第5話 その王子、トラブルメーカーにつき 

 人間を舐めていた。だって彼らは水中じゃあ息が出来ないし、道具がなければ自由に海を泳ぎ回る事だって出来ない。だから人間は人魚より格下の生き物であり、例え舞台が陸上であろうとも、王子の暗殺なんて簡単に終わらせられると、心のどこかで侮っていた。

 それなのにどうだ。いざ蓋を開けてみれば、王子の暗殺どころか、逆に沢山の人間に身を追われる始末。自分の正体がバレ、そのせいで人間に命を狙われるのならまだ分かる。しかしまさかそれ以外の理由で、人間に命を狙われる事になるなんて。

 これでは他人様の命を奪っている場合ではない。自分の命を守るべく行動しなくては。

(あ、足さえあればもっと速く走れると思っていたのに、まさか陸を走るのがこんなにキツイだなんて……。これを平気でやってのけるって、人間って意外と凄いのね)

 これを機に、人間に対する認識を改めようと思う……なんて、反省している場合ではない。何とかしてこの城から脱出する術を考えなくてはならない。

 突然始まった『恩人狩り』。その魔の手から逃げていたメリアは、近場の物陰にそっと身を隠し、上がった呼吸を整える。

 少しは落ち着いたところで、物陰からそっと様子を窺えば、恩人を狩るべく追って来たパーティーの参加者達が、あちらこちらを歩き回っているのが見えた。

 このままでは迂闊にここから出る事が出来ない。城の門前でも人間が待ち構えているかもしれないし……さて、これからどうすれば無事に生還出来るのか。

「何で逃げるんだよ、メリアー」

「っ!」

 突然背後から話し掛けられ、メリアは驚いたようにしてビクリと肩を震わせる。

 いつからそこにいたのだろうか。勢いよく振り返れば、そこには不貞腐れたようにプクリと頬を膨らませたリオが、ジトリと自分を睨み付けていた。

「リ、リオ……?」

 何でここにいるんだと目で問い掛ければ、リオは「オレ、体育はサボった事がないんだ」とよく分からない返答をした。

「そんな事よりもメリア。何で恩人だと証明する前に逃げたんだよ? やっぱり本物ってのは嘘で、お前も……」

 偽物なのか? と疑いの眼差しとともに、リオがそう続けようとする。

 しかしそんな疑いの眼差しなど気にする余裕もないメリアは、沸々と沸き上がって来た怒りに身を任せて、不機嫌そうなリオを思いっきりぶん殴った。

「ふっ、ふざけるなーっ!」

「ぐふっ?」

 そうだ、よくよく考えれば……いや、よくよく考えなくてもコイツが悪い。コイツが何の考えもなしにあんなところで自分の正体をバラしたから、こんな事になったんじゃないか。コイツがあの時、場の空気を読み、その時は黙っていてくれて、後でこっそりミナスに紹介してくれれば良かったんだ。そうすればこんな大勢の人間に追われ、暗殺遂行不可能どころか自分の命を危険に曝す事もなかったし、もっと簡単に王子に近付く事が出来たんだ。そうだ、全てはコイツが悪い。責任転嫁だろうが何だろうが関係ない。全てコイツの責任だ。

「な、何で怒ってるんだ、メリア?」

「怒るわよ! あんたがあの時、私が命の恩人だってバラしたから、みんなに命を狙われるハメになっちゃったんじゃない! どうしてくれるのよ!」

「命を? 何を言っているんだよ? みんな、兄さんの頼みを聞いて、メリアを保護しようとしてくれているだけじゃないか」

「どこをどう見たら、あの殺気がそんな好意的な見方になるのよ!」

「殺気? だいたい、何でメリアが命を狙われなくちゃいけないんだよ?」

「私が、みんなの大好きな王子様のお腹をぶん殴ったからよ!」

「ええ? でもそれは兄さんを助けるためにやった事じゃないか。何でそれでメリアが責められるんだよ?」

「それが人命救助のためだと、みんなが理解出来ないからよ!」

「そ、それはみんなに説明すれば何とか……」

「あの状況で、みんなが落ち着いて話を聞いてくれるとでも思ってんの?」

「が、頑張れば何とか……」

「何ともならないわよ! 有罪だ、処刑しろって叫んでたの聞こえなかったわけ?」

「ええっ、そんな事言っていたのか?」

「言っていたわよ!」

 メリアの剣幕と、その説明で、ようやく事態を把握したのだろう。リオは眉を顰めると、これでもかと言うくらいに、しゅんと俯いてしまった。

「ごめん、メリア。オレ、何も考えずに余計な事しちまったんだな」

(う……っ!)

 リオのしょぼくれたその姿に、悲しそうに項垂れる小魚の姿が重なる。

 そのせいで言葉を詰まらせてしまったメリアに、リオはしょぼんとしたまま更に反省の言葉を続けた。

「オレがちゃんと状況を把握して、それに合った行動をしていれば良かったんだ。そしたらメリアは命の恩人だと兄さんに告白出来たし、兄さんの願いだって叶えられたハズなのに。それなのにオレが余計な事をしてしまったから。オレが二人の仲を引き裂いてしまったんだ」

「……っ」

 何故だろう。弱い者虐めをしているような気分になってしまうのは。ズキズキと良心が痛みまくり、逆にこっちが悪い事をしているような気になってしまうのは、どうしてだろうか。

「本当にごめん、メリア。オレ……」

「もういい! もういいからっ!」

 本気で反省をするリオのその姿に、何故か自分が責められているような気がしてきたメリアは、更に謝罪を続けようとするリオの言葉を慌てて遮った。

「わ、私も言い過ぎたわ。ごめんなさい」

「いいんだ。だってメリアが怒るのは当然の事だから。何の考えもなく動いたオレが……」

「だ、だからもういいってば! リオは私を陥れようとしたわけじゃないんだし! 私を一生懸命本物にしてくれようとして、こうなっちゃっただけだもんね! それなのに私が頭ごなしに言い過ぎたわ! だから私の方こそごめんなさいっ!」

「……許してくれるのか?」

「許す! いや、許すも何もリオは悪くない! 悪くないからっ!」

 はっきりとそう告げてから、メリアは自分も悪かったのだと頭を下げる。

 するとリオはようやく顔を上げ、ホッとしたような安堵の笑みを浮かべた。

「そっか、良かった。……へへっ、殴られた」

「……うん?」

 今、その笑みにはそぐわないような小声が聞こえたような気がしたが……気のせいだっただろうか。

 顔を上げ、不審な目を向けるメリアには構わず、「よしっ」と気合いを入れ直すと、リオはニカッと明るい笑みを彼女へと向け直した。

「じゃあメリア、作戦を立て直そうぜ。大丈夫だ、兄さんには切り札がある。あの痣にメリアの拳を合せれば、メリアが本物の命の恩人だって証明出来るもんな!」

「いや、それよりも今はこの城から脱出したいんだけど……」

「あ、良い事考えた」

 自分をとっ捕まえ、処刑しようと捜している多くの人間達。そんな彼らの目に入る事なく城を抜け、いかにして安全を確保するべきか。

 今のメリアにとっての最重要事項はそれなのだが、残念な事に、リオにとってはそんな事はどうでもいい事らしい。メリアの話など聞いているのかいないのか、リオは笑顔でポンと手を打った。

「メリア、記憶喪失って事にすれば良いんだよ」

「ごめん、もう少し詳しい説明をお願い出来るかしら?」

 やっぱり人の話を聞いていなかったばかりか、わけの分からない事を口にするリオに、メリアはその言葉の説明を求める。

 するとリオはニコニコと笑いながら、その言葉の意味を説明した。

「メリアさ、しばらくこの城に住めば良いんだよ。それには記憶喪失が一番だろ?」

「住むって?」

「だってここから脱出するのはもう無理だよ。出入り口だってもう塞がれちゃっていると思うし。それだったら脱出なんて考えないで、この城に住んじゃえば良いんだよ。そしたらオレが匿ってやれるだろ?」

「……」

 訂正。意外と自分の話を聞いていてくれたらしい。良かった。

「メリアは命の恩人じゃなくって、パーティー会場でオレと仲良くなった女の子。だから兄さんのお嫁さんにするんならメリアが良いって思ったオレが、勝手にメリアが命の恩人だって言い出したんだ。それによってメリアは兄さんに迫られ、ビックリして逃げ出し、更には沢山の人達に追い掛けられるハメになってしまった。そして逃げている途中でメリアはドレスの裾を踏み、激しく転倒。頭を打って全部忘れてしまった……って感じでどう?」

「いや、どうって言われても……」

 果たしてその話が信じてもらえるモノなのかどうなのか。

「大丈夫だって。オレに関わった人ってアクシデントに見舞われる事が多いからさ。みんな「ああ、またか」って感じで信じてくれるよ!」

「……」

 アクシデントに見舞われる? その話、出来れば出会って一番にして欲しかった。

「オレのせいで記憶喪失だって言えば、城からも許可が下りるだろうし、パーティーの参加者達も憐れみの目で見逃してくれる。そうやって城で保護してもらうんだ。メリアはその保護されている間で兄さんに証明すれば良いんだよ。自分が本物の命の恩人だってさ」

「……」

 リオの言う通りに、メリアの記憶喪失説が信じてもらえるのであれば、これ以上の上手い話はないだろう。予定とはちょっと違うが、暗殺対象であるミナスの傍に身を置く事が出来るし、何よりこの危機的状況から脱する事が出来る。

 ここは一つ、リオの話に乗るべきではないだろうか。

「じゃ、じゃあリオの言う通り、記憶喪失って事にしてもらっても良い?」

 不安な事は多々あるが。しかしここでこれ以上考えていても仕方がない。女は度胸、勢いが肝心なのだ。

 そう決心を固め、リオの案に頷けば、彼はパアッと嬉しそうにその笑顔を輝かせた。

「え、良いの? やった! じゃあそうしよう!」

 何に喜んでいるのかは知らないが。それでも歓喜の声を上げると、リオはギュッとメリアの手を握った。

「大丈夫だぜ、メリア。お前の事は、オレが兄さんから守ってやるからな。だから安心して城で暮らしてくれな!」

「うん?」

 兄さんから守る?

 何かとんちんかんな事を言い出したリオに、メリアは意味が分からないと首を傾げる。

 するとリオは、困ったような苦笑を浮かべた。

「兄さん、ああ見えて手が早いんだよ。メリアが本物の命の恩人だと分かったら、即行でスカート捲って来るぜ」

「な……っ!」

 その言葉に、メリアは思わず顔を引き攣らせる。

 即行でスカートを捲って来る? 何だそれ。王子のクセに破廉恥だな。

「兄さん信じてないんだよ。そのスカートの下にあるのが人間の足だって」

「は?」

 しかしその後に続いたリオの言葉に、メリアの顔色が真っ青に染まる。

 スカートの下にあるのが人間の足だって信じてない? それって……。

「兄さん、命の恩人は人魚だと思っているんだ」

「……」

「兄さんがメリアを人間だと信じてくれるまで、オレがちゃんと守ってやる。だから安心してくれな、メリア」

「……うん」

『彼は気付いている可能性がある。自分を助けてくれたのは、人魚なんじゃないかってね』

 リオに関わったためかそうじゃないのか。

 早速見舞われたアクシデントに呆然とするメリアの脳内で、アルフが口にした言葉が、何度も繰り返し再生されては消えて行った。

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