第2話 王位継承暗殺試験
あれから一週間。特にこれと言って良い事が起こらないまま、時が流れたある日の事。メリアは人魚の住む海の底よりも、更に深い底にいた。
あの嵐の夜よりも真っ暗で、人魚でさえも滅多に寄り付かない、海の底の底に建つ一軒の家。
薄気味悪いその家に辿り着いたメリアは、その扉を無遠慮に押し開けた。
「アルフー、いるー?」
「あのねぇ、メリアちゃん。他人様のお宅にお邪魔する時は、呼び鈴を鳴らして、入室の許可が出るまで待っていなさいっていつも言っているだろ。いくら親しい間柄のお家でも、勝手に入ったら不法侵入になるんだからね」
「ご心配なく。それ、他のお家ではちゃんとやってるから」
「僕のお家でもやってくれるかな」
勝手知ったる他人の家。挨拶もそこそこにして上がり込んだ瞬間、中から呆れた溜め息が聞こえて来る。
しかしそんな事は気にしない。もとはと言えば、こんな所に呼び出した幼なじみが悪いのだから。
ズカズカと勝手にリビングに上がり込むと、メリアはその大きな貝殻で出来たソファに、ドカリと腰を下ろした。
「『お邪魔します、アルフさん。早速ですがご用件をお聞かせ願えますか?』これが模範解答だよ」
「自ら出向かず、こんな不気味な家に一国の姫君を呼び出す男に取る態度なんて、これで十分よ」
「キミの教育係は一体何をやっているんだ。年上に対する態度がなってないよ」
「アルフこそ、お姫様に対する態度がなってないんじゃないの?」
「ああもう! ああ言えばこう言う! そんな事で国のトップに立てるとでも思ってんの? キミがそんなんだから、例え王位継承順位は低くとも、妹君の方に王位を引き継がせるべきだって声が多いんだよ! 確かにこんなのが、我が『マーメイド王国』の女王になんてなられたらおしまいだ。この国に明るい未来は望めない、滅亡だ」
「こんなんって言うな」
頭を抱え、絶望に打ちひしがれている青年に、メリアはムッと眉を顰める。
クセのある長い漆黒の髪に、これまた全身を覆うフード付きの黒いローブ。その下から僅かに見えるのは、彼の紫紺の瞳と同じ色の魚の下半身。そう、彼もまた、メリアと同じく海の底の底に住む人魚である。
メリアより少し年上であるその人魚、アルフは、メリアの向かい側にあるソファに腰を下ろすと、気を取り直してからその紫紺の瞳をメリアへと向けた。
「そんなキミにこの話をするのは非常に不安だ。でも例え中身は空っぽでも、年齢だけを見ればキミも適齢期。王族の仕来りに則って、キミにも試験を受けてもらうよ」
「試験?」
とても失礼な言動が含まれていた気がするが、この際そんな事は気にしない。それよりも試験って何の試験だと首を傾げれば、アルフは一つ頷いてから話を続けた。
「王位継承の試験だよ。キミをここに呼び出したのは他でもない、この話をするためなんだ」
「王位継承の試験? それって私が受けて良いヤツ?」
「一応、継承の順列はキミの方が先だからね。妹君よりも先に、キミが受ける権利がある。だからこの試験をパスすれば、国民の文句なんてお構いなしに、キミが次期女王様だ」
「そうなんだ。でも、そんな試験があるなんて話、お父様からも聞いた事はないわ」
「そりゃあね、これは代々秘密裏に行われている試験なんだから。国民に知られる事はないし、当事者にだって時期が来るまでは話すらしないよ」
「ふうん。でも、それを何でアルフがするの?」
「それは、キミのお父様に僕が直々に頼まれたからさ。それに試験の内容も内容なんだ。だからこの人気のない僕の家に呼び出して、こっそり伝えてくれとの命を受けたんだよ」
「そっか。王位継承って、もうそんな時期なんだ……」
まだまだ遊びたい盛りだし、即位するにはまだちょっとだけ早い気もするけれど。
でもそういうモノなのかもしれないと思い直すと、メリアはその内容を問うべく、改めてアルフへと向き直った。
「それで、アルフ。その試験って何をするの?」
「そうだね。でもその内容を説明する前に……」
そこで一度言葉を切ってから。アルフはニッコリと、怒気を含んだ笑みをメリアへと向けた。
「キミ、一週間前に人間の男の子を助けたね?」
「えっ、誉めてくれるの!」
「違うわ! ポジティブか!」
期待に瞳を輝かせるメリアに向かって、アルフは手元にあった本を投げ付ける。
その本が顔面に命中したメリアは、痛いと鼻を押さえながら目に涙を浮かべた。
「なっ、何で怒るのよ?」
「怒るよ! 人魚が海上に出る事は禁止されているハズだろ。それをキミは何度破れば気が済むんだ! 一国の姫君ともあろうキミがそれでは国民に示しが付かないよ!」
「良いじゃない、人間に見付からなきゃ!」
「そういう問題じゃないよ! つーか、人間なんか助けてどうするんだよ、このおバカ!」
開き直るメリアに、再び本が飛んで来る。
しかしさすがに同じ手を食らうわけがなく、飛んで来たその本をキャッチすると、メリアはムスッと不貞腐れたように眉を寄せた。
「何よ、人助けして怒られるなんて心外だわ」
「確かに助けたのが人魚だったら表彰モノだよ。だけどキミが助けたのは人間だ。人間がどういう生き物なのかくらい、キミにだって分かっているだろう?」
どうやらアルフは、メリアが海上へ行った事よりも、人間を助けた事に怒っているらしい。咎めるような視線を向けられれば、メリアはムスッとしたまま面倒臭そうに頷いた。
「それくらい知っているわよ。とても残酷な生き物なんでしょ?」
「そうだよ。人魚にとって、人間は存在しない方が良いとさえされている、悪魔のような生き物だ。人魚の肉は不老不死の効果があると信じ込んでいるし、僕ら人魚の涙は、人間にとっては価値の高い真珠の涙なんだ。だから人間は人魚を捕まえる。捕まえて食べれば不老不死になれるし、飼育すれば大量の真珠が手に入る。不老不死や真珠に興味がなくとも、それらに興味がある人間は五万といるから、人魚を売るだけでもかなりの金額を入手する事が出来るしね。今じゃ少しは落ち着いたけれど、そのせいで昔は大規模な人魚狩りがあったくらいなんだ。そしてそれによって、沢山の人魚達が殺された」
「……」
人魚が海上に出るととんでもなく大変な事になる。その大変な事の主な内容がそれだった。
人間にとって、人魚は利用価値の高い生き物だ。捕まれば間違いなく無事では済まない。しかも危険に曝されるのは、捕まった人魚だけではないのだ。
人魚を一匹捕まえれば、その周辺にまだいるんじゃないかと、強欲な人間達は海底をくまなく探すだろう。魔法学の発達している人魚の世界とは違い、人間の世界は科学が発達している。その科学の力で人魚の国の結界を破り、人間がこの国を見付けてしまえば、国民全員が危険に曝されてしまうのだ。
だからこそ、人魚は海上に出る事を禁止されている。国に住む人魚、その全てを人間の脅威から守るために。
「かと思えば、その歌声で人を惑わして海に引きずり込むだの、男を食らうだの、嵐を呼び寄せて船を沈めるだのと、信憑性のない噂で化け物扱いだ。僕達から見れば、己の欲望のために人魚を害する人間こそが化け物だってのに! それなのにそんな人間を助けるなんて、バカじゃないのかキミは!」
「ご、ごめんなさい……」
ピシャーンと、アルフの背後に雷が見える。自分では良い事をしたと満足していたが……やっぱり人間を助けたのはマズかったのだろうか。
「いいかい? 人間による人魚の捕獲やその売買は昔の話じゃない、今だって裏社会で行われているんだ。この前だって、他のマーメイド王国の人魚が行方不明になったってニュースがあっただろ? あれは人間の仕業だよ。どこかで油断して休んでいたところを人間に捕まってしまったんだ。何も悪い事なんかしちゃいないのに、捕まって売り飛ばされたんだよ! 人魚にとって人間は天敵なのに! それなのにキミは……」
「ああもう、悪かった! 私が悪かったわよ、はいはい、ごめんなさいね!」
「何だい、その謝り方は! 全然反省してないだろ!」
「いいじゃない、形はどうあれ謝ってんだから! だいたい何でアルフが、私が人間を助けた事を知っているのよ?」
一方的に責められて、半ば苛立ったようにしてアルフを睨み付ける。
まさか私のストーカー行為でもしていたんじゃないでしょうね、と付け加えれば、アルフは怒りの表情から一変、フンと得意気に鼻を鳴らした。
「そんな事しなくたって、知っているに決まっているだろ。何故ならこの僕こそが、この若さにして、我が国一の超天才大魔導士様だからだよ!」
「……」
それは知っている。このマーメイド王国において、アルフ程魔術に秀でている者はいないと言う事は。どんな長老だろうが偉人だろうが、アルフに魔術で敵う者は、現時点では存在しない。それはもちろん知っているし、父親である国王だって認めている。
だけど……、
(でも、自分で言っちゃうか、普通……?)
少なくとも自分で自分に『様』は付けないだろう。しかしそう思ったメリアであったが、口に出せばまた本が飛んで来るので、ここは敢えて黙っている事にした。
「まあいいよ、本題に入ろう」
コホンと咳払いを一つして、アルフは本題に入る。
メリアを呼び出した本来の用件、王位継承の試験の話だ。
「キミが助けてしまった青年の名は、ミナス・ヘームルフト。人間の世界にある小さな島国、『ヘームルフト国』の王子であり、次期国王様でもある」
「次期国王様……。立場上は、私と同じなのね」
「そうだね。そこで、だ」
そこで一度言葉を切ると、アルフは真剣に表情を固め直す。
そしてメリアの瞳を真っ直ぐに見つめながら、彼は重々しく口を開いた。
「いいかい、キミが助けてしまった王子様は人間だ。今話した通り、人魚にとって人間とは悪しき者。存在しない方が良いとさえされる生き物だ。それは王子だろうが一般人だろうが変わらない。それなのに放っておけば勝手に死んでいたその人間を、キミは助けてしまった。だからキミは、自分がしてしまった事の責任を取らなくちゃいけない」
「責任……」
「そう、責任だ。そしてその人間の後始末こそが、キミに与えられる王位継承の試験になる」
「なるほど。つまり責任を取って結婚して来いって事ね」
「そう、助けてしまった人間を野放しには出来ない。だからキミは王子を惚れさせて結婚……って、違う!」
思わず頷いてしまったものの、アルフはテーブルを叩いて慌てて否定する。キミ、ちゃんと僕の話聞いてた?
「何でそうなるんだよ! 今の話の流れから、色恋沙汰のハッピー試験なんて与えられるわけがないだろ! 暗殺だよ、暗殺! キミの試験内容は王子の暗殺! 間違って助けちゃった相手を責任を持って殺して来る事! 以上!」
「ええっ?」
予想外のその試験内容に、メリアの表情が固まる。
人魚と言えば、可憐とか、悲恋とか、美人とか、儚いと言ったイメージが強い(但し、メリアの独断と偏見による)。それなのに何故、人魚の国のお姫様……つまり人魚姫が受ける王位継承の試験が、そんなグロテスクな内容なのだろうか。意味が分からない。
「何でよ! 人魚姫に与えられる試験って言ったら、普通、その美貌で人間の男を誘惑して恋仲になって来いとか、そう言うのでしょ!」
「そう言うの? はっ、その年にもなって彼氏も作れないようなキミに、そんな受けても無駄な試験なんて与えられるわけがないだろう!」
「喧しいわ!」
先程投げられた本を、今度は逆に投げ返してやる。
しかしそれを片手でキャッチすると、アルフは咎めるようにしてメリアを睨み付けた。
「本を粗末にしない!」
「アルフには言われたくないわ!」
先に投げて来たのはそっちじゃないかと言い返してから。メリアはその試験内容に対する抗議(文句)を続けた。
「人魚姫って、暗殺とかそういう血塗れた話じゃないじゃない! 王子様に恋した人魚姫が、人となって王子様に近付くんだけど、結局その恋は叶わなくって、王子様を殺せば自分は死なずに済むと言うのに、その選択肢すら取らず、最後は泡となって消えちゃう感動のお話でしょ? それなのに何で最初から暗殺目的で王子様に近付かなくっちゃいけないのよ!」
「余所は余所、家は家なの」
「何よそれ! そんなの屁理屈だ!」
「何が屁理屈だよ。それにそれを言うならキミだって、王子様に恋なんかしていないじゃないか。その辺からもう辻褄が合わないんだけど、その辺はどうするつもりなんだよ?」
「う、そ、それは……っ!」
「『ああ、王子様素敵、この人と良い関係になれたら良いのに』とかだったらまだ分かるよ。でもキミの場合、『人間助けちゃうなんて超良い事したー、これからメッチャ良い事ありそう、うふふー』じゃないか。何の得にもならない人間なんか助けて満足しているようなキミが、お伽噺のお姫様と重ね合わせるなんて、烏滸がましいにも程があるよ」
「そ、そんな気持ちの悪い言い方なんかしてないわ!」
「要点が合っていれば正解だね」
「ぐ……っ!」
確かに『人間を助けたから何か良い事があるかも』とは考えた。それについては言い訳が出来ないので、メリアは大人しく引き下がる事にした。
「でも、まさか人間の暗殺が王位継承の試験だなんて。そんな話、聞いた事もないわ」
「そりゃそうさ。内容どころか試験の存在自体、一般市民には出回らないんだから。王位を継ぐ者だけが知り、そして内密に決行する。代々そうやって継がれて来たんだよ」
「ふうん。でも、それを何でアルフが知っているのよ? 王家とは関係ないじゃない」
「だから、それは僕が超天才大魔導士様だからなんだって。超天才大魔導士様であり、且つキミの幼なじみだからこそ、国王様はこの僕に話をするようにと、直々に命じられたんだ」
「そんなの、自分で伝えれば良いのに」
「キミ達娘を溺愛している国王様が、こんな惨い試験、自ら伝えられるわけないだろ」
「あら、惨いかしら?」
「感じ方は人それぞれだからね。人間とは言え、命を粗末にしてはいけないと考える人魚も中にはいるんだ。だからこそ、試験は一般人には極秘なんだよ。そう言った考えの人魚を刺激しないためにもね」
「ふうん。それじゃあその試験内容って、代々が人間の暗殺なの?」
「そうだね、ほとんどが暗殺だよ。受験者によって、暗殺対象者も難易度も違うけどね。キミのお父様だって、似たような試験を受けたハズだ」
「何で王位継承の試験が代々暗殺なのよ。もっとこう、人魚らしい内容にすれば良いのに」
「しつこいね、キミは。いいかい? この試験を受ける者は、この国の頂点に立つ者なんだ。国の頂点に立つ者は、その下の者、つまり国民を守らなければならない。そのためには、時にして汚い事にも手を染めなければならないんだよ。ただ優しいだけの者には、国の頂点は務められないんだ。だからこれは、それを見るための試験なんだよ」
「ふうん、分かった。じゃあ、チャッチャと行って、パッパと殺して来るね」
人間の暗殺。それに躊躇いを見せる人魚も勿論いるだろう。しかし残念な事に、メリアはそれには該当しない。どちらかと言えば、彼女は人間の命など何とも思っていない派の人魚だ。それ故、自分が王位を継ぐために人間を殺す事には、何の躊躇いもない。人間だって人魚に酷い事をしているのだ。だったら人魚が人間に酷い事をしたって別に良いじゃないか。
しかし早速出掛けようとするメリアを、アルフは溜め息とともに呼び止めた。
「ちょっと、ちょっと。言っておくけど、油断は大敵だよ。これは王位を継ぐための試験なんだ。最難関級国家試験だよ。そう簡単な内容じゃない。例え相手が人間だろうが舐めて掛からない方が良い」
「え? でも相手は人間でしょ? そんな大した相手じゃないと思うけど」
「キミは人間と言うモノを分かってないね。確かに人間は存在価値のない悪人だ。だけど彼らはバカじゃない、逆に頭が良いんだ、少なくともキミよりかは遥かに良い」
「……」
言い方に悪意を感じるが。でもここは黙って聞いておこうと思う。
「人間は嘘や騙しが得意だからね。表ではニコニコと笑っていても、裏じゃ何を企んでいるか分からない。キミも逆に騙されて利用されないように気を付けるんだよ」
「うーん、そう言われても所詮は人間だし……。そりゃ、海上じゃなくって陸上で暗殺しなくちゃいけないってのは、少しだけ不安だけど……あ」
と、そこで気が付いたメリアは、ふと自分の下半身に目を落とす。
当然だが、そこに付いているのは魚の下半身だ。人間の足ではない。それなのにこれから行われる試験会場は陸上にあり、そこにはこの魚の足では行く事すら出来ない。と言う事は、どうにかしてこの下半身を人間の足にする必要があるのだが、一体どうすれば良いのだろうか。
(まさか!)
そしてその話を思い出したメリアの顔色が、みるみる内に真っ青に染まった。
「待ってよ、アルフ! それなら陸上に行くための足はどうするの? まさか怪しい魔法で付けてくれるとか、そう言うんじゃないでしょうね?」
「は? それくらい、僕の怪しくない魔法でちょちょいのちょいだよ」
「そんな! それじゃあ、やっぱり私の声と引き換えにしなくちゃいけないのね!」
「……。そんなつもりは一切ないよ。キミ、お伽噺の読み過ぎじゃない?」
そのお伽噺の影響だろう。本の中のお姫様と自分を重ね合わせると言う、何とも烏滸がましいメリアを白い目で眺めるアルフであったが、そんなアルフには構わずに、メリアはブルブルと震えながら話を続けた。
「だって、魚と人間の足を入れ替えるのよ? その魔法を使うにはそれなりの対価が必要なハズ。お話のお姫様だって、声と引き換えにして人間の足を手に入れていたもの。そして王子様と結ばれると言うその目的が達成出来なければ、泡になって死んでしまうって! ねえ、アルフ、そうなんでしょう? 私も暗殺に失敗すれば、泡となって消えてしまうんでしょう?」
「あのさあ、メリアちゃん……」
だってそれがセオリーだもの! とか何とか訳の分からないセオリーに怯えるメリアを冷たく眺めながら。アルフは嘲るようにして、フンと軽く鼻を鳴らした。
「じゃあ逆に聞くけどさ。キミ、自分の声にそれ程の価値があるとでも思ってんの?」
「……」
その見下すような視線に、メリアは思わず押し黙った。
「美声でも何でもないごく普通であるキミの声が、便利な人間の足になれると、そう思い上がってんの?」
「……いいえ。ないです」
「うん、そうだよね。キミの声を貰うくらいなら、キミの一か月分のおこずかいの三分の一でも貰った方が、よっぽどありがたいね」
「……」
こう見えても、自分は一国の王女様だ。その王女様に対して何て言い草だろうか。
確かに自分の声にそれ程の価値があるとは思わないが……それでも一か月分のおこずかい丸々分くらいの価値はあると思う。……面倒臭いから言わないけど。
「あ、あの、でも、人魚姫の物語では、自分の声と引き換えにして魔女に……」
「さっきから人魚姫、人魚姫煩いな。だいたいキミ、この僕を誰だと思っているの? マーメイド王国始まって以来の超天才大魔導士様だよ。何かと引き換えにしなくちゃ人間の足も作れないような、一般魔女と一緒にしないでくれる?」
「ご、ごめん……」
何で自分が謝らなければならないのか。謝っといて何だが意味が分からない。
「あ、でもそれだったら、失敗しても泡になって消えたりはしないの?」
「当然しないよ。暗殺に失敗したから命を奪いますなんて、そんな不完全な魔法じゃないよ」
「本当? さっすが超天才大魔導士様! あー、良か……」
「でも失敗したらペナルティはあるよ」
「え?」
ホッとしたのも束の間。付け加えられたその忠告に、メリアの表情が引き攣る。
泡にはならないものの、それでも失敗すれば科せられてしまうペナルティ。それは一体何なのか。
ゴクリと息を飲み込みながらその続きを促せば、アルフはメリアの瞳を真っ直ぐに見つめながら、そのペナルティをはっきりと口にした。
「王位継承権が妹に移ります」
「……っ!」
その驚愕のペナルティに、メリアは声にならない悲鳴を上げる。
妹……それはメリアの一つ年下の弟二王女。つまりメリアの次に女王候補となる第二王位継承者だ。そんな妹の何に怯えているのかと言えば、その全てのステータスが、メリアよりも遥かに秀でている事である。
頭や容姿が良いのは勿論の事、運動能力も高く、スタイルも抜群。音楽や美術と言った芸術関係にも長けており、更には料理や裁縫と言った女子力もかなり高い。アルフ程ではないにしても、人魚が身に付ける魔法能力だってかなり上だ。
つまりメリアの妹は、それこそ物語の人魚姫と比較しても失礼には当たらない程の、完璧な人魚姫なのである。
「そんな、私が妹よりも勝るモノと言えば、妹よりも早く生まれる事の出来たこの『幸運』と、国民から寄せられる『信頼』だけなのに……」
「国民の信頼は自称だろ」
愕然とするメリアに、アルフは白い目を向ける。
確かに王位継承の順列はメリアの方が上だ。だから本来であれば、メリアの方に王位を継ぐ権利がある。
しかし前記の通り、メリアの妹はかなり優秀だ。女王の座に就けば、メリアより遥かに良い政治を行い、マーメイド王国をより良い国へと導いてくれるだろう。
だから現在マーメイド王国では、「順列通りメリア様が王位を継ぐべきだ」と主張する者と、「年功序列なんてもう古い。国のために、より優秀な妹姫様が継ぐべきだ」と主張する者との二つに意見が分かれている。
王位継承について、国民の意見が真っ二つに分かれてしまったのは王国始まって以来の事らしく、幼心ながらに傷付いたのをメリアは今でもハッキリと覚えていた。
「妹になくて私にあるモノと言ったら、この幸運で得た王位継承の順列が高い事だけだったのに! そりゃ、国の事を考えたら、私が辞退するのが一番なんだろうけど……。でもやっぱり嫌だ、私に唯一与えられた権利まで妹に奪われるのは絶対に嫌だ!」
「なら、試験に合格するしかないね。せっかく国民の半分の反対を押し切って、習わし通りキミが先に試験を受ける権利を与えられたんだ。そしてこの試験に合格すれば、キミは文句なしに次期女王だ。キミを支持してくれている半分の国民に応えるためにも頑張るんだね」
「そ、そうだけど……」
「いいかい、先に言っておくよ。キミの妹はかなり優秀だ。だからキミが試験に失敗し、その権利が妹君に移ろうモノなら、彼女は簡単にこの試験に合格し、次期女王の座に就く事が正式に決定する。そうなったら、キミはキミ派の国民達にこう言われるんだ、「ああ、やっぱりダメだったか」ってね」
「……。」
「勿論、妹派の国民にも、「やっぱり国王様も、妹姫様を認めなさったか」って鼻で笑われるよ」
「……妹が正式に王座に就き、国民に後ろ指を差されなければならなくなった場合、姉である私はどうやって生きて行ったら良いんだろう?」
「そんな事よりも、今はどうやったら試験に合格出来るのかを考えなよ」
せめて姉としてのプライドくらいは守りなよと付け加えながら、アルフは一本の短剣をそっとテーブルの上に置いた。
「暗殺方法は一つ。この短剣で王子の胸を一突きにする事。それ以外の方法は認めない。それからいくら僕の魔法とは言え、それは万能じゃない。海水に浸かればその魔法は解け、キミに与えた人間の足はもとの魚の足に戻ってしまう。だから間違っても海の水を浴びたりはしないように。いいね?」
「分かった」
ただ相手より早く生まれただけ。その幸運により得られたチャンスを生かすため、メリアは魔法解除の注意事項とともにその短剣を受け取る。
そうしてから、アルフは更に言葉を続けた。
「王子は今、自分を嵐の夜に助けてくれた子を捜している。キミは自分がそうだと名乗り出て、彼に近付くんだ。そしてキミに心を許し、油断したところで一気に仕留めなさい」
「え、王子様、私を捜しているの? 何で?」
アルフから聞かされるその暗殺方法の途中で、メリアはふと首を傾げる。
メリアがそう不思議に思うのも無理はない。何故なら彼が意識を取り戻しただろうその時、メリアは既にあの場所にはいなかったからだ。だから彼は誰かに助けられたのではなく、運良く岸に打ち上げられて助かったのだろうと、そう思い込むと思っていたのだ。
それなのに彼は運が良かったからではなく、誰かが助けてくれたから自分は今生きているのだと、そう思っているらしい。
しかしその理由についてはアルフもよく分かっていないらしく、彼もまた「さあ」と首を傾げた。
「その理由は知らないよ。でもその可能性を上げるとしたら、もしかしたら彼は海の中でも薄らと意識があって、誰かが自分を抱えて泳いでいた事を覚えていたのかもしれないね」
「え……」
海の中でも意識があった。それが何を意味するのか。
それに嫌な予感を覚えたメリアが口角を引き攣らせれば、アルフは一度頷いてから真剣に表情を固め直した。
「キミの姿を見た。もしくは荒れ狂う海の中、男一人抱えて海岸まで泳ぐなんて人間にはほぼ不可能。だからそれが出来るのは人成らざる何かだと、彼は考えたのかもしれない」
そこで一度言葉を切ってから。アルフははっきりと、その可能性を口にした。
「どちらにしろ、彼は気付いている可能性がある。自分を助けてくれたのは、人魚なんじゃないかってね」
「ええっ?」
その可能性に、メリアの顔色が一気に青ざめる。恩人が人魚だと気が付いているなんて。それじゃあ王子の前にのこのこ出て行くのは、ただの自殺行為じゃないか。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、これは罠かもしれないじゃない。自分が王子様を助けましたなんて言って出て行ったら、突然捕えられて、王子様の不老不死のために食べられちゃうかもしれないって事でしょ? そうなったら試験どころじゃないわ!」
「やだなあ、メリアちゃん」
その可能性を危惧し、必死に訴えるメリアとは対称的に、アルフは「あはははは」と笑う。
そしてこれまでの真剣な表情から一変、彼はニッコリと素敵な笑顔を浮かべた。
「僕さっき言ったよね? これは最難関級国家試験だって。それが、そんな目を瞑ってちょちょいのちょいっと出来る内容なわけないじゃないか」
「……」
「大丈夫だよ。人魚だってバレてるってのは、可能性の一つに過ぎないから。でも万が一バレていた場合、殺されるのは王子じゃなくってキミの方だ。分かっちゃいるだろうけど、陸上じゃあ人魚は人間には敵わない。だからくれぐれも油断だけはしないようにね」
「……」
何て事だ。失敗すれば妹の即位か、王子の腹の中かなんて。失敗した時のペナルティが超高過ぎるだろ。
実は難題だったその試験内容に、メリアはゴクリと息を飲み込んだ。
「もう、良い事するのは止めようかしら」
一日一善。良い行いをすれば、それはきっと良い事として自分に返って来る。
それをモットーにし、実行した結果がこれだなんて。良い事どころか、こんな難題試験が返って来る事になるんなら、人間なんて助けなければ良かった。
「そうだねぇ。良い事をする行いが、自分にとって良い事になるのかそうじゃないのかは分からない。でも……」
そこで一度言葉を切ってから。アルフはもう一度、ニッコリと素敵な笑顔を作った。
「私利私欲のためとは言え、日頃から良い行いを心掛け、そして実行して来たからこそ、国民からの信頼は厚いんじゃないの? だからキミの場合、日頃からの良い行いは続けるべきだと思うよ。じゃないと国民からの信頼さえも、完全に妹君に負けちゃうからね」
「……」
試験に失敗し、不貞腐れて日々の良い行いをも止めてしまった場合。それで自分に残るモノは、果たしてあるのかどうなのか。
考えずとも出て来たその答えに、メリアは一日一善の重要性を改めて認識した。
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