第9話 第9章
和代と別れてから残ってしまったショックを解消するためには、自分を納得させるしかないと思った信義は、堂々巡りを繰り返しながら、冷静に自分たちの恋愛を分析して見た結果、これだけのことを感じたのだ。
もちろん、勝手な想像なので、間違っているところも多々あるに違いないが、自分を納得させるという意味では、考えていることに間違いはなかった。
和代と別れて一年が経った頃、やっとショックから抜け出し、和代とのことが思い出になっていった。時期的には長かったのだが、感覚的にはあっという間のことであったのは否定できない。
一年が過ぎると、心機一転という気持ちになれた。そこで、やっと自分の「隠れ家」を探そうという気になったのだ。
その頃は、新しい恋人を自分から探そうという気持ちにはなれなかった。やはり一目惚れは怖いという意識が残ったからだ。
一人でいることの寂しさは抜けてきた。
――孤独も悪くない――
という感覚が芽生えてきたからだ。
そんな時、今まで見えなかったものが見えてくるというものでいつも通っている通勤の道のりで、その店を見つけた。
普通の喫茶店なのだが、昔からの純喫茶のおもむきがあり、その頃にはカフェのチェーン店が多く見られるようになった頃だったので、純喫茶は珍しかったりした。
その店は、ちょうど定年を迎えて、退職金で、店を始めたという夫婦が営んでいる店だった。
昼のランチタイムはもちろんのこと、朝のモーニングの時間も、お客さんがいるのにはビックリした。
「近くの商店街の人が、開店前に来てくれるんですよ」
と言っていた。
なるほど、この店は確かに常連さんが多いようだった。
「僕も常連になれると嬉しいですね」
というと、マスターはニッコリ笑って、
「もう常連ですよ」
と言ってくれた。
それは、店に行くようになって一か月ほど経ってからのことで、その一週間ほど前から、ランチタイム以外でも行くようになったからだ。
その頃は、残業などほとんどなく、定時も午後五時半だったこともあり、店が午後八時までやっていることもあり、夕食をここで済ませる毎日が続いていたのだ。
元々、この店に入ったのも偶然だった。
昼休み、いつも行っていた定食屋さんがいっぱいで、どうしようかと会社の先輩と話していた時、ちょうど喫茶店の看板が見えたのだ。
ランチタイムはさすがに老夫婦だけで賄えるものではなく、パートの女の子を二人雇っていた。先輩社員は、気さくな人だったので、パートの女の子と話が弾んだこともあって、結構楽しい雰囲気になった。
そのうちに先輩が出張がちになり、昼食を一人で出かけるようになった信義は、すっかり昼のランチタイムでは常連になっていた。最初は老夫婦が店をやっているという意識がなかったので、仕事が終わって店に行ってみた時、ランチタイムの喧騒とした雰囲気とは打って変わった落ち着いた雰囲気に面喰いながらも、昼休みでは感じることのなかったレトロな雰囲気に初めて気づき、その時になってやっと、
――隠れ家になりそうな店だな――
と感じたのだった。
ランチタイムにはあまり意識していなかったが、ところどころ木目調が目立つ店内は、どこか山小屋を思わせる造りになっていた。テーブル席の横に掛けてある絵は、よく見ると店の表が描かれていて、
「お客さんの中に、油絵が趣味の方がおられて、その方からいただいたんです。ここに飾ってもらうと嬉しいということでね」
常連のほとんどは、商店街に店を構える店長さん関係が多いが、中には芸術に造詣の深い人もいるようで、なかなか奥行きのある客層に、いかにも隠れ家を感じさせる雰囲気と合わせて、常連になるに十分な気がしていた。
一番よく話をするのが、近所にある大学の教授だった。心理学の先生で、大学教授で、しかも心理学と聞くと、思わず尻込みをしてしまいそうだが、話をすると気さくな人で、職業を聞かなければ、
――物知りの気さくなおじさん――
という雰囲気で好感が持てる。
先生とは結構話も合った。本当は心理学に興味があるわけではなかったのに、話を聞いているだけで、自分が心理学に次第にのめりこむのではないかと思うほど楽しかった。
「心理学なんて、そんなに難しく考えることないんだよ。専門にやっていれば別だけど、基本は、誰もが頭に抱いていることを、いかに分かりやすく、そして納得できる結論を見出すかということに掛かっているだけだからね」
と話してくれた。
「そうですね。僕は特に納得いかないことは信じないということが頭にあって、それが自分の行動や考えを先に進ませずに停滞させてしまうことが多かったように思うからですね」
というと、
「自分の世界に入って考えると、どうしても自分だけの考えだと思いがちだけど、皆同じようなことを考えていると思うだけで、気が楽になる人もいますからね。でもあまりそれを表に出しすぎると、カリスマ性を伴ってしまい、宗教活動のようになってしまい、信仰心がついてこないと不安に陥ることになるかも知れません」
「僕の場合は、どちらかというと、他の人と同じでは嫌だと思うところがあってですね。納得いかないことは信じないという考えに至るのも、そのあたりに原因があるんじゃないかって思ったりもします」
これは、会話の一部であるが、だいたい会話のパターンは似たり寄ったりだった。先生は、難しい言葉はほとんど使わずに、どちらかというと、信義の方が難しい言葉を使いたがる。
「必要以上に意識するというのも疲れますからね」
と言ってはくれるが、
「意識しないと、不安に思うこともあるんですよ。これも因果だと思っていいんでしょうか?」
「因果というほど大げさなものではないでしょうけど、絶えず結論を求めようとするのって、疲れるだけですよ」
まったくその通りだった。
その時の話が頭の中にしばらくは沁みついていた。相手が大学の先生だから、こんな話をするのがうまいのだと思っていたが、先生と話をしていると、そうでもないようだ。
話し方は気さくで、見下しているところが何もない。大学の先生というと、どうしても、理屈っぽく、冷静で話そうとしているところがある。
それは、相手を見下しているように感じ、そのくせ、途中から激情的になってくる。相手が自分の話についてこれないのが分かると、急にムキになるのだ。
信義はそれを確信犯だと思っている。
見下しているのだから、自分の話に相手が付いてこれないのは、分かっていることである。逆についてこれない方が、それだけ相手よりも自分が優位に立っていることの証拠でもある。
それなのに、ムキになるのは、自分の考えを相手に見透かされるのを恐れているからだという思いが頭をよぎるのではないかと思うのだ。
――まるで子供みたいだ――
信義は、大学時代からそんな風に思っていた。
熱心に研究に邁進している学生であるなら別だが、普通の大学生に対して優越感を抱いているのが、大学教授の正体だと思っていた。試験もいい加減で、自分が出版している本を持ち込み教材にして、
「本を買わせるための、露骨なやり方だ」
と、学生が噂してもどこ吹く風、ひどい話として、本を買ったという証拠さえ見せれば単位をくれるというのだから、いい加減なものだ。
もちろん、本一冊で単位がもらえるというのだから、利用しないわけにはいかない。教授も教授なら、学生も学生だと思いながらも、信義は利用させてもらい、無事に大学を卒業できたのだ。
そんな教授は極端だが、なかなか教授と呼べそうな先生が大学で出会わなかったのも事実だ。
しかし、この店で出会った教授は、
――本当に大学の先生なのか?
と思うほど気さくで、まわりの人が、
「先生、先生」
と言って恐縮していても、それを鼻に掛けたりはしない。
――相手が誰であろうとも、接し方に変わりない――
という気持ちが表に出ているように思うのだが、まさしくその気持ちが、、相手を見透かしていないのだという何よりの証拠であった。
自分が人より優れていると思っている人は、それが分かっていないのだ。言葉にすれば簡単だが、実際人と接すると、その気持ちを忘れずに接することができるのか、疑問に思えてくる。
逆に人より優れていると思っていないように見える人でも、すぐに大切な気持ちを忘れてしまう人は、心の中で、相手に対して優越感を持っているのかも知れない。
本人は隠しているつもりはなく、自分の中で一人ほくそ笑んで、自分の世界に入り込む人であれば、見る人が見れば、分かるのかも知れない。
先生の名前は、北村先生と言った。信義は普通に、
「北村さん」
と言えばいいのだろうが、最初に他の人に合わせて、
「北村先生」
と言ったこともあって、今さら「さん付け」をできないように思えた。
――何か恥かしいな――
「さん付け」の方が話しやすいのだろうが、親しみ安すぎて、今さら言うのは、取ってつけたようで嫌だったのだ。
先生は恋愛についての話をするのが好きなようだ。
「僕は、いつも自然消滅が多いんですよ」
と話すと、少し先生は考えていたが、
「それは、君に責任があるわけではないが、辛いことかも知れないね」
「どういうことですか?」
「君は、自然消滅したことに対して、自分には責任がないと思っているだろう? ただ、自分の心の中のどうしようもない部分が影響しているからだと思っているからなのかも知れない」
北村先生の話は、最初漠然としたものにしか聞こえなかった。
自分が考えていたことに限りなく近い感じはしているが、平行線のように、交わることのない意見だと思えていた。
――北村先生の話が本当で、自分の考えが間違っているとしたら?
と、考えたが、そもそもこの考えは、信義の考え方と基本的に違っている。
――考え方というのは人それぞれ、誰が正しいとか、間違っているとかいうことは、一概には言えない――
と信義は常々思っている。
しかし、相手から指摘されると、何か答えを見つけなければ我慢できないところがあった。それが、自分に焦りがあるのかも知れないという思いを抱かせることになった。指摘されたことが、自分にとって悪いことだと思ってしまうところが、信義にはあったのだ。
その時に、考え方の正誤を考えたのは、相手が北村先生だったからなのかも知れない。
――やっぱり、相手に対して劣等感があるのかな?
それが、なぜ尊敬の念であることにすぐに気付かなかったのか、自分でも分からなかった。ただ、どうしても、相手と比較してしまう自分を考えた時、正誤という納得のいく「結論」を求めようとしていた。
別に比較する必要などないはずなのに、どうしても比較してしまうのは、それだけ自分の考えに自信がないからではないだろうか。
自分の考えが不安定なので、しっかりしたものとして理解したいと思うと、
――まず他の人を基準に考えよう――
という思いに駆られるのも無理のないことであろう。
信義は、自分の考えがしっかり固まっていないことをいつも気にしていた。
だから、絶えず何かを考えているのだろうと思うのだが、考えていることに結論など得られないという思いもめぐっている。
「どうしようもない部分というのは?」
「君は、きっと客観的にモノを考えることが多いんじゃないかな? 客観的に考えると、相手によっては、寂しさに繋がることかも知れないね」
「まさしくその通りなんです」
ズバリ指摘されると、怖くなったが、それでも、最初に考えた、
――自分の考えに限りなく近いが、平行線のように交わることはない――
という思いが変わることはなかった。
そう思って、先生を見ていると、ニッコリと笑っていた。思わず、面白くない顔をしてしまったが、それはまるで自分のことを見透かされているようで、ひねくれてみたくなったからだが、すぐに大人げないことに気が付いて、今度は少し落ち込んだような表情になったと感じた。
「その表情が、寂しそうに感じるんですよ。自分では客観的に見ているつもりでいると思いますけど、相手には、自分を正面から見てくれていないと感じて、急に気持ちが萎えてくる……」
それが女性の感情というものなのか。確かに信義から見れば分かっているつもりでいたが、相手からどのように見えているかというのが分からなかっただけに、どう相手と接していいか分からない。それが、自分の中で諦めの気持ちを生んで、最終的には視線消滅への道を歩み始めるのかも知れない。
ここまで感情が萎えてくると、一番楽な別れ方は、自然消滅だ。
ただ、自然消滅も最初はいいかも知れない。お互いに納得ずくで別れるのだから、どちらが傷つくということもない。
――それが一番幸いだ――
と思うのだが、たまに、
――これこそ自己満足ではないのか?
と思うようになっていた。
信義の中で自然消滅は確かに一番楽ではあったが、何か納得できないものが残ったのも事実だ。それが、相手に対しての未練だということに気が付いたのは、和代と別れてから、五年も経ってのことだった。
その間に三人ほどの女性と付き合ったが、やはり最後は自然消滅だった。
信義に、自然消滅が未練だということを教えてくれることになった女性は、他の女性たちとは違っていた。最初から結婚など考えていない人で、何よりも今までの女性と違っていたのは、結婚経験があったことだった。
信義が三十歳になっていて、相手は二十七歳。年齢的にはちょうどよかったのだが、彼女に結婚経験があったというのを聞いたのは、付き合い始めて少ししてからだった。
「どうして、すぐに教えてくれなかったんだい?」
と、聞くと、
「信義さんなら、気が付いていると思ったのよね」
どうやら彼女は、信義のことを本人が思っているよりも、過大評価しているようだった。今まで付き合った女性たちは、信義のことを慕っているようなことを口では言っていたが、決して過大評価しているわけではなかった。むしろ、信義が自分で感じているよりも、かなり過小評価していたところがあったように思える。
過小評価されていたことが悪かったというイメージではない。過大評価されているよりもマシだと思っていたくらいだ。過大評価されていることが最初から分かっていれば、きっとプレッシャーに感じただろう。
それはもちろん相手にもよることではあるが、プレッシャーを感じるのは、
――相手が自分に何か大きな期待をしているからだ――
と思うからだ。
自分に大きな期待を寄せているというのは、男冥利にも尽きるが、
――相手の口車に乗ってしまうと、ロクなことがない――
とも思わせる。それがプレッシャーに繋がるのだが、それは相手が自分の力以上のものを期待しているわけで、できない公算が高いものを無理に押しても、結果は見えているだろう。
その彼女との付き合いは、付き合っている時は結構長かったような気がしていたが、気が付いたらあっという間だった。
最初は相手が結婚経験者だと聞いた時、自分の中で優越感と、劣等感が同時に来たような複雑な気持ちがした。
結婚経験があるということは、一度失敗しているという相手の負い目だけを見ていたことで生まれた優越感。そして、結婚経験は、自分の知らない世界を知っているという意味で、自分にないものを持っているという劣等感が同時に生まれていたのだ。
その複雑な思いが、信義の中で、焦りとなって現れた。
――以前にも同じような思いをしたことがあったな――
と感じたのは、和代との時のことであった。
和代と付き合っている時、その時のような優越感と劣等感を同時に感じるようなことがなかっただけに、なぜこの人にだけ感じたのか、信義は自分で不思議だった。
「前に付き合った人と、もう一度やり直したいと思う人、誰かいるかい?」
と、もし聞かれたとすると、和代と、この時の女性に対してだけは、
「やり直したいとは思わない」
と、答えるだろう。
それも即答で答えるに違いないと思うが、その理由は、二人ともに違うものであるのは明らかだ。
和代に対して感じているのは、
――今まで付き合った中で一番好きだった相手は、何と言っても和代だ――
と答えることができるからだ。
きっと思い出として心の中に残して置くことが一番だと思っているからだ。
――もし、今また和代と出会った時に戻ったとしても、きっと同じことを繰り返したに違いない――
と感じるはずだ。
同じことを繰り返すのなら、一度思い出として残したものと同じものが残るかどうか分からないと思うと、繰り返すことを戸惑うだろう。だから、和代とは、
「やり直したいとは思わない」
のである。
もう一人の彼女、名前を莉奈と言ったが、莉奈とやり直したくないと思う理由は、
「未練が残っている」
ということが一番の理由である。
莉奈に対しては。理由は一つではないと思っている。いくつもの理由が重なって、やり直したくないのだ。
莉奈に対しては絶えず複数の想いがあった。
最初に感じた優越感と劣等感のように。莉奈に対して感じることには、同じ一つの想いであっても、感覚が複数あったのだ。
それが莉奈に対して残っている未練に繋がってくるのではないだろうか。
未練など、感情が複数にまたがっていなければなかったように思う。複数にまたがっていたことで、理解できない思いが頭の中に残ってしまい、本当は忘れてしまいたい相手を忘れることができなくなってしまっていた。
――ひょっとすると、莉奈の方が和代よりも好きだったのかも知れない――
などという思いも残っているほどだ。
莉奈が決して嫌いだったわけではない。むしろ、他の付き合った女性の中にはない何かがあったことで、莉奈は特別だと思っている。
ここから先は、和代に対して感じている、
「やり直したいとは思わない」
という感情に似ている。
そういう意味では、他の女性たちとの視線消滅とは違うものではないかと思っている。しかし、どちらが、本当に自然なのかというと分からない。自然という言葉の定義が分からなくなってくるくらいだ。
北村先生を前にして、そんなことを考えていると、先生にはお見通しではないかと思えるが、先生は信義が思い出していることに対して触れようとしない。
「先生は人の心理に入り込むことができるように思えてきましたよ」
というと、
「その人が潜在的に持っている意識であれば見える気がするんだけど、その人が意識を記憶として思っていたり、逆に記憶を意識として感じていることに対しては、私は入り込むことができないですね」
「垣間見ることもですか?」
「垣間見ることくらいはできまずが、それ以上は完全に、相手の心の中に土足で踏み込むようなものですからね。それに、あなたくらいになれば、僕があなたの気持ちに入り込もうとしているのが分かっていると思うんですよ。だから、無意識に人の侵入を遮断するような意識が生まれるんでしょうね」
もし、他の人で先生くらいに相手のことが分かる人がいるとすれば、きっと土足で踏み込むくらいはするかも知れないと思った。
それが、信義が感じていた
――大学教授への偏見――
と同じものではないだろうか。
「自然消滅と一口に言いきれないところがあるということも分かっているつもりだし、あなたが、私に自然消滅の話題を出したのは、相手によって、それぞれ違っているはずなのに、どうしていつも同じ結末になるかということを思っていたからかも知れませんね。でも、それはあなたが、自然消滅を、すべて同じものだと思っていたからだとは思うんですが、今ここで私と話をしているだけで、少し自分で分かってきたこともあるでしょう?」
「それはどういうことですか?」
「自分一人で抱えていると、どうしても先に行かないこともあるということですよ。人に話すだけで落ち着いた気分になれるっていう話を聞くこともあるでしょう? それと同じことですよ」
ズバリと指摘されてドキッとしてしまう。普通なら、少しムカッとする感覚も残るのだが、北村先生に関してはそんなことはない。
――目からウロコが落ちた――
という言葉があるが、まさにその通りなのだ。
北村先生と話をしていると、信義は安心感が戻ってくる感覚に襲われる。
今までは客観的に見ているから安心感が生まれるのだと思っていたが、それだけではない。
――自分は絶えずいろいろなことを考えている――
と思っているが、それは客観的にならなければできないところもある。しかし、最初は必ず主観的なところから入り、考えが堂々巡りを繰り返していることを悟ると、その時点で客観的になる。
客観的になることで、いろいろなことを考え続けることができるのだ。主観的なままであれば、続けることはできない。その感覚があるから北村先生がズバリ言い当てても、嫌な気持ちがしないのだ。
北村先生に、今までの恋愛について話をしたことはない。下手に話をして先入観を持たれたくないという思いもあるからだが、それ以上に、自分の致命的なところを指摘されるのが怖いというのもあった。
先生と話をしていると、落ち着く。決して致命的な話しを聞かされて、ショックを受けたいとは思わない。もし、聞かされてしまうと、今までの先生へのイメージが崩れて、先生と話をすることが二度とないと思うのはおろか、何よりも、自分が人間不信に陥ってしまうことが怖かったのだ。
――何を今さら――
先生と話をできなくなることの方が、人間不信に陥るよりももっと嫌なことだと思っていた。
――先生と話ができなくなるくらいなら、他の人と話をできなくなる方がマシだ――
とも思えたが、人と話ができなくなることは、せっかくっ見つけた隠れ家を手放すことに繋がると思えてならなかった。
――隠れ家というのは、他の常連さんをひっくるめたところで隠れ家なのだ――
と思っている。
――先生一人と隠れ家を失うこととどちらが自分にとって……
と考えると、それ以上先を考えることが怖くなった。一種の究極の選択なのである。
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