第4話 偽物がいっぱい

『荒れ狂う海の中、不注意によって落ちてしまった私を、誰かが泳いで助けてくれました。しかし残念な事に、私はその方の事を何も覚えてはおりません。それ故に、私の方からその方を捜しに行く事は出来ないのです。しかし私はその方にもう一度お会いしたい、そして感謝の意を伝えたいと思っております。ですからそれが私だと言う方は、どうか名乗り出て下さい。好みのタイプだったらお嫁さんにします。

 ――ヘームルフト国第一王子、ミナス・ヘームルフト』

 ……と、一国の王子様が全国ネットの生放送で言い出したら、国民はどう思うだろうか。「え、そんなどんな人かもよく分からないような人を捜しているの?」とか、「じゃあ、私が名乗り出ても、嘘か本当かなんて分かんなくない?」とか、「それなら、私が王子様のお嫁さんになれるかもしれないじゃない!」などと思うだろう。そして中には、その考えを実行する者も少なくはないのである。

 当然、王子を助けたのは自分ではない。けれども自分が命の恩人であると王子に信じ込ませる事が出来たのなら、国一番の玉の輿に乗れる上に、王子と結婚し、その一生を大好きな彼の隣で過ごす事が出来るかもしれないのだ。

 夢のような話じゃないか。この千載一遇の大チャンス、逃す手はない。

 しかし、夢を与えられた世の女性達のその行動は、メリアにとっては大変迷惑極まりないモノであった。おかげで人魚として突然捕えられる可能性は減ったものの、これでは簡単に王子には近付けない。いくら自分が本物だとしても、王子がそれを信じてくれなければ、その事実は何の意味も持たないのだから。

 もっと簡単に王子に近付けると思っていたのに、まさか自分の偽物がこんなに現れてしまうなんて。これでは暗殺どころか、王子に近付く事だって難しそうだ。

(どうしようかなあ……)

 桃色のドレスに身を包み、念のためにと懐に短剣を忍ばせたメリアは、パーティー会場の片隅で頭を抱えていた。

 間もなく開催と言う事もあり、会場は既に沢山の女性達で賑わっている。集まった女性達にとって、ここにいる全員がライバル……否、敵なのだ。だからそこに華やかで明るいムードは一切なく、その会場は、これから戦に向かう男達が放つような殺気に包まれていた。

(この人達を押し退けて、私が本物だと王子様に信じてもらわなきゃいけないのよね。でもどうやったら信じてもらえるんだろう。と言うか、ここにいる人達はどうやって王子様を信じ込ませるつもりなんだろう。いや、そもそも王子様は、何を見て本物だと判断するんだろうか)

 王子に自分が本物だと信じ込ませ、そして王子に近付くための方法を考えながら、メリアは会場をグルリと見回してみる。

 殺気で溢れ返るパーティー会場では、既に自分が本物になるための戦いが始まっていた。

 まずは城の者を味方に引き込もうと、近くのメイドや兵士と話をする者。罵り合いや腹の探り合いで、互いに火花を散らす者。そしてどこからか持ち込んだ武器で、直接剣を交えている者など、それぞれがそれぞれのやり方で、王子の花嫁の座を勝ち取ろうとしていた。

(あれ、もしかして私って出遅れている?)

 よくよく見れば、何もせずボサッとしているのは自分だけで、他の参加者は何かしらの行動に出ている。マズイ、これは非常にマズイ。いくら自分が本物だとは言え、それを証明する方法はないのだ。

 このままここでボサッとしていては、王子に信用してもらえず、偽物にその座を奪われてしまうかもしれない。そうなっては正体とか試験とか以前に、自分は城から追い払われてしまうだろう。

 それはダメだ。何でも良い、自分も戦いに参加し、恩人の座を勝ち取りに行かなければ。

「あ、あのー、すみません……」

 とにかく仲間を作ろうと、メリアは近くで飲み物を配っていたメイドに声を掛ける。

 しかしその時であった。そのメイドから受け取った飲み物を飲んでいた花嫁候補が、呻き声とともに突然その場に蹲ってしまったのは。

「貴様っ、飲み物に何を入れた……っ!」

「うふっ、ちょっとした毒、いえ、薬よ。でも大丈夫、ちょっとお腹を壊しちゃうだけで、命に別状はないから。でも、このパーティー中に回復したりはしないだろうから、あんたはこのパーティー中、ずっとトイレに籠る事になるだろうけどねっ!」

「ぐっ、メイドの分際でよくも……っ!」

「あら、私達の大切なミナス様に、姑息な手を使って近付こうとしたあんたが悪いのよ。偽物の分際で王子様の花嫁ですって? 冗談じゃないわ、さっさとこの城から消えてちょうだい」

「なっ、ゆ、許せん! 覚悟しろ!」

「望むところよ! ミナス様に害を及ぼす輩は排除してやるわ!」

(あわわわわわわっ!)

 突然目の前で始まったのは、女同士による拳での殴り合い。それに巻き込まれまいと、メリアは慌てて会場から逃げ出す。

 裏口からこっそりと抜け、会場内で起こっているその戦いを物陰から眺めながら、メリアはドキドキと煩い心臓を押さえてホッと息を吐く。あの飲み物、受け取らなくて本当に良かった。

(怖い、人間の女子怖い……っ!)

 もう誰も信用出来ないと、メリアはブルリと肩を震わせる。

 しかしその時であった。背後からポンと肩を叩かれたのは。

「ねぇ」

「ぎゃああああっ!」

 思わず悲鳴を上げ、勢いよく振り返る。

 そこにいたのは、黒いカマーベストを着用した、自分と同い年くらいの少年。黒縁眼鏡が印象的な、銀髪の男子であった。

「ご、ごめん、そんなに驚かせるつもりはなかったんだ。とりあえず取って食おうってわけじゃないから、そんなに怯えないでくれないか?」

 メリアの驚きように、少年はバツが悪そうに苦笑を浮かべる。

 この場で自分に話し掛けて来たこの少年、一体何者だろうか。一見すると、多少肉付きの良い、パーティー会場で働くウェイターにしか見えないが、状況が状況だ。もしかしたら自分をパーティー会場から排除するためにやって来た、先程のメイドの手下かもしれない。

「ど、どちら様ですか?」

 警戒心を露わにしながら、メリアは少年に問い掛ける。

 すると彼は、眼鏡の奥の赤い瞳を、何故か嬉しそうにパアッと輝かせた。

「えっ、本当? キミ、本当にオレが誰だか分かんない?」

「え? ぞ、存じ上げませんが……?」

 その問いに、メリアはもう一度首を傾げる。当然だ。だってメリアは海の底で暮らす人魚なのだから。陸上で暮らす人間に、知り合いなどいるわけがない。それ故に、この目の前にいる少年が誰だかなんて、分かるわけがない。

 しかしそんな事など知る由もない少年は、「よっしゃあっ!」と喜びながら、手にガッツポーズを作った。

「何だよ、何だよ、やっぱり分かんねぇもんなんじゃん。何が、「あなたの杜撰な変装なんてすぐにバレますよ」だよ。ティクムのアホめ!」

「……」

「やっぱこの伊達眼鏡が良かったんだよな。これ掛けてみんなと同じ恰好してりゃ、どっからどう見ても立派なウェイターだぜ。さっすがオレ、イケてる!」

「……」

 一人で大はしゃぎをしているこの少年は、一体何者なのだろうか。もしかして、本当に花嫁候補とは無関係の人物なのだろうか。

 ポカンとしながらその少年を眺めていると、その視線に気付いたのか、彼はニコニコと笑いながら得意気に自己紹介を始めた。

「オレだよ、オレ! リオ・ヘームルフト! ミナス兄さんの弟!」

「え、弟……? って事は、あなたも王子様?」

「そうだよ、そうそう! オレも王子さ……」

 しかしその途中で何かに気付いたようにハッとすると、自身も王子だと名乗った少年、リオは、コホンと咳払いをしてから恭しく頭を下げた。

「お初にお目に掛かります、レディ。私の名はリオ・ヘームルフト。兄、ミナスに次ぐヘームルフト国の弟二王子であります」

「あの、無理に畏まらなくても結構です」

「あ、ホント? いやー、オレ、堅苦しいのって嫌いでさー。でも周りは王子のクセにとか、作法がどうのこうのとか言うじゃん? だからそう言ってくれて助かるよー、ありがとなー」

 顔を上げてあははと笑う彼に、メリアは親近感を覚える。

 メリアもまた人魚の国の姫ではあるが、堅苦しい礼儀や作法は苦手であった。お行儀良く座って、姫様、姫様と持て囃されるよりも、友達と海を泳ぎ回っている方が好きだし、難しい言葉で表現するよりも、誰にでも分かる言葉で話をする方がずっと楽しい。

 だから堅苦しいのが嫌いと言う、この王子の気持ちはよく分かる。メリアも同い年くらいの少年少女にそう促されたら、彼と同じように、遠慮なく姿勢を崩すだろう。

 しかし似た立場の少年に、メリアが表情を緩めた時だった。

 ニコニコと笑いながら、少年、リオがとんでもない事を口にしたのは。

「そう言ってくれるなんて優しいな。やっぱ本物は違うんだなあ」

「え?」

「あんただろ? 兄さんを助けてくれたのってさ」

「っ!」

 当たり前のように口にされたそれに、メリアは驚愕に目を見開く。

 この沢山いる人間の中から、彼はどうやってメリアが本物だと見抜いたのか。

 このリオと言う少年、どうやらあの嵐の夜に助けた王子の弟らしい。ならばこの少年、もしかしたらあの時あの近くにいて、自分が王子を助けたところを見ていたのかもしれない。

(だとしたら、人魚である私の姿を見たかもしれない)

 もしもあの時あの場にいて、メリアが王子を助けたところを見ていたとしたら、彼は彼女の本当の姿を見たハズだ。

 人間にはない、桃色の魚の下半身を……。

もし人魚である自分を見られていたのだとしたらマズイ、非常にマズイ。大問題だ。

「何で、私が本物だって分かったんですか……?」

 再び警戒心を露わにしながら、リオにそう尋ねる。

 彼は暗殺のターゲットではない。故に、手に掛ける必要のない人物だ。

 しかし彼が自分の姿を見ていたのだとしたら話は違ってくる。自分が人魚である事を広められる前に、口封じのために消さなければならない。

 ゴクリと、息を飲みながらリオの言葉を待つ。

 しかし緊張に体を強張らせるメリアとは違い、リオは「何でそんな事聞くんだ?」と不思議そうに首を傾げた。

「何でって、そんなの見てれば分かるじゃないか」

「見てれば?」

「ああ。オレ、ウェイターに変装して、本物の命の恩人を捜していたんだ」

「?」

 人魚である自分の姿を見られたのではないかと警戒していたメリアであったが、どうやらそう言う事ではなかったらしい。

 それならどう言う事だと首を傾げるメリアに、リオは会場を見るように促してから、その理由を説明した。

「見ろよ、パーティーに集まった人達を。どうやって他人を蹴落としてやろうかとか、いかにして自分が本物だと王子に信じ込ませてやろうかとか、そんな事考えているヤツばっかだろ?」

「それ、見て分かります?」

「分かるさ。だってホラ、みんな目がギラギラしているじゃないか。あれ、獲物を狙うハンターの目だぜ」

「そう……ですね?」

 確かに会場はピリピリと殺気立っているし、よくよく見れば全員が鋭い目つきをしている。なるほど、確かにハンターの目だと言われればその通りだ。

「でも、あんたは違っただろ?」

「え?」

 その言葉に、メリアは視線をリオへと戻す。

 振り向けば、苦笑を浮かべるリオの赤い瞳とぶつかった。

「あんただけだぜ。何でこんな事になってんのか分からなくてオロオロしていたヤツ。あれだろ? あんたは王子が命の恩人を捜しているって言うから正直に名乗り出ただけなのに、何故かその命の恩人が沢山いて、本物を捜し出すパーティーに参加しろって、わけの分からないまま参加させられたってヤツだろ?」

「え……あ、そ、そう! そうです! その通……」

「で、どうしたら良いのか分かんなくて困ってたんだけど、このままじゃ本物なのに偽物にされちまうって気が付いて、とりあえず行動したけど失敗して、争いに巻き込まれそうになったから慌てて逃げて来たってヤツだろ?」

「……その通りです」

 凄いな、この人。自分が本物である事は勿論の事、先程の失敗まで完璧に読み取ってくれた。

「よく見てらっしゃるんですね」

「よくは見てないよ。でも分かるだろ? 熟練のハンターの中に間違えて入って来ちゃった迷子がいたら。嫌でも目に入るよ」

「そうですね」

 私は迷子扱いか。

「それよりもさ、あんたが本物なんだろ? だったらオレが協力してやるよ」

「え?」

 その申し出に、メリアはパッと顔を上げる。協力してくれる、と言う事は……。

 その期待にキラキラと目を輝かせれば、リオは任せろと言わんばかりに、ニカッと明るい笑みを浮かべた。

「だからあんたが本物だって、オレが兄さんに言ってやるよ。これでもオレはミナス王子の弟だぜ。他の女の子のどんな言葉よりも、兄さんはオレの方を信じてくれるよ」

「!」

 な、何と頼もしいお方だろうか。どうしたら王子に近付けるのかと悩んでいた数分前が嘘のようだ。

(まさか、王子様の弟が味方になってくれるなんて!)

 ターゲットであるミナス王子の弟、リオ。確かに彼以上の味方はいないだろう。彼が「彼女が本物の命の恩人だよ」とでも言ってくれたら、王子はそれを信用し、自分を花嫁として側に置いてくれるかもしれない……いや、置いてくれるだろう。リオの言う通り、他の女の子のどんな言葉よりも、実の弟の言葉の方が、信憑性が高いに決まっているのだから。これはもう暗殺に成功したも同然だ。ありがとう、弟、とても感謝する!

「あ、ありがとう! とても困っていたの! 凄く助かるわ!」

「あはは、いいって、いいって。それよりあんた、名前は?」

「メリアよ……あ、いえ、メリアと申します。ええと、リオ、様?」

「良いよ、リオで。気軽に呼んでよ」

「いえ、そんな、王子様を呼び捨てにするわけには参りませんので」

「いいじゃん、さっきタメ口だったじゃん。だからそのままで話してよ」

「……」

 よく聞いているな、この人。一回しか使ってないのに。

「いえ、あれは感極まったと言うか、咄嗟に出ただけと言うか、本来の私ではないと言うか?」

「って事は、やっぱりさっきのが素なんだろ? あれだろ、メリアも堅苦しいのは苦手なタイプだろ。気を張ってないと敬語すら使えないってヤツ。オレと一緒だな!」

「……」

 さっきから凄いな、この人。初対面のクセに、よくこうも次から次へと見抜いてくれる。まさか人間のクセに、怪しげな魔法でも使えるのだろうか。

 しかし、メリアがそう訝しんでいた時であった。

 太陽のような明るい笑みを浮かべたままのリオが、言葉のナイフでメリアの心臓を貫いて来たのは。

「それにしても珍しい子だなあ、メリアは。いくら感極まっていたとは言え、王子であるオレにタメ口で話して来た人、いないよ?」

「え……?」

 その指摘に、メリアの口角がヒクリと引き攣る。

 あ、これはヤバイ方向に話が進んでいる、と察知したメリアの心境など知ってか知らずか、リオはニコニコとしながら更に話を続けた。

「そう言えばさっき、オレの変装に気付かなかったみたいだけれど。もしかして変装どうこう関係なく、メリア、オレの事知らなかった?」

「えっ? あ、え、えっと……」

「でも、オレの事知らないって事は、この辺の子じゃいないよな? オレ、これでも弟二王子だし……。もしかしてメリアって、とんでもない田舎から来たのか?」

「え、あ、えっと、えっと……」

「なあ、お前、どこ出身?」

 その質問に、メリアからサアッと血の気が引く。

 どこ出身と聞かれても、正直に海の底から来ましたなんて言えないし……。ああ、こんな事になるんなら、弟二王子の顔と名前と存在くらい、把握してから来れば良かった!

 しかしそう後悔したところで後の祭り。ここは何とかして切り抜けなければならない。それが出来なければ、王子を暗殺するどころか、自分の身が危険に曝されてしまう。しかし切り抜けると言っても、どう切り抜ければ良いのだろうか。

 ニコニコと微笑みながら返事を待つリオを直視出来ず、メリアはそっと彼から視線を逸らした。

「ちょ、ちょっと海の方から……?」

「海? 何? 小さい島か何か?」

「そ、そう、そんな感じ……?」

「ふうん。どの辺の島?」

「え? あ、あっちの方……?」

「へえ、あっち方向にある島かあ。ごめん、オレ、地理苦手でさ。どこの島の事かよく分かんないや。聞いときながらなんだけど、理解出来なくてごめんな」

「いえ、全然、全く、お構いなく」

「ああ、そっか。だからか」

「え?」

 出身地は何とか誤魔化せた(?)ものの、今度は何に納得したのかが分からない。

 それに何だか嫌な予感を覚えつつも首を傾げれば、やっぱりリオはニコニコしながらメリアの心臓を抉って来た。

「だからメリア、泳ぎが得意だったんだな。島育ちだから、よく近くの海に潜ったりして遊んでいたんだろ?」

「うん……?」

「そうだよな、泳ぎが相当得意なヤツじゃなきゃ、嵐の夜に男一人抱えて泳ぐなんて事、出来るわけねぇもんな」

「え? あ、えっと……」

 何でだろう。何でさっきから、心臓を鷲掴みにされたまま脅されているような気がするのだろうか。本当は全部知っていて、その内「お前、人魚だろ」と正体を暴いて来るんじゃないかと、そう怯えてしまうのだろうか。

 そして恐怖に震えるメリアの心臓を、リオは遂に笑顔で握り潰した。

「いや、オレさあ、ちょっと疑っていたんだよね。いくら兄さんが「誰かがオレを海の中から助けてくれたんだ」って言ってもさ、そんな事人間に出来るわけねぇじゃん。そんな事出来るのって、人魚くらいだろって思うじゃん」

「!!!」

 グシャッと握り潰された心臓に、メリアの体がグラリとよろめく。

 突然真っ青な顔で蹲ってしまったメリアに、さすがに驚いたのだろう。慌ててメリアの体を支えると、リオは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。

「だ、大丈夫? 具合でも悪いのか?」

「だ、大丈夫、ちょっと立ち眩みがしただけだから……」

「本当? あ、もしかしてオレの言った事がショックだった? ごめんごめん、別にメリアを人魚だと疑っているわけじゃないんだ。そりゃ最初は、うちの兄さん、人魚にでも騙されてんじゃないかって思ったけど」

「!!!」

「でもメリアの態度から、あんたが本当に兄さんを助けてくれたんだろうなあって思うし。それに島育ちだから、あんたが泳ぎが得意だって事も知れた。だからもう疑ってないよ」

「ほ、本当に? 本当にもう疑ってない?」

「ああ、疑ってない」

「本当に私の事、人魚だと思ってない?」

「思ってないよ。面白い事聞くなあ、メリアは。お前、どう見たって人間じゃないか」

 何変な事聞いてんだよと、メリアの最も不安な部分を、リオは腹を抱えて笑い飛ばす。

 それなのに何故だろう。何で思ってないと言われているにも関わらず、こんなに不安にしかならないのだろうか。

「あ、それともメリアの島って、よく人魚が来たりするの?」

「……来ません」

「それって遊びに来るの? それとも悪さをしに来るの?」

「わ、悪さなんかしに来るわけないでしょ!」

「へえ、じゃあ遊びに来るんだ。意外だなあ」

「意外って何よ!」

「じゃあ、子供の事から一緒に海で遊んだりしたの? それで泳ぎが得意なの?」

「べ、別にそういうわけじゃ……」

「そっか。田舎って凄いな。都会じゃ考えられないぜ」

「だからそうじゃなくって……」

「なあ、人魚って男もいるの?」

「え? それは勿論いる……」

 しかしそう頷こうとして、メリアは慌てて口を噤む。マズイ、このままでは自分からいらん事を言ってしまいそうだ。

「そ、そんな事よりっ!」

 このままでは誘導尋問なるモノで自らの正体をバラしてしまうと感じたメリアは、そこで話を打ち切ると、話題を無理矢理安全なモノへと変える事にした。

「リ、リオ様はどうしてここに? 何故、ウェイターの姿をしていらっしゃるのですか?」

 二番目とは言え、彼とて王子。その位はかなり上のハズだ。そんな彼が、何故ウェイターに変装し、こっそりとパーティー会場に潜り込んでいるのだろうか。

「パーティーの参加者が気になると言うのなら、わざわざ潜り込まずとも、お兄様と一緒に檀上から堂々と会場を見回せば良いのではないですか?」

 人魚の国でもそうだ。大切な会において、檀上で中央に座るのは当然自分の両親だが、自分や弟二王女である妹もまた、堂々と両親の側に座っている事が多い。それは人間の世界でも同じだと思っていたが、もしかして違うのだろうか。それともリオ達兄弟は仲が悪いのだろうか。

 するとリオは、「だから敬語はいいって」と口にしてから、照れ臭そうに頬を掻いた。

「まあ、そうなんだけど。でもそれだと、こうやって本物であるメリアを見付ける事は出来なかっただろ?」

「え?」

「パーティーが始まる前に本物を見付けておきたかったんだよ。それで出来れば、こうやって話がしたかったんだ」

「話を? どうして?」

「だってオレ、兄さんには幸せになってもらいたいからさ」

「?」

 意味が分からず、メリアはどう言う事だと首を傾げる。

 するとリオは、やはり照れ臭そうに頬を染めながら言葉を続けた。

「兄さんさ、好みのタイプだったら嫁にしますとか言っているけどさ、本当はどんな子でも迎え入れるつもりなんだよ。誰かを助けるって、そう簡単に出来る事じゃない。その行動に出るだけでも凄く勇気のいる事なんだ。だから兄さんは、その子の勇気ある行動に惹かれたんだよ。もう彼女に恋をしちゃっているんだ。こんな大掛かりなパーティーを開催しなきゃならなくなって、城のみんなには迷惑を掛ける事になっちゃったけど。でも兄さんはその子に、ただもう一度会いたかっただけなんだよ」

「……」

「やる事はアホだけど、あれで結構純粋なんだぜ。それに、オレにとってはこの世でたった一人の兄さんなんだ。そんな兄さんの願いを叶えるために協力したいと思うのは、弟として当然の事だろう?」

「っ!」

 ふにゃりと、照れ臭そうにはにかむリオの笑顔が、グサリと胸に突き刺さる。どうしよう、私、こんな風に妹の幸せを願った事なんて一度もない!

(わ、私ったら何てダメな姉……いいえ、ダメな人魚なんだろう!)

 純粋に兄の幸せを願う弟の姿に、メリアは酷くショックを受ける。

 容姿も能力も、全てが自分より優れている妹に向けるのは嫉妬ばかり。こうして王位継承の試験に挑んでいるのも、妹より早く生まれただけで得られた王位の座を手放すまいと、躍起になっているだけだ。

 ついでに言えば、国民の信頼だけは厚いのも、国民の事を思っての事ではない。自分の『良い事』のために行動していた結果、おまけに付いて来ただけのようなものなのだ。

 勿論王子を助けたのだって、純粋に王子のためを思っての行動ではない。ああ、そうだ。本来なら国民の信頼も、王子の恋心も、自分に与えられるべきモノではないのだ。

(そうよ、真に国民の事を考えているのなら、国の発展のため、私より優秀な妹に王位を譲るべきだったんだわ)

 少なくとも、リオならそうしていただろう。国の発展、国民の要望、そして女王の座に相応しい妹の未来のためにと、アルフに試験の話を持ち出された時点で辞退していたハズだ。

 それなのに何だ、私ときたら。妹に女王の座だけは譲りたくないとか、よく分からないプライドで、いつまでも第一継承権にしがみ付いたまま放さないだなんて。何て愚かで恥ずかしい行為だったのだろうか。ああ、穴があったらそこに入って、そこで一生を暮らしたい!

「どうしたんだよ、突然顔色が悪くなるなんて。あ、や、やっぱりオレ、ブラコンみたいで気持ち悪い、か……?」

「いいえ、違います。醜い自分に自己嫌悪しているだけです」

「何言っているんだ? 人助けが出来るような子が、醜いわけないだろ」

「いいえ、リオ様は私を買い被っておられます。私なんて人間以下の下等生物です。だって妹の幸せを願った事なんて、一度もないんですから」

「え、妹がいるの?」

「はい。でもこれからは、心を入れ替えて生きて行こうと思います」

「え? あ、そう……?」

 猛省してから。メリアは改めて、リオの顔を見つめ直した。

「リオ様は、お兄さんの事が大好きなんですね」

「ああ、まあ、そう改めて言われちゃうと何か恥ずかしいけどな……って、いい加減に敬語は止めてくれよ」

 困ったようにそう苦笑を浮かべてから。リオは改めて先程の話を続けた。

「まあ、そう言う訳だからさ、パーティーが始まる前に、こっそり潜入して参加者達の素の様子を見ておきたかったんだ。そして本物の命の恩人である子を見付けて、兄さんに教えてあげたかったんだよ」

「そう、だったんですね……」

 王子としてではなく、わざわざウェイターとして会場に忍び込んでいたその理由。

 それを説明すると、リオはもう一度、ニカリと明るい笑みを見せてくれた。

「だから、ちゃんと本物の恩人が見付かって良かったぜ。これで兄さんも、きっと幸せになれるな!」

(リオ様……っ!)

 向けられたその笑顔に、メリアの胸がギュンッと締め付けられる。

 何て優しい心の持ち主なのだろうか。本物の命の恩人を見付けたところで、彼に良い事なんか一つもないのに。ただ兄に幸せになってもらいたいと言う純粋な想いだけで、こうして行動に移せるだなんて。何て素敵な人なのだろうか。人間にしておくには勿体ない。

「パーティーが始まったら、オレが兄さんに紹介してやるよ。もしかしたら他の子達が邪魔をして来るかもしんねぇけど。でも、本物はお前なんだ。そんなヤツら気にしないで、二人でガンガンアピールして行こうぜ!」

「うんっ、リオ様が味方に付いてくれるなんて心強いわ! お兄さんに信じてもらえるように、私も頑張るわね!」

 明るい笑顔でそう励ましてくれるリオに応えるように、メリアもまた笑顔で大きく頷く。

 この大勢の女の子達の中から王子が自分を本物だと信じ、選んでくれるかは分からない。しかしそれでも、何が何でも選んでもらわなくてはならない。

(リオ様の気持ちに応えなきゃ。お兄さん想いの彼を悲しませるわけにはいかないわ!)

 自分が本物だと信じてもらえず、他の子が選ばれてしまったのなら、リオは凄く落ち込んでしまうだろう。もしかしたら自分の力不足だったと、自分を責めてしまうかもしれない。

 そんなのはダメだ。こんなに純粋な人を悲しませてはいけない。彼の願いを叶え、彼に笑っていてもらうためにも、必ず本物の命の恩人である自分が選ばれ、王子と結婚……、

(って、違う!)

 と、そこでメリアはようやく本来の目的を思い出す。

 自分の目的は第一王子の暗殺だ。そう、暗殺だ、暗殺。マーメイド王国の王位継承試験のためにここにいるんだった。決して王子と結婚するためでもなければ、リオの純粋な願いを叶えるためでもない。リオの願いなど叶わなくても結構、自分が王位を継ぐ試験に合格すればそれで良し。うん、そうだ、そうだった。危なくリオの純粋な心に、その目的を誤るところだった。  

(この男、人間のクセに侮れない。まさか、他人の心を操る魔法でも使えるんじゃないでしょうね?)

「? どうかしたか?」

「いえ、何でもないわ」

 疑いの眼差しを向けるメリアに、リオは不思議そうに首を傾げる。

 そんな彼に首を左右に振れば、リオは大して気にした様子もなく、これまた笑顔で手を差し伸ばして来た。

「それよりもさ、いつまでもこんな所にいないで、さっさと会場に戻ろうぜ。パーティーももうすぐ始まっちまうしさ」

「あなた、パーティー会場に入って大丈夫なの? さすがにバレない?」

「バレないよ。現にさっきまでバレてなかったんだし。女の子達は対戦相手しか見てないから、こんな下っ端風情の顔なんて気にしないよ」

「対戦相手って……」

 しかし間違ってはいないので、それについての訂正はしない。

 差し伸ばされたリオの手を取り立ち上がると、メリアはリオに手を引かれたまま、再び会場へと足を踏み入れる。

 そこは相変わらず殺気に満ち溢れており、あちらこちらから争い合う声や音が聞こえて来る。それでもさっきより不安を感じないのは、こうして味方になってくれる人物が現れたからだろう。握られたままの手から伝わって来るリオの体温に、メリアはホッと安堵に似た息を吐いた。

(とにかく今は試験に集中しよう。彼にも悪いけど、この好意も利用させてもらうわ)

 妹に譲った方が良かったかもしれないこの試験だが、それでも一度受けてしまった試験だ。途中で投げ出すわけにはいかない。とにかくその件に関しては、無事に試験をクリアしてから改めて考えようと思う。

 いや、別にリオに諭されたからじゃない。偶には真に国民や妹の事を考えて行動するのも良いかもしれないと、そう思っただけだ。決してリオに諭されたからじゃない。

 握られたリオの手を見つめながら、メリアは今後についてそう言い訳をする。

 と、その時だった。ふと足を止めたリオが、満面の笑みでメリアを振り返ったのは。

「メリア、田舎育ちだったよな? だったらさ、城での高級料理って初めてだろ? この機会に色々食って行ったら良いよ。美味いモンばっかりだぜ」

「料理?」

 会場が殺気に包まれ過ぎていて、これまで全く気付かなかったが。よくよく見ればこの会場、美味しそうな料理がビッフェ形式にズラリと並んでいる。勿論、パーティーに参加している女性の殆どは、その料理には目もくれていないが。

「あ、こんな所に食べ物なんかあったんだ。全然気付かなかった」

「まあ、飯目的で来ているわけじゃないからな。でも腹が減っては倒れるとか言うじゃん? めっちゃ美味いし、お前も食って行けよ」

「ああ、うん……」

 珍しいだろーと、料理を勧めて来るリオには悪いが、こう見えてメリアとて人魚の国のお姫様だ。城で出される高級料理には、一般市民よりは慣れている自信がある。ザッと見たところ、人魚の城の料理とあまり変わらないようだが、それでもここは地上だ。使われている食材は人魚の国とは違うのだろう。どんな食材が使われていて、どんな味がするのだろう。少しだけ、興味がある。

「ホント、珍しい料理ばかりね。ねぇ、これって何で出来ているの?」

 キレイに盛り付けられた料理の一つを指差し、メリアは興味本位でそれを尋ねる。

 するとリオは、ニッコリと笑いながら答えてくれた。

「魚」

「……」

 瞬間、メリアの口角がヒクリと引き攣った。

「作り方とか、他に何が使われているのかはよく分かんねぇけど。でもメインで使ってんのは魚だよ。鯛とか鮃とか? とにかく食ってみろよ。それ、美味いんだぜ」

「え、あ、いや、私はちょっと……」

 人魚であるメリアは、基本魚を食べない。食べられない事はないのかもしれないが、食べたくはない。だって自分の下半身と同じモノが付いている生き物なのだ。何だか共食いみたいで嫌じゃないか。

「あれ、メリアって島育ちなのに魚嫌いなの? 海近いのに?」

「え? ああ、うん、ちょっと……」

「えー、マジで? オレ、魚介類が一番の好物なのになー。特に……あ、あった、あった。さっすが兄さん。オレの好物分かってるぅ!」

 嬉しそうに笑いながら、リオはその好物とやらを手に取る。そしてニコニコと笑ったまま、彼は顔色の悪いメリアの前にそれを突き出した。

「これこれ! 魚の丸焼き!」

「っ!」

 突き出されたのは、香ばしく焼き上げられた丸ごとのそれ。自分と同じ下半身を持つそれが、串で一突きにされ、海で元気に泳いでいた頃とは全く違う姿へと変貌していた。

「美味いんだぜ!」

 そう言うや否や、リオはメリアの目の前でその胴体へと噛り付く。

 その瞬間、気付けばメリアはリオの胸倉を掴み上げていた。

「あんた、本当は全部分かってやってんじゃないでしょうねっ?」

「えっ、えっ? な、何だ、どうしたんだ、メリア?」

 突然、涙目で胸倉を掴まれたリオは、何が悪かったのかと混乱の表情を浮かべる。

 だってこの男、さっきから答えられない出身地を聞き出そうとしてみたり、徒に人魚の話に触れてみたり、言葉巧みにメリアの目的を変えようとしてみたりと、本当はメリアの目的も正体も知っていて、からかって遊んでいるとしか思えない行動ばかりしている。そして遂には、目の前で丸焦げの魚に噛り付く始末。ナメてんのか、コラ。

(……って、そんなわけないか)

 更に問い詰めようとしたギリギリのところで、メリアは何とか思い留まる。

 人魚と人間は住む世界が違う。その違う世界に住んでいる相手の目的も正体も、彼が知っているわけがない。それなのに自分から、「惚けんじゃないわよ! 私があんたの兄さんを暗殺しに来た人魚だって分かってやってんでしょう!」と、自らそれを暴露する必要はない。

「嫌いな魚を丸齧りされたから、つい……。ごめんなさい、カッとなったからとは言え、失礼な事をしてしまったわ」

「お、おう、それはいいけど……。でもお前、よっぽど魚が嫌いなんだな」

 リオからそっと手を離したメリアが気まずそうに視線を逸らせば、リオは乱れた胸元を直しながらも何とか納得してくれる。

 と、その時であった。パパパパーッと、軽快なラッパの音が会場中に響き渡ったのは。

「ヘームルフト国第一王子、ミナス・ヘームルフト様のおなーりー!」

 ラッパ音に続いて聞こえて来た男性の声に、それまで騒がしかった会場がシンと静まり返る。

 すると壇上に姿を現した二人へと、その場にいた全員の視線が集められた。

(あ、あの人だ)

 見覚えのあるその青年を、メリアはジッと見つめる。

 下の方で一つに束ねられた金色の髪に、白い肌とスラリと伸びた長身。あの夜は分からなかったが、彼は吸い込まれそうな程のキレイな青い目をしていた。

 あの時とは違い、白い正装服で身なりをきちんと整えてはいるが間違いない。彼こそがあの嵐の夜に助けてしまった王子、ミナス・ヘームルフト。マーメイド王国、王位継承試験の暗殺ターゲットである。

「おっ、兄さんと、ティクムだ」

「ティクム?」

 リオが口にしたもう一人の名に、メリアは視線を王子の隣へと移す。

 茶色のオールバックと左目のモノクルが特徴的なその男性。よくよく見れば見覚えのある彼は、城の前でチラシを渡してくれた、あの冷たい目の男性であった。

「オレ達兄弟の付き人だよ。根は良いヤツなんだけど、歯に衣着せぬ物言いで厭味を言って来る、ちょっと捻くれたヤツなんだ」

「歯に衣着せぬ物言い……」

 その言葉に、メリアの脳裏にアルフの姿が浮かぶ。彼もまた、王女である自分に向かって言いたい放題の暴言を吐いて来るが、あんな感じなのだろうか。

 そんな事をボンヤリと考えていると、そのティクムを紹介してくれたリオが、突然檀上の王子に向かって手を振り始めた。

「兄さーん、ミナス兄さーん! なあ、オレ、本物の……」

 早速メリアの事を紹介しようとしたのだろう。しかしそんなリオの言葉は、突然大声を上げられて驚いたメリアでも、呼び掛けられた王子でもなくて、その付き人であるティクムに鼻で笑われる事によって遮られてしまった。

「そこのバイトの少年、お静かに。ミナス王子と、その恩人候補のお嬢様方の御前ですよ。バイト如きが自由に口を利いて良い場ではありません。まったく、誰ですか、あんな常識もへったくれもない小僧を採用したのは。もう少しマシな人間、五万といたでしょうに」

「ぐ……っ!」

 その厭味ったらしい言い方にリオが押し黙れば、会場中からクスクスとバカにするような笑い声が聞こえて来た。

「ねぇ、あの人、あなたが王子だって分かっていないんじゃないの?」

「いや、逆だよ。オレがオレだって分かっているから、敢えて言っているんだ」

「え、そうなの?」

 王子に向かってあの物言い、物凄い度胸の持ち主だな。小僧とか言っていたよ。

「オレがいつも勉強をサボって部屋を抜け出してばかりいるから、目の敵にしているんだよ。だからオレがウェイターに変装しているのを良い事に、ああやっていつもの仕返しをしているんだ」

(ああ、その気持ち、分かる気がする)

 勉強が嫌いで部屋を抜け出す。で、結局捕まって教育係にめっちゃ怒られる。

 同じ事をしょっちゅうやらかしているメリアは、「分かる、分かる」と心の中で何度も頷いた。

「お兄さん……あ、いえ、ミナス様はサボらないの?」

「兄さんは勉強はちゃんとするけど……。でも今日みたいに騒動を起こしてばかりいるから、目の敵にされているんだ」

「へぇ……」

 そうか、どちらにしろ目の敵にされるのか。

「メリアに助けてもらった夜だって、危険から外には出るなって言われていたのに、こんな嵐の夜に船に乗るのは希少な体験だとか言って、勝手に出て勝手に落ちたんだぜ」

「……」

 この国、そんな王子が後継者で大丈夫なんだろうか。

 自分の事も暗殺の事も棚に上げて、メリアはヘームルフト国に同情した。

「皆さま、本日は私のために足を運んで下さり、誠にありがとうございます」

 と、その時、マイクを通して柔らかな声が聞こえて来た。

 その声に視線と意識を壇上へと戻せば、これまた柔らかな笑みを携えた王子、ミナスによるスピーチが始まっていた。

「遠くからわざわざお越し下さった方もいるでしょうし、私のために無理矢理時間を作って来て下さった方もいるでしょう。ですからしばらくは、本物偽物関係なくパーティーを楽しみましょう……と、考えていたのですが、既に数名の負傷者が出てしまいました。これは、ゆっくりとパーティーを楽しんでいる場合ではないようですね」

 会場のあちこちで発生していたバトルを、ミナスがのんびりと観戦していたのかどうかは知らないが。とにかく始まったばかりだと言うのに、さっさと本題に入ってしまうらしい。それにより、参加者である女性陣の瞳がギラリと鈍く光った。

「これ以上の負傷者を出さないためにも、まずはあの嵐の夜、私を助けてくれた命の恩人、その人物の特定から行いたいと思います」

「ミナス様! それは私です!」

「いいえ、私です!」

「違います! 私こそが本物です!」

 ハイ、ハイと手を上げ、自分こそが本物の命の恩人であると、思い思いにアピールする。

 物凄く積極的な女性達に一瞬怯んだメリアであったが、先程のように出遅れるわけにはいかない。

 メリアもまた高く手を上げて、自分こそが本物であると主張した。

「私が……」

「まあ、待てって、メリア」

 しかしその手を掴む事によって、リオがメリアの主張を遮る。

 そして無理矢理手を下ろさせると、リオはニッと不敵な笑みを浮かべた。

「みんなと同じ事していても意味ないだろ? ここで叫んだって兄さんには届かないんだしさ」

「でも、何もしないで突っ立っているよりはマシだわ」

「いや、そうとは限らねぇぜ。今は時を待つべきだ」

「時を待つ?」

「ああ。兄さんさ、本物の恩人を特定出来る切り札を持っているって言っていたんだ。だからそれが出て来るまで、ちょっと待っていようぜ」

「切り札?」

 何だそれはと、メリアは首を傾げる。まさかあの時、どこかに防犯カメラが設置されていたとでも言うのだろうか。それは困る。それだと非常に困る。

「それにさ」

 と、リオは更に話を続ける。そして任せろと言わんばかりに、自身の胸をドンと叩いた。

「メリアにはオレが付いているだろ? 最強の味方であるこのオレがさ。だからそう心配すんなって。絶対にオレが何とかしてやるよ!」

「!」

 ニカッと強気に笑うリオに、メリアの心がキュンと締め付けられる。

 じんわりと胸の奥が熱くなるのは、彼の頼もしい言葉のせいだろう。彼が付いていてくれれば大丈夫だと、そう思ったのも、自信に満ち溢れたその態度のせいだ。

 力強いその笑顔に、メリアもまた笑顔で頷き返した。

「そ、そうだったわね。うん、ありがとう、リオ。私、その切り札が出て来るのをもう少し待ってみるわ」

「おう!」

 明るい笑みを返して来たメリアに、リオもまた満足そうに笑う。

 すると、「落ち着いて下さい」と会場を静めたミナスが、改めて話を始めた。

「どなたが命の恩人なのか、それともここにはいないのか。私にはそれを知る術があります」

 その宣言に、シンと辺りが静まり返る。

 ミナスが握るその術。それが一体何なのか。頼むから人魚である自分が映っているビデオだけではありませんようにと祈るメリアの前で、ミナスは何故か上着を脱ぎ始めた。

「本物の命の恩人を見付ける術、それは……」

 ビデオの公開ではないらしい事に、ホッと安堵の息を吐くものの、だからと言って何故上着を脱ぐ必要があるのかと、メリアは訝しげに眉を顰める。

 その疑問は他の女性達も同じだったらしく、ザワザワと困惑の声が上がるが、そんな事はお構いなしに上着を脱ぎ捨てると、ミナスは肌に直接着ていたワイシャツの前を大きく広げ、その逞しい腹筋を全員の前に曝け出した。

「私の腹部に残された、この恩人の拳の跡です!」

「!!!?」

 シンと、先程以上に辺りが静まり返る。細身の外見には似合わず、その鍛え上げられた腹部にあったのは、痛々しく変色した赤黒い痣。この会場に集まった理由はそれぞれにあるだろうが、とにかくミナス王子が大好きな乙女達の目に映ってはならないモノが映る。誰だ、私のミナス王子をぶん殴った不届き者は!

「これは、私を救ってくれた恩人が付けたモノです。私を海岸に運んでくれた恩人は、私が飲み込んでしまった水を吐かせようと、私の腹を思いっきり殴り付けました。そのせいで私は、朦朧とした意識が完全に途切れてしまったのです。しかしそれでもはっきりと覚えています、この痣は命の恩人が付けたモノだと。それは間違いありません!」

「……」

「私を助けてくれた人物……それは、この痣にピッタリと合う拳の持ち主です!」

 ハッキリとそう断言したミナスに、メリアは口角を引き攣らせる。

 確かに殴った覚えはある。飲み込んだ水を吐かせようとして、思いっ切りぶん殴った。あれは私の拳の跡だ。間違いない。

(何でそこだけ覚えているのよ!)

 そんな事よりも顔を覚えてくれていれば、こんな面倒なパーティーに参加せずとも済んだのに!

 と、心の中でそう叫び、メリアは頭を抱える。

 しかしその時だった。シンと静まり返っていた会場から、沸々と怒りの声が上がって来たのは。

「じょ、冗談じゃないわよ! 誰よ! ミナス王子を傷物にした女は!」

「よくもミナス様に乱暴を働いてくれたわね!」

「さっさと面出せや、クソアマがぁあッ!」

 誰が最初に声を上げたのかは分からない。分からないが、その怒りは一気に広がって行き、あっという間に会場全体を飲み込んでしまった。

「ギルティ! ギルティ! ギルティ! ギルティ!」

 今までその瞳をギラつかせ、王子の隣を狙っていた女性達ばかりではない。争いに無関係ではあるが、王子が大好きなメイドやウェイター、兵士達までもが拳を突き上げ、その怒りを露わにしている。

 そう、ここにいるのはミナス王子が大好きな人達ばかりなのだ。そんな彼らからしてみれば、王子の腹に痣を付ける行為など死罪に等しい。とにかく犯人を捕まえて、ボッコボコにしてやらなければ気が済まないのだ。

 そのせいで今や会場は、『ミナス王子の花嫁選出パーティー』から、『命の恩人血祭パーティー』へと姿を変えてしまった。

「この痣に、ピッタリと合う拳をお持ちの方はいらっしゃいませんか?」

(いや、無理無理無理無理無理無理ッ!)

 まるで、ガラスの靴にピッタリ合う娘を捜している王子が口にするような台詞を叫ぶミナスから、メリアはあからさまに視線を逸らす。

 ここで今がチャンスだと「はーい、私でーす」なんて白状しようものなら、この場で八つ裂きにされて終わりだ。王子の暗殺どころの話ではない。逆に自分が人間達に殺されてしまう。それは困る。ここは黙ってやり過ごそう。

「はーい、兄さん、はーい!」

「ッ!」

 しかしその時であった。リオが大きく手を上げ、場違いな程の明るい声を上げたのは。

「ここにいるメリアが、本物の命の恩人だぜ!」

「!」

 その瞬間、殺気に満ち溢れた全員の視線が一気にメリアへと注がれる。それにサアッと血の気が引くのを感じながら、メリアは今更ながらにもとりあえず制止の声を掛けてみた。

「あ、あの、リオ? それを今言っちゃうのは、さすがにマズイんじゃあ……」

「何言ってんだよ、メリア。兄さんが切り札を出し、他のみんなが怯んだ今がチャンスじゃないか!」

「いや、チャンスじゃない! チャンスじゃないわ、絶対にッ!」

 それともあれか? チャンスって、ミナスの命を狙って来たメリアの命を奪うチャンスの事か?

「リオ、その子が本物と言うのは本当か?」

 と、その時、檀上のミナスがリオの声に反応する。

 そんな兄の問いに、弟は大きく頷いた。

「ああ、本当だ。オレが見付けたんだ、間違いない。メリアの拳は兄さんのその痣にピッタリと合うハズだぜ!」

「そうか。ならば今ここで、あなたの拳を私の痣に合わせてみてくれませんか?」

 その逞しい腹筋を見せつけながら、ミナスがズカズカと歩み寄って来る。

 人の波を掻き分け、腹丸出しで迫り来る男……。怖い。ある意味ホラーだ。

「遠慮する事はありません。この私の腹の痣に、あなたの力強い拳をピタリと合わせてみせて下さい」

「え? いや、それはちょっと……」

「さあ、どうぞ! さあ、さあ、さあ、さあッ!」

「あわわわわわわわ……っ!」

 ニコニコと微笑みながら見守る弟に、腹を出しながら迫って来る兄。そしてそれを殺気の込められた目で見守っているその他大勢の人間。

「いっ、いやああああああッ!」

 その混沌とした威圧感に耐えられなくなったのだろう。メリアは悲鳴を上げると、人の波を掻き分けながら、一目散にパーティー会場から飛び出して行った。

「あ、メリア、どうしたんだよ!」

「ああ、待って下さい! 皆さん、彼女を捕まえて下さい!」

「御意!」

「みんな、アイツを捕まえろ!」

「追え! 逃がすな!」

 王子の命なのか個人的な殺意によってなのかは知らないが。

 とにかくパーティー会場にいた全員が、勢いよくその場から飛び出して行った。

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