2-4. 13:00 山中湖の決断
・
12:15。
じっくりと30分の休憩を取り、その間ずっと補給とマッサージを繰り返す。
ちなみに水分はまだしも補給食は食べてすぐ消化吸収されるわけではないので、15分ほど先の肉体消耗状況を見越して前もって食べておかねばならないらしい。
補給食の消化も兼ねての30分だ。
そして、その間に決断は下した。
行く。
どうせ戻るのもツライ場所まで来てしまっている。
ここが限界ギリギリのポイント・オブ・ノーリターンであるとすれば、セーフティを残した場所でリターンするなら富士サファリパークあたりがそれであったのだ。
行きはヨイヨイ帰りはコワイどころじゃない。行きも帰りもコワイコワイなら、セーフティなリターン可能な範囲は驚くほど短くなる。
コンビニからは須走浅間神社の境内が見えた。
可能ならば寄りたいところだが、これから峠道に挑まなければならない。たった100mの距離でも歩くことはしたくなかったので、その場で手をあわせるだけに留める。
昼の休憩だろうか、作業着姿の男性客がそんな私を不思議そうに見ていたがそれに噛みつく余裕も無い。
一応、迂回路が無いか確認してみる。
このまま篭坂峠に挑まず、東に進む。富士スピードウェイから明神峠……うん。遠回りするだけで変わらんな、これ。一端下りが入る分だけ却ってキツくなるまである。
そしてルールを確認。
絶対に無理をしない。脚が攣りそうならば休む。補給はケチらない。ドリンクは飲み切るつもりで。塩飴舐めとく。
認めよう。残念ながら私はド貧脚なのである。
カッコ悪かろうと、他の
でも、たとえここから全て歩いてでもこの峠は越える。富士吉田で泊ってでも何が何でもフジイチを達成する。
そう決めた。そう決めてしまった。
ならば行くだけだ。
奥歯を噛み締めて、ロードバイクに再び跨る。ペダルを踏む。
案内板によるとこのコンビニから、峠を超えて山中湖まで約8km。
スタートしてからすぐに、「道の駅すばしり」への分かれ道がある。今回は行く予定ではないが、そちら側の先には「ふじあざみライン」の入口がある筈だ。
このふじあざみラインは
一体どんな脚力があればそんな速度で登っていけるんだろう。もちろん選手たちはその為に毎日とんでもないトレーニングを積んでいるのだから、自分が比較するのも烏滸がましいのだけれども。
ちなみに現在走っている篭坂峠は、逆向きのルートが2020東京オリンピックのロードバイクコースの一部だ。
オリンピックは参加することに意義があるという。
ならば……逆向きとはいえオリンピックコースを走る自分も、もしやオリンピックに参加したも同然と言って過言ではない可能性があると思わしいと言わざるを得ないという噂があってもおかしくないという評判を聞いた気がする可能性が微粒子レベルで存在しているっぽいかもしれない。まぁ無いんだけど。
TOJやオリンピックに参加する選手たちはガシガシ坂を登っていくのだろうが、自分はそんな脚は無い。というか既に終わってしまっている脚だ。
案の定すぐにピキッと脚に来た。
姿勢を変えて使う筋肉を変えてみるが長くは持たない。
無理はしないで直ぐにバイクを降りてストレッチ。
そんな私の目の前を駆け下っていくロードバイクの人たち。オリンピックコースを辿っているのだろうか。それともフジイチのチャレンジャー?
十分に脚を解したところで、再びロードに跨る。
無心でペダルを踏む。
ひと踏みで一体何m進むんだろう。ギアはとっくに最軽で、これ以上軽くすることはできない。
前を見れば坂。心が折れる。だから前を見ない。
残りの距離を計算すると気が遠くなる。だから計算しない。
ただひたすら、2 メートル先をだけ見る。そこに辿り着くことだけを考える。
それを繰り返す――修行僧か何かのように無心でそれだけ繰り返す。
無心でそれだけを繰り返していると、私に話しかけてくる誰かがいた。
「……くん? 入江くん?」
「はっ!? き、きみは――篭坂さん!?」
「あ。ひっどーい。私もいるのにー」
「え、江門田さんも!? ど、どうしてここに!?」
「どうしてって、キミが私のことを訪ねてきてくれたんじゃないの」
「そーそー。それも私に跨ってさぁ。入江っちの事運ぶの、重たくて大変だったんだよぉ? 入江っち脚ヨワヨワだしさぁ」
「え……そ、そうだっけ……って、か、篭坂さん?」
「なぁに、入江くん……?」
「ちょ、ち、近くない?」
「えぇ~? そうかな~? クスクス」
「あー、篭っちズルーい。私も私もーッ キャハー」
「江門田さんまで!?」
「クスクス。どうしたの入江くん? 顔、真っ赤になってる」
「ホントだァ。ココ、パンパンでガッチガチにしてるの(太腿的な意味で)、なんでかなァ?」
「そ、それは篭坂さんが……くッ」
「え―、もしかして私が悪いの?」
「い、いやそれは――ッ うっ、ぐ……(急坂)」
「あーっ。入江っち、もしかして我慢してる(脚攣り的な意味で)?」
「そうなの? 入江くん……私で、感じてるの(急坂的な意味で)。そうなんだ……それだったら、ちょっと嬉しい、かな」
「篭坂さんッ……」
「実はね――少しだけ、私、ちょっと
「だよね。篭坂っち、色んな人に人気あるんだよね(クライマー的な意味で)」
「私の坂で入江くんが感じてくれたら――嬉しい、かな♡」
「大丈夫だよねーッ。だって入江っち、こんなにガッチガチにしてるし(ふくらはぎ的な意味で)♡ それに顔真っ赤だし……うわっ、変な汁(汗的な意味で)出てる♡」
「ホントだ……これ、私で……? こんな沢山、出してくれるんだ(汗的な意味で)……♡」
「く……ッ! まだ、そんな……責めないでくれッ……!(坂的な意味で)」
「ホント入江っち、限界みたいな顔してるし~♡ キャハ♡ ザコザコど貧脚♡ よわよわ太腿♡ ここ(太腿)ぴくんぴくんさせてどうしたのぉ~♡」
「もしかして――もう少しでイキそうなの(脚攣り的な意味で)♡」
「入江っち、私の上で腰すごいヘコヘコさせてる(ダンシング的な意味で)♡ ほらがーんぼれ♡ がーんばれ♡ もうへばったの? なっさけな〜♡」
「入江くん……ほら、もうちょっとだから頑張って♡」
「ひぎぃ! あっあっあっ、待っ、もう……もうらめぇ!」
「キャハハッ、入江っちザコ過ぎ~♡ このまま
「入江くん――♡ えいっ(激坂)♡♡」
「アッーー!!(峠越え)」
私は一体なにを書いているんだ(真顔)。
酷過ぎる。
アッーー!!(峠越え) じゃないんだよ。
・
山の上下と書いて、峠。
篭坂峠の最高点を超えるその辺りが静岡と山梨の県境だ。
山梨の文字を見た瞬間、私は拳を突き上げて喜びを露にし叫んだ。
「っしゃあ!! やったぞオラァ!!」
そんな私を後続の車がすいすいと追い抜いて行く。
それを好んで苦労してやりたがるのだから、
でもまぁ。趣味なんてどれもそんなもんだ。自己満足の極致、ただただそれをしたいというだけの理由でそれをする。
記録にも残らない。だけど、ただその欲求を満たしたいというだけで古今無数のロード乗りが富士山を巡り、この峠を越えたのだ。
そして私もその中の一人となった。
山梨県に入ってから直ぐに傾斜は登りから下りへと変わる。
コンビニから山中湖までざっと8kmの距離だが、6km弱が静岡側だ。
つまり峠から山中湖までは2kmちょっと、かなり急勾配の下りとなる。
この下りを逆に登るのがオリンピックコースというのだから、選手たちの脚たるや。
火照った身体に高原の風を受けつつ、長い坂を下っていく。
木々に囲まれたロッジやペンションに並んで、有名大学の合宿所が並んでいる。
曲がりくねった峠道を下っていくと次第に視界が開けて、下りが終わる。
そこはT字路の信号。突き当りに見えるのは真っ青な湖面――山中湖だ。
突き当りのT字路には、自転車のモニュメントが設置されていた。
オリンピックのコースに選ばれたことを記念したもので、大きな自転車の形をしたものだ。
自分のロードバイクを並べてパシャリ。写真を撮っておく。
さて。
このフジイチでおそらく最難関であろう篭坂峠を、何とか越えることができた。
多少の押し歩きはあったがもうこれは飲み込むしかない。脚力がない私が悪い。
そして目の前に広がる山中湖である。
篭坂峠を越えて、現在位置は山中湖の最南部からやや東側に寄った場所となる。
このT字路の右と左は山中湖をぐるりと囲んでいる道路だ。つまり右に進むか左に進むかの選択肢はそのまま山中湖を半時計周りに進むか、時計回りに進むかの選択肢である。
右の半時計周りの方が距離が長い。かわりに山中湖を挟んで富士山を向こうに見える場所がある。山中湖の最東端部だ。
そして山中湖の最西端でコースは合流する。
現状を確認。
スタートから6時間以上が過ぎている。篭坂峠を越えて体力を消耗している上、脚は限界に近い。
フジイチのルートで言うならば、7時位置の富士宮を出発して、山中湖は2時と3時の間くらい。ようやく半周と言ったところ。
予定で言うならば山中湖到着は12時を目標としていたので、おおよそ70分の遅れが生じている。
左に行くべきだ。短い距離で少しでも遅れを取り戻すべきだ。体力も脚力も少しでも温存するべきだ。景色なんてどうでもいいじゃないか、優先順位を間違ってはいけない。
天を仰ぐと、真っ青な空が見えた。
「絶対に綺麗に映えるよな、富士山と山中湖のツーショット」
優先順位を間違ってはいけない。
その通りだ。
だから私は決断を下す。
右に向かって走り出す。
優先順位の通りだ。
私は、何も間違ってはいない。
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