第8話 第8章

 康子がこの店に過去に来たようなことを話していたが、マスターは覚えがないという。他の客にも同じことを感じるというのだが、マスターは本当に覚えていないのだろうか?

 これはマスターの性格によるものなのかも知れない。ただ、もう一つ気になるのは、老人が話していたことだった。

「自分と会いたいと思った人でないと、会うことができない」

 突飛な発想であるが、本当にそんなことがあるのだろうか?

 マスターは、いつでも黙々と仕事をしている。客と話をするという雰囲気ではない。少なくとも自分から話しかけることは絶対にないだろう。それを思うと、

――マスターが本当は一番孤独なのではないだろうか?

 と感じる。

 しかし、マスターの孤独は、自分が望んだもので、決して寂しさや鬱状態を感じさせるものではない。だから、この店のマスターができるのではないかと思うのだ。

 老人を見ていても、同じように感じる。

 決して寂しさや鬱状態を感じさせるものではないが、絶対的な孤独を感じるのだ。

 しかも老人の場合は、

――他人を寄せ付けない雰囲気――

 というものを感じる。

 マスターの場合は、立場上谷を寄せ付けない雰囲気というわけには行かないだろうが、限りなく老人に近いものを感じる。しかし、それ以上でもなくそれ以下でもない距離があることを感じ、

――決して交わることのない平行線――

 が見えているようだ。

 しかもその距離が果てしなく遠く見えることも、手を伸ばせば届くくらいの距離に感じることもあるのではないかとお互いに感じているように思えてならない。信義自身も、それを感じていたのだ。

 気さくで、人懐っこいマスターや常連客のいる店にも興味があるが、ここのように、

――基本的には、他人に干渉しない――

 というイメージを作り出している店にいるのは、苦痛ではないかと以前は感じていた。だが、そうではないと感じるのは、自分に孤独が存在し、それが寂しさや鬱状態に移行してしまうことを懸念しているからだと思うようになった。

 それを教えてくれたのは、老人であったが、もし老人がいなかったとしても、店にいるだけで、近い将来自分で理解できたように思う。

 それを立証してくれるのが、マスターの雰囲気だった。

 もし、信義がそのことに気付くと、マスターはそれまでと雰囲気が変わってくるのではないかと思えた。

 ニッコリ笑って、まるで自分を解放したかのようなマスターを見ることができるような気がしてくる。相変わらず口数は少ないかも知れないが、暖かさがそこにはあり、自分の作っている世界と信義の世界を共有できると思うからではないだろうか。

 信義の勝手な想像であるが、妄想ではないような気がする。マスターの笑った顔が想像できたのは、老人の話を納得できないまでも、理解することで、

――納得しなければいけないわけではないんだ――

 と感じたからだろう。

 他の客の中には、初めてこの店を訪れて、同じような気持ちになった人も少なくはないかも知れない。

 自分と近い考えであれば、発想の幅がいくらでも広がっていくので、限界なく想像していけると思うが、逆に想像もつかないことに気付いた時など、どのように自分を納得させようとするのだろう?

 まったく違った世界のことなので、何でもありと考える反面、想像できないことを妄想として頭に抱くことができるだろうか。

 その答えを模索していると、夢という観念が生まれてくる。

 夢というのは、潜在意識が見せるものだという発想から、

――想像には限界がある――

 と考える。

――人間は空を飛ぶことができない――

 という思いが頭の中にあるので、たとえ夢であっても、宙に浮くことはできても、自由に空を飛べるなどということはできないのだ。

 夢を見ている自分は客観的に見ていることが多いのだが、実際に願望が入ってくると、夢を見ている自分が主人公になっている。主人公として願望を果たそうとしても、空を飛んだことなどないので、空を飛んでいる時の目に飛び込んでくる光景を想像することができない。したがって、空を飛ぶことをいくら夢の中と言えども、想像することはできないのだ。

 康子がこの店のイメージを覚えているというのは、ウソではないと思う。以前にも来たことがあるのだろう。だが、それが本当に康子だったのか、ハッキリと間違いないとは言えない自分もいた。

 夢で見たというわけでもなさそうだ。康子は目を瞑って、少し顎を出すようにして、イメージを膨らませていたからだ。

 それは瞼の裏に写った光景をイメージしていた。

 瞼の裏に写った光景があるのは、夢ではない証拠ではないかと信義は思う。記憶の中にあるイメージが瞼の裏に写るからだ。目が覚めるにしたがって忘れていく夢は、確かに記憶のどこかに残っているのかも知れないが、決して瞼の裏には写らないと思っていた。

 それは信義の勝手な発想なのかも知れないが、同じことを感じているのは、信義だけではないと思うようになっていた。

 信義は康子の横顔を見ていると、昔のことを思い出していた。

 それは、和代のイメージだったのだが、和代も今康子がしているように、何かを思い出す時、よく目を閉じて顎を突き出すようにしてイメージしていたのだ。

 もっとも、これは二人に限ったことではないのかも知れないが、康子を見ていて、すぐに数十年も前の想いが浮かんでくるなど、偶然という言葉で片づけられるものではないはずだ。

 人の表情を形成しているもののほとんどは、相手の目線だと思っている。

――目は口程に物を言う――

 という言葉があるが、まさしくその通りである。

 相手に見つめられることで、一目惚れしてしまう人もいるくらいだ。

 信義が一目惚れをしたのは、後にも先にも和代だけだった。和代に対して一目惚れしたのは、別に彼女の視線に惚れたわけではなかったが、虚ろな表情が信義の心を揺さぶり、さらに針で射抜かれたような気がした瞬間があった。

――その時に、和代の視線を感じたのかも知れないな――

 今まで、和代に対して感じた一目惚れを深く考えたことはなかった。

――一目惚れは一目惚れであって、理屈ではないんだ――

 と思ったからである。

 和代の視線を、今となっては思い出すことができない。きっとそれは、一目惚れを感じた瞬間、つまり針で射抜かれた瞬間、信義は和代の視線を感じたことを忘れてしまったのだ。

 だから、今まで和代の視線に一目惚れの要素があったなど思ったこともないし、和代のイメージを思い出す時、一番最初に感じた、

――虚ろな表情――

 が頭に浮かんでくるだけだったのだ。

 自分も和代のように、目を瞑って顎を突き出してみるが、瞼の裏に誰かの表情が浮かんでくることはない。

 浮かんでくるのは、真っ赤な色の中に、毛細血管が無数に広がったような黒い線が蠢いているのを感じるだけだ。毛細血管は決してじっとしているわけではない。絶えず微妙に動いていて、まさに、

――蠢いている――

 という表現がピッタリであった。

 やはり一目惚れの瞬間、イメージを犠牲にするものがあったのかも知れない。

 和代とは付き合うようになってから、最初に感じたイメージは浮かんでこなくなった。彼女の気の強さと、孤独ではない寂しさを感じさせる雰囲気だけが頭の中に残っている。

 和代は孤独が似合うという発想を一番最初に持った。しかし、それは付き合っているうちに、

――メッキではないか――

 と思えてきたのだ。

 和代の中にあるのは、孤独から派生したであろう寂しさだったのだ。

 寂しさは絶えず誰かを求めていないと自分を抑えることができなくなるものだ。今の信義にはそれを理解することができる。しかし、それを教えてくれたのは、その時の和代だったのだ。そのことを信義はずっと分からないでいた。きっとバーに行って、老人と話をするまでは理解することもできなかったに違いない。

――ひょっとして和代に一目惚れしたというのは、和代の中にある孤独を最初に見つけ、それが実は寂しさから来ていることだと分かったからなのかも知れない――

 と感じた。

 確かに、あの時、

――俺がそばにいてやりたい――

 と感じた。

 和代にそれまで付き合っている人がいると聞いた時も、ビックリはしたが、何となく分かったような気がしていた。それは、孤独の中にある寂しさを感じたからなのかも知れない。

――どうして、最近こんなに和代のことを思い出すのだろう?

 ただ、和代のことを思い出していると、その後ろにもう一人の女性を思い出す自分がいるのも感じている。相手は言わずと知れた直子だった。

 直子を思い出している自分と、和代を思い出している自分が本当に同じ自分なのかという疑問を感じることもあった。

 和代の後ろに直子を感じるのだが、和代を想像している時に、直子をイメージすることは難しい。なぜなら、直子は和代よりもさらに暗いイメージがあり、直子に感じるのは、寂しさではなく、孤独だったからだ。

 和代が一人でいるという発想が思い浮かばないのに対し、直子は一人でいるところしか想像できない。

 どちらを強く思い出したいかと聞かれれば、迷わず、

「直子の方だ」

 と、答えることだろう。

 しかし、直子のイメージはすでに幻のように思えてきた。それは時系列で古いものから記憶に封印されていくというわけではない。直子に対してのイメージは、

――寂しさではなく、孤独――

 という思いを抱いているからだった。

 孤独を感じている人は、一人にしてあげたいという気持ちも半分は頭の中にある。

――いい加減解放してあげなくては――

 と、考えているのも事実である。直子にとって、信義がどんな存在だったのか、今となっては、想像でしかないが、孤独な状態を変えることなく、一緒にいることができる相手だと思っていたのかも知れない。

 そういう意味で直子と別れた原因が、自然消滅であったのは、分かるような気がする。別れたくないという気持ちがある中で、

――解放してあげなくては――

 という中途半端な思いが、直子には敏感に感じ取れたのであろう。直子のように孤独を感じる女の子は、自分に対して中途半端な思いを抱いている相手に対しては、さりげなく別れるすべを持っているのではないだろうか。自然消滅という相手も自分も傷つかないやり方で別れることができる。それが直子の性格から現れる特徴なのだろう。

 直子は決して逃げているわけではない。もし、逃げ腰であれば、今度は信義が気付くであろう。

――直子は自分を避けているんだ――

 と思ってしまうと、意地でも別れたくないという気持ちになってしまう。

 そこに本心はなく、意地で動いているのだから、脆いものだ。あっという間に破局を迎えることになるだろう。同じ別れるのであれば、破局を迎えるよりも、当然自然消滅の方がマシである。

 波風を立てたくないという思いの方が、意地よりも強い。それは直子の性格であり、子供の頃の信義の性格でもあった。

 そんな信義の性格が変わったのはいつ頃だったのだろう?

 信義は、途中から意地の方が強くなっていた。かといって、波風を立てたくないという思いが弱くなったわけではない、社会人になってから、むしろ強くなったのではないかと思っている。

 だからこそ、余計に意地が強くなっていた。

――自分にウソをつきたくない――

 という思いがあるのは、信義だけに限ったことではない。自分にウソをつきたくないと感じると、自分が意地を張っていることに気付く。その意地がどこから来ているかというと、波風を立てたくないという思いが裏側にあるということを、実は意地を張っていると気付いたのと同時に感じたのである。

 同時に感じてしまうと、意地の方が強くなる。他の人がどうなのか分からないが、信義は自分が大人になってくるにつれて、そのことを感じるようになっていった。

 和代としょっちゅう喧嘩をしていたのは、意地の張り合いだと思っていた。だが、喧嘩をしている最中には、自分が意地を張っているなどという意識はない。世間一般の考え方に和代が逆らっているように見えたことで、戒めのつもりで意見をすると喧嘩になったり、逆に和代から、自分にとって寝耳に水の指摘を受けることで、言い知れぬ憤りを感じ、反発してしまったりしていた。

 本当は意地を張っているから喧嘩になるのであって、戒めを意地で返すことで、火に油を注ぐことになるのだった。そんなことも分からなかったのは、信義が和代の後ろに、里山を見ていたからだ。和代を好きになって、忘れられなくなったのも、里山の存在があったからであり、喧嘩の原因になったのも里山の存在があったからだ。

 では、自然消滅してしまった原因も、里山にあるのだろうか?

 信義は、里山が原因で自然消滅したのだと思いたくない。別れに際して、里山が原因にあったのは事実であろう。ただ、それを意識させないために、自然消滅という道を選んだのではないかと、今になって思えば、考えられないこともない。

――自分の感情のために、別れを選択した?

 これも、一つの意地なのかも知れない。相手から別れを切り出されるのも、自分から別れを言い出すのも嫌だった。そこに原因が里山であるということが歴然としてしまうからだ。

 別れるための原因を曖昧にするため、自然消滅の道を選んだとするならば、同じ自然消滅でも、直子の場合とは、まったく状況が異なっている。

 それにしても、一目惚れした相手に対し、最後は別れの原因を曖昧にしたいなどという理由で、自然消滅させるなど、今から考えれば、情けなく思えてくる。

 しかも、今から考えても、今までで一番好きになった相手というのは、和代だったのだ。直子に対しての思いも決して、浅いものではない。だが、和代に対して抱いた恋心に勝るものではなかった。

 異性に興味を持つ前に一緒にいたのだから、好きだったのかと言われると疑問が残るのが直子だった。もし、直子を意識したのが、異性に興味を持つようになった後だったら、一番好きだった相手が変わっていたかも知れない。だが、逆に異性に興味を持つ前だったから、直子に興味を抱いたのだという思いも湧いてくる。

 恋愛に、

――もし、だったら――

 という仮定があるとすれば、和代と直子に対して、どれだけたくさんの後悔が残ってしまったことだろう。

 康子は店に入ってから、少しマスターを相手に話をしていたようだが、信義の頭の中では和代と直子のことを想像してこともあって、あまり話を聞いていなかった。それよりも、孤独が似合うと思っていた康子も相手がいれば、結構饒舌なことに気が付くと、話をしている表情を見て、微笑ましく感じられるのだった。

 マスターは自分が最初に来た時も、老人と出会う前は会話に付き合ってくれた。話を合わせるのが上手なようだが、今の表情を見ていると、実に楽しそうだ。自分に対してもそうだったという意識はなかったが、客観的に人を見るというのも悪いことではない。

 あれから老人とこの店で会うことはなくなった。最初の頃は、

――今日は来ているだろうか?

 と、老人目当てにやってきていたが、いないならいないで、別に構わない。自分にとっての「隠れ家」を見つけたのだから、遅ればせながら、初めてきた時の気持ちに戻って、隠れ家を堪能すればいいのだ。

 それから、しばらくは、この店で自分を主人公とてではなく、他の客を客観的に見ることにして徹してみることにした。すると、結構楽しめることに気が付いたのだが、以前にも同じような思いをしていたのを思い出すと、また自分の中に懐かしさがこみ上げてくるのだった。

 あれは、和代と別れて一年以上経ってからのことだった。

 和代と別れたのは自然消滅だったくせに、ショックだけはしっかり残ってしまった。自然消滅の方が余計に気持ちの中でしこりが残ることがあるのか、まず感じたのが、

――これからどうしていいのか分からない――

 という漠然とした感覚だった。

 少し前までは、和代と結婚して、暖かい家庭を作りたいと思っていた自分の中でポッカリと大きな穴が空いたのだ。

「自然消滅なんだから、それまでに心の準備もできるだろう」

 と、いう人もいるかも知れないが、そうでもない。実際に別れてしまって我に返ると、

――自然消滅だった――

 と気付くわけで、それまでは自分が別れるなどということさえ、まるで他人事だったのだ。

 客観的に見ていたというわけではない。別れ自体が、別世界のように感じていたのだ。確かにいつも喧嘩が絶えなくて、他の人から見れば、

「あの二人、いつ別れても不思議じゃないわね」

 と思われていたことだろう。

 しかし、本人たちに別れる意識がなかったのは事実だった。どちらかというと信義よりも和代の方が付き合いや結婚に固執していた。別れるなどというと、ヒステリックになって手が付けられないのではないかと思えたほどだったが、別れに際しては、あっけないくらい、淡白だったのだ。

「そうね、潮時かも知れないわね」

 信義から別れ話をさりげなく切り出した時、あっけらかんとしていた。それはまるで信義以外に他にいい人ができたのではないかと思うほどで、もしそうなら、和代をそんな男に取られることに対して我慢ができないはずなのに、その時、なぜか安心感があったのは否定できない。

 別れ話を持ち出したとしても、これだけ気持ちが切迫している二人なので、自然消滅も同じだと信義は思っている。

――安心感を見せてしまったから、和代は簡単に別れる気持ちになったのだろうか?

 安心感というのは、その時に見せた安心感ではなく、それ以前に、和代に対して持っていたものだった。

 元々、和代との間には、絶えず緊張感が存在していた。緊張感の上に成り立っている恋愛感情というのが存在することを、和代と別れてから感じたのだが、その間に安心感の存在が二人の関係に危機をもたらすなど、想像もつかなかった。

 確かに別れたあとに残っている感覚は緊張感しかなかった。客観的に付き合っていた頃の自分を思うと、安心感は致命的だったのかも知れないと思う。

 和代と別れてから、しばらく残ってしまったショックは、自分の中で何もする気を起こさせないほど、憔悴していたに違いなかった。

 それからすぐに信義は転勤になった。それは自分の気持ちに追い打ちを掛けるような出来事だったが、実際に転勤してみると、環境が変わったことがよかったのか、ショックは残ったが、まわりの人と話をしているだけで、安心感がこみ上げてくるのを感じた。

 その時の安心感は、和代と付き合っている時に途中で感じた安心感とは、まったく別のものだった。和代と付き合っている時に感じたことが、本当に安心感だったのかどうか疑いたくなるほど、後で感じた安心感には、暖かさがあった。

 ただ、その二つの安心感の共通点は、客観性があることだった。

 和代と付き合っている時の緊張感は、完全に自分が舞台の上で主役を演じていることへの証のようなもので、そこに客観性を帯びた安心感を感じることは、自分から舞台を降りてしまったことを意味していた。それは結婚を真剣に考えていた和代に対しての裏切り行為だったのかも知れない。

 それを和代が許したということは、和代の中にも、自分も舞台を降りたという意識があったのだろう、

 簡単に舞台を降りる気持ちにさせた原因は。里山にあるのかも知れない。

 彼は最後まで和代と二人の舞台を形成して、ズタズタになってしまった。和代も同じようにズタズタになったところに、信義が現れたのだ。

――この人は安心感を与えてくれるかも知れない――

 と感じたことだろう、

 だが、この時の安心感というのは、客観的に見ることのできる自分のことなのだろうか?

 信義はきっとそうだったのだろうと思った。だが、実際に客観的に見られると、気持ちが冷めてくる自分に焦りを感じながら、どうすることもできないで憤りを感じているところに信義の別れ話だった。

 一度ズタズタになってしまった和代は、今だ回復していない精神状態で、別れ話を聞いたので、本当の自分の中で整理できないまま、別れを受け入れたのかも知れない。そう思うと、和代がその後どのように感じたのかということを考えると、かなり幅を持った発想が思い浮かぶに違いない。

――あまり余計な想像しないようにしよう――

 それは、和代に対して、残ってしまった未練と、未練を残しながら、別れを決断しなければいけなかった自分が、このままでは後ろ向きにしか見えなくなり、抜けることのできない袋小路を自分の中に作ってしまうことに繋がると思ったからだ。

 和代の中にいる里山のことを意識していたこと、さらには、和代を見つめている佐藤の存在も信義には否定できない事実であった。

 佐藤は、信義と和代のことを見守ってくれているような話をしていたが、和代のことを密かに想っていたことは想像がついた。

 里山とうまく行かなくなって、

――次は自分だ――

 と思っていたかも知れない。

 しかし、二人の別れがあまりにも悲惨で、それぞれがズタズタに傷ついたのを見たことでの躊躇と、今だ傷の癒えない和代に対しての遠慮の気持ちとで、戸惑っていたところに信義が現れたのだ。

 信義のことを、

――火事場泥棒――

 のように感じたかも知れない。

 だが、佐藤が表舞台に登場することはなかった。

 和代にとっても、里山にとっても、相談できる相手は佐藤しかいなかった。

「俺は脇役でもいいんだ」

 と思っていた時点で、佐藤は舞台に上がるつもりなど皆無だったのだろう。そう、彼は客観的にしか見ていなかったのだ。

 そのことを一番感じていたのは、和代だったのかも知れない。里山も感じていただろうが、男同士のこと、別に意識する必要もない。

 しかし、女の和代には里山のようなさりげない意識はない。佐藤が客観的に見ている以上、佐藤は、今までもこれからも、恋愛対象ではありえないと思っているのだ。

――佐藤君は、私を決して正面から見てくれようとはしない人――

 という意識が働いていた。

 この佐藤の存在が、信義の中に安心感を宿らせた時、客観的に自分を見るようになった信義に対しても、次第に気持ちが冷めてきたことに気が付いたのだろう。

 付き合っている時にいつも喧嘩をしていたが、最初の頃の喧嘩と、後半の喧嘩では明らかに違っていた。信義は分かっていたが、何が原因なのか分からなかった。原因は信義にあるのだが、想定外のことだったのだ。

 前半の喧嘩は、信義と向き合っていることでぶつかったという分かりやすいことだった。そこに里山と比較してしまったことで、和代の苛立ちが募ったのだ。

 しかし、後半は、信義が客観的になってきたことに対しての焦りが苛立ちに変わったものだった。こちらの影響は里山の存在からではなく、佐藤の視線と信義の視線の共通点から分かったことだった。

 和代の中に、佐藤の存在が影響していた時期があったのだとすれば、信義にとって、直子への意識がなかったかどうか、今一度考えてみたことがあった。

 直子を意識していたのは、小学生の頃で、まだ異性を意識していない頃だった。そんな頃の意識が、二十歳過ぎてから影響してくるなど、最初は思ってもいなかった。ただ和代を見ていて、その後ろに直子の面影を見たというだけだった。

 最初こそ、

――どこか似たところのある二人だ――

 と感じた信義だったが、実際には、和代の中にヒステリックな部分を見たことで、直子の存在はその時点で消えてしまっていた。

 いや、見えていたのかも知れないが意識していなかっただけなのかも知れない。ただ、意識しないまでも見えていたということは、直子に見つめられていたことだけは、意識の底にあったのかも知れないとも感じた。

 信義は、自分が客観的に見る安心感を急に持つようになった原因が、直子にあるのではないかと思うようになった。

 だが、それは責任転嫁の意味合いが強かった。

 客観的に見ることが安心感に繋がったという構図を、最初は分からなかった。そのため、直子のことを意識したからだと自分に言い聞かせてしまったのだが、そのために、必要以上に直子のことを思い出すことになり、余計和代には、

――私を正面から見てくれていないんだわ――

 という思いに至らせたのかも知れない。

 信義が、

――この恋愛の結末は、自然消滅だ――

 と思った理由もそこにある。

 和代の後ろに里山がいて、佐藤がいる。そして信義の後ろには直子がいる。

 和代と信義の関係は、元々信義の一目惚れから始まったこと。

 お互いにゆっくりと積み重ねていくべきだったものを、まわりが勝手にお膳立てしてくれて、性急すぎたところもあった。

 まわりはしょせん他人事。客観的にしか見ていないということを分かっていなかったくせに、お互いが客観的に見始めたことには敏感に反応してしまった。何とも皮肉なことではないか。

 そういう意味で、この恋愛に終始付きまとっていた問題は、

――客観的――

 というキーワードに凝縮できるのかも知れない。

 結局、客観的にしか見ることのできなくなった二人は信義からきっかけを作り、お互いにお互いを避けるようになったことでの自然消滅だということになるのだ。

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