けざけざ

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 あの、ちょっと尾籠なお話なんですけど。皆さんはおしっこの色を確認したり、されますか? いえ、私もそう毎日きちんとするわけでは。体調に気を遣うタイプの人でも、せいぜい色がどうかってくらいだと思います。健康のバロメーターって言いますけど、そんなに大きく気になることがなかったら、文字通り、そのまま流してしまうと思うんです。

 でもですね。汚物を否応なく見ざるを得ない状況もあるんです……分かりますか? ゲロ吐いちゃうときです。ずっと便器の方を向いてないと、外に出たら処理が大変ですし、顔上げてなんていられないから、吐いたものが目に入っちゃいます。私が持ってきたお話は、中学生のときに、信じられないものを吐いたときのことです。おばあちゃんが言ってた言葉をそのまま借りてきて、「けざけざ」って題名にしますね。


 今でもそんなに体は強くなくて、冬になるたびに風邪をひくんです。食生活なのか、生活習慣なのかは分からないんですけど、季節の変わり目には気を付けていても体調を崩しちゃって。ちょうど受験生だってときの冬にも、いつも通り風邪をひきました。インフルエンザのワクチンは打ってたはずなんですけど、ウイルスが別なんでしょうね。ただ、そのときの風邪は咳が止まらないとか高熱が出るとかじゃなくて、腸炎? 胃腸かぜ? だったみたいで。

 お腹がぐるぐる言うなーとか、変なガスが溜まってるみたいで気持ち悪いなーとか、そういう感覚からどんどんひどくなっていって、何も食べられなくなりました。動けないし起き上がれないし、絶食してるはずなのに食欲もないんです。顔色も最悪で、気絶してちょっとだけ起きて、気持ち悪い感覚のまま何時間も起きて、また気絶して、ってことを繰り返してました。

 お母さんもおばあちゃんも心配してくれたんですけど、おばあちゃんはちょっと、そのときからぼけが始まってて……うつりそうだ、とか考えないで寄り添ってくれるのはいいんですけど、なんだか変なことばっかりしてるので、そのときも「またか」って思いました。それでなんですけど、うーん、どこから持ってきたんだろう……和紙をお鍋に入れて、それをお米みたいに煮込んだんでしょうか。雑炊みたいにして、持ってきたんです。めちゃくちゃ繊維っぽいし、変な色も混じってて、気持ち悪かったです。


 何を言ってたのかは、いまだによく分かりません。私が知ってる言葉じゃなくて、どこかの風習とかなんでしょうか、「けざけざが出てくからね、ね」って。擬音語とか擬態語とかじゃなくて、何かの固有名詞なんだと思います。お母さんがいない隙を狙って、わざわざ作ってくれたなら、ちゃんと食べないとって思ったんですけど……れんげで何杯かしか食べられませんでした。さっきも言いましたけど、植物の嚙み切れない繊維みたいなのがいっぱい入ってて。味も、えっと、ボンドみたいな匂いがずっとしてて。不味いっていうか、薬用に飲むものだったみたいなので……。

 当たり前だろって思うかもしれないんですけど、そのあとぜんぶ吐いちゃいました。植物の繊維って、人間には消化できないらしいって聞きましたけど、たぶん関係ないです。しょっぱい唾がいっぱい出てきて、飲み込んじゃうともっと気持ち悪くなって、急いでトイレに行きました。めちゃくちゃ気持ち悪くなって、作ってくれたのにごめんなさいって、背中をさすってくれてるおばあちゃんに言いながら、でもやっぱり我慢できなくて。おえーっ、てどぽどぽ出ちゃって。


 青い鉄条網みたいなのが、出てきました。いえ、違うんです。消化できてなかったお味噌汁のワカメのかけらとか、さっき食べた雑炊みたいなやつの繊維とか、そういうのがちょっと古い紙みたいな色のどろどろになってたんですけど……その中で、異様なくらいギラギラ光ってるそれが、たぶん口からお腹までつながってたんでしょうね、ずるずるずるーって出てきたんです。

 おばあちゃんは、背中をどんどん叩きながら「出てけ出てけ、やらせんよ!」ってびっくりするくらい強い口調で怒ってました。しまいには、ゲロでどろどろに汚れてる口元から、それをつかみ出してくれたんです。ヘビみたいなムカデみたいな、でも細くて固くて、ぜんぜん動いてませんでした。あれが「けざけざ」だったんです。


 違うんです。いえ、その。当然の流れっていうか、ですね。おばあちゃんは「けざけざが出てくよ」って言ってあれを食べさせて、私が変なものを吐いたから、それが「けざけざ」だって分かると思うんですけど……もう一回、同じものを見たんです。


 同じ高校を受けるAちゃんは、ずっとプリントとかも持ってきてくれてて、家も近いから友達だったんですけど。おばあちゃんは「えい、こんなもの!」って言って、Aちゃんがくれた手紙の封筒を破いちゃって。どうやって覚えてたのか、シュレッダーにかける紙のところに入れてたんです。そんなことしなくてもって思ったので、こっそり取りに行ったんですけど、封筒の内側に何か書いてあって……色が透けないようにだったのか、ピンクの封筒に赤鉛筆で「けざけざ」って。

 休み明けにはすっかり治ったので、学校に行けました。プリントも整理してあったし、先生も付きっきりで教えてくれたので、急病でも受験には問題ありませんでした。成績がちょっと怪しかったAちゃんも、放課後の質問まで付き合ってくれて、一緒に帰りました。ちょっとお腹空いちゃったよねーって言って、コンビニでフライドチキン買って、二人で歩きながら食べたんです。

 ちょっとAちゃんの顔色が悪い気がして、「食べられる?」って顔をのぞき込んだときに……瞳孔の奥に、青いギラギラしたものが通り過ぎたんです。つい「けざけざ!?」って口走っちゃって、一瞬で私何言ってるんだろうって思い直したんです。生まれてこのかた、そんな言葉聞いたことなかったですから。相手にだって、伝わるわけないじゃないですか。

 ……はっとした顔が真っ青になって、逃げ帰っちゃいました。それからすぐ、体調不良で寝込んだって聞いたんですけど、どこの病院でも手が出せなかったみたいで……受験にも間に合わずに、そのまま。おばあちゃんは、あのときのは何だったんだろうって思うくらい、ぼけた状態が元通りになっちゃって。すぐに亡くなりました。


 おばあちゃんって、嫁入りのときにすごく苦労したらしくて、地元の行事に合わせた料理のレシピとか作法を書き残してたみたいです。古いノートにていねいな文字で書かれてて、どれも真似するの大変そうだなって思うものばかりでした。そんな中に、見つけちゃったんです。

 えっと……。「重いものの下敷きにして色かたちの古びた和紙に、仕掛けた者の名前を書き入れて、ほとけの彩りを添えて煮込む」。嫁入りするのにこんなことを覚えなきゃいけない時代が、つい五十年くらい前まであったみたいです。


 え? はい、ありましたよ。売ってました。

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けざけざ 灯村秋夜(とうむら・しゅうや) @Nou8-Cal7a

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