第10話 第10章
バーの中では、三十年くらい前の曲が流れていた。信義は、懐かしそうに聞いている。信義の横顔を見ながら、康子はそんな風に考えていた。実際には、イメージを膨らませて、記憶の中の懐かしさに記憶を発想に結び付けていたのだが、康子はそこまで分かるわけもなく、ただ、信義の横顔を見ているだけで、なかなか自分の世界に入り込んでいた信義に話しかけることができなかった。
人がいてもつい自分の世界に入ってしまうことの多い信義は、それを自分の欠点だと思っていた。それで何度相手に不快な思いを与えたことがあったのか、我に返ると襲ってくるのは後悔の念と自己嫌悪だった。
「これはすまない。つい自分の世界に入ってしまったようだ。どれくらい、君を一人にしてしまったかな?」
今日、ここに誘ったのは、自分だった。それなのに、心の底から、なぜか謝ることのできない自分の精神状態が、自分でも不思議だった。
相手が和代で、あの頃の自分だったら、土下座でもしそうな勢いだ。しかし、今から思えばそれは茶番である。
確かに心を込めて謝るには、土下座もしかねかいのは無理のないことだが、それも相手にもよるだろう。和代のような性格の女性に対してであれば、きっと土下座などしてしまえば、気持ちが萎えてしまうに違いない。明らかにわざとらしさが目立つからだ。
どうしてそう感じるのかというと、毎日のようにしていた喧嘩である。
理由はその時々で違っていたが、喧嘩になったのは、和代が信義に感じたわざとらしさが大きな原因だったのだと今からなら感じることができる。
普段なら少々のわざとらしさは許せる範囲であるが、頭の中にカチンとくるような信義の行動や言動に対し、和代が苦言を呈したとすれば、信義は大げさに謝っていたことだろう。
簡単に謝ってしまうのは、それだけ信義にとって和代の苦言は青天の霹靂だったのかも知れない。男性の慌てふためく姿は、みすぼらしく感じられ、それも和代にとって、苛立たせる原因の一つだったに違いない。
しかも、その様子が滑稽であればあるほど、謝る態度は大げさに見えるのだ。
ここまで来ると、和代も自分の中だけにストレスを抱えておくわけにはいかない。
――どうしてこんな男のためにストレスを抱えなければいけないのかしら?
それでも、信義を嫌いにならない自分に対しての苛立ちもあったに違いない。それは、自分の中にある里山に対して想いが残っていることへの後ろめたさだったのかも知れない。
――だが、本当にそれだけだったのだろうか?
里山に対しては、キッチリと別れたはずである。何も信義に対して遠慮や後ろめたさを感じる必要などないはずではないか。
実は、信義が一番気になっているところでもあった。
和代と喧嘩になった時、和代の後ろに誰かを感じることがあった。その人はモザイクが掛かったように顔が分からない。
信義は里山の顔を知らないので、モザイクが掛かったり、シルエットになっていたりするのは仕方がないことだと思っていたが、ただ、最初は里山だと思って見ていたその人が、違う人に見えてきたようで、気になっていた。
その男は、知っている人のように思えた。そう思ってくると、自分が和代に最初一目惚れしてから、どこか途中で和代に対して、最初と好きでいる感情が違うものになってきていることにウスウス気が付くようになっていた。それは信義の和代に対する感情であって、他の人では絶対に感じることのないものだと思っていた。和代という女を正面から見ていると、必ず後ろに男がいる。それは里山だけではなく、もう一人いることになるのだ。
信義は、またしても、自分の世界に入り込んでしまいそうな気がして、ハッとなってすぐに我に返った。
キョトンとしているあどけない表情の康子を見ると、
――和代のことを思い出してしまうのは、康子のこのあどけない表情を見ているからだ――
と感じるようになっていた。
信義は康子のあどけない顔を見ながら、心の中で、
――懐かしい表情だ――
と感じていることを素直に受け入れていた。
「ここに流れている曲、とても昔の曲なんでしょうね。私にも懐かしいという感じが伺えます」
「そうですね。私がちょうど康子さんくらいの年の頃だったと思いますね。あの頃に聞いていた曲、私も懐かしく感じます」
「私は、この頃の曲を、よく行く喫茶店で聞いていた記憶があります。その喫茶店は、レトロな曲を流している店で、マスターが信義さんくらいの年齢だったと思います。その人が自分の昔の恋愛の話をするのが好きで、よく聞かされていましたね」
「僕も、この頃の曲を聴くと、昔の恋愛を思い出してしまいます。やっぱり、恋愛の記憶って、音楽とともに覚えていることが多いのかも知れませんね」
恋愛の記憶を、その頃によく聞いた音楽と一緒に記憶している人は、信義だけではないと思っていた。どれだけの人がそうなのか分からないが、逆に音楽と一緒でないと、思い出として記憶できないのではないかと思っているほどだった。
信義にとって、思い出として記憶しているものと一緒に音楽があるのは、何も恋愛だけに限ったことではない。小学生時代の直子との思い出も、その頃に流行っていた曲とともに意識している。
直子以外のことでもいろいろなことを思い出す時に音楽が付きものだということは、これも最近感じたことだった。音楽にはリズムがある。その時々の感情で、音楽のリズムも変わってくる。ちょうど記憶する心境と合っているリズムがその時自分の気持ちを揺さぶったものであれば、一緒に記憶されるに十分なものだったに違いない。
――記憶は、決して時系列に伴って格納されているものではない――
と思っているが、時系列に伴わないでも格納されているのは、その時に流行った音楽が一緒に格納されていることで、忘れることがないからではないだろうか。
万が一、忘れたとしても、思い出すカギはちゃんとある。それが一緒に格納された音楽であり、思い出した時に、一緒に表に出てくるのだが、一緒に思い出したという意識はない。
思い出したことに対して、自分の中でいつのことだったのかということを考えて、初めてその時に音楽が浮かんでくるものだと思っていたが、
――どうやら、そうではないのだ――
ということに気が付いたのが、最近になってのことだった。
それを思い出させてくれたのが直子のことを思い出すようになってからのことだった。
――年を取れば昔のことをよく思い出すようになる――
と言われるが、そこまで年齢を重ねた思いはなかった。しかし、よく考えてみると、逆に、
――思い出すようになったから、年齢を重ねたという意識が生まれてくるものなのかも知れない――
とも言えるのではないだろうか。
音楽が一緒に記憶の中に格納されたのには、感情が大き影響を持っていることだろう。忘れられない思い出には、それなりに理由があるはずだ。
――楽しい思い出として忘れたくない――
というものもあれば、
――忘れてしまいたいのだが、忘れることができないこともある――
というものもある。
前者は誰もが意識して記憶しているものだが、後者は、意識したくないという思いがあるだけに、
――そんな意識があったとしても不思議はない――
と思ったとしても、
――それは誰もが持っているものなのだ――
という思いを強く持っていた。
それを教えてくれたのが、康子だった。
「私は、この頃の音楽を聴くと、忘れてしまいたい記憶でも忘れることができないものがあるんだって、思ってしまうことがあるの。今までに誰にも話したことがないんだけど、不思議ですよね。信義さん相手だと、素直に話ができるの」
「それは、僕がかなりの年上だからかな? それとも、ちょうどこの音楽が流行った頃に、康子ちゃんくらいの年齢だったからだと思うからなのかな?」
「そのどちらもあるのかも知れないけど、それ以外にも何かあるような気がしているんです。信義さんと話をしていると、今まで誰にも話ができなかったことを話せる気がする。それは年には関係のないことだって思っているんですよ」
と言って、グラスを口に持っていき、喉を潤していた。穏やかな気持ちで話していたつもりでも、かなり緊張しているのかも知れないと、信義は感じた。
康子の顔を見ていると、どこか上気しているのが感じられ、その時の康子の表情に、懐かしさを覚えた信義だった。
――俺が若い頃だったら、一目惚れしちゃうだろうな――
という思いだった。
そう思うと、自分の中に忘れられない女性がいたことを思い出す。もちろん、和代のことだが、やはり和代に対しては、思い出したくないと思いながら忘れられない存在の女性なのだ。
和代のイメージは、和代との思い出を懐かしいと感じることはあっても、顔まで思い出せるほどではなかった。
――俺はいつまで、和代の顔を、一生忘れないだろうと感じていたのだろう?
自然消滅してからも、和代のことが、今まで一番好きだった相手だという意識を忘れたことはない。その意識があるからこそ、信義にとって和代は、
――思い出したくない相手なのに、忘れられない相手だ――
という意識があったのだ。
思い出したくないという意識があるから、忘れられない相手だと思っていても、いずれは忘れてしまうことになるなどということを考えたこともない。むしろ、思い出したくないという意識があるからこそ、忘れられないのではないかと思っていたほどだ。
なぜなら、それだけどちらに転んでも意識が強いということである。
思い出したくないという負の思いであっても、その感覚は強いものだ。忘れられないという意識を擽るには十分で、思い出があるからこそ、忘れられないという思いよりも強いのかも知れない。
そんな和代を彷彿させる康子が現れたことで、今度は、康子の雰囲気から和代を思い出すことになった。
すると、今まで忘れられないと思っていた和代のイメージが少し変わってきていることが気になっていた。どんな風に変わってきたのか、信義にはハッキリと分からない。それは三十年という時代の流れがそうさせているのかも知れない。
時間の流れだけではなく、時間には発展を伴ったものが付加されている。それが時代として時間を刻んでいて、順を追わずに一気に飛び越えてしまったら、そこはまったく想像もしなかった世界であることも考えられる。
和代と信義には、時代が分かっているが、康子には時代は分からない。二人が歩んだ時間を、まったく違った時代で歩んできたのだから、仕方がない。これからの時代も当然二人が歩んできた時代とも違ったものになるはずだ。
三十年前の音楽を懐かしいと言って聞いていた康子を見ていると、まるで康子の後ろに、じっと黙って佇んでいる三十年前の和代がいるような気がして仕方がない。
――和代に子供がいたら、こんな感じなのかも知れないな――
と、漠然と感じた。しかし、その思いが次第に強くなってくるのを感じると、それを確信に変えようと、確証に繋がるものを探している自分に気が付いた。
――そんな偶然あるわけないよな――
と思ってみたが、長年生きていれば、
――偶然に出会う確率は、思ったより高いのではないか――
と、感じるようになった。
偶然を最初から信じない風潮に流されていると、見逃してしまう確率は高い。特に、自分の納得の行くこと以外は信じない性格の信義には切実な話である。逆に言えば、納得の行くことであれば、どんなに偶然であっても、信じることができるのだ。
確かに理屈から考えれば、偶然はあまりあり得ることではない。それは、納得の行くことをすべて必然と考えているからであって、必然だけが、納得の行くことだと考えてしまうからだ。
確かに、納得の行くことは必然なのかも知れないが、偶然がすべて納得の行くことではないという考えは少し違うような気がする。子供の頃の信義は、少なくとも偶然を信じた時もあった。偶然うまく行ったことを、自分で納得行かせるために、強引に必然だと思いこませていたからだ。それを認めたくない自分がいて、最初から必然だったと思わせるためには、
――納得の行くことはすべて必然なことだ――
と考えさせていた。
では、なぜ偶然がそんなに自分を納得させられないものなのか。それは高校受験の時に感じたことが大きかった。
中学時代、それほど成績もよくなかった信義は、受験に際して、先生と話をした時、
「無難なB高校に行くか、少し関門だけど、一つランクを上げてA高校に行くか、考えどころだな」
と言われていたが、
体裁をすぐに考えてしまう親の手前もあって、A高校にした。
「これくらいの高校を出ておかないと、将来的にも難しいだろう」
というのが父親の意見だったが、母親はそんなことは関係なく、完全にまわりへの体裁が問題だった。
高校受験は信義の意見というより、親の意見の方が大きく作用した。その頃の信義は親に逆らえないタイプの少年だった。
――中学、高校時代は暗かった――
と自分で感じている理由の大きなところは、そこにあったのだ。
信義は結果的にA高校に入学できた。信義本人は、
――親も喜んでくれるだろう――
と思っていたが、反応はアッサリしたものだった。
「合格して当たり前だ」
というくらいにしか考えていなかったことが悔しかった。確かに親からすれば、高校受験くらい合格して当然で、入学できないなど想定外だったに違いない。
だが、そこには子供に対しての気持ちは何ら表に出てくることはなく、精神的な面でどれほど子供を追いつめたのか分かっていない。そのことだけでも信義の気持ちを内に籠めるだけの十分な影響力があったのだが、信義にはそれ以上に切実な問題だった。
信義が合格した学校は、ランクを一つ上げた学校だった。レベルからすれば、信義クラスでは荷が思いと思われるところだった。現に志望校を選択する時に担任の先生から、
「よく考えて決めるんだぞ。問題は入学してからだからな」
と言われていた。
その時は、まずは合格しなければどうしようもないことで、入学してからのことなど考えたこともなかった。その時は親も全面的に応援してくれていることで、安心感が生まれてきた。入学したら、さぞや喜んでくれるだろうと思ったのもそのせいだった。
――こんなことなら、親のためになどと、思わなければよかった――
そう思っていたからこそ、親も応援してくれているのだろうと思っていたのに、合格してしまえば、まるで何もなかったかのような態度だった。
大人になって考えると、それも分からなくはないが、子供としては、完全におだてられて梯子を使って昇ったところで、いざ降りようとすると、梯子を撤去されて、置き去りにされてしまった気分である。おだてに乗りやすい自分の性格を巧みに利用されたことで、自己嫌悪の状態に陥ったことも否定できない事実だった。
そんな風に感じることで、切実な問題に直面した時に、自分がどうして悩んでいるか分かったのも、先生の言葉と、入学してから親の態度を見ていることから来ていることだった。
「入学してからが問題なんだ」
そう、まさしくそうだった。
入学だけを目指している時は、考えられるわけもない。もっとも考えても仕方がないことだし、考えることで、受験への心構えに支障をきたすことになるからだ。
考えてみれば当たり前のこと、ランクを一つ上げて、今のママの成績では、ギリギリと言われたところである。
合格してしまえば、それで終わりなら、何も問題はない。ただ、入学試験というのは、入学するためのものだけであって、入学することで、初めて底からすべてが生まれるからだ。
合格してしまうと、信義が最初に感じたのは、
――こんなはずではない――
いくら中学時代に勉強が好きではなかったとはいえ、勉強についていけなかったということはなかった。それなのに、高校に入ってから、すぐについていけないほどになっていたのだ。
――カリキュラムが速すぎる――
他の人には普通なのに、信義には厳しかった。中学時代であれば、分からない生徒がいれば、分かるまで全体が待っているというところがあった。信義自身、そのことで、かなり救われたという意識がない。
もし、その意識があれば少しは違っていただろう。要するに中学時代の甘い授業に比べれば、高校に入学してしまえば、厳しい現実としてのしかかってきたのだ。
――高校は義務教育ではないんだな――
ただ、教育方針もそうなのだが、何と言っても中学時代との一番の違いは、全体のレベルである。
入学ギリギリの閾の高いところを敢えて受験したのだ。受験に対してはもちろんのこと、入学すると、まわりは皆自分よりも優秀な生徒ばかりだということに気付いていなかった。
「入学してからが問題なんだ」
と言った中学時代の先生の言葉、今さらながらに身に沁みて分かったというものだ。
普通であれば、そのまま落ち込んでいくのだが、その時に考えた発想が信義を救った。
――入学したのは、偶然ではないんだ――
という考えだった。
今までであれば、
――ギリギリの高校に入学できたことが奇跡だったんだ――
と思うことで、偶然入学できただけだと、入学したことに対してだけは、納得させようとするだろう。そうでなければ、入学できたことが、その後の自分の悲劇を生んだのだと思うと、
――どんなに努力しても報われない――
と思うことになるだろうからである。
努力しても報われないだけではなく、努力したことが却って自分の足を引っ張ることになるのだ。そんなことが許されていいものだろうかと思ってしまう。
その思いはきっと堂々巡りを繰り返し、そのまま鬱状態を引き込むことになるかも知れない。
切実な問題を抱えながら鬱状態に突入してしまえば、その後は底なしの泥沼である。奈落の底に落ちてしまえば、二度と這い上がることができないという事実を、早くも高校時代に悟ってしまい、もしこの時何とか立ち直ることができたとしても、永遠に偶然を逃げにしてしまう。
そう思わないにはどうすればいいか、それは、
――入学できたことを、偶然だと決して思わないこと――
それだけであった。
それだけのことなのだが、それが難しい。偶然だということを、それまでどれほど自然に受け入れていたかということを考えると、漠然と感じた偶然にまで、すべて納得させなければならなくなる。これは信義ならではの大きな問題だった。
この時の苦境をどのようにして切り抜けたかということを信義は分かっていない。だがこの時から、偶然ということに対して、少しでも考えるようになったのは事実だった。すべてを偶然と考えないなどということは、やってみて不可能だということは分かった。無理なことを強引に納得させることは、さすがに無理だからである。
それから信義は、少し考え方が変わっていった。
偶然というものをすべて必然だと思うのは無理だということが分かってくると、偶然の中に、
――必然に近いものと、本当に偶然のもの――
という考えが二種類あることを考えるようになった。
そして、必然に近いものと、本物の偶然の違いについて、
――何か見えない意志が働いている――
という考えが左右しているのだと思うようになった。
ただ、何か見えないと言いながらも、そこにある意志は、自分の中にあるものから醸し出されていると思っている。
最初は意志という形ではなく、意識というものである。意識がまわりの環境や、普段から考えていることから形を変えることで、意志となるものもあるのではないかと思えてきた。
そう考えた時。何かが起こる時、予感めいたものを感じることがあるが、それこそが自分の中にあった意識が意志に形を変える時ではないかと思える。
――虫の知らせ――
などという言葉があるが、信義はそれすら、「偶然」だと思っていた。偶然であることで虫の知らせを納得させようと考えていたのだ。
理由は簡単。疑問に感じることなく、自分を納得させることができるからであった。
信義は、高校時代に感じた結論として、
――偶然というものは、すべて逃げの感情から生まれるものだ――
という、偏った考え方をするようになっていたが、大学に入学できてからは、その考えが少しずつ和らいで行った。
大学時代、まわりの影響を受けたことを否定はしないが、納得できることしか信じないという気持ちが萎えたわけではなかった。そして、偶然をすべて否定したように、強引な考え方をしていると、まわりからだけではなく、自分自身で自分のすべてを否定してしまうことになりそうで、それが怖かったのだ。
怖いという発想も、大学に入学するまで忘れていたように思う。高校入学してから、勉強についていけなかった時に感じた言い知れぬ恐怖。それは自分で納得できないことばかりが起こるからだった。納得できることが少しでもあれば、
――そこまで言い知れぬ恐怖に見舞われることはない。だから無理をすることもないのだ――
ということを、改めて感じたのだった。
もし、康子が和代の娘だとすれば、これは必然に近い偶然なのか、それとも本当の偶然なのかを考えてみた。
本当の偶然なら、これほど怖いものはない気がするが、必然に近い偶然なら、何かの力が働いていることになる。その何かの力というのが、果たして信義に納得できることなのかどうかが、問題になってくる。
偶然はどこから始まったのだろう? 康子を見かけて声を掛けた時から始まったのだろうか? いや、もっと前からでないと、ありえないような気がする。それは、康子という相手がいるからだ。康子も自分が母親の知り合いだと思うと偶然だと感じるだろう。そしてその偶然がどこから始まったのかと考えると、信義に声を掛けられる前に、ファミレスに立ち寄って、あの席に座るまでの経緯を思い出さずにはいられないからだ。
そもそも信義が今日、ファミレスに来てハンバーグを食べたのも偶然である。そんなに以前から考えていたわけではない。これも何かの力が働いているとすれば、その力が及ぼす力はその人だけにであろう。すると、今日の偶然をもたらしたのは、信義の中にある何かの力なのか、それとも、康子の中にある力なのか、それとも二人の力が共鳴したことで起こった偶然なのか、考えてしまう。それによって、康子に自分の考えを話すべきかどうするべきなのか、決まってくるというものだ。
とりあえず様子を見ようと思っていると、康子の方から、信義の考えに近づいてきているような気がした。
「私、実はつい最近、失恋したんだ。結構好きだった人なんだけど、その人、真面目すぎるところがあって、私と結構衝突していたわ。相手が真面目すぎるから衝突したと言っても私がちゃらんぽらんというわけではないのよ。彼が融通の利かない人で、一緒にいるととても疲れる人なの。それに、本人は、何か人にはない不思議な力を持っているって思いこんでいたみたいで、話が噛み合わないところもあったのよ」
信義の知っている人に似ている気がした。
話をしていても、会話があっちこっちに行ってしまい、何を考えているのか分からない人で、急に真剣に話し始めたかと思うと、急に上の空で、何を考えているのか分からなくなってしまう。
――そうだ、佐藤だ。和代と付き合っている時に、和代と里山の両方を一番よく分かっているということで話をするようになった佐藤だ――
佐藤は、和代の話をする時は冷静に話をしていた。話が飛ぶこともなかったが、ただ、彼も和代のことが好きだったということだけは伝わってきた気がした。
自分と付き合っている和代の話をするのに、ここまで冷静になれるのだから、さぞや大人なのだろうと思っていると、和代以外の話をする時は、人が変わったみたいになってしまう。
佐藤は、自分の話をするのを嫌った。話をしていても、なるべく話を逸らそうと懸命になっているのが分かった。
――和代を好きだということを悟られたくないのかな?
と思って聞いていると、いろいろと佐藤という人間の性格が分かって気がした。
最初、佐藤は里山を尊敬していたと言っていた。そして、そのうちに、和代を友達だと思うようになったという。そして、里山と別れると、今度は手の平を返したように、信義を応援してくれるようになった。
次第に佐藤は、信義と里山の比較を始めるようになる。
佐藤という男、実に低姿勢な態度なので、最初に話をすると、自分が上から目線になっていることが後ろめたく感じるのだが、次第に、それも気になってくる。佐藤という男の性格なのだろうか。
しかし、話をしてみるうちに、低姿勢には変わりないが、どうも相手を言いくるめようとしているところがあるように思えてきた。
――相手を自分の考えに洗脳しようとしている――
と言っても過言ではないように思えた。
言いくるめようというよりも説得しようとしているのだ。元々低姿勢なので、こちらが知らず知らずに上から目線になっていることで、まさか自分が洗脳されようとしているなど、想像もつかないだろう。
佐藤と話をしていると、自分がおかしくなってくるのを感じた。
――まさか、和代と喧嘩になったのも、佐藤との会話が影響していたわけではないよな――
和代も佐藤と時々話をしていたようだ。洗脳され掛かった者同士、何か話が噛み合わないところがあっても不思議はない。しかも、佐藤のように、相手を言いくるめようと一生懸命になっている姿を、相手の中に見てしまうと、余計に意地を張りたくなってしまうのかも知れない。
転勤になってから、自然消滅した和代と同様、佐藤のことも忘れていた。佐藤という存在は信義にとって、和代とセットでしか考えられなかったが、そのことを、
――悪いな――
と、後ろめたい気持ちを持っていた。
だが、考えてみれば、それが佐藤の性格だったのかも知れない。
佐藤とは確かに和代以外のことでも話をしたことがあったが、決して自分の考えを言わなかったような気がした。
逆に和代とのことでは、自分の意見を前面に出し、説得を試みているように思えた。
――そんなに俺と和代のことを一生懸命に考えてくれているんだ――
と、まずは自分のことを一番に考える人が多い中、相手のことに対してここまで必死になれるのをすごいと感じた。
そんな佐藤を見ていて、
――俺もそんな風になりたい――
とは思わなかった。なれるはずもなかったが、なりたいとも思わなかった。
ますは自分が大切なのであって、人のことは二の次だ。人のことを先に考えてしまうと、自分のことが疎かになりそうで、怖いのだ。それを思うと、佐藤のような人間は貴重に感じるが、なりたいとは思わない。
佐藤という人間のことは、後から考えれば、あまり好きではなかったように思う。和代とのこと以外で話をしても、彼は何も新しい発想を与えてくれない。むしろ当たり前のことをいかにも自分の発想であるかのように言っているだけだ。和代に対して話してくれたことも、佐藤が自分よりもたくさん里山とのことを知っていることで、いかにも貴重なアドバイスのように感じたが、彼にとっては当たり前のことを言っていただけだ。
――目的は何だったのだろう?
元々目的などないのかも知れないが、説得しようとしているところがあったのは間違いない。
もし、目的があったのだとすれば、それは信義と和代との間にわだかまりを作ろうとしたということ以外には考えられない。
そんな佐藤を、和代とセットでしか考えられなくなったのは、信義と和代が自然消滅してしまったことに関わっているのかも知れないと思ったからだ。
自然消滅してしまっても結局は和代を忘れられなくなってしまったのだが、転勤を言い渡された時は、和代に対して未練はなかったように思えた。その頃は、佐藤とも話はしていても、話の中から何も感じることはなかった。
佐藤のことを思い出すことがなくなった一番の理由は、自分を説得するような話し方が、二人とも似ていたからだ。
佐藤のことを忘れてしまってから、思い出すこともなかったが、そういえば、佐藤と話し始めた最初の頃に、
「僕は彼女とは幼馴染でね」
と言っていたのを思い出した。
「幼馴染と言っても、幼稚園、小学校が同じで、僕も彼女もそれぞれ大人しい部類だったので、自然と一緒にいることが多かったんだ。でも、小学生の頃に、和代を好きになった男の子がいて、その子のことがきになっていたのも事実だったんだ。でも、僕は何も言えずに、それでもいつもそばにいる和代を黙って見ているしかなかった。今ではそれでよかったんだって思っているけど、あれからしばらくは、何もできない自分に自己嫌悪を覚えたものだよ」
今の佐藤の性格を見ていれば、話している内容も分からなくはない。しかし、本当に和代のことをどう思っていたのか、本人も分かっていなかったのだろう、
そして、月日は流れて、就職してまた再会した。
和代は大人しいのは相変わらずだったが、大人しい雰囲気が大人の女性の雰囲気を醸し出していた。
「僕は、彼女のことをずっと忘れていたつもりだったんだけど、再会した時に、それまでの時間が、まるですべてどこかで繋がっていたって思ったくらいなんだ」
あまり言葉が上手ではないせいか、佐藤が和代にどれほどの気持ちを持っているか、曖昧にしか分からなかった。
そのうちに話題は信義と和代の話になってくる。話の主人公はおろか、佐藤の存在は、舞台に上がることすらなくなってしまった。
「佐藤君のことは、私も忘れていたわ。でも、確かに幼稚園や小学生の頃は、いつも佐藤君が私の前にいた。私は彼を盾のようにしていたのかも知れないわね」
「何に対しての盾なんだい?」
「私は大人しかったので、苛められることが多かったの。だから、ついいつもそばにいる佐藤君を盾にしようと思っていたの」
と言っていた。
信義は佐藤という男を思い出していた。
最初は話をしていて、心地よさを感じることができるので、佐藤と話していると楽しかった。それは、自分が好きな女である和代のこと、そして、和代と以前付き合っていたという里山のことを知っているということで、話はしなくとも、いつでも情報を得ることができるという安心感もあったからかも知れない。
それよりも、佐藤の話し方が、謙虚さと相手を立てるような話し方から、話をしている自分が主役になったような話ができることが嬉しかった。そこに心地よさを感じたのだが、今から思えば、和代の話をする時、どこか奥歯に物が挟まったような話し方をしていたように思えた。
――どうして、今頃思い出すのだろう?
奥歯に物が挟まったような言い方は、まるで相手に悟られるのを最初から分かっているかのように感じられた。むしろ、相手に気付いてほしいという思いが溢れ出ているように思えた。それでもわざとらしさを感じなかったことで、話をしている時は心地よさが優先していたこともあって、佐藤の話し方に違和感はまったくなかったのである。
あまりにも違和感がなかったせいで、その時の自分が感じていた波乱万丈の人生に、佐藤という存在は、まるで第三者に思えるほど、さりげなかった。まるで影のような存在で、佐藤と一緒にいることで嫌な気分になったこともなかった。
だが、もし自分があの時に戻れたとすればどうだろう?
和代と出会った頃に戻ったとしても、もう一度同じことを繰り返すかも知れないと思っている。好きな気持ちに変わりがないからだろうが、同じ気持ちになれるような気はしないのだ。
――何かが違うような気がする――
和代に対して、さほど変わることはないし、里山という男は、話を聞いただけで会ったこともないので、変わりようもない。それでは後は誰かというと、佐藤であった。
佐藤のことを思い出そうとすると、どこか曖昧な記憶しかない。さりげなさが、薄い印象しか残していないからだ。だが、今は佐藤のことが気になっている。今日初めて会ったはずの康子に対し、
――以前にも、会ったことがあるような気がするな――
という思いを抱いたことに似ている。康子との会話にさりげなさと、心地よさを感じたからで、それが同じものではないことは分かっている。佐藤に感じたのはまだ二十代の頃で、今康子に感じている自分は中年のおじさんだからである。
和代と佐藤が幼馴染だったことを、里山は知っていたようだが、和代と佐藤の関係に対して疑いは持たなかったという。いや、それは佐藤が言っていたことで、今から思えば佐藤の言葉には信憑性も説得力もない。
今なら佐藤の考え方も、ある程度分かるような気がしていた。佐藤という男は信義とは性格的に正反対ではないかと思うからだ。
話をしている時は、雰囲気などはまったく違うが、性格は似ていると思っていた。心地よい気持ちやさりげなさを考えると、性格が似ていないと、感じることのできないことだと思ったからだ。
しかし、逆も真なりという言葉もある通り、正反対の性格であれば、心地よさやさりげなさを感じるのかも知れないとも思える。まわりから見れば二人の性格はまったく違うと思っていたであろう。信義は佐藤と一緒にいるのを、他の人が不思議そうに見ていたと、感じたことがあったのを今思い出している。
――思い過ごしだ――
と、すぐに否定した。まわりからの視線を思い出したことで、否定した時の自分を次第に思い出してきたのである。
そういえば、この店で出会った老人も、
「ここに来れば時間を短く感じる」
と言っていたではないか。
時間を短く感じるというのは、昔のことを思い出すことにも繋がるのかも知れない。
だが、あまりにも急激な短さであれば、一気に飛び越してきた時間に、何かを置き忘れてしまったのではないかという危惧を抱くこともある。
性格的にはあまり几帳面ではないくせに、心配性なところがある信義は、自分のいい加減な性格が余計心配性を増長させていることに気付くと、
――因果な性格だな――
と感じるようになっていた。
几帳面ではないから、心配性になったのか。それとも心配性なところがあるから、自然と気を抜くことを覚えてしまい、本当は几帳面なくせに、几帳面なところまで忘れてしまうほど、性格を変えようという意識が勝手に働いてしまうのか、背中合わせの性格を意識すると、どちらが強い影響をもたらすのかを考えてしまうのだ。
普段であれば、両極端な性格が表に出てくることはない。どちらかが表に出ている時は、もう一つはじっと意識の中に潜んでいる。そして、本人の意識によることなく、勝手に入れ替わってしまっている。人はそれを見ると、
「あの人は二重人格だ」
と、思うことだろう。
背中合わせの正反対の性格というのは、誰もが持っているのではないかと、最近思うようになった。最初に表に出た性格がそのまま死ぬまで生きていて、もう一つの性格が表に出ることはない。そんな人がほとんどなのではないだろうか。
持って生まれたものに、まわりの環境が影響してその人の性格を形成するのであれば、最初に表に現れた性格が、その人の土台として形成される。成長していく中でいくつかの分岐点があり、それに気付く人はなかなかいないかも知れないが、分岐点で選択が要求された時、どちらを選ぶかでその人の性格が入れ替わることもある。それが失恋であったり、学校や就職の選択であったりするのかも知れない。
――直子に会ってみたいな――
と感じたことが何度かあったが、今なら、ハッキリ直子のどこが好きだったのか言える自分になっている信義は、直子には子供の頃から、まったく変わっていない性格であったほしいと思っている。大学生になってアルバイトで少し見かけたことがあったが、その時にまったく変わっていなかったことに安心してしまい、話しかけることができなかった。それは自分が変わってしまったという意識があるからで、
――変わる前の直子に会いたかった――
と思ったからである。
和代と初めて出会った時、和代の後ろに誰かがいるような気がしていたが、それは里山だと思っていたが、本当は直子だったのかも知れないと思っている。
信義が、運命的な出会いをしたと感じている時、必ずその人の後ろに誰かの存在を感じるのだったが、最初にそれを感じたのが、和代の後ろに誰かを感じた時だったのだ。
信義は、和代と一緒にいる時、絶えず他の男性の存在を意識していた。それをずっと里山だと思っていたが、それも実は違っていたのである。それを感じたのは、佐藤から、
「俺と和代さんは、幼馴染なんだ」
と聞かされた時だった。
普通に聞いただけなら、さほど意識をすることもなかったのだが、その時の佐藤の表情に違和感があったからだ。
それが何か分からなかったのは、あまりにも普段の佐藤からかけ離れた表情だったからである。
ニヤッと笑ったかと思うと、勝ち誇ったような上から目線を浴びせたのである。一瞬だったので、
――そんなバカなことはないよな――
とすぐに思ったほどだったが、ゾッとして背筋に汗を掻いたのを覚えている。
――この男、こんな表情ができるんだ――
と思ったが、すぐにいつもの表情に戻ったので、
――やっぱり思い過ごしだ――
と感じたのだ。
一瞬のうちに、普段とは正反対の表情になり、次の瞬間には元に戻っている。瞬きをする間の目の錯覚だと言われてしまえば、否定できないほどのことだった。そちらの方が説得力はあり、目を瞑っても、その時に感じた佐藤の表情が浮かんでこないほど、残像が残っていない。
そう感じると、一瞬だけでも感じたことが、勘違いだったのだと、すぐに自分を納得させることができた。それが普段の佐藤から醸し出される、気持ちよさとさりげなさであった。
今、信義は康子と正対していて、康子の後ろにも誰かを感じていた。最初は、それを和代だと思っていたが、和代だけではなく、他の人も感じるのだった。最初に和代を感じたのは、最初の一回だけで、しかも一瞬だった。もう一人は一瞬ではあったが、一度だけではなく、何度か感じたのだ。
シルエットで見えないが、相手は男性のように思えた。どこかで見たことのある人だと思ったが、すぐには思い出せなかった。それが、このバーで何度か会っていた老人に雰囲気が似ていることから、その時の老人だと感じ、信じて疑うことができなくなった。
――どうして、あの時の老人なんだ?
と思ったが、
――康子はこの老人に守られているんだ――
と、思えてくるのだった。
康子は、信義が自分の後ろに誰かがいることに気が付いたのを分かったようだ。最初は訝しげな表情だった康子だったが、穏やかな表情に変わった時、
――この娘は自分の後ろに誰かがいるのを分かっているんだ――
と感じた。そして、ゆっくりと話し始めた。
「私、最近男性と別れたの」
と言って、フッと溜息をついた。さっきの話に戻ってきたのだが、意識が一度他に飛んでしまったからなのか、同じ位置に戻ってきたと思ったが、どうも少し違っていると感じたのは、気のせいだろうか。
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