第18話 人人同盟

 コンコンと、執務室の扉がノックされる。そこで仕事をしていたミナスは、ふと顔を上げると、彼の入室を促した。

 まさかの申し出があってから約一か月。そうか、今日はもう彼が訪ねて来る日か。

「失礼します、ミナス様。お客様をお連れ致しました」

「良いよ、入ってもらって」

 ニコニコと客人の入室を促すミナスに恭しく礼をすると、彼の付き人、ティクムは後ろで控えていたその客人とやらを執務室に招き入れた。

「ご機嫌よう、ミナス王子殿下。早速貴殿に苦言を呈するのも何ですけど、わざわざアポ取って訪ねて来ている客人を、応接室ではなく執務室に通すのは、如何なモノですかね?」

「あはは、貴方のその厭味ったらしい発言、私は嫌いじゃないですよ、アルフさん?」

「何笑ってんですか」

 厭味を隠そうともしない客人にミナスが楽しそうに微笑めば、その客人は尚更不機嫌そうにムッと眉を顰める。

 クセのある長い黒髪に、紫紺の瞳。いつもと違うのは、その紫色のローブの下にあるのが魚の下半身ではなくて、人間の足だと言う事くらいだろう。

 ミナスを訪ねてやって来たのはアルフ。人間の姿をした、人魚の国の超天才大魔導士であった。

「だって仕方がないでしょう。マーメイド王国との同盟の話は、まだ水面下で行われているモノなんですから。堂々と行っているモノではないし、その話自体、私達を含めた一部の者しか知らないんです。それに、あなたが人魚であると言う事も、その一部の者しか知らないんだ。だから応接室に堂々とお通しするよりも、こうやってこっそりと執務室でやるくらいが、丁度良いと思うんですけどね」

 メリアが人魚である事は何となく知っていたし、彼女がリオと婚約するだろう事も薄々気付いていたから、二人がその話をして来た時は特に驚く事もなかった。

 しかしその後、自分を訪ねてやって来たまさかの人物に、ミナスは驚くを通り越して、呆然としてしまったのだ。

 そのまさかの訪問者こそがアルフ。メリアの暮らしていた人魚の国、マーメイド王国の超天才大魔導士である。

 彼の話に寄れば、メリアはアルフに無理矢理人間の足を付けさせ、リオと生きて行くと言って、家出同然で出て行ってしまったらしい。家の子に何て事をしてくれたんだ、と泣きながら怒られたミナスは、取り敢えず謝った。何で自分が謝らなければならないのかとは思ったが、取り敢えず謝った。

 しかし、それだけでは終わらないのが、アルフという男であった。

 メリアはマーメイド王国の第一王女。そんな彼女が人間の国であるヘームルフト国の第二王子と婚約した。だったらこの際、人魚の国と人間の国で、初の同盟、通称『人人同盟にんにんどうめい』を結ばないか、とアルフが同盟の話を持って来たのである。

「最近のメリアちゃんはどう? 人間の国での暮らしにはもう慣れた? ホームシックになったりしてない?」

「そうですね、抵抗のある食べ物はあるみたいですけど、それ以外は特に何も。海に帰りたいとも言いませんし。そもそもリオが良い子ですからね。彼女を悲しませたり、寂しがらせたりするようなマネはしないでしょう」

「まあ、そうだろうね。何たってあのメリアちゃんが惚れるくらいだ。よっぽど立派な王子様なんだろうね」

「ははっ、それはそうですよ。他でもない、この私の弟なんですから。まあ、そんな弟よりも、兄である私の方が、スペックは全て上なんですけどね」

「それ、自分で言う?」

 事実なんだからしょうがないでしょう、と笑うミナスに、アルフは呆れを含んだ溜め息を吐く。

 アルフが持って来た同盟の話は、ミナスにとっては逆にこちらが頼みたいくらいの、願ってもない話であった。

 周囲を海に囲まれた小さな島国、ヘームルフト国。作物が豊富で、自給自足で成り立っているこの国だが、その反面、武力は他の国に比べると遥かに劣っている。つまり、今は平和なこの国も、他国に攻め込まれたらどうなるかは分からないのだ。

 だからヘームルフト国としては、国が海に囲まれているからこそ、人魚と手を組んでおけば、他国が海を渡って攻め込もうとしても、その前に沈めてもらう事が出来る。正に鉄壁の国として、他国に脅かされる事がほとんどなくなるし、人魚の後ろ盾があるからこそ、他国との交渉も優位に進める事が出来る。しかも人魚の国との同盟なんて、まだどこの国も実現出来ていない、史上始まって以来の大快挙だ。その功績を残せると言う事は、ミナスにとっても利があるし、人魚と同盟を結んだ史上初の王として、名を残す事も出来るのだ。

 自分や国のためにも、同盟の話を断る理由はどこにもない。むしろ断る方がどうかしている。故に、ミナスがアルフの話に頷くのは、当然の事だっただろう。

「ホント、僕の方がスペックが上だし、僕の方が先に彼女に目を付けていたのに。それなのにリオに取られちゃうなんて、ホント残念だよ」

「え、キミ、本当にメリアちゃんの事好きだったの?」

「そりゃそうですよ。だって嵐の中、命を助けてくれた女の子ですよ。好きにならないわけがないでしょう」

「……」

「だからどうしても彼女が欲しくて、命の恩人を捜していますって、大々的に言って彼女を見付けようと思ったんです。そしたら、何故か国中から偽物がゴロゴロと集まって来ちゃって。そのせいで、本物の命の恩人を見つけ出すパーティーを開催しなきゃいけなくなっちゃったから大変でしたよ。ああ、びっくりした」

「何が、びっくりした、だよ。そんなの当たり前だろ。だって上手く行けば、憧れのミナス王子の側で一生を暮らす事が出来るんだから。キミは自分の言動がどれだけ国に影響を及ぼすのか、もっとよく考えるべきだったね」

「でも、そのパーティーにメリアが来てくれて、しかもリオが彼女を見付けて来た時はびっくりしたなあ」

 あの時のパーティーの事を思い出しながら、ミナスはカラカラと笑う。

 ミナスにとっては願ってもない同盟の話。しかしそれは、アルフ達人魚にとっても同じ事であった。

 アルフ達人魚が暮らすマーメイド王国。ここもまた、いつ人間に見付かり、そして襲われるか分からない危うい立場にある。そして彼らが暮らす国に一番近いのが、このヘームルフト国だ。だから彼ら人魚に害をなす人間がいるとすれば、このヘームルフト国の人間である可能性が最も高い。

 しかし、そんなヘームルフト国と手を組む事が出来れば、人魚に手を出す事を国自体で阻止してもらえるし、万が一人魚に対する犯罪があったとしても、国の力でその人間を捕まえて罰し、更には囚われた人魚をも取り返す事が出来る。

 そして幸か不幸か、勝手に婚約してしまった人間の国の王子と人魚の国の王女。これを利用しない手はない。それぞれの国を守るため、両国の上層部は二人の婚約を利用し、秘密裏に同盟の話を進める事にしたのである。

「パーティーの参加者に襲われた時だって、僕が華麗に助けようと思っていたのに。それなのにリオが勝手に助けちゃうし。その上、城に連れて来たと思ったら、僕の婚約者なのに自分の彼女のように扱うし。ティクム以来ですよ。リオが他人を気に入って、あそこまで心を許していたのって」

「それで、キミはあっさり手を引いた、と?」

「そりゃそうですよ。だってリオだけじゃなく、メリアもまた僕より弟の方を好きになっちゃうし。それなのに僕が未練タラタラで、彼女を奪おうものなら、僕の方が悪役王子様じゃないですか」

 それはちょっと勘弁してもらいたいなあ、とミナスは不服そうに頬を膨らませた。

「それはそうと、人人同盟の話なんだけど」

「ああ、はい、はい、こちらの進捗状況ですよね。メリアが人魚であるという事は、最重要機密事項として、まだ城の重鎮達にも話していません。知っているのは、僕とリオ、父と母、そしてティクムだけです。しかしそれを伏せても、城の重鎮達は友好派ばかりです。なのでこちらとしては、賛成の方向で話を進めています」

「それは良かった。マーメイド王国としても、正式に同盟を結びたい意向だよ。何たって、そちらの第二王子様は、うちの王女様が国王様に何の相談もなく、勝手に飛び出して行っちゃうくらいの立派な方なんだ。そんな素晴らしい人が相手なら仕方がないって、うちの国王様が泣いていたよ」

「別に人間界に監禁しようってわけじゃないんですから。適度に里帰りして頂いても構いませんよ」

「助かるよ」

 娘が僕に言伝だけ残して出て行っちゃったショックで、国王様の仕事が滞っていて大変なんだ、と溜め息を吐いてから。アルフは預かっていた国からの書類をミナスへと差し出した。

「では、これで同盟は成立と言う事で。こちらもそれに向けて話を進めさせてもらいます」

「ああ、よろしく頼むよ」

 その書類を受け取り、代わりに用意していたヘームルフト国側からの書類をアルフへと差し出す。

 そうしてから、両者はこれで同盟成立だと、ガッチリと握手を交わした。

「ところでこの同盟の話、当人達にはどうする? そろそろ話す?」

「良いんじゃないですか、そろそろ話しても。正式に同盟を結ぶに当たり、次の会議からリオにも出てもらおうと思いますし」

「そうだね。ははっ、メリアちゃん、僕がここにいたらビックリするだろうなあ」

(と言うより、アルフが来た時点で話せって、怒り出すんじゃないのか?)

 呑気に笑っている二人を見ながらそう思ったティクムであったが、言えば面倒臭い事になりそうなので、ここは敢えて黙っておく事にした。

「ティクム、悪いけどリオとメリアを呼んで来てくれない? 大事な話があるからおいでって」

「承知致しました」

 恭しく頭を下げて、ティクムは執務室を後にする。

 そんな彼の姿を見送ってから、ミナスは微笑とともに頬杖を付いた。

「でも、怒るかな、二人とも。そんな話があったんなら、もっと早く教えろって」

「別に良いんじゃない、怒らせるくらい。だって勝手に出て行って勝手に婚約しちゃったんだから。ちょっと怒らせたくらいじゃ罰は当たんないよ」

「それもそうですね。僕からの仕返しって事で、丁度良いか」

「キミからの仕返し?」

「ええ、そうです。だってあの二人は、僕の恋をぶち壊した張本人達なんですから。これくらいやらせてもらわなきゃ、割に合わないですよ」

「……キミって、意外と性格歪んでいるよね」

「それはお互い様じゃないですか、アルフさん?」

「ははっ、キミとは良い同盟関係が築けそうだよ」

「同意です」

 参ったと言わんばかりに笑うアルフに対して、ミナスはまるで、悪戯が成功した子供のような幼い笑みを浮かべた。

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