2-5. 15:15 フル・アヘッド河口湖



 ・



 山中湖を右回りに走り出す、という決断はつまり、「富士五湖を全部回ったらァ!!」という私自身に対する宣言に等しい。

 富士五湖とは、山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の五つの湖のこと。

 富士山周辺にはいくつもの湖沼が存在するが、その中でも特に有名で景勝地として知られる場所だ。


 山中湖の東側を走る。

 時折自動車に追い抜かれるものの、交通状況は非常に良好で走りやすかった。

 湖岸を離れて住宅地に入り、コンビニの横を左折。

 細い路地を抜けて、山中湖の最東端に辿り着いた――このフジイチで、是非とも立ち寄りたかった場所の一つ。

 そこは湖岸の、砂州になっている場所だ。

 スワンボートと本物の白鳥スワンが湖に浮かび、その向こうには富士山の威容が聳え立つ場所。

 ウォーターレジャーのお店もあって、一人乗りの小さなヨットのようなもので湖面で遊ぶ人々もいる。

  

 「ゆるキャン△」という漫画・アニメがある。

 キャンプの魅力にハマった山梨の女子校生たちが、近隣県でキャンプを楽しむ日常系作品だ。

 その中で登場人物の三人が冬の山中湖キャンプを楽しむ回があるのだが、その際にノンアルコールのホットカクテルを飲みながらまったりしていた場所、その向かい側でもある……と言えば、「あの場所か!」とピンと来る人も多いだろう。


 愛機エモンダを立てかけて、砂州に脚を投げ出してぼんやりと山中湖と富士山を眺める。

 この場所に来るのは二回目で、一度目はバイク――自転車ではなく、オートバイの方だ――で来たのだ。

 それが三月の話。

 同じく篭坂峠を越えてきたのだが、その時は「走って気持ちのいい峠だったな」くらいの薄い印象だった。

 それが同じ二輪でも、内燃機関エンジンの有無でこうも印象が違うのだ、と思い知った。それだけエンジンというものが人々の移動と運搬において果たす役割は大きい。

 しかし、私は再びこの砂州にやって来ることができた。

 それも今度は自転車で。

 こればかりは、同じことをやってのけた者にしかわからない感覚だ。

 

 そう、この達成感を味わいたくて私はフジイチに挑んでいるのだ。


 辺りにはかつての私と同じく、オートバイでやって来ては富士山とマシンのツーショットを撮るライダーたちの姿が。

 集団マスツーリングでやって来たのだろう。

 他にもターフを広げてコーヒーを飲みながら富士山の姿を楽しむ夫婦の姿や、湖水と戯れる若い親子連れ……。


 …………。

 私は早々に出発することにした。


 はい、そこ。

 孤独ボッチと言うな。

 孤高ソロと言え。 

 

 


 ・



 

 再び軽快に走り出した私は、しかし所々で脚を止める羽目になる。

 脚の限界?

 いや、富士山の眼福のせいで。


 山中湖は周囲をぐるりと歩道・自転車道で囲われているのだが、その北側が富士山に向かって走っていく位置関係上、もうこれ以上ない絶景ポイントなのだ。

 観光客も多く、富士山を眺めて写真を撮っている。

 私も柵にロードバイクを立てかけて写真を撮った。エモが過ぎて言葉が出ない。

 もういっそのこと多少高くてもいいから、この辺でマウンテンビューのホテルでも取ってずっと眺めていたいと思ったぐらいだ。

 昨日富士市に到着した時から思っていたことだったが、富士山周辺の住民はズルい。こんなすごいものを毎日眺めることができるのだから。

 富士山は日本が誇る日本一の山なんだから日本各市町村に分け与えるべきである。


 そんなことを考えながらペダルを踏みこむ――おっと、まだ絶景ポイント。写真写真っと……。


 富士山とその周辺は、それ自体が世界遺産の構成群となっている。

 その一つとして忍野八海という、湧水で有名な場所があるのだが今回は立ち寄ることは無しにした。

 元々ルート外としていたのと、以前寄った際に観光客でごった返していたのが理由だ。もっと言えば時間もない。

 ちなみにそこのお土産屋さんで名産とばかりに「裂きイカ」が置いてあったのを見たのだが、山梨県は内陸県で海は無いはずだ。あのイカは一体どこから来たのか、未だに謎のままだ。

 もしかしたら忍野八海では湧水とともにイカが湧くのかもしれない。

 富士山周辺の湧水は富士山に降った雨や雪が地層を経て湧出するものだ。それは白糸の滝も同様だ。

 忍野八海にイカが湧くということは、富士山には……イカの雨が降るということか?

 つまり白糸の滝は……イカソーメンということに……?(錯乱)

  

 

 山中湖を離れた後は、忍野八海には寄らずに富士吉田市に向かう。

 その途中で道の駅「富士吉田」に立ち寄る。補給食にヌガーナッツを食べてはいたが、流石にそろそろ腹が減ってまとまった量の食事がしたいので、そこのレストランで食事をとることにした。

 地ビールとワイン、そしてウインナーが売りのレストランらしい。

 是非ともそれらを味わいたいところだが、自転車は道交法的には軽車両扱い。アルコール摂取すると飲酒運転になってしまう。

 デッドウェイトになるしそもそも載せることもできないのでお土産にワインを買うこともできない。無念だ。

 ちなみに注文したハンバーグのその肉汁たるや。ただでさえ美味しいのに、疲労困憊の体にじわりと沁み込んでいく。ようやく人権を得た気分だが、のんびりもしていられない。尻に根が生えない内にレストランを出――ぐ、ジビエのハムだと!?

 そんなん絶対に美味いだろ!

 涙を飲んで我慢する。ああ……食べたい、飲みたい!


 岐阜県と山梨県の間には長野県がある。

 地図で見れば長野県飯田市と山梨県身延町はお隣だ。

 だがその間には南アルプスの山脈が存在していて、そこを横貫する国道もトンネルも存在しない。

 だから私の住まう岐阜県多治見市からだと、飯田市まで行っても静岡県浜松まで下るか長野県諏訪まで上るかしないと山梨方面には向かうことができない。

 二つ隣の県なのだけど。直通道路があれば気軽に日帰りツーリングや観光もできるが……近くて遠いは山梨県。


 15:00を過ぎて、富士吉田市市街を走る。

 国道413号と国道139号が接続する交差点近くには北口本宮富士浅間神社が建立されているのだけど、こちらも立ち寄る時間は既に残されていない。

 もう一つ、立ち寄らない理由がある。

 ロードバイクに乗る時に使うビンディングシューズという靴がある。

 この靴底の金具が専用のペダルと噛み合うことで靴とペダルが合体し、踏むだけではなくて引き上げる時にもペダルを回転させることができる……というものなのだが、これがまた歩きにくい(歩きやすい用もあるが、私のは違うタイプ)。

 イメージとしては野球やサッカーのスパイクみたいに靴底にゴツゴツした金具が出っ張っていると思って欲しい。

 こんなもので大きな神社を歩き回ると、玉砂利で音がゴッジャゴッジャとやかましい、クッションは皆無だわグリップは効かないわで実に歩きにくいのである。はい。伊勢神宮で経験済みです。

 そんなこんなで、このシューズで歩き回りたくないのだ。

 どんなものでもそうなのだが、専用の道具というものは、その目的外で使用したいと思ったら途端に使い辛くなるものだ。

 本来靴と言えば歩く・走るためのもの。

 しかし自転車用の靴ということは、自転車を乗るために使用するために作られているので、歩行という靴本来の用途は一切考慮されていない……というのは道具の進化論というか、系統樹のようなものが垣間見えて実に面白い。

 

  

 さて、国道途中からは富士山に背を向けるルートなのだけど、進行方向に細くて高い柱が見えてきた。

 あれは……なにかのレールか? ジェットコースター……?

 そしてハタと気が付く。


 富士急ハイランドだ!!

  

 そりゃ名前に富士と冠するからには富士山周辺にあるのは当然だ。だが、実際に存在するとは思ってもみなかった。いやそれは流石に誇大表現だが、このフジイチで行き当たることになるとは思ってもみなかったのだ。 


「そっか……富士サファ……富士急ハイランドは、富士山に実在したんだ……」


 天丼はコメディの基本です。

 



 ・



 富士急ハイランドを過ぎた辺りで、富士吉田市から富士河口湖町に入る。

 国道139号線の途中で、富士スバルラインの案内が見えた。


 前述したふじあざみラインがTOJのコースであるならば、富士スバルラインはかの有名な「富士ヒル」のコースだ。


  富士ヒル――つまり、毎年多くの自転車乗りたちが自らの脚力でもって富士の急勾配に挑まんとする自転車坂登りヒルクライムのタイムアタックレースである。登り坂しかない道を自転車で延々25kmも登っていくという、ドM御用達としか思えないイベントだ。

 開催時期は6月の初旬。ちょうど私がこの文章を執筆している時期で、動画サイトにも挑戦者たちの記録動画が続々と公開されていた。

 しかしまぁ、どうして自転車乗りというのはなのだろう。

 峠があれば越えたがり、映えるカフェがあると知れば50km先だろうと目指したがり、島を一周したがり、湖を一周したがり、挙句の果てには25kmの坂道に挑むために日本中から終結する。

 結局のところ、それらは言い訳に過ぎないのではないか?

 自転車に乗るための言い訳。本来移動手段である自転車に乗ることそのものが目的となる本末転倒。

 ここまでくればもう、手遅れとしか言いようがない。


 もっとも?

 富士山にまでやって来た私もまたその同類であることは言うまでも無いのだが。

 もちろん富士ヒルも、いつか参加しますよ。ええ、立派な手遅れドMですとも。

 


 私と多くのロードバイク乗りのヘキについてはさて置こう。

 国道139号線を進んでいくと県道707号線との接続についた。ちょうど富士山麓の最北部あたりである。

 私はそこを迷うことなく右折し県道へと入る。緩い傾斜の下り坂――完全に富士山に背を向けて北上する道だ。

 国道139号線をそのまま進んでいれば、やがて鳴沢村へと入る。そして鳴沢氷穴や道の駅を経て、富士山の西側にある朝霧高原に至る筈だ。

 

 そしてこのフジイチの残りを最短で駆け抜けるルートである。

 

 だが私は、富士五湖の一つである河口湖を目指している。そしてそのまま西湖と精進湖、本栖湖の四つを巡るつもりでいる。

 最短ルートとの差は、ざっと25km。

 この後のルートはどちらを通っても序盤のような急坂はないので、速度はそこまで落ちない。時間にして60分ほどの差になる筈だ。

 時間は巻き戻せない。多少回復したとはいえ、遅れを取り戻すことができる程脚が残っているわけでもない。


 時間が無いというのに私は全く迷わなかった。

 それは既に、山中湖で決断していたからだ。

 あの時右ルートを選んだというのは、山中湖のビューポイントを巡りたかった、という理由ではない。

 

 富士五湖全てを巡る。

 その決断であったのだ。

 

 25km遠回り?

 60分遅くなる?


 どうでもいい。

 というか、そんな重っ苦しいことなんかこの時の私の頭には残ってなかった。

 どうせフジイチを達成しないと富士宮のホテルには戻れない場所まで来ているのだ。

 だったらもう、楽しめそうな事を楽しめるだけ楽しまないと勿体ない。

 山中湖沿いのサイクリングロードがあれだけ凄かったのだ、河口湖は? 西湖はどんな風に富士山が見える?

 もう、それしか頭になかったのである。


 ね?

 手遅れでしょ?










 

 

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