第19話 一日一善
明るい太陽が照らす庭園で、メリアは小鳥を拾った。見上げれば、木の上に小さな巣があるのが見える。どうやらあそこから落ちてしまったらしい。何とか戻せないだろうか。
「メリア! 何してんの?」
「リオ」
そんな時だった。向こうからリオがやって来たのは。
剣の稽古でもしていたのだろう。Tシャツに短パンと言った動きやすい恰好をしていたリオは、その手に木刀を携えていた。
「あの巣から鳥が落ちちゃったみたいなの。何とか戻してあげられないかしら?」
「え、戻してあげるの? 優しいなあ、オレのメリアは!」
「きゃあっ!」
突然、ガシッと抱き着かれ、メリアは驚いて悲鳴を上げる。びっくりした。危うく小鳥を落としてしまうところだったじゃないか。
「ちょっとリオ! 突然抱き着くの止めてって、いつも言っているじゃない!」
「オレだったらそのまま焼き鳥にして食うのに!」
「聞いてよ!」
ギュウギュウと抱き着いて来るリオを咎めるものの、彼はそれでもお構いなしにギュウギュウと抱き着いて来る。リオにこうして抱き着かれるのは嫌じゃないが、それでも心臓に悪いので、急に抱き着くのは止めて頂きたい。
「じゃあ、オレが戻して来てやるよ。貸して、貸して」
しばらくメリアを堪能した後、リオは小鳥を受け取り、それを木の上にある巣へと返して来る。さすがは体育の授業だけはサボった事のない王子。あっと言う間に木に登って用事を済ませたリオは、これまたあっと言う間に地上へと戻って来た。
「ありがとう、リオ。助かったわ」
「別に良いけどさ。でもメリアって、基本誰にでも優しいよな。お前がオレの婚約者としてここで暮らすようになってから、城のみんな、お前の事よく褒めるんだ。凄く気の利く良い子だってさ。あんなに良い子が婚約者でリオ様が羨ましいとか、リオ様には勿体ないとか。そりゃ、お前が良く言われるのはオレも嬉しいけどさ。でも何か妬けちゃうよなー」
悪く言われるよりも良く言われた方が良いに決まっているが、それでもメリアが他の者とも接して、仲良くなっていくのが嫌なのだろう。木の上から戻って来たリオは、面白くなさそうに剥れてみせた。
「メリアはオレの婚約者なんだから、オレとだけ親しくしていれば良いのに」
他のヤツと必要以上に仲良くなっちゃ嫌だとか、鳥なんか助けないで食べれば良いのにだとか、ついには鳥にまで嫉妬し始めたリオが何だかおかしくて、メリアは思わず吹き出すようにして笑ってしまった。
「何笑ってんだよ?」
「だって、私が好きなのはリオだけなのに。リオが引き止めてくれたからここにいられるのに。それなのにリオってば鳥にまでヤキモチ妬くんだもの。何だか魚にヤキモチ妬いているみたいでおかしいわ」
「何だよ、それ。例えの意味が分かんねぇよ」
更に剥れるリオにクスクスと笑ってから。メリアは「でも」と苦笑を浮かべた。
「私、リオが思っている程優しい子じゃないよ。他人に優しくしようとするのだって、他人のためじゃない、自分のためだもの」
「自分のため?」
「うん。ホラ、良い行いをすれば、それはきっと良い事として自分に返って来るって言うでしょ? だから私、そのために一日一善を目標にして生きているの」
「へぇ。メリアはそんな事信じているのか」
「うん、信じているよ」
信じる。ああ、信じているに決まっている。
半信半疑なリオのその問いに、メリアは大きく頷いた。
「だってあの夜ミナスを助けたおかげで、私はこうして今、リオの側にいられるんだから」
そのおかげで自分に返って来た善行の結果。今こうして実際に起きているその現実に、メリアは嬉しそうに微笑む。
そんな彼女の笑顔をキョトンとしながら見つめていたリオであったが、彼もまた、程なくしてその表情に柔らかな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、鳥を食べずに巣に戻してやったオレにも、何か良い事起きるかな?」
「うん、起きるよ、きっと」
あの時はミナスを助けたせいで面倒な試験を受ける事になり、もう良い事なんかするもんかと思ったけれど。でもそのおかげでリオと出会い、こうして一緒にいられるようになったのだ。こんな良い事が待っているのなら、このまま一日一善を心掛けて生きて行くのも悪くはないのではないだろうか。
「そっか、それは楽しみだな。じゃあ……」
大きく頷き肯定したメリアに、リオは口元に笑みを作る。
せっかく良い事を言ったのに。それなのにリオときたら、笑うや否や、メリアの腕を引き、再び彼女の体をその腕の中に収めた。
「だったら早速、あっちでイイコトしようぜー!」
「何でそうなるのよ!」
「あらあら。若いって良いですねぇ」
「違います! 違いますから!」
何が違うのかは知らないが、偶然その場を通り掛かった掃除のおばちゃんに、メリアはそう言って否定する。
微笑ましそうに笑って去って行くおばちゃんを見送ってから、メリアはリオの腕の中で抗議の声を上げた。
「昼間っから変な事言わないでよ! 絶対変な目で見られたわ!」
「真っ赤になって可愛い」
「聞いてよ!」
婚約してから分かった事。リオは他人の話を聞かない。強引に話を進めて行く。
でもそれは出会った頃から薄々気が付いていた事だし……まあいいか。
「あ、思い出した」
「え、何が?」
腕の中でメリアが暴れていた時、ようやくそれを思い出したリオがハッとして声を上げる。
イイコトしている場合じゃないんだったと、リオは名残惜しそうにメリアを解放した。
「ティクムに呼ばれていたんだった。今すぐ執務室に来てくれって」
「え、それって忘れちゃいけない事なんじゃないの?」
むしろよく忘れていられたなと、逆に感心する。
「そうだった、そうだった。メリアも一緒に来て欲しいから、捜して呼んで来てくれって頼まれていたんだった」
「げっ、私も一緒に? ちょっと待ってよ、それじゃあ遅れて行ったら、私も怒られちゃうじゃない!」
「いいじゃん、婚約者なんだから。一心同体だろ?」
「そんなところ、一心同体にするな!」
怒られるんなら一人で怒られろ、とメリアはリオを睨み付けた。
「でも一体何の用だろうな? でもティクムのヤツ、物凄く面倒臭そうな表情の上に、こっそり胃薬飲んでいたけど……。うん、きっとロクな用事じゃないな」
「えー、それ、遅れて行かなくても怒られるヤツなんじゃない? うわ、何したっけ? リオならともかく、私には身に覚えがないんだけど……」
「え、それってどう言う意味?」
うーんと考え込むメリアに対して、リオは面白くなさそうに眉を顰める。
しかしリオには身に覚えが山ほどあるので、彼は眉を顰めるだけに止めておいた。
「まあ、いいや。とりあえず行こうぜ、メリア」
そう促すと同時に、当たり前のように差し出される右手。その右手を、メリアはじっと見つめる。
出会った当初は何も感じず、簡単に握り返せた彼の右手。だけど彼と同じ時を過ごすうちに、それは恥ずかしくて握れなくなってしまった。
しかしそれももう、今となっては良い思い出だ。
「どうした?」
その右手を見つめたまま動かないメリアに、リオは不思議そうに首を傾げる。
そんな彼にフルフルと首を横に振ると、メリアはそっと、差し出された彼の手を握った。
「ううん、何でもない。ただリオの眼鏡姿も似合っていたなあって、思い出していただけ」
「はあ? 何だよそれ?」
握れなかったその手を、今はこうして当たり前のように握り返す事が出来る。勿論まだ少しだけ気恥ずかしさは残るけれど。
それでも握れば握り返してくれる彼の手に、メリアは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、行こうぜ、メリア。早く行かねぇと、説教の時間が延びちまう」
悪戯っぽくそう言って、リオは笑う。
そんな彼が見せるのは、明るく輝く太陽のような笑顔。一度は失われると思い泣いた、大好きなその笑顔。
他の誰でもない自分だけに向けられるそれに、メリアの胸いっぱいに暖かな幸せが広がった。
「うん!」
大好きなリオの笑顔に、メリアは大きく頷く。
これから二人で怒られるかもしれない。でもリオと一緒だったら別に良いか。
「行こっ、リオ!」
本日は快晴。そこに輝くのは、彼のような明るい太陽。
その太陽は今日もキラキラと、陸にも海にも同じ光を注いでいた。
暗殺人魚姫 かなっぺ @kanya1616
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