2日目 フジイチ
2-1. 7:00 フジイチの始まり 富士山本宮浅間大社
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何度寝がえりをうとうが、軽くストレッチをしようが眠れないものは眠れない。
それでも肉体を休めなければならないので暗闇の中目を閉じてベッドに横になっている。これだけでも起きた時のパフォーマンスは全然違ってくる。
いくら羊を数えたところで眠れないのだからどうしようもない。ただひたすら浅い眠りと覚醒を繰り返して時間が過ぎるのを待つ。
外が明るくなってきた。
午前五時半、仕方ないので動き出すことにする。
睡眠時間は十分とは言えないが、ずっと横になっていた分だけ肉体的な回復はされている――と思いたい。
改めて天気を調べてみたら、以前からの予報通り 晴のち曇り だ。18時ごろから曇り、おそらく日付が変わるころまでは降らないだろう、という見立て。
6時になってホテルの朝食。カーボローディングを気取って糖質多めを意識してみるが、まぁ言葉を知ってるだけで事前から行っていた訳でも無し。気休め程度に効果があればラッキーくらいのものだ。
全ての準備を整えて、私はサイクルジャージのポケットに補給食を突っ込むと、私はホテルを後にした。
時刻7:00
富士宮市内にある、富士山本宮浅間大社。
富士山そのものを御神体とし、祭神を木花之佐久夜毘売命とする実に由緒正しい神社である。
時間があればじっくりと境内を見て回りたいものだが今回は断念。
朱色の本殿と青い空。そして白い富士山。朝の清涼な空気と相まって身も心も引き締まる思いだ。
その拝殿に手を合わせて、今回のフジイチの成功と無事帰還をお祈りする。
基本的に私はバイクもロードバイクも独りで行動する。よってトラブルが起こった際には自己責任で対処せねばならない。
もちろん事前準備は行う。昨日の白糸の滝のような行き当たりばったりが無い、とは言わない。しかしそれは、自己対処可能な範囲であると判断したから実行に移したのだ。
白糸の滝まで辿り着けたからと言って「時間があるからこのままフジイチスタートだ!」なんて無謀なことは絶対にやらない。恰好・不要な荷物とリスク要因が多すぎるから。
とはいえ、どんな実力者経験者がどれだけ準備し気を付けても、対処不可能な事故は起こりえる。
そんな運否天賦の部分を神様にお願いする。それもフジイチのことを祈願するのに、富士山を御神体とする浅間大社であればこれ以上の御利益は無いだろう。
なお、小銭を用意していなかったのでお賽銭は入れなかった。
やっぱり御利益は頂けなかったかもしれない。
ともあれ、富士宮市内。
富士山本宮浅間大社を起点とし、私はフジイチをスタートさせた。
推定走行距離150km超 獲得標高1900mアップ。
自己最長及び最高獲得標高の、
そして地獄の一丁目は、スタートから30m先にあった。
いやいくら何でも地獄に突入するの早過ぎでしょ。
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フジイチというからには富士山を一周するわけだが、サーキットのようなクローズドコースではなく公道を走ることになるため、一周といっても幾つかの想定ルートが存在する。
調べてみたところイベントとしてフジイチが開催されたり様々な雑誌などで推奨ルートが組まれる場合、御殿場市がスタート/ゴールに設定されることが多いようだ。西日本側から御殿場市はアクセスしにくいが、東日本側からだと富士宮市の方がアクセスしにくいからだろうか。
ちなみに今回は、ロードバイク雑誌のBiCYCLE CLUB様がアップしている記事を基にルートを設定した。記事は下記URLを参照でお願いいたします。
https://funq.jp/bicycle-club/article/686988/
ざっくりと説明すると、
・御殿場市スタート →山中湖 →河口湖 →西湖 →精進湖 →本栖湖 →朝霧高原 →富士宮市 →御殿場市ゴール
というルートとなる。
他のルートなどもネットで調べてみたところ、大まかに上記同様の「富士五湖周遊有りロングコース」か「富士五湖周遊無しショートコース」のどちらかが定番であるようだ。
ともあれ、どこをスタートとしても一周は一周だ。
結局どんなルートであってもそこに接続しさえすればよいので、先ずは富士宮市-御殿場市を繋ぐ国道469号を目指して北上する。
北上する、のだが――それがいきなりのヒルクライムとなった。
富士宮市の北には何があるか。富士山である。
山に向かって進む道ということは、登り坂である。
午前7時の住宅地を、通勤ラッシュの道を、それも結構な坂道を。
改めて調べてみたところ、6.6km257mアップの急坂だ。
それを歯を食いしばってグイグイと登っていく――すぐ左を乗用車が邪魔くさそうに走るのを横目に。
道路交通法上、自転車とは軽車両に分類される。そのため基本的には車道を走行しなければならない。
しかし周囲の状況や歩道の種類によっては自転車であっても歩道を走行しても良いことになっている。
歩道を走っても良いのだが……実は、歩道は自転車のためのものではないのだ。
なにを当たり前のことを……と思うかもしれない。
しかし、改めて見て欲しい。歩道というのは実はギャップや砂利や雑草のオンバレードだ。
溝蓋、瓦礫、砂利、隙間、凹凸、凹凸……!!
前述したとおりロードバイクの細いタイヤはギャップに弱い。一部の本当にきれいに整備された場所を除いて、歩道というのは実にロードバイクに向いていない走りにくい場所なのである。
この辺りの路面の荒れについて、タイヤの太いママチャリやマウンテンバイクはあまり気にしなくてすむ。同じスポーツ系自転車のクロスバイクもロードよりタイヤが太い。車種が違うということは使用目的が違うということであり、その違いとはこういう部分で発揮されるのだ。
ちなみにあらゆる陸上移動手段において、こと走破性という点で靴を履いた人間の足に勝るものは無い。
たった20㎝の階段を、自動車も新幹線もロードバイクも乗り越えることはできないのだ。
多少の溝もギャップも無視して踏み越えていくことのできる、人間の足ってスゲェ……!
なんてそんな事を考えながらもひたすら坂道を登っていく。
通勤の自動車のみならず、通学する学生、通園する園児やそのお母さん。
それらの人々からしてみたら、ロードバイクガチ装備の私がぜぇぜぇ荒い息で坂を登っていく姿は実に滑稽に見えたことだろう。
実際誰に頼まれた訳でもなく、好き好んで自転車で坂道を登っていくのだ。まぁ、知らない人からしたら滑稽だよね。自覚はある。
平日朝の日常風景に紛れ込んだ
住宅街なのでそれなりの頻度で信号に行き当たったおかげで、この坂道はキツくはあったが走破できないというほどではなかった。
ようやく目的の国道469号に辿り着く。ここからが本格的なフジイチルートだ。
が、思うところがあり一度469号を渡って、更に標高を稼いでいく。
別に目的もなくルート無視したのではなく、この先にあるまた別の山宮浅間神社に参っておこうと思ったのだ。
登りを重ねるということはその分体力を使うということ。我ながら余計なことをしてるなぁ……と思わなくもない。必要かどうかを問われたら必要はないのだが、まぁ、山宮の方も見てみたかったし。という理由だけだ。
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富士宮の住宅街は途切れ、田畑が多く広がる場所に山宮浅間神社はあった。山林の澄んだ空気が火照った身体を冷ましてくれる。
朱塗りも美しい煌びやかな本宮浅間大社と比べると、山宮浅間神社の方は実に質素な……人々の生活の中にある、そういう神社だ。
ロードバイクを手水舎の柱に立てかけて、石段を登る。
その先にあったのは遥拝所。
そして木々の向こうに聳える富士山――。
山宮浅間神社は、富士山を御神体とする。
そして神社としては実に珍しいことに、本殿も拝殿も存在しない神社だ。
かつて本宮浅間大社はこの地にあり、坂上田村麻呂によって現在の地に遷座したのだという。
そして現代に至るまで残る遥拝所。
富士山そのものに祈るという原始的な宗教。いや、宗教という体系的なモノですらない、人々が、日々の生活の中で自然と抱く親しみと崇敬の心。
そういった言葉にできないものが、今でも確かに息づく場所であった。
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山宮浅間神社を出たのち、来た道を戻って国道469号に合流するまで快適なダウンヒルである。
どうでもいいけど登りはヒルクライムって言うのに、下りはヒルダウンって言わないのなんでだろうね。
さておき国道に入って本格的にフジイチのスタートである。
まぁ、登坂なんですけどね。知ってた。
ヒイコラ言いながらも黙々とペダルを踏んでいく。ルートとしては反時計回りに富士山を一周するのだが、スタートの富士山本宮浅間大社は時計で言うところの七時方向。目下の目的地は御殿場市、三時方向である。
この国道469号は富士山とその南東部に位置する愛鷹山の間を抜けて御殿場に至る道だ。
市街地から離れたこともあり、交通状況は良好。時折一般の自動車やトラックが通過するが、渋滞という状況は無かった。
天気、快晴。気温は既に25℃を超え、結構な真夏日になる予感。
富士山周辺はサイクリングコースとしても整備させているので、国道469号に入った途端、道路に引いてあるブルーラインが目についた。
このブルーラインは終日お世話になった。なにせ予定のルートの殆どに引いてあるものだから、このブルーラインと道路の青看板だけで殆ど道に迷うこと無かったのはありがたい。
また国道469号はキレイに整備されているおかげで、繰り返し記述した道路上の凹凸やひび割れがあまりなかったように思う。走行中のストレスというものは積もり積もって後になるほど疲労という形で影響するので、走りやすいというのは実に有難かった。
有り難くないのは坂道である。
国道469号に入り暫く走って村山浅間神社の看板が見えた。
ここもまた浅間大社系列の神社で、山宮浅間神社とは違って修験道としての歴史があるそうだ。
その神社に辿り着いて参拝し、トイレ休憩を兼ねてベンチに座る。
「……スタートしてからこっち、山宮浅間神社から下った以外全部、全ッッッッッ部登りなんですけど!?」
そう。
びっくりするくらい登りオンリー。
アップダウンなんてもんじゃない。アップアップの繰り返し。お陰で私もアップアップだ。
そんな私に声を、近所の散歩していたおじいさんが声を掛けてくれる。
「どこから来たの? どこまで行くの?」
「いやぁ、富士宮の市街地から……富士山一周で、ですね」
「ははぁ。そりゃまた脚が鍛えられるねぇ」
「さっそく後悔してますよ……ははっ」
乾いた笑いしか出てこない。
現在時刻は8:15。
フジイチルートに接続するため横移動は少なかったとはいえ、7時位置の本宮浅間大社をスタートして6時半位置の村山浅間神社に辿り着くまで1時間以上かかってしまっている。
本当に走り切ることができるのだろうか。
白糸の滝チャレンジで残る脚の疲労感に後悔がよぎる。
やらなきゃよかった。
一抹どころではない不安を覚えながらも、ヌガーナッツを齧るのだった。
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