2-6. 16:30 西湖とレジャーと西の空
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本筋とは関係ない、滅茶苦茶どうでもいい話。
前話2-5.のサブタイトル「
いただきたいの一言で地殻変動を許容しなければならない富士河口湖町の皆様、実に申し訳ない。
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前回バイクツーリングした時にも河口湖に来たのだが、その時私は大失敗を犯してしまっていた。
河口湖の南西部には段和山という小高い山が隣接しているので、山の陰に隠れてしまう南西部を通り抜けると富士山が全く見えないのだ。
なので今回は河口湖大橋を渡り、湖の北側へと出る。
これが大成功だった。
河口湖の一周は20kmを超す。五湖で最長の湖岸を持つ湖だ。
その北側は富士山と河口湖を同時に一望できるということもあってだろう、ホテルやロッジの立ち並ぶリゾート地の趣があった。
これは山中湖も同じだが、富士吉田市との近さもあってかこちらの方が観光客が多かった――特に外国人の姿が。
新型コロナ禍の影響が完全に無くなった訳ではない。
しかし既にアフター・コロナの時期に入っているのだろうな……とぼんやりと思いながら河口湖大橋を渡っていると、何人かの人が私に向かってカメラを構えていた。
もちろん被写体は私ではなく、私の背後の富士山である。
遮るものの無い湖の橋の上。
富士山の山頂から流れるように広がる山麓まで美しく見える。
迫力だけで言うのならばやはり富士山に近かった山中湖や須走の辺りが凄かったのだが、ちょっと距離が開いたことで富士山の全景を楽しむことができる。
どちらが好みかは意見が分かれるところだろう。
ちなみに、このエッセイ? らしき文章を書き起こすためにフジイチの最中に撮りまくった富士山写真を見返しているのだが、記憶の中にある富士山に比べ写真の中にある富士山がどうにも小さいように見えてならない。
カメラのことには詳しくないので理屈はわからないが、F値がなんたらレンズがどうので奥にある被写体を凄く大きく写すことができる、というのは聞いたことがある。逆に言えばその辺りの技術が無いとずっと遠くの被写体は思ったよりも小さく写ってしまう、ということなのだろう。
せやかて私が撮った富士山は、それにしたって小さすぎへんか? 日本一の御山やで?
結局思い至ったのは、それだけ富士山が印象に残る旅だった、ということだろう。
「フジヤマ ゲイシャ テンプーラ」なんて外人の言うことかと思っていたが、なんてことはない。富士山の魅力に取り憑かれたのは、私も変わらないってだけのことだった。
河口湖北岸をのんびりと走る。
山中湖と同様にサイクリングロードが整備されているのだが、こちらは前述の通りリゾート地となっているので観光客が多い。
レンタルサイクルに跨った外人や日本人の観光客と並んで、あるいはすれ違いながらなのでスピードは出せない。ま、こっちはとっくに覚悟完了、今更多少遅いくらいなど気にしない。
ちょうど前を走っている外国人のカップルが自転車を止めて、ベンチに座った。
湖岸に打ち寄せるさざ波の音、午後の柔らかな陽光。高原の爽やかな風に、美しい富士の姿と隣には愛しい人。
あなた方の日本旅行が素敵な思い出になると良いと、心から願ってますよ。そう思いながら彼らの横を通り抜けた。
え? 勿論本音ですよ。私は既に完全に満たされており、足りないものなど何もない。ええ、羨ましくなんてありませんとも。
いやだから羨ましくなんか――しつけぇな! ほっとけって言ってんだろ!
北岸側も西に進めば段和山に隠れて富士山が見えなくなってくる。その辺りまで来るとリゾートゾーンは終わって人気も少なくなるのであらためてペダルに力を込めた。
次に向かうは、西湖である。
西湖は河口湖よりも標高が高い場所にある。
というか後日調べてみたところ、山中湖の湖面が標高980mで最も高い位置にあり、河口湖が標高830mで最も低い位置にあり、他の三つの湖が揃って900mの位置にある。
通りで山中湖から河口湖にかけての道は下り基調だったわけだ。
湖北ビューラインと名付けられた県道710号線、西湖へと続く道は登りとなる。標高差70mとはいえ、2km弱の短い距離で一気に登っていくので中々の急坂だ。だましだましやって来た脚に中々厳しい坂である。
周囲はリゾートではなく山々に囲まれた田舎の住宅風景と言った感じ。
途中には小学校もあって、富士山周辺という場所が特別な場所なのではなくて、人々の日常の場所なのだと思い出させられた。
小学校の門の向こうには子供用の自転車が何台か止まっていた。子どもたちが学校が終わった後に校庭で遊んでいるのだろう。
小学校を過ぎて進んでいくと、辺りから住宅が減って林の中を走り続ける道となった。
通る車は殆ど無い。僅かな鳥のさえずりと木々のさざめき。すっかり耳に馴染んだタイヤが転がる音と、チェーンが回転する音。ロードバイクの各所が軋む音。その静けさの中にハァ、ハァと私の荒い息だけが聞こえる。
この頃にはもう疲労もピークなので、もう自然を楽しむどころじゃない。脚の様子を労わりながら2m先に辿り着くことを繰り返す、それだけを無心で繰り返す。
……?
違和感。
振り返る、が何もない。
しばらく同じように走るが――やはり、違和感。
チェーンの音が……? いや、タイヤ……?
ここまで来てメカトラブルだろうか。
パンクであれば修理用具一式持っているが、それ以上の事ならば私では手に負えない可能性が高い。
となるとショップに任せるしかないのだが、時刻は既に16:00を過ぎている。田舎の町では店が閉まるのも早い事を考えれば、河口湖大橋の向こうまで、いや富士吉田市まで戻らないと開いているショップがない可能性がある。
ぞっとした。
タイムロスというには痛すぎる。
それだけでなく出費はもちろんだが、トラブルの内容によっては修理のためにパーツ取り寄せすら必要になってくる。つまり今日中には終わらないわけで、当然ここまで来てリタイヤということだ。
なんてことだ。
いや、だが……しかし走りにどこにも違和感が無いんだよな。
タイヤが潰れているとか、チェーンの軋みが異常だとかって訳じゃない。
なのに違和感が拭えない。
となるとおかしいのは……私……?
「あの」
――え、江門田さん!?
「こんにちわ」
「ひぎぃ!?」
――ふ、普通に後ろに人が居たァーーーーーッッ!!!
タイヤの音やチェーンの音に違和感があったのは、私のエモンダだけではなくてもう一台ロードバイクが直ぐ後ろを走っていたので、その音が聞こえていたからだ。真後ろにピッタリくっつかれていたので振り返っても死角で見えなかったのだ。
流石に「ひぎぃ!?」なんて叫びはしなかったが、ビクッとする程度には驚いた。
その方と並んで軽く雑談。
地元の方らしく、この道はトレーニングコースであること。しばらくサボっていたからタイヤの空気を入れ忘れていて走りにくいこと。
先日富士山頂に雪が積もったとのことだったが、周辺でもそれなりに冷え込んだらしい。考えてみればこの辺りは標高1000m付近にある、十分に高地と言って差し支えない土地なのだ。
そんなことを話していると、目の前にトンネルが見えてくる。
山道でトンネルがあると、それは登り下りの境目であることが多い。つまり平坦になっているので、その辺りで別れを告げると、彼はスピードを上げて行ってしまった。
頑張れば追いすがることも出来たが、多分基本の脚力が合わないので彼を見送る。
しかし富士山が見える場所に住んで、その周辺をトレーニングにできるってのは実に贅沢な話だ。
前述のように富士山を駆けのぼる富士ヒルイベントもあるし、湖という平坦の周回コースもある。自転車乗りにとっては羨ましい場所に住んでいるな、と。
なお。
店員さんとの会話を除くと彼とのこの会話が、この旅最後の会話であった。
翌日誰とも喋ってねぇ。
そういや、前日も誰とも喋ってねぇ。
…………。
ぼ、ボッチと言うな……! 言わないでくれ……!
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トンネルを抜けると割とすぐに西湖に着いた。
ここら辺までくると、田舎町と言うよりは小さな集落がぽつり、と言った感じで人気が無い場所になる。
鬱蒼と生い茂った森と、開けた湖。
湖ではウォーターレジャーを楽しむ人々の姿があった。ウインドサーフィンと言う奴だろうか、一人乗りの超小型ヨットのようなもので、湖面をスイスイと進んでいる。これらは山中湖や河口湖でも楽しんでいる人たちを見かけた。
湖の上は開けているので、思いの外風が強く吹く。その中でウインドサーフィンはとても面白そうだ。今までウインドサーフィンはマリンスポーツのイメージがあったので、こんな山間部で遊べるものだとは思いもしなかった。
いずれは私もチャレンジしてみたいものである。
河口湖では富士山の姿を隠していた段和山だが、標高が高くなった西湖からだとその向こうに富士山の姿が見える。
てっきり私は富士山周辺を代表するから富士五湖と言うのだと思っていたのだが、この西湖でも富士山は見えるのだと初めて知った。いや、精進湖でも本栖湖でも見えるんだけど。
というか富士山は本当にデカい山で、気象条件さえ整えば山梨県北部はもちろん、長野県の南端でも見えたりするらしい。東京などでも富士見の地名がある場所なら見えたりするらしいので、どれだけデカいのか、と苦笑してしまう。
山梨県と言えばかの戦国大名武田信玄が有名だが、信玄や織田信長、豊臣秀吉は一体どういう思いで富士山を見ていたのだろうか。
そんなことを思いつつ、西湖の北岸を走り抜ける。
本当であればもっとのんびりゆっくりと走り、西湖の長閑な雰囲気を味わいたいところだが私は内心、焦っていた。
体力的な問題はもちろん、平坦基調といっても長距離を走れば休ませた脚も消耗する。
なにより時間がそろそろヤバい。西湖を抜けた辺りで、時刻は16:30を回っていたのだ。
日は傾き始め、青空は薄く雲がかかり始めている。
地図で見るとよくわかるのだが、富士山は南側は開けているものの、実はそれ以外の三方を山地に囲まれている。
西側には毛無山。毛無山を超えれば身延町なのだが、この毛無山の標高が思いの外高い。
太陽は既に傾いて、西は夕空の気配が強くなっている――いや。
少しばかり嫌な感じの雲が、西の空に漂い始めていた。
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