第11話 幸せな時間

 朝起きれば全部治っているだろう。そう思っていたのに。

 日を跨いでも胸の熱が消えていない事に、メリアは動揺した。

 鏡を見たところ、顔の火照りと耳の赤は消えていたから、たぶん周りの人達は何とも思わないだろう。でも胸の奥はまだおかしいから、やっぱり帰ったら医者に診てもらおう思う。

 さて、問題はこれからだ。これからリオと街へ出掛けるのだが、果たして自分はいつも通りに振る舞う事が出来るのだろうか。変なところで鋭いリオの事だ。もしかしたら、この胸の奥の熱にも気付いてしまうかもしれない。

(それはダメだわ。何だかよく分からないけれど、気付かれてはいけないわ)

 それはメリアの正体と同じくらいに、彼に気付かれてはいけないモノ。理由は分からないが、何だかそんな気がするのだ。

 そしてそれに気付かれないためにも、メリアはいつも通りに振る舞わなければならない。顔も耳も赤らめてはいけないし、リオに勘付かれるような態度を取ってもいけない。

 そんな事出来るのかと緊張しながらも、メリアは身支度を整える。誰かに見付かってはマズイ短剣を部屋に残して行く事も出来ず、それをポーチに隠して腰に付ける。

 高鳴る心臓を深呼吸によって静めてから部屋を出て、リオとの待ち合わせ場所である城の門へと向かう。

 リオと会ったらまず何と言おう、彼は何と言って来るだろうか、それに対して自分はいつも通りに返せるのだろうか……と、ドキドキしながら待ち合わせ場所に向かったメリアであったが、そこにいたリオの「おはよう」の後の弟二声目に、彼女はガクリと脱力した。

「つけられてない?」

「は?」

 何がと、あからさまに表情を歪めたメリアであったが、リオにとっては重要な質問だったらしい。

 黒縁眼鏡を掛けるだけと言う、変装をバカにしているとしか思えない変装しかしていないリオは、メリアの表情が歪んだ事にも気付かず、キョロキョロと忙しなく周囲を見回していた。

「兄さんだよ、兄さん! 兄さんを出し抜いてメリアと出掛けるんだ。兄さんが付いて来ないわけがない!」

「……」

 そうか、出し抜いていると言う自覚はあるんだな。いや、そんな事より、挨拶の後の弟二声目がそれって何だ。何か他にあるだろう。もっとこう……いや、何があるのかって聞かれたら、具体的には分からないけれども!

(笑顔で「行こう、メリア」とか言いながら、手を差し出してくれるとかさあ……)

 しかし、そう考えてメリアはハッとする。笑顔で手を差し出してくれる? それじゃあ自分は、その差し出された手をどうするつもりなのだろうか。

(……わけが分からないわ)

 自分自身の思考に溜め息を吐いてから。メリアはその視線を再度リオへと向けた。

「つけられてないと思うわ。それに、ミナスには王子としての公務があるんでしょう? 私達の後をつけている程、暇じゃないんじゃないの?」

「その公務を放り出してでも、暇な事をするのが兄さんなんだよ!」

「……」

 それは王子としてどうなんだろうか。

「それよりもリオは? リオは今日、私と遊び歩いていて良いの?」

「ああ、それなら大丈夫だぜ。本当は今日、授業の予定があったんだけどさ、メリアと遊びに行きたいから休みにして欲しいってティクムに頼んだんだ。そしたら「どうせダメって言ったって、あの手この手で城から抜け出して遊びに行くつもりなんでしょう? だから良いですよ。どうぞ遊んで来て下さい」って許可を貰ったから大丈夫だ」

「……」

 それは、果たして大丈夫の類に入れて良いモノなのかどうなのか。

「でも、まあそうだよな。兄さんの行動パターンなんて、ティクムも熟知しているハズだし。兄さんが抜け出そうとしたら阻止くらいするよな」

 うんと一人でそう納得してから。リオはメリアに向かって、そっと右手を差し出した。

「それじゃあ行こうぜ、メリア。珍しい所、色々案内してやるからな」

「っ!」

 ニッと明るい笑顔を見せられ、メリアの胸がトクンと反応を示す。

 目の前にあるのは、先程考えたばかりの光景。「行こう」と手を差し出され、あの太陽のような明るい笑顔を向けられる。そして自分は差し出された手を……、

(どうしたかったんだろう?)

 繋ぎたいのか、繋ぎたくないのか。否、触れたいのか、触れたくないのか。

 自分は一体、何を期待してこの展開を待ち望んだのか。

「メリア?」

 差し出した手を見つめたまま、動かなくなってしまったメリアの名を呼びながら、リオは不思議そうに首を傾げる。

 するとそんなリオの声にハッと我に返ったメリアは、クルリと勢いよくリオに背を向けた。

「そ、そんな簡単に迷子になんかならないわよ!」

「え?」

 自分で望んだ光景に背を向けて歩き出すなんて、自分は一体何がしたかったのだろう。しかも後から湧いて来たこの後悔の念は何なんだろうか。我ながらわけが分からない。

「そういうつもりじゃなかったんだけどな」

 そう呟いたリオの声は、赤くなった顔を隠すのに必死になっていたメリアには、残念ながら届かなかった。




 さすがは城のある都市、王都。街は人通りも多く、ザワザワと賑わっている。

 そんな人通りの多い街中を、黒縁眼鏡を掛けただけの王子がドカドカと歩いているのだが、王子と言う名の有名人に声を掛ける者は誰もいない。こうしてリオが街中を歩くのはいつもの事だから誰も気にしていないのか、意外にも眼鏡を掛けただけの変装は人間には通用するのか。果たしてどちらなのだろうか。

「リオは、よくこうして出掛けるの?」

「こうって?」

「眼鏡を掛けるだけの変装で、一人で街を歩いたりするの?」

「するよ」

「ああ、そうなんだ……」

 なるほど、前者であったか。そりゃそうだよな、眼鏡を掛けるだけで王子だと判別出来なくなる程、人間だってアホではない。

「それよりもメリア、見てくれよ。ここが噂の……」

 そうこう考えている内に、どうやら目的に着いたらしい。建ち並ぶ店の中、とある店の前で立ち止まると、リオはそこを指差しながら得意気に微笑んだ。

「ここがコンビニだぜ!」

「……」

「二十四時間営業してるんだ。凄くね?」

「……」

 確かにコンビニと言うのは人魚の国にはない。だからそれが何の店なのかはよく分からないし、メリアにとって珍しいモノである事に変わりはない。しかし……、

「あんた、私をバカにしてんの?」

 何となく、そう思った。

「ええっ? いや、そんなつもりじゃなかったんだけど……。メリア、コンビニ知ってた?」

「いや、それは……し、知らないけど……」

 どうしてだろう。「知らない」と口にするのに、物凄く抵抗があるのは。

「あ、やっぱり? 田舎にはないって聞いていたんだ。じゃあ案内するな。二十四時間営業している、何でも手に入る凄い店なんだぜ!」

 こっち、こっちと手招きするリオの後について、メリアもまた店内へと足を踏み入れる。

 リオの言う通り、その店には何でもあるようで、そこには所狭しと様々な商品が並べられていた。一つの店でこんなに沢山の商品が手に入るのは、確かに凄い事かもしれない。けど……。

(何か違くない?)

 人魚の世界でのデートと言えば、キレイな珊瑚礁のある公園に行ったり、夕日が反射する茜色の海に行ったりするものなのだが……人間の世界では違うのだろうか。

(ああ、そっか。リオはデートじゃなくって、街の案内をしているだけなのか)

 リオと二人で出掛ける。それはメリアにとってはデートのつもりであったのだが、リオからしてみれば、これはデートではなく、ただ街を案内しているガイドの気分なのかもしれない。

 それであればこのコンビニとやらに案内されてもしょうがないような気もするが……。

 しかし何故だろう。それだったら残念だと、ちょっとだけ悲しい気分になってしまったのは。

「……って、メリア。オレの話聞いてる?」

「っ!」

 言いようのない虚しさを感じていた時、視界一杯にリオの顔が映る。

 ボンヤリと考え事をしていたせいだろう。ロクに返事をしないメリアの顔を、リオが覗き込んで来たのだ。

 それに驚いて一歩後ずさると、メリアは赤くなった顔を隠すようにして、勢いよくリオから顔を背けた。

「ご、ごめん、ちょっとボンヤリしていて……。えっと、何?」

 そう返しながら、片手で口元を押さえる。

 何だ、今のは。ちょっと顔を覗き込まれただけなのに。少し顔が近かっただけなのに。

 それなのに何なんだ。何でこんなに恥ずかしいんだ。

「だから、店によって使えるポイントカードが違うから、気を付けろって話。よくいるんだよね、違う店のカードを間違って出しちゃうヤツ。オレもたまにやるんだけどさ、あれ結構恥ずかしいんだよな」

「そ、そうなのね、覚えておくわ」

「おうっ!」

 照れ臭そうにはにかむ表情、満足そうに頷く笑顔。何なんだ。コロコロと変わるリオの表情に、いちいち胸がドキドキと騒がしいのは。

「なあ、コンビニスイーツ食おうぜ。奢ってやるよ。どれが良い?」

「……その、一番大きくて煌びやかなヤツ」

「おう、これだな。よし、任せとけ」

 こんなにドキドキさせられて何だか悔しいので、腹いせに一番高そうなヤツを奢ってもらった。

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