……って、あの時はとんでもなくはらぺこだったから、仕方ないか。


「うん? どうした、サスケ、カナ」

「いやいや、キレイに食べるなって思って」

「ですよね。なんだかお嬢様っぽいなーって」

「そっ、そんなことはないぞ?」


 顔を赤くして、ルティが俺たちから視線をそらす。でも、それもまた可愛らしくて絵になっている。


「ふたりとも、あんまりからかわないの」

「いやいや、からかってなんかいませんって」

「そーです。『ルティさまのたべるおすがたがみられてこーえーだなー』ってだけおもってればいーんですよ」

「先輩はともかく、なんでお前が偉そうに言うんだよ」

「ルティさまのしゅごよーせーなんだから、とーぜんです」

「へーへー、さいですか」


 えっへんと、腕を組んで言い切るチビ妖精。その目の前にあった6個のミニおにぎりは、いつの間にか残り2個まで数を減らしていた。

 おにぎり自体がチビ妖精の横幅より少し大きいってのに、いったいどこに消えてるんだか。

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