第7話 兄VS弟

 翌朝、早朝から物凄い勢いで扉をノックされたメリアは、そのけたたましい音に叩き起こされた。

 一体何事だと飛び起きたメリアは、慌てて扉を開け、その来訪者を確認する。

 変装道具だと言う黒縁眼鏡は掛けていないものの、そこにいたのは満面の笑みを浮かべたリオ。こんな朝早くにどうしたんだと首を傾げれば、彼は満面の笑みのまま「おはようメリア、朝食に行こう」と言った。

「今何時だと思ってんのッ!」

「いてっ!」

 とりあえずその用件が頭に来たから一発殴っておいたが、そのせいで目が覚めてしまったのだから仕方がない。メリアは一度リオを追い出すと、身支度を整えてから、彼とともに部屋を後にした。

「えっ、じゃあもう兄さんに奇襲されたの?」

「いや、奇襲と言うか、何と言うか……」

 今は早朝だ。多分五時を回っていない。よくよく考えれば、そんな時間に朝食など用意されているわけがない。

 リオ様、さすがにそれは困ります、とコックに食堂から追い出された二人は、その準備が整うまで城の中庭を散歩する事にした。

「でも、ティクムさんが近くにいてくれて助かったわ」

 さすがは王族の暮らす城の中庭。そこはキレイに整備され、様々な種類の花が賑やかに咲き乱れていた。

 海の中とはまた違った美しい地上の景色。中々見る事の出来ないその植物にしばらく魅入っていたメリアであったが、リオに促されると、その中央にあったベンチに彼と並んで腰を下ろし、昨夜の『ミナス襲撃事件』についての話をしていた。

「そっかあ、だから兄さん、ティクムに反省部屋に押し込まれていたのか」

「……」

 なるほど。あの事件を受けて、ミナスもまたティクムによって反省部屋に押し込まれたのか。似た者兄弟だな。

「くそっ、やっぱ手が早いな、兄さんのヤツ。こんなに早くちょっかい掛けて来るなんて!」

「いや、ちょっかいと言うか、何と言うか……」

「メリア、お前、なるべく兄さんには近付くなよ。公の場では爽やか好青年を演じているけど、ああ見えて結構腹黒いんだ。近付くと何されるか分かんないぜ!」

「でも近付かないとあん……いえ、私が命の恩人だって証明出来ないわ」

「え? ああ、そうか。そうだった、そうだった」

 そう言えばそう言う設定だったなと、リオは思い出したようにして頷く。

 色々あって忘れていたが、リオの目的はミナスの願いを叶えるべく、彼に本物の命の恩人であるメリアを紹介する事なのだ。そのためにメリアを城に連れ込んだと言うのに、兄さんに近付くなだなんて、一体何を言っているのだろうか。

 おかしな事を口にした自分自身に首を傾げるリオであったが、その一方で何か良い事でも思い付いたのだろう。程なくして、彼は名案だとばかりにパッと笑みを浮かべた。

「じゃあ、オレがいない時は兄さんに近付かないでくれ。オレがいる時は良いよ」

「何でよ?」

 何故、ミナスに近付くのに弟を同伴しなければいけないのか。それじゃあリオは、ただのお邪魔虫じゃないか。

 しかし、メリアがその言葉を続けようとした時だった。

「ダメだよ、リオ。それはお邪魔虫って言うんだよ」

「っ?」

 突然背後から聞こえて来たその声に、二人はビクリと肩を震わせる。

 いつからそこにいたのだろうか。勢いよく振り返れば、そこにあったのは金色の髪。今話題の中心となっていたミナス本人の姿が、そこにあった。

「兄さん! いつからそこに?」

「ついさっきだよ。「じゃあもう兄さんに奇襲されたの?」くらいから」

「ほぼ最初っからじゃねぇか!」

 そんな弟のツッコミなんかは無視をして。ミナスはメリアの隣に腰を下ろすと、彼女の両手をそっと握った。

「初めまして、メリア。僕はヘームルフト国と言う、人間の世界にある小さな国の第一王子、ミナス。弟であるリオが権力争いの反乱を起こさなければ、次の王様になれる予定の男だよ。遅くなってしまったが、先日は命を助けて頂きどうもありがとう。キミのおかげで僕は今もこうして生きている、とても感謝しているよ。つきましては、キミを花嫁に迎えるつもりなのだがどうだろうか。大丈夫、何も心配しなくて良い。この国での暮らしは僕が保障しよう。だからその前に一回スカートの中を……」

「見せるかっ!」

 パーンと、小気味良い音が辺りに響き渡る。

 どこから取り出したのか分からないスリッパで兄の頭をぶっ叩いたリオは、彼をベンチから突き落とすと、メリアを守るようにして彼の座っていた場所に腰を下ろした。

「メリアに触んな! つーか、気安くスカートの中を覗こうとすんな!」

「ええー、良いじゃないか。だってメリアは僕のお嫁さんだよ。むしろ弟が口を挟む事じゃないと思うけどな」

「ぐっ、それは……っ!」

 確かにその通りだと押し黙った弟に、勝ち誇った笑みを浮かべると、ミナスはリオとは逆のメリアの隣に腰を下ろした。

「でもメリアもメリアだよ。昨日は挨拶に行っただけなのに、ティクムを召喚しちゃうしさ。今日は今日で、早朝から話がしたくて迎えに行ったのに、先にリオと出掛けちゃっていないし。キミの運命の人はこの僕だよ? だからもうちょっと僕との時間も大切にして欲しいな」

「……」

 そうか。あの後、ミナスも早朝に自分を迎えに来ていたのか。兄弟だな。

「あ、あのー、ミナス様? 私があなたを助けたって話、疑わないんですか?」

 まだあの痣に拳を当てていないにも関わらず、メリアが本物である事を前提として話を進めるミナスに、メリアは疑問の声を上げる。

 確かにあの夜、ミナスを助けたのはメリアだ。しかし命の恩人だと名乗り出て来た者は、メリアの他にも沢山いたハズだ。それなのに何故、彼は既にメリアの事を命の恩人だと信じているのだろうか。証明してみせろと、昨夜のように痣を出したりはしないのだろうか。

 当然抱くその疑問。しかしそれにメリアが首を傾げれば、ミナスは勢いよく立ち上がり、何故か怒りの声を荒げた。

「な、何だよ、それ! 狡い! 狡いよッ!」

「???」

 今の質問のどこに狡い要素があったのか。意味が分からない。

 何故、突然怒られなければならないのか、と眉を顰めれば、ミナスはキーキーと王子らしからぬ金切り声で、その怒りの理由を口にした。

「リオばっかりタメ口で狡い! しかも呼び捨てなんて狡い! 弟ばっかり親しそうで狡い! 僕もそれが良い!」

「……」

「ごめんな、うちの兄ちゃん、面倒臭くって」

「そうね、兄弟ね」

「え、待って。それどういう意味?」

 納得出来ないと、眉を顰めるリオはさておき。メリアは仕方なく、ミナスに質問をし直してやった。

「じゃあ、その……ミナスは私があなたを助けたって話、疑わないの?」

 改めた質問の仕方は正解だったのだろう。機嫌が直ったらしいミナスはメリアの隣に座り直すと、微笑を浮べながらコクリと首を縦に振った。

「そりゃあ、弟のお墨付きだからね。疑わないさ」

「え?」

 その理由にはメリアだけでなく、リオもまたキョトンと目を丸くする。

 するとミナスは、ニコニコと微笑みながらその続きを口にした。

「あんな大勢の中から、リオが推薦しようとしていたんだ。それなりの理由があったんだろう? 何の理由もなく適当な女の子を拾って来たりはしないだろうし、キミに頼まれて仕方なく推薦しようとしたわけでもなさそうだ。リオが自らキミに声を掛け、キミが本物だと認めたんだろう? だったら理由なんてそれだけで十分だよ。弟の事は信用出来るからね」

 本当は弟の推薦があれば腹の痣なんて必要なかったんだ、と苦笑を浮かべるミナスに、メリアは謎の感動を覚える。なるほど、これが兄弟愛と言うやつか。素晴らしい信頼関係だな、人間のクセに。

「で、でも兄さん、オレ言ったよ? メリアは、本当は命の恩人じゃなくって、オレが気に入った女の子なんだって。それで兄さんのお嫁さんにしたかったから、オレが勝手に恩人に仕立て上げようとしただけなんだって!」

「ちょ……っ!」

 何故、それを今ここで言うのか。せっかく、ミナスがメリアを命の恩人だと信じているのだ。ならばそれで良いじゃないか。それなのに今ここで余計な事を言って、「あ、じゃあキミが恩人って言うのは間違いなんだな」と城から追い出されてしまったらどうしてくれるのだろうか。

 しかし鋭くリオを睨み付けるメリアの隣で、ミナスは「それはない」と首を横に振った。

「それこそが嘘だろ? あの時の混乱を静めるために、お前は敢えてそう言ったんだ。ついでに言えば、メリアが記憶喪失だって言うのも嘘だね。それはメリアをこの城に連れて来るための口実だろ」

 弟の考えている事なんて全てお見通しなのだろう。まるでその時現場にいましたとばかりに言い当てて来るミナスに、メリアとリオは揃って目を丸くした。

「な、何で分かったんだ?」

「何年、お前の兄ちゃんやってると思ってんだよ? お前の考えている事くらいよく分かるよ」

「ええっと、それじゃあ……」

「ああ、安心して。ちゃんと僕も、メリアが記憶喪失だって話を合せておくから。何たって、彼女は僕の花嫁だ。それなのに自ら追い出すようなマネ、するわけないだろう」

 ニッコリと微笑むミナスに、リオはホッと安堵の息を吐く。

 ミナスと言うこの王子、ただの面倒臭いだけの青年かと思いきや、どうやらそうでもないらしい。弟に対してだけそうなのか、他人に対してもそうなのかは分からないが、意外と鋭い一面も持っているようだ。

「じゃあ、そう言うわけだからさ、メリア」

 その話に一度区切りを付けてから。ミナスは弟に向けていたその微笑みを、メリアの方へと移した。

「そろそろスカートの中、確認させてもらっても良い?」

「だから、ダメだって言ってんだろうが、このバカ兄貴っ!」

「いたいっ!」

 スコーンと、再びどこから取り出したのか分からないスリッパが、今度はミナスの額に命中する。

 赤くなった額を摩るミナスと、ドン引いているメリアとの間に無理矢理押し入ると、リオはギロリとミナスを睨み付けた。

「メリアが人魚前提で話を進めるの、いい加減止めろよな!」

 リオが放ったその言葉に、メリアはドキリとする。

 忘れかけていたが、ミナスはメリアの事を人魚だと思い込んでいるのだった。

 何故、そう思ってしまったのかは知らないが、とにかくその理由を聞き出し、そしてその思い込みを否定しなければならない。それが出来なければ、他人を暗殺どころか、自分の身が危うくなってしまう。

 執拗にスカートの中を狙って来るミナスに緊張した面持ちを向ければ、彼は「えー」とか「うー」とか呻きながら、困ったように眉を顰めた。

「そんな事言われても、人魚なんだから仕方ないじゃないか。ねぇ、メリア?」

「いいえ、違います」

 まさかここで「はい」と答えるとでも思ったのだろうか。そう聞かれたら「いいえ」としか答えようがないじゃないか。

 しかし首を横に振るメリアに、ミナスはニッコリと柔らかな微笑みを向けた。

「大丈夫だよ。キミを取って食ったり、どこかに売り飛ばしたりはしないから。だから安心して頷いて良いんだよ。キミは人魚だろ?」

「いいえ、違います」

 再度首を横に振る。

 すると呆れたように溜め息を吐いたリオが、これまた呆れたようにメリアに助け舟を出した。

「わざわざスカートの中なんか見なくたって分かるだろ。メリアの足、どこからどう見ても人間じゃないか」

「そんなの、魔法でどうとでもなるよ」

「……」

 一体彼は何者なのだろうか。人間のクセに魔法を信じているなんて。まさかミナスは、人間の世界に紛れ込んで暮らす人魚……じゃあないだろうな。

「あの、失礼ですがミナス様。人魚ではない私にとってその発言は、女子のスカートの中を見たいがための、男子の口実にしか聞こえないのですが」

「そうだ! そうだぞ、この破廉恥王子!」

 スカートの中を見せてくれなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。だからそれを非難する事によって、人魚から話を逸らそうと試みれば、リオもまたメリアの言う通りだと大きく頷いてくれる。

 しかしそんな二人に対して、ミナスは特に慌てた様子もなく、笑顔であっさりと言葉を返して来た。

「やだなー、そんな下心なんてあるわけないじゃないか。だって僕は王子だよ? 昨日のパーティーからも分かるように、女の子には困ってないよ。そんな僕が、下心ありありでスカートの中を見せてくれなんて言うわけがないじゃないか。同じ王子でも、リオとは一緒にしないで欲しいかな」

「ふざけんな! オレだって言わねぇわ、そんな事ッ!」

 何で今軽くディスられたんだと、リオは顔を真っ赤にして兄の言葉を否定する。

 そうしてから、リオは困ったように眉を顰めた。

「だいたい、メリアが人魚で困るのは兄さんだろ。人間と人魚は相容れない存在なんだからな」

「え……?」

 溜め息混じりで口にされたリオの言葉に、メリアの心がズキンと痛む。

 人間と人魚が相容れない? いや、そんな事は分かっている。分かっているけど……。

それなのに何故その分かり切ったリオの言葉に、自分はこんなにショックを受けているのだろうか。

「相容れないなんて事言うなよ。メリアが可哀相じゃないか」

「だから、メリアは人魚じゃねぇっつーの」

 わあわあと、言い争う兄弟の声が、どこか遠くで聞こえる気がする。

 何故、自分の心がこんなに痛んでいるのかは分からない。分からないが、それはタイミング良く朝食の用意が出来たと呼びに来てくれたメイドによって、確認する事は叶わなかったのである。

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