第13話 宮廷育ちの火喰蜥蜴
皇帝が死んだ事は十日間、公には伏せられる。”喪に服す”為、とされているが、実際は、その間に、宮城では全てが整えられるのだ。つまり、”爪を研いでいた者は動き出し、それを狩る者が動きだす期間。十日後に新王の即位が発表されるのと同時に、崩御が知らされる事になる。
前回、琥珀帝の弟である老年の瑪瑙帝の誕生と前王であるまだ若い真珠帝の死がおもむろに発表されたように。
しかし、今回はまた別。翡翠が皇帝に即位する事は以前より決定事項である事と、二妃の死の喪を鑑みて、正式な即位は一年後と議会が決定したのだ。
その間は総家令は梟が代行する事になった。
その一年後が迫っている。
白鷹は離宮で金糸雀から報告を受けていた。
「元老院からの風当たりが強いですね。瑪瑙様は議会派でしたからね」
擁護していた皇帝の存在が消えれば、当然、保守派の元老院が盛り返す。
「瑪瑙様の皇后様は貴族では無かったしね。・・・翡翠様の皇后は前の元老院長の娘だもの」
「早く総家令を決めてしまえばいいのではないのですか。元老院次席が、雉鳩を推している様ですけれど」
「ふん。雉鳩の母親は前元老院長の後妻だよ。そもそも琥珀様の父王様に当たる黒曜
こくよう
様の妹姫だもの。まあ、おリベラルの議会がちょっとうるさいから、元老院にも削がれた体力を持ち直してもらってもいいけどさ」
総家令は宮宰。まだ十分に宮城に影響力のあるこの姉弟子が決めかねている様子が長い事不思議であった。
「でももう一年経ちますでしょう。翡翠様は総家令をどうされるおつもりなの」
金糸雀は、皇帝の一番側に侍る鳥、そう言われる自分達の身の振り方がまさか思わぬ悪い方向に向かうのではないかと不安なのだ。
白鷹は不機嫌そうにため息をついた。
幾度の嵐が起きようとも、幾人死のうとも。そんなのどうでもよかった。
琥珀帝の半身たる立場に在る為なら、何だってした。それは、琥珀帝も同じ事。
「梟も今は大変ね。あの子には何度も面倒を押し付けてしまったわ。・・・でも我々二人は、とても恵まれていたわね。どんな形であれ、皇帝を見送るのは総家令の誉ですものね」
唐突にそう言われて金糸雀は驚いて一瞬身を引いた。
「・・・二人と仰いましたか、白鷹お姉様」
「ええ。先年、琥珀帝は御隠れになっているから」
金糸雀は顔色を無くした。
「そんな、白鷹お姉様。だって、司祭長様の旅立ちの祝福の儀式の記録はありません」
王族に関することは全て公式文書に残される。
去年と言ったか。そんな文書、どこにもないはずだ。
「ええ。呼んでないもの」
唖然として金糸雀は姉弟子を見た。
「瑪瑙帝が御隠れになるまでご自身の死は公にする勿れと、琥珀様が仰ったの。民を思い、皇太子である翡翠様を慮られた誠に慈悲深いお方。私も胸が引き裂かれる思いで耐えておったところなの」
そう言って、琥珀は目元を抑えた。
嘘だ。金糸雀はじっと姉弟子を見た。
この女家令がそんな殊勝で健気なこと思うもんか。
女皇帝と共に戦場を駆け、大戦を収め、戦後処理に力を尽くしたこの総家令は、怪物とか妖怪変化とか人肉を喰らうダキニと呼ばれた女家令だ。
何を思ってそうしたのか、金糸雀には恐ろしいばかりで見当もつかないが。
また何か策謀を考えているところなのだ。
瑪瑙帝以前の真珠帝のあまりにも短い在位期間。
一番罪が重い者に処せられる記録抹消罪に処された若き皇帝と、その総家令である大鷲の名を口にする者はもはや少ない。
あの死もまた、彼女の策謀ではと長年宮廷では噂されて来た。
「白鷹お姉様。緋連雀が参りました」
唐突に妹弟子の声がして、白鷹は不機嫌そうな顔をしてから琥珀から下賜されたという芳しい伽羅の扇を螺鈿の卓にそっと置いた。
金糸雀は驚いて顔を上げると、現れた美貌の女家令が礼をした。
「緋連雀。お前は呼んでないけどねえ。確か海軍に出向期間だったはずじゃないの。まさか脱走じゃ無いでしょうね。なら営倉送りにしてやるよ」
牽制にも、根性曲がりの宮廷育ちはそよとも揺れずいっそ艶やかに微笑んで見せた。
「私、お姉様にお話をお耳に入れたくて。ここ最近、空で孔雀の雛が飛んでいましてよ」
金糸雀が止めようとしたが、白鷹に指で制された。
「孔雀はあまり飛べないはずよ。せいぜい屋根の上。さらに雛鳥ではねぇ」
「ええ。ですけれど、不思議なことに。ピーファウルは今、空で話題でございます」
孔雀の雛、という意味だ。
「ピカケというかわいそうな女の子が、家出した姉を探してるって、軍用機も民間機もパイロットの間でもちきりだそうで」
白鷹が無言で瞼を上げた。
航空技術や無線を面白半分に孔雀に教えたのは真鶴だ。
ピカケ、そう名乗れと言ったのも。
極秘であるが、孔雀は去年テロに遭った王族の乗る民間機をレーダーもないまま無事空港に着陸させていた。
「白鷹お姉様。孔雀はただ真鶴お姉様を慕っているだけで、いなくなったことを理解できないのよ」
金糸雀が白鷹に言った。
白鷹は答えずいると、緋連雀が口を開いた。
「ピカケって、ジャスミンの事だとか。確か、南の島の最後の女王が、ご自身が可愛がっていた孔雀をそう呼んでいたそうですね」
白鷹がまたそっと扇子を手に取ると、突然近くにあった漆塗りの文箱を緋連雀に投げつけた。
緋連雀は表情も変えずに避け、文箱はそのまま床に転がった。
「お前のそのはしっこいのが命取りにもなると、分かっているね。宮廷育ち」
「宮廷に私を置いたのは、白鷹お姉様ではありませんか」
二人はそのまま視線を見据えて譲ることはなかった。
緋連雀がとんだ性悪で気の強い性格であろうとも、まさかこの姉弟子にこうして噛み付く事等今まで無かった。人肉を屠るダキニはただの揶揄や比喩ではない。この女家令は確かに、戦場で敵軍にまたは宮廷で何人もの政敵をその鉤爪で引き裂いて、血を啜ってきた。
兄弟姉妹として教育されてきた家令達にとって、白鷹は敬愛とまではいかないが尊敬と間違いなく畏怖の対象でもあった。
どうしようもない緊張感に金糸雀は唇を噛んだ。
「・・・根性曲がり、何をしたの、お前」
「多分、白鷹お姉様も少し考えておいでだったのではないかしら」
緋連雀が青漆色の封書を姉弟子に捧げ渡した。
金糸雀が眉を寄せた。
この色の封書は、皇太子から配下の者に直接届く親書。
白鷹がふんと笑った。
「・・・お前、公式寵姫にでもなるつもり?巫女愛紗
みこあいさ
お姉様を見習って?やめときな。お前が多少見てくれがよかろうが、巫女愛紗お姉様の足元にも及ばない」
緋連雀の祖母は、琥珀の父の公式寵姫であった。
まさか、と緋連雀がまた笑う。
「巫女愛紗お姉様がどれだけ美貌で優れた寵姫だったとしても。公式寵姫など、皇帝と総家令の弾除け。私、そんなものになるつもりなどありません。馬鹿馬鹿しい。戦場で被弾するのなら誰も文句は言わないけれど。だから結局、巫女愛紗お姉様だって宮廷ではなく戦場に戻ったのではありませんか」
容色に優れ戦場でもその才能を遺憾なく発揮した彼女は、前線で負傷をして、その後、公式寵姫の職と共に城を辞した。
文面に目を通し、白鷹がじっと緋連雀を見据えた。
「お前。妹弟子を盾にするつもりかい」
白鷹の怒りを込めた声と眼差しに空気が張り詰める。
金糸雀が絶句した。我々に妹弟子は、今の所、孔雀しかいないではないか。
「まさか。あの子に公式寵姫は無理でしょう」
それとも、継室か。
確かに、その資格はあるけれども。資格だけではあの宮廷では生きていけない。
「それに。以前、大嘴と孔雀と燕は、瑪瑙帝様の次の翡翠様の、また次の世代の皇帝陛下に仕えさせる予定で育てていると仰っていたではありませんか」
白鷹はしばらく扇子に触れていたが、大切そうに胸にしまい込んだ。
「出掛けます。お前たちは宮城に戻りなさい。緋連雀はどうせ翡翠から特別配慮の書類でも取り付けてんだろ。城に戻って報告でもするんだね」
次の皇帝すら無造作に呼び捨てにして白鷹は妹弟子に一瞥もくれず、部屋を出て行った。
金糸雀と緋連雀が礼をして見送った。
「あんた、どういうつもりよ!梟お兄様に言われたの?!」
二人になると、金糸雀は緋連雀を怒鳴りつけた。
年端もいかぬあの妹弟子をどんな策謀に巻き込むつもりか。
緋連雀がため息をついた。
しかしそれが、詰めていた吐息なのだと分かった。小さく手が震えていたから。
「・・・こっええ・・・ババア。殺されるかと思った・・・」
緊張が解けたように笑う緋連雀が、今度は深く、やっと息を吐いた。
「梟お兄様は知らない。・・・私が出し抜いてやったから。大丈夫。これで孔雀は死なせない」
美しい指先がまだ蝋のように白い。
「・・・・飲みな」
金糸雀は妹弟子に卓の上の茶を手渡した。
緋連雀はまるで救いのようにそれをゆっくりと飲み干した。
この鼻っ柱と気位の高い女家令が、こんな有様になるなんて、何をしたのか。何があったのか。
「ねえ、これ何て書いてあるのよ。まさか孔雀を寵姫やら継室に召し上げろって話じゃないでしょうね」
金糸雀が卓の上の親書を見ながら言った。
緋連雀が不敬にも無造作に封書を掴むと金糸雀に渡した。
金糸雀は一瞬躊躇ったが、急いで中を開いて確認し、信じられないと呻いて親書を卓に放り出した。
妹弟子の大神官候補案を一旦留保する事が書いてあった。
「・・・・なんで孔雀がそういうことになってるの」
「知らない。梟お兄様の机から書類が出てきたから見たの。孔雀は前から大神官候補になってる。梟お兄様預かりで、翡翠様がそうしろと言ったらすぐに神殿にブチ込まれることになってた」
金糸雀は舌打ちした。
あの飄々とした翡翠が、なぜそんな、と違和感を拭えない。
「だからって・・・」
それと、続く一文を金糸雀は信じられない思いで見つめた。
「大神官になったら一生幽閉みたいなもんじゃない。冗談じゃないけど家令寵姫ならまだマシよ。私らが近くに入れるから。でも継室になんかしたら、また、殺されるもの」
緋連雀が、小さな声でそう呟いた。
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