暗殺人魚姫
かなっぺ
第1話 一日一善
一日一善。
何故、彼女がそれをモットーにし、日々を生きているのか。
それは最近ロクな事がなく、何か良い事でも起きないかな、と彼女が考えた結果なのである。
良い行いをすれば、それはきっと良い事として自分に返って来る。
良い出来事を欲する自分に出来る事。それは、その言葉を信じて地道に徳を積む事なのではないだろうか。
何か良い事ないかしら。
だからいつものようにそう考えながら、彼女、メリアは夜の海を散歩していた。
ただし『海』と言っても、それは海岸やら砂浜の事ではない。言葉通り海の中、海中の事である。
暗い海の中にも映えるのは、明るい青の長い髪。その瞳に輝くのは、愛らしくも優しい桜色。
しかし中でも一番目立つのは、やはり彼女の下半身だろう。その瞳よりも明るい桃色の鱗や尾ひれ、つまり魚の下半身と同じモノをうねらせて、メリアは優雅に海を泳いでいた。
そう、彼女は人間ではない。上半身が人、そして下半身が魚の完全なる人魚である。
人魚の世界において、人魚が、人間達が縄張りにしている海上に出る事は禁止されている。何故なら人間に見付かれば、とんでもなく大変な事になるからだ。だから人魚は許可なく海上に行ってはいけないと言われている……のだが、それは裏を返せば、じゃあ人間に見付からなければ海上に行っても良いよね、と言う屁理屈に匹敵する。そのため最近では、禁止されているにも関わらず、海上付近を泳ぐ人魚も多くなっていた。
(今日は嵐かあ……)
人間に見付からなければ問題はない。それに万が一見付かったとしても、相手は人間、そして場所は海だ。目を瞑ってでも逃げられると、他の若い人魚達と同じように人間を侮っているメリアは、海上付近でその動きを止めた。
波の動きと、海上から感じる気配で分かるのは、今夜が嵐である事。しかもかなりの悪天候のようだ。
さすがの人魚と言えど、天空の怒りには敵わない。月も見えない上、その雷に撃たれては堪らないと、メリアは海上に行く事を諦め、海底に戻る事にする。
しかし、そう決めたメリアが進行方向を変えた時であった。海上から、人間の悲鳴が聞こえて来たのは。
(何だろう?)
宝くじが当たる確率と、雷が当たる確率ならば、宝くじが当たる確率の方が高い。つまり、雷とてそう簡単には落ちて来ない。だから少しくらいなら大丈夫だろうと、メリアは海上に顔を出す。
そこに見えたのは大きな帆船。人魚であるメリアにとっては、このくらいの波の揺れは大した事ないのだが、人間にとってはかなりの大きな波になるのだろう。その帆船は、今にも沈みそうなくらい大きく揺れ動いていた。
(でも、そう簡単には沈まないわよね。あれだけの大きな船だもの。乗っている人間は優秀な人間に違いないわ。彼らが冷静な判断ですぐに陸に向かえば、無事に帰る事が出来るでしょう)
荒れ狂う海を見て、面白そうだから飛び込んでみようなどと考える人間さえいなければ大丈夫だろうと、メリアは帆船を見送る。
優秀な航海士よりも海をよく知るメリアが、より安全な航路を見い出し、それを伝えて陸まで案内してやれば、かなりの徳を積む事が出来るのだが、さすがにそこまではしない。
人間の前に姿を見せるなど、かなりの危険行為。陸に着いた途端、襲われないとも限らない。
そこまでの危険を冒してまで良い行いをする必要などどこにもない。自分に出来る事と出来ない事の見極めは大事なのだ。だから今自分が出来る良い行いとは、彼らが沈まないように祈ってやる事くらいだろう。
しかし帆船を見送っていたメリアが、ポセイドンに祈りを捧げようとした時であった。
慌てふためく船員達の声が、船上から聞こえて来たのは。
「だから外に出るなって言ったのに!」
「こんな嵐の中に海の様子なんか見に行ったら、そりゃ落ちるに決まってんだろうがあっ!」
(落ちる?)
何事かと船に近付き、こっそりとその会話に耳を傾ける。どうやら人間が海に落ちてしまったらしい。
この嵐に加え、真っ暗な闇の中だ。海に落ちた者を見付けるなど、人間には到底無理だろう。ここは助けてやるべきかどうしようかと考えていると、船上から更に絶望的な悲鳴が聞こえて来た。
「ダメです、船長! この荒れ狂う海に救助に入るなんて無理です。それにここからでは、王子の姿すら確認出来ません!」
「もうダメだ。よし、死のう」
「ちょっ、こんな時に何言ってんですか、しっかりして下さいよ! ティクムさん、どうしましょう!」
「そんな事よりも誰か胃薬を持って来て下さい」
「あんたもしっかりしてくれ!」
船の上から聞こえて来た慌ただしい会話から、どうやら海に落ちてしまったのは、人間の国の王子様らしい。王子だろうが一般人だろうが、それが人間であるならメリアにとってはどうでもいい事なのだが、彼女は丁度、良い行いを探していたところだ。例え相手が人魚ではなく人間であろうとも、人助けが良い行いである事に変わりはない。よし、決めた。彼の救出を本日の善行にしよう。
そう決めると、メリアはトプンと海に潜り、目的の人物を捜す。
すると、運良くその人物はすぐに見付かった。上質な衣を纏った、金髪の尻尾頭の青年が流されて行くのが目に入る。
その姿を捉えるや否や、メリアはその青年に向かって一直線に泳いで行く。
人間にとっては航海するのも大変な荒れ狂う海であるが、人魚であるメリアにとってはこれくらいの波など大した問題ではない。あっと言う間に青年に追い付くと、メリアは彼を腕に抱え、今度は海岸を目指して泳いだ。
「ぷはっ!」
海岸に辿り着くと、メリアは波が届かない砂浜に青年を放り投げる。
ドサリと体を地面に転がされた彼は、そのままピクリとも動かない。けれどもおそらく死んではいない。気を失っているだけだ、多分。
「ねぇ、大丈夫ですかー?」
メリアもまた砂浜へと上がり、ペチペチと彼の頬を叩いて声を掛ける。するとその青年から小さな呻き声が上がった。良かった、やっぱり死んではいなかったようだ。
「ねぇ、起きて。大丈夫ー?」
ゆさゆさと彼の体を揺すり、彼が目を覚ますのを待つ。しかしそれだけでは彼は目を覚まさない。やはり体内に入った水を吐き出させなければならないのだろうか。
(って事は人工呼吸? それって確か唇と唇を合せるのよね? ええっ、無理、無理! そんな恥ずかしい事出来ないわ!)
チラリと聞いた事のあるその方法に、メリアは、それはないと首を横に振る。何やら酸っぱい果実の味がすると噂のファーストキス。それをこんな見ず知らずの男(しかも人間)にくれてやる必要はない。
ならばどうやって水を吐かせれば良いのか。そんなの一つしか方法は思い付かない。
メリアはグッと拳を握り締めると、彼の鳩尾を狙ってその拳を思いっきり叩き付けた。
「大丈夫ですかあっ!」
「ぐふっ!」
瞬間、彼の口から変な呻き声が漏れると同時に、ビクンと彼の体が跳ね上がる。
これが、人工呼吸が出来ない場合の適切な救命措置なのかどうかは知らないが、何もしないよりはマシだろう。勝手にそう考えると、メリアはもう一発撃ち込むため、再び拳に力を入れた。
「う……」
「っ!」
しかしその直前で、メリアはハッとしてその動きを止める。気を失っていた彼が、小さく呻き声を上げたのだ。
このまま目を覚まされ、自分の姿を見られてしまうのはマズイ、非常にマズイ。いくら助けた相手とは言え、人間に見付かってしまえばとてつもなく大変な事に巻き込まれてしまう。それは嫌だ。一刻も早くここから逃げなくては。
危険を覚えたメリアは、その場に彼を残し、慌てて海へと飛び込んだ。
あの様子なら、彼はそのうち意識を取り戻し、自力で帰るなり、救助を呼ぶなり出来るハズだ。だからもう大丈夫、彼はきっと助かる。これで一日一善は終了だ。
(人間なんかの命を助けちゃうなんて、私ったら何て良い事をしたのかしら。相手が人間ってところがちょっと残念だけど……でも、これが人間じゃなくて人魚だったら表彰モノよね)
助けたのは何の得にもならない人間ではあるが、それでも人命を救った事に変わりはない。これはとても良い行いだ。我が人魚人生至上最高の素晴らしい功績だ。
(これはもしかしたら、物凄く良い事が起きちゃうかも!)
良い行いをすれば、それはきっと良い事として自分に返って来る。
それが真実であれば、自分にはきっと想像も出来ないくらいの良い事が起きるハズだ。ああ、一体何が起こるのだろう。今から物凄く楽しみだ。
(今日は何だか良い夢が見られそう)
荒れ狂う真っ暗な海の中。
鼻歌を歌いながら泳ぐメリアの姿は、あっと言う間にその闇の中へと消えて行った。
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