第8話 相容れない世界・弟
地上で食べる初めての食事。海で食べる物とは全く違う食材で作られた料理だったが、メリアは特に抵抗も感じず、全てを平らげる事が出来た……いや、食材を気にしている余裕がなかった。
人間と人魚は相容れない存在。それは、メリアだって知っている。
人魚の肉に不老不死の効果があると思い込んでいる人間は、その肉を食べるために人魚を捕まえる。人魚の流す真珠の涙が目的の人間も、それを流させるために人魚を捕まえる。特にこれといった目的がない人間も、高額で売り飛ばすために人魚を捕まえる。
人魚にとって、害にしかならない人間。そんな彼らを人魚だって好いたりはしないし、仲良くしようとも思わない。むしろ徒に人魚を殺す人間の事なんて、嫌っている人魚の方が多いだろう。
そんな人間と人魚が相容れない存在だと言うのは正しい。それは否定のしようがない正論なのだから。
それなのに何故、その言葉が頭から離れないのだろうか。地上の料理を味わう余裕がない程に、どうしてこんなにも重く心に圧し掛かっているのだろうか。
「ね、ねぇ、リオ」
朝食が済み、これから公務だと言うミナスと別れた後、メリアは部屋に戻ろうとするリオを呼び止めた。
何? と首を傾げながら振り返る彼の眼差しは、心なしか優しい。
そんなリオから視線を逸らすと、メリアは言いにくそうに口を開いた。
「あ、あの、さっきの話なんだけど……」
「さっきの?」
「その……人間と人魚は相容れない存在だって話」
「ああ、それがどうかしたか?」
「えっと、何でそう思うのかなって」
何故、自分がこんな事を聞いているのかは分からない。分からないが、口が勝手に動くので、分からないながらにもそう聞いてみる。
するとリオは、しばらくは不思議そうに首を傾げていたものの、ようやく合点がいったのか「ああ」と頷いた。
「そっか。メリアは人魚と友達なんだっけ?」
「い、いや、そうじゃないけど……」
「だったらあの言い方はマズかったか。ごめんな」
メリアは人魚に泳ぎ方を教えてもらったんだもんな、それって共存しているって事になるもんな、とリオは一人で納得したようにして頷く。
しかしそれでも困ったように頭を掻くと、リオは言いにくそうに口を開いた。
「でもそれって、一部の人魚の話だろ? 人魚がみんな良いヤツだとは限らないじゃないか」
「それ、どう言う事……?」
決して人魚に好意を示そうとしないリオに、ドクンドクンと、心臓の音がやけに大きく聞こえる。
メリアの中にある嫌な緊張感。それに気付く事なく、リオは更に言葉を続けた。
「人魚は、人間を殺すって聞いたぜ」
「そ、それは人間が人魚を殺すからじゃないの?」
「そうかもしれないけど。でも、罪のない人間も殺すじゃないか」
「そ、そんな事……っ!」
しないと、言い切れるだろうか。自分が今ここにいるのは、ミナスを殺すためだと言うのに? 今正に、リオの兄の命を狙っていると言うのに?
それなのに人魚は人間を殺さないと、はっきりとそう言い切れるのだろうか。
「人魚は、人間の男をその歌声で誘惑し、海に引きずり込んで殺すって聞いた。嵐を巻き起こし、船を沈めるとも。だから兄さんが、自分を助けてくれたのは人魚だって言い出した時、オレは思ったんだよ。もしかして兄さんが嵐に巻き込まれたのは、人魚の仕業なんじゃないかって」
「そ、そんなわけないでしょう! 何でも人魚のせいにしないでよ!」
あの嵐は人魚とは関係のない、自然の力だ。確かに魔法によって多少の波を操る事は出来るが、海全体を巻き込む程の大きな嵐を起こすなんて力、人魚にあるわけがない。そんなの人間が勝手に作り出した、幻想でしかない。
それなのにあの嵐を人魚のせいにし、ミナスを殺そうとしただなんて酷過ぎる。そんな疑いを掛けられる筋合いはないし、掛けられたくもない。特に、リオだけには。
リオが向けて来た疑いに激しく否定すると、メリアは勢いよくリオに食って掛かった。
「人魚に自然を操る力なんてないわ! 確かに人魚は時には人を殺すかもしれないけど……でも、もとはと言えば人間が悪いんじゃない! 不老不死になれるからって、人魚の肉を食べたり、お金になるからって、真珠の涙を流させたり、高値で売り飛ばしたり、挙句の果てには人魚を化け物呼ばわりしたり! 人間だって人魚に対して悪い事ばっかりしているのに! それなのに人魚ばかりを悪者呼ばわりしないでよ!」
「分かってるじゃないか」
「え?」
ポツリと呟かれたその言葉に、メリアはハッとして我に返る。
出会った時から、明るい笑顔を向け続けてくれていたリオ。しかしそこにその笑顔はなく、彼は悲しそうに瞳を揺らしていた。
「人間は人魚を食べるよ。捕まえて真珠を流させたり、売り飛ばしたりもするし、化け物呼ばわりだってする。そして同じように、人魚も人間を殺す。それが自身を守るための手段なのか、ただ人間を殺して楽しんでいるだけなのかは分からないけど。でも理由は何であれ、互いに害を与え合う仲なんだ。共存なんか出来るわけがない」
「そ、それは……」
確かにリオの言う通りだ。この際、どっちが悪いかなんて関係ない。理由はどうあれ重要なのは、人間は人魚を殺し、人魚もまた人間を殺す、害を与え合う仲だと言う事だけだ。そしてその事実は、これから人間を殺そうとしているメリアが、一番知っている事じゃないか。
「メリアの故郷では仲良く出来ていたのかもしれないけど。でも、人間の多いこの都心じゃそうはいかないんだ。ここでは人魚を恐れる者、悪用しようとする者の方が圧倒的に多い。一緒になんか暮らせないよ」
「……」
「だから兄さんの命の恩人が、兄さんの言う通り人魚だと困るんだ。例え兄さんが彼女を受け入れたとしても、周りが彼女を受け入れられないからさ」
「リオも?」
「うん?」
「リオも受け入れられない? もしもその……私が、命の恩人が人魚だとしたら……?」
何を求めて聞いたのだろう。何と返事をして欲しくてそう聞いたのだろう。ただ試験を熟しに来ただけのメリアにとって、人間と人魚が仲良くする必要なんてないのに。相容れない存在同士のままで何も問題ないのに。さっさとミナスを殺して、とっとと海に帰れば良いだけなのに。それなのに……。
それなのに何故、リオには受け入れて欲しいと、そう思ったのだろうか。
「ごめんな。オレもきっと、人魚は受け入れられないよ」
はっきりと告げられた拒絶の言葉。それにショックを受けている自分は何なのだろうか。
「人魚の友達がいるお前に、こんな話しちゃってごめんな」
そんな見当違いの謝罪をしてから、リオはクルリと踵を返す。リオはリオでこれから剣の稽古があるらしい。「またな」と口にしてから、立ち去って行くリオの背中を静かに見送る。
窓の外に見えるのは、青い空で煌めく熱い太陽。
その太陽に似たリオの明るい笑顔が見たいと、無性にそう思った。
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