第10話 人間が使う魔法

 その日の夕食後、メリアはリオに呼び止められた。話があるから一緒に来て欲しいと言うのだ。

 揃って食堂を後にする二人を、ミナスがニヤニヤしながら眺めていた理由は分からないが、リオはメリアを中庭のベンチに連れて来ると、何故か勢いよく頭を下げて来た。

「ごめん、メリア! やっぱりオレが悪かった!」

「……え?」

 何で謝られているのか分からないメリアは、その感情をそのまま表すようにして眉を顰める。するとリオは、これまた勢いよく顔を上げてから、今にも泣き出しそうな情けない表情をメリアへと向けた。

「え、じゃねぇよ! だってお前、オレが人魚の悪口言った事、すげー怒ってんじゃねぇか!」

「……え?」

 確かに人魚に対するリオの考え方に傷付きはした。しかし怒ってはいない。それなのにリオは一体何を見て、メリアが怒っていると判断したのだろうか。

「兄さんが言っていたんだ。オレが人魚の事を悪く言ったから、メリアが怒り狂っているって!」

「……」

 なるほど。さっきのミナスのニヤニヤはそれか。悪戯が成功した時のニヤニヤか。

「最近のお前、ずっと不機嫌だったからどうしたのかと思ってたんだけど……。でも兄さんに言われてやっと気が付いたんだ。オレが悪かったんだって!」

「……」

 別に不機嫌だったわけではないのだが。でもとりあえず話は最後まで聞こうと思う。

「そりゃ怒るよな。オレはメリアの友達を信用してないとか、化け物だとか、酷い事言っちまったんだもんな。そりゃ友達の事を悪く言われたら、そんなの怒って当然だよな。しかもその友達がメリアに泳ぎを教えてくれたおかげで、オレは兄さんを助けてもらえたってのに……。それなのに酷い事言ってごめん! お前の友達を侮辱してごめん!」

 もう一度勢いよく頭を下げるリオを、メリアはじっと見つめる。

 メリアは怒ってなんかいない。ミナスがわざと嘘を教え、そのせいでリオが勘違いをしているだけだ。

でもその勘違いでもリオは反省し、こうして謝りに来てくれた。

「……」

 裏表のない、真っ直ぐな性格。明るい笑顔の似合う、ヘームルフト国の弟二王子。

 何故、彼は人間の国の王子だったのだろう。何で地上なんかで息をしているのだろう。どうして人間なんかやっているのだろう。

 リオが暗殺対象者じゃなくって、本当に良かった。

「別に、怒ってないわ」

「え?」

 その一言に、リオが勢いよく顔を上げる。

 真っ直ぐにぶつかって来てくれた彼は、今度こそ自分の気持ちを受け止めてくれるだろうか。それともやっぱり「受け入れられない」と、斬り捨てられてしまうのだろうか。

「怒ってないけど……でも、ちょっとだけ傷付いた」

「あ……そ、そう、だよな……」

 あの時感じたメリアの正直な気持ちに、リオは申し訳なさそうに視線を下へと落としてしまう。

 しかしそれでも構わずに、メリアはその正直な気持ちを、そのまま言葉にして続けた。

「確かに人間と人魚の関係は悪いけれど。でも、それでも相容れない存在だなんて決め付けないで欲しい。リオは受け入れられないかもしれないけど。でも、リオと仲良くしたいって思う人魚だって、その……き、きっといると、思う」

 ミナスのように「仲良くしたい」と言って欲しいだなんて、そんな我が儘な事は言わない。でも受け入れるとまではいかなくとも、彼に拒まれるのだけは嫌だ。

 何でそう思ったのかは分からない。けれど彼に伝えたその言葉が、メリアの正直な気持ちであった。

「そっか……そうだよな。うん、まだ会ってもいないのに、最初から嫌いだなんて、そんなの良くないよな」

 ポツリとそう呟いてから、リオがそっと顔を上げる。

 そうしてから、リオはふにゃりと、照れ臭そうに微笑んだ。

「でも嬉しいな。メリアが素直に自分の気持ちを語ってくれてさ。お前、ちょいちょい何か隠している時あるもんな」

「えっ、な、ないわよ、そんな時ッ!」

 それはメリアの正体の事を言っているのだろうか。ミナスもそうだが、この兄弟、変なところで鋭いな。

「そうだ、メリア。今回のお詫びも兼ねて、明日街を案内させてよ」

「え?」

 突然のリオの申し出に、メリアはふと首を傾げる。

 そんな彼女に、リオは更に言葉を続けた。

「うん。だってお前、ド田舎から来たんだろ?」

「ドを付けるな」

「この街は王都、つまり国内で最先端の街だ。田舎にはないモノいっぱいあるぜ。だからさ、今日のお詫びも兼ねて、色んな所に案内するよ。それで……」

 そこで一度言葉を切ってから、リオはニカッと明るい笑顔を見せた。

「それで島に帰ったら、人魚の友達に伝えてくれよ。人間の世界には、こんなに楽しい所がいっぱいあるんだって。だから遊びにおいでって。その時もオレが案内するからさ!」

「っ!」

 沈みゆく太陽に重ねた、リオの明るい笑顔。見たいと焦がれたそれが、今目の前にある。

 暗い闇の中で輝く明るい太陽。それを直視する事が出来なくて、メリアは思わずリオから視線を逸らしてしまった。

「う、うん、ありがとう。じゃあ、お願いしても良い?」

「おう、任せとけ。色んな所に連れて行ってやるからな!」

 胸に何か悪いモノでも出来たのだろうか。さっきから胸の奥が重く、何だか熱い。顔も火照っているような気がするし、多分今は耳まで真っ赤だ。そして何よりおかしいのは、あれだけ見たいと望んだリオの笑顔が、真っ直ぐに見られない事である。

(いや、そもそもリオの笑顔が見たいなんて思ったあたりから、どこかおかしいんじゃないかしら)

 ミナスの暗殺に来ただけなのに。それなのに事態はどんどんとおかしい方向に進んでいる気がする。

(全部リオのせいだわ)

 ミナスの暗殺に気付いたリオが、メリアに何らかの魔法を掛けたのか、それともそれ以外の何かが原因なのか。

 じゃあまた明日なー、なんて手を振って、スキップで立ち去って行く元凶の後ろ姿。

 徐々に小さくなって行くその姿にキュッと胸が締め付けられ、物寂しさを感じたのは、きっと気のせいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る