第14話 神殿
その足で白鷹は自分で車を運転してガーデンに向かい、体調不良で半ば寝込んでいた孔雀を問答無用で連れ出した。
いつもは神官でもある鷂、鸚鵡、金糸雀いずれかのおまけとして、月のものが始まってからは、障りのない時期に合わせて、どちらも最低五日、正式には十日は血の流れるものと加工した食品を取らず事前に潔斎してからしか神殿に上がる事は許されないはずなのに。
質問などできない。許可されていない。
姉弟子自慢の家が二つ買えるという銀色の車は、まるでロケットのようなびりびりする程の速度で高速道路を進む。
本来なら一発免停のはずだが、宮廷家令の所有の証明である黒地に黒文字のナンバープレートのおかげで、他の車が避けていく。宮廷家令になど関わっては命取りだ。
離宮を出て、道路に入った瞬間から各機関に前総家令の動向は通達されていたのだろう。
その証拠に、高速道路に入るまで、一度も信号は赤くならなかった。
ただ進めとばかりに青緑のランプが灯り続ける。
孔雀はなんとも心細い思いで薄暗くなりつつある車窓に睫毛を湿らせた。
神殿は、美しい湖のある山合いに有る。
参道の長いヒバ並木からは深い森の香りがする。大好きな香りだ。
全国的にも有名であり、実家からも近いので、小学校の遠足といえばこの場所だった。
昔、ヒバの匂い、いいにおいと言ったら、梟はアスナロの木だろ、と言っていた。
地方によって呼び方が違うようだ。
金糸雀は毎回カビ臭いと言うし、鷂は割り箸の材料でしょと。女家令と言うのはそもそも情緒が欠落している。
参道を登った先の梅林も見事で、開花すると毎年お祭りが開かれる程だ。
季節を通して観光客が多く、今日もどこかの中学校が修学旅行で立ち寄っているようだ。
自分と同じ頃の学生が、楽し気に参道の土産物屋を見て回り、ちょっとした軽食を買い食いしては楽しそうにしていた。
いつもなら羨ましそうに見ていると、帰りに何か買ってあげるからと白鷹は言ってくれたが。今日は厳しい表情のままで。
そのまま進むと、いつの間にか人影は消えて、美しい池が見えた。
その上に橋がかかり、その先にある建物が目的の場所だ。
ここが本来のオリュンポス。
現在オリュンポスで最も在位が長く高位の白鷹を、神官達が出迎えた。
その中に姉弟子の鷂の姿を見つけて孔雀はほっとした。
上の世代は宮城からは追い出されたが、軍と神殿には変わりなく奉職しているようだ。
突然白鷹の訪れを知らせが入って驚いた、という様子のまま、鷂は礼を尽くした。
不安そうな表情の妹弟子のおさげが突然風に煽られ、池の水もざわりと波立ったのに、鷂もまた胸騒ぎが消えない。
「・・・潔斎がお済みでないようですけれど、何かお急ぎでらっしゃいますか」
常ならば琥珀の名前で白鷹が無事潔斎を終えてた証明と正式に神殿に仕える期間を記された書類が事前に神殿に届くはずなのだ。ずいはんの孔雀がいるならばそれも必ず記されるはずだ。
「あの方は二年前にお隠れになっている」
バサリと無造作に言われて鷂は何を言われたのか理解できずに立ち尽くした。
冗談や嘘を言うわけはない。きっとこの女家令が、看取って、黙っていたのだ。
空恐ろしい物を感じた。
「・・・正直そうじゃなくていいと望んだけれど。でもこの子は翡翠にくれてやることにした」
驚く妹弟子を無視して白鷹は孔雀の腕を掴んだ。
もう老年に達した白鷹のどこにこんな馬力があるのか。
そのままぐいぐいと妹弟子を渡り廊下に引きずって行った。
「待って!白鷹お姉様、潔斎どころか、今この子、月の障りのはずでしょう」
鷂が追いかけて叫んだ。
家令の情報はすべからく共有される。プライバシー等ほぼ存在しない。
十歳で家令に召し上げられ、最初に梟に連れてこられたのはこの神殿。
あの時、白鷹は、孔雀を丸裸にしてしげしげと体を眺めてから、よし、と言ったのだ。
『どこも怪我はないようだね。口の中も見せてごらん。・・・うん、よし。いいかい。どこか怪我している時、お前はまだ子供だからいいけれど、女の月の障りの時は絶対に神殿に上がっちゃだめだよ。家令は必ず軍属に就くから怪我もしやすい。女家令は尚、気をつけなきゃならない』
『なんで、おばちゃん』
白鷹は舌打ちをしながら巫女服を着せ付けた。可愛いから水色がいい、と孔雀がいうのに、お前はまだ子供だから白、と言って。
いいの?白の服なんか着たことない。ママが、私は汚すから白はダメって。と答えると、だろうねえ、と白鷹はため息をつくいた。
「あとね、白鷹お姉様だよ、お姉様。そう呼ぶの」
白鷹は、人肉を喰らうダキニと呼ばれるこの元総家令の悪口の話すら親にしてもらってないのかい、と訝しんだ。
「全く教育が行き届いてない事だよ。・・・いいかい、とにかく、怪我している時にここにきてはダメ。なんでだと思う。苺大福」
「苺じゃないです、杏です」
「じゃ杏餅だ」
初対面でいつもの調子で孔雀が名乗ったのに、人肉どころか実は酒すら飲めない甘党の白鷹がそう茶化しながらも、妹弟子の為に水色の房のついた組紐をお下げに結んでくれた。
嬉しそうに房を撫でながら孔雀はなんとかそれらしい答えを口にした。
「・・・神様に失礼だから?」
「違う。・・・喰われるからだよ。お前なんか一口だ」
そう言って、怖らがせたくせに。
「あんなにダメだと自分で言ってたのに・・・!」
孔雀がそう叫んだ。
「だからだよ」
白鷹はそう言って、つきあたりの水晶で出来た美しい彫刻の扉をぐいっと押した。
あんたはまだ入っちゃダメ、と言われていた場所。
孔雀は身体を強張らせた。
有りえない事に手の平が、たまらなく熱く感じて、白鷹は舌打ちした。
熱源等あるわけもない。だが、脳に、そう信号が送られて身体が反応する。
ああ、これが我々の神。・・・忌々しい。
肉が焼ける程の灼熱を感じながら、そのまま扉をこじ開けて、隙間に孔雀を押し込んだ。
孔雀はバランスを崩して床に伏した。
白鷹が、熱い、と感じたのが分かったから、孔雀は室内に燃え盛る炎か焼けた鉄板でもあるのかと思っていたが、冷たいくらいで。
鉄のように重いはずの扉が、まるでレースのカーテンのように軽やかに閉まった。
扉が水晶なのだから、透過してもっと光が入ってもいいだろうに、意外なほど暗い。
実際はそうではない、視力を操作されているんだ、と思った。
白鷹が、熱くもない扉に熱を感じたように。
奥の院と呼ばれるオリュンポスの心臓、いや、脳だ。
神様がいるところ、神様の寝室、とそう教わってきた。
ここには神官長の白鷹と、正式な神官の鷂と金糸雀、それから何十年も空席の大神官しか入れないはずだ。
大神官は常在できるが、それ以外は長期間の潔斎を過ごして、やっと短時間だけ入れるのだ。孔雀は去年やっと神官補佐になったのに。
不快だとわかる感情の唸り声が聞こえた。
潔斎もしないで、月の障りの身体のまま踏み入ったことにだろう。
孔雀は息を詰めた。
本当に、頭からばりばり喰われるのだろうか。
でも、神様って、言ったのに。
神様がどうして人間を食べたりするのだろう。
孔雀はじっとしていたが、ふと、違和感に気付いた。
血の匂いがする。
自分の経血だと思ったが。違う。
この部屋中、血の匂いがする。
視力を奪われた分、他は鋭敏になるようだ。
不思議なもので、聴覚や嗅覚が視力を補うかのようにして脳裏に風景を見せていた。暗い画面に鮮やかに浮かぶ色彩の粒子にはっとする。
肌が粟立ち、背筋が冷たい。
唸り声に聞こえるこれはなんなんだろう。
不快か、敵意か、とも違うのではないだろうか。
でも、どうにも気になって、もうちょっと、と手を伸ばした。
危険を感じたら逃げろ離れろは鉄則だが、そこに違和感や興味を感じると確認したくなる。子供時代から決定的に危機管理が危ういタイプではあった。
手に何かが触れた。
冷たい水晶のような滑らかさ。結露しているかのように表面が濡れていた。
外気とそこまで差はないだろうに。
あ、と孔雀は、気付いた。
不快ではない、敵意ではない。
これは、欲求。
いきなり、水底に引きずり込まれた。
水もないのに。
でも、身体に感じる圧迫感、塞がれる息苦しさ。
浜育ちの自分は何度も溺れて泳ぎを覚えたのだ。
水というのは、仲間が欲しいのだ。
自分と同じものなになれと、自分と同じ濃度になれと、何でも満たし、溶そうとする。
だが、そうはいかないだろうと思った。
だって、ここに水はなく。自分と同じ濃度になど、出来ない。
しかし、ぬるりと溶け出す感覚があった。
あ、これ。水じゃないんだ。血だ。
孔雀の身の内から滲む血を手繰り寄せ、同じ濃度の血で溶かし食いつくそうとしているのだ。
感じるのは、欲求。欲求。
でも、なんで。
触れると、ぬるりとした血の隙間を鎖のようなものできつく縛られているらしい。
ああ、これ。白鷹お姉様がやったんだ。
孔雀は、さらに手を伸ばした。
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