第11話 家令の心得
藪から棒に、真鶴がいなくなった。もう帰ってこないからね、と白鷹に告げられて、孔雀はショックで泣き出した。
ガーデンに着いてそのまま寝込んだ兄弟子の鸚鵡の監視を命じられて数日の事。
世話や看病ではなく監視とはどういう事だと孔雀は不審に思ったが、もっと困惑したのは、あの真面目で優しかった鸚鵡が、部屋から出て来ないで呑んだくれていた事。
ついに昨日、急性アルコール中毒になり、白鷹に許可されて呼ばれた黄鶲が大慌てて駆けつけて手当てした。その隣に孔雀も酔っ払ってひっくり返って居たものだから黄鶲は激怒。
「鸚鵡はお育ちがボンボンだからワインだけどね、孔雀は去年柿の渋抜きに使った焼酎にかき氷シロップ入れてガブ飲みしたらしいです。吐かせたら真っ青な水出てきて腰が抜けたわ。・・・そもそも鸚鵡は医師、孔雀は未成年ですよ。このままでは二人とも身を持ち崩しますよ!」
黄鶲のその話を聞いて、白鷹がため息をついた。
「白鷹お姉様が呼んでる」
なんとも妙な顔つきでそう呼びに来た姉弟子の顔を孔雀は見上げた。
泣きすぎて瞼も晴れて、目から下はカピカピだ。
緋連雀はウェットティッシュで力一杯孔雀の顔を拭いた。アルコールでたまらなくしみた。
「早く来な。・・・ま、吊るし上げよね。仕方ないけど」
いつの頃からか表情に硬い物を感じるようになった姉弟子が、ふっと肩をすくめて笑った。犬をブラッシングしながら随分しょんぼりしている妹弟子の頬を小突いた。
「そんな雑種いくらとかしたってモジャモジャだって。用意しな」
毛だらけの孔雀の服を着替えさせ、おさげを編み直すと促した。
孔雀は痛む目と顔を擦った。白鷹から打擲の折檻等、これまで何度も受けた。
別に、今更どうってことはない。
「緋連雀が孔雀を連れて参りました」
「お入り」
白鷹が白と銀の雪景色の屏風絵の前で、妹弟子を迎えた。
人間国宝が描いたもので、外車が買える値段らしい。仕えた女皇帝から賜ったもので、継室も欲しがったものを、皇帝が倍の値段を出して総家令に買い与えた、とかなんとか。その時の継室達の悔しそうな顔ったら、とかなんとか。ガーデンに来た日から自慢気に何度もそう白鷹から聞かせられたが、孔雀にとってまずなんでこんな、絵の部分よりも大分空白の多い紙のパーテーションがそんな目玉が飛び出るような値段なのかが理解出来ない。
威圧感のある眼差しを、末の妹弟子へ向けた。
左右に、姉弟子や兄弟子、来年からガーデンに入る予定の弟弟子が控えていた。
孔雀は打ちひしがれた様子で、それでも優雅に女家令の礼をした。
「・・・白鷹お姉様、孔雀が参りました」
「かけなさい」
孔雀は頷くと、白鷹の右手の椅子に座っていた兄弟子をちらりと見た。
自分と同じ泣くと大福のように目が腫れ上がる体質の鸚鵡も目など開いているのかいないのか。その様子を見てまた泣きそうになると、白鷹が舌打ちした。
「お前も鸚鵡も。いつまでもメソメソ泣いてんじゃないよ。お前達、それでも家令なのかい」
冷たく言い放つ。
鸚鵡のだいぶ窶れた様子に孔雀は心配になった。大好きな姉弟子が消えてから共に嘆き悲しんで来たのだ。憔悴ぶりは兄弟子のほうがひどい。泣く合間に甘いものを絶え間なく食べる孔雀に比べ、鸚鵡は物を食わないで酒を飲んでばかり。
「この度、鸚鵡は北の前戦に出向となりました。梟が正式に陛下の許可を賜ったわ。一四時間後には現地に到着しているように」
ポイと、孔雀に書類を放って寄越す。
兄弟子の見事なレタリングに、孔雀は釘付けになった。
医師でもある鸚鵡が、前線の野戦病院に行く。それは、家令ならばありえる人事。
「でも、そんな、急に?」
ふん、と白鷹が鼻で笑って、茶托を鸚鵡に投げつけた。
「このバカが真鶴に唆されたんだよ。これで済むと思うんじゃないよ」
何があったのか詳しくは知らないし、教えて貰う事も出来ないだろう。
「孔雀、お前は、春からアカデミーにやるつもりでしたが」
春から姉弟子のいるアカデミーに行く予定で楽しみにしていた。
「真鶴が居なくなり、鸚鵡が北。そんな人員的余裕はなくなりました。いいね?」
家令は宮城に勤める人間の中でも極端に少ない。
一騎当千。少数精鋭と言えば聞えがいいが、劇薬たる彼ら家令の人数はあらゆる時代においても大体が二十人に満たない程度。つまり常に人手不足でもあった。
「白鷹お姉様。真鶴お姉様がいらっしゃらないなら、私はアカデミーに行かなくてもいい。家令でいる必要ももうないもの」
白鷹が嗤った。
「お前ね。心得違いも甚だしいよ。家令になったら生涯家令。状況とか感情とか関係はないの。確かに、お前は私と梟が、小さいうちに召し上げた。だけど、今はその道理が分からぬ年でもないはずよね」
まだ十歳のある日。突然現れた兄弟子。今やっと一五。それでも家令の五年だ。
宮城に上がった経験はないが、姉弟子について、離宮や神殿であるオリュンポスや聖堂のヴァルハラや軍で経験を積んで来た。軍属の経験もある。
だって、と孔雀が眉を寄せて黙り込んで、フグのようにむくれた。
その様子に白鷹が少し怯んだ。
ああもう、こうなると。
孔雀が姉弟子を見据えた。
「だって、真鶴お姉様はもういないじゃない。自分から居なくなったら、探し出すことなんか、不可能なんでしょ。白鷹お姉様が分からないんでしょ。じゃあもう無理なんでしょ・・・そんなの嫌だあ・・・」
そう言ってべそをかきはじめた。
妹弟子のその様子に鸚鵡もつられて身も世もない様子で咽び泣き始めた。
ああもうと白鷹はため息をついた。
「泣くんじゃないよ。・・・孔雀はまだ仕方ないにしても。鸚鵡、お前は本来、市中引き回しの上打首獄門だよ」
何でシチューなのと孔雀が不思議そうに鸚鵡を振り返った。
鸚鵡が妹弟子の頭を撫でながらまた嗚咽し始めた。
「そんな事は構いません。ただ、真鶴が・・・」
孔雀もまためそめそし始める。
ああ、全く真鶴はなんという始末の悪いことをしてくれたもんだか。
白鷹は美しい切子の器に山のように菓子を盛って孔雀の前に置いた。
彼女なりの慰めである。
べそをかきながら、孔雀は飴を口に入れて、甘い、とだけ呟いた。
「お前達、この状況で家令を三人も失うわけにはいかないじゃないの。家令というのは、少数精鋭・・・」
「そんなの!今時、白鷹お姉様がパワハラで、梟お兄様がモラハラだから募集しても来ないのよ・・・」
孔雀がそう言って突っ伏した。
白鷹は首を振ると、孔雀のすぐ左に控えていた緋連雀になんとかせえと目配せをする。
美貌の宮廷育ちはしたり顔で頷いた。
べしょべしょの妹弟子の顔を、両手で雑に自分に向けた。
きっと男性なら戸惑ってしまう程の美人。
孔雀も始めて見た時は、モデルか何かだろうと思った。宮廷育ちで、宮廷に関わるいろんな殿方から巻き上げた有価証券の類が、彼女の部屋のダンボールに山のように入っている。軍でめきめき実力を上げていて、やはり家令で、伝説の軍神寵姫と呼ばれた祖母の再来だと言われている若き女家令。
姉弟子は更に無理な方向に孔雀の首をひねった。
「孔雀。よく聞きな。鸚鵡お兄様は万が一家令を抜けてもご実家が宮廷軍閥。なんとでもなる」
「・・・何言ってんだい!抜けるのは許さないよ!こいつで大損だよ。倍働きな」
と白鷹が怒鳴りつけたが緋連雀は姉弟子を無視した。
「でもあんたは、継室候補群の出だよ?」
孔雀は首を傾げた。
確かに、そうではある。
正室になれるご身分ではないが、頑張れば皇帝に連なる誰かの継室になれるかもしれない家のこと。
確かに、自分はその中の一つの出身であるが、実績もやる気もなくて他の華々しい家より格はだいぶ落ちる。はっきり言って関係ない。と言われて育ってきた。
「でもウチは補欠でしょ?甲子園だって強豪校は部員だけで百人くらいて。でも野球って選ばられし七人でやるスポーツで。うちはその補欠にも入れないんだから関係ないってうちのママが言ってた。ね、白鴎お兄様」
と確認すると、兄弟子が頷いた。
こちらも家令の出ではない、ギルド系出身の兄弟子。
元高校球児。甲子園に行ったそうだ。
「その通り、厳しいんだ。俺はサードだけど、サードだけで十人補欠がいたよ」
「そんなに?継室になるより大変じゃないのよ」
思わず金糸雀か呟いた。
話がずれてしまうのに緋連雀が、不機嫌に床を叩いた。
「だから、補欠の補欠でも!」
緋連雀がずい、と迫った。
「継室候補の家の子が家令になった、しかもそれが、出戻ったら」
「ママもパパも、それでいいって言ったもの・・・」
お菓子食べ放題だよ、猫もいるよ。と、半分騙されるようにして連れて行かれる事が決まった日、宮城で強権を振るう総家令の梟と前総家令の白鷹に、両親が出した条件。
宮城に上がるまでは、長期休暇には家で過ごせるよう。実家との縁を切らないでくれ、と言う事だ。
そんなわけで、港町にある実家には小さい頃からちょくちょく帰っていたし、ギルド系で食品も取り扱っている企業である実家からは、しょっちゅう何やかんやと物資も届く。
ガーデンで度を超えて厳しく教育はされて来たけれども、兄弟子も姉弟子もいた。それに、本当に嫌になったら、大泣きしてうちに帰ればいいんだと思って来た。
「バカ。あんたなんか、小学校中退なんだよ?私らだって、中学まではちゃんと外の学校出てんのに」
「でも、白鷹お姉様と鸚鵡お兄様が教えてくれたから」
他の家令と共に、教員資格のある二人が孔雀と大嘴に教えて、二人とも高校までは済んでいるのだ。今後はアカデミーで修士まで済ませることになっていた。
「違うの?」
兄弟子を見ると、鸚鵡は腫れぼったい目で間違いないと頷いた。
「白鷹姉上が小中学校教員免許、俺が高校教員免許だから、問題ない。役所からも正式に書類は貰ってる。義務教育と高等教育認定済みだもの」
「違う」と緋連雀が鸚鵡を見た。
「資格とか、認定の話じゃないの。世間の目の話となると違う!」
「せ、せけん?」
鸚鵡と孔雀はぽかんとした。
金糸雀が溜息をついた。
「鸚鵡お兄様はボンボンの世間知らずで。孔雀はマイペースすぎて。ホント、そういうのに疎いんだから。浮世離れするのも大概にしてよ」
この帰国子女の姉弟子は、両親共に家令の由緒正しい家令筋。
整いすぎて冷たいと感じるほどの美人である緋連雀に比べると、華やかな美女で鉄火肌。駆け出し弁護士だが、専門の軍事法廷では暴れ回っているらしい。
「家令なんて、それでなくても敬遠されがちなのよ?家令から出戻った娘なんて、こんな保守的な国じゃ嫁の貰い手ないからね。学校だって、普通に行ったわけじゃない。就職だって難しい。どこの世界に、身持ちが悪くて有名な家令の嫁を貰いたいとか、産業スパイ予備軍を社内に飼いたい会社があるの?ま、女官になるという手もあるけど」
女家令は女官に負けない嗜みや所作を身につけるからやってやれないことはないだろう。
ダメダメ、と緋連雀が首を振った。
「家令上がりの女官なんて、嫌われる。大っ嫌いってイジメられるわよ。孔雀なんか、毎日靴に画鋲入れられたり雑巾の絞り水飲まされたりするわよ?」
自分だって孔雀に雑草を食べさせて色水飲ませていたくせに、緋連雀はそこは無視だ。
「そうね。それにアンタもうアカデミーにはしばらく行けないから。もし学校に戻って、その謎の高等学校までの資格はちょっと怪しいと思うけれど。とにかく義務教育はまあ認められたとしても。女子高生はもう無理よ。浮くわよ。十歳から家令やってましたなんて引かれるわよ。友達なんかひとりもできないしね」
「そうそう。あーあ。就職もできない、結婚も出来ない。かわいそうな妹。ああそうね、もう姉妹でもいられない」
美貌の姉弟子二人に世間の厳しさを突きつけられて孔雀はまた涙目になった。
兄弟子である雉鳩と白鴎と大嘴に目を向けたが、知らん顔で、孔雀の前の菓子の山から最中やヌガーやらチョコレートを掴むとむしゃむしゃ食べている。
女家令主導の騒ぎに巻き込まれたくないらしい。命に関わる。
弟弟子の燕だけが、はらはらと見ていた。
根が優しくのんびりした孔雀など、伏魔殿の宮廷育ちの根性曲がりの緋連雀と、法律の知識もあり口が達者で生き馬の目を抜く世間ずれした金糸雀にかかったら面白いように丸めこまれるだろう。そして白鷹など戦場も宮廷も生き抜いてきた化け物だ。
「アンタ、家令にならないなら人生終わってる。家令になるか、死ぬか、よ、孔雀!」
緋連雀が迫った。
なんと極端な、と燕は呆れ返った。
軍働きをする家令でいるほうが死にやすいじゃないか、と思ったが余計なことは言わない。
さあ、どうするの、と言われ、しばらくめそめそとまた泣いてから、孔雀は頷いた。
死ぬよりは、いい。と思ったらしい。
緋連雀が白鷹を振り返った。
「よろしい。金糸雀、これ孔雀に見せな」
金糸雀に墨書きの和紙を手渡す。
白鷹の流麗な文字で綴られた、宣誓書。
孔雀の本名と、拇印が押されている。白鷹の印章も。
「お前が家令になった時の公式文書よ。心して確認なさい。お前は、家令よ」
たった十歳の時に書かせた署名を証に突きつける馬鹿馬鹿しさと厳しさに、金糸雀もさすがに溜息をつく。
果たして法的にどこまで正しいと言えるのか。いや、言えるのである。ある意味、宮廷に関することと特に家令に関することは、国の法律が及ばない場合がある。
つまり、家令の長である白鷹や梟がそうと言ったらそうなのだ。
金糸雀は弁護士でもある。主に軍事法廷が専門であるが。
家令は生涯家令。果たして当時孔雀はそれをちゃんと理解していたのかどうか。
孔雀は文書を押し頂くと、もう一度金糸雀に渡した。
「白鷹お姉様。確かに拝見致しました。孔雀が、心得違いを申し上げました」
観念した、という様子だ。
白鷹は、にっこりと微笑んだ。
「あら、そう。まあ、わかれば、よろしいのよ。お前は良い家令になるでしょう」
優しい声に、家令たちはぞっとした。
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