第10話 翠玉皇女

翠玉皇女


 宮城と呼ばれる皇帝の住まいであり政治と文化の中心。

古くは皇帝が住まいと決めた場所が首都になりその都度変わるものであったが、ここ二百年は変わらず城都は栄えている。

明け方、城の国旗が半旗になった。皇帝が崩御したのだ。

ここ数年、体調を崩しがちだった瑪瑙帝はついに意識が混濁して、宮廷のお召し用の飛行機と七頭立ての馬車で聖堂から教皇が駆けつけて末期の儀式を受けたのだ。

宮城に関わる者達には、皇帝の死は粛々と受けいられると同時に、次なる皇帝の即位が十日後に決まるまではまるで生きているかの様に振る舞う。

皇帝のたった一人の妃である正室も、いつも通りに過ごしている。主人がその様子なのだから、女官達も同じ様に従う。

皇太子もまたその妃達も通常通りに生活をしている。その日常を崩してはならないのだ。

この十日を何事も無く過ごせば、規程通り皇太子である翡翠が即位する。

だが、そこに一人、瑪瑙帝の総家令に伴われた来訪者があった。

若かりし頃の琥珀によく似た女。

同じ頃合いの前の女皇帝を知る者はもう少ないが、それでもその面差しや雰囲気に何か心騒ぐ物があるのは同じ。

不思議なのはその彼女が漆黒の家令服を着ている事だ。

しかし、宮廷において見た顔の家令では無い。

「殿下。総家令の梟が随伴致しました。皇女様のお訪いでございます」

梟のみが慇懃な家令の礼をして、自分では扉に触れる事も無く開けさせて、さも当然と言う様に女が翡翠の前に現れた。

ほぼ初対面に近い父親違いの妹に当たる。

母である琥珀女皇帝が離宮に移ってから産んだ最後の子供。

彼女だけが母王の手元で育てられた。その事実だけは知られていたが、父親の公表が無く様々に憶測されていたが、誰もが敢えて口にはしなかった。皇帝と正室との間に生まれた姫が公主であり、継室以下との子は皇女である。

教育もその身の一切も総家令の白鷹に任され、ある日を境に、彼女は皇譜を離脱し廷臣に降ったとされていた。

が、こうして家令になっていたと知られたら、騒ぎになるだろう。

一時噂されたように、母親は実はやはり白鷹なのか。あるいは他の女家令か。

だから家令になったのか、と翡翠は梟に視線を向けたが、すぐにどうでもいい、と言う様に手で制した。

「私の身分はもう皇女じゃありませんでしょう、どうぞ真鶴とお呼びになって、梟お兄様」

いつに無く従順に言われて梟はゾッとした。

「お会いするのはほぼ初めてございます事ね。兄上様」

言いながら、無断でソファに座る。

母親によく似た面差しでそう言われて翡翠は嫌気が差した。

「瑪瑙叔父様がお亡くなりになりましたでしょう。まずはお悔やみを申し上げます」

翡翠が首を振った。

「そんなもの申し上げてはならんのは知っていて言うわけだな」

崩御から十日間は、皇帝は生きてはいないが死んではいないのだ。

真鶴、本名を翠玉すいぎょくと言うが、彼女は何とも明るく笑う。

「ザマアミロだわ。汚名を真珠だけに追っつけて。よくもまあその後も生きていられたもんよね。そもそも真珠を唆したのはあのじじいじゃないのよ。それで甥が背信で殺されても。自分は皇帝になっておリベラルやってるなんて。叔父様は生きた心地もしなかったでしょうね。その甥を殺した下の甥に近くにいられたんじゃね。ま、生きてるしかなかったか。あの般若のような琥珀と人肉を喰らうダキニに睨まれてたんじゃね。ストレスで死んだんじゃないの」

嬉しそうに言って、踊る様な軽やかな足の運びで真鶴はついと翡翠に近づいた。

「それから。さっき会って来たの。ご正室様。あれは誰のキャスティング?」

真鶴は吹き出した。

「あんたは妃は殺されるし。散々ね。ああ、お疲れ様ですこと。おかげで家令達はてんてこまいだわ」

窘めもせずただ聞いていた梟が口を開いた。

「この件は我々の落ち度でもある。・・・宮城で妃は殺してもいかんし殺されてもいかんのだから。それを止めるのが我々の仕事だ」

「無かったことにするのもね」

真鶴はソファに座り直した。

それで、と翡翠が促した。

「宣戦布告か、妹姫」

「ええ。兄妹全員が殺し合うのも、王族らしくてよろしいでしょう」

「琥珀帝が言ったのか」

とんでもない、と真鶴はまた笑った。

「それで?お前を担ぐのはどの家令だ?あの犬か。それとも天才少女か」

鸚鵡と金糸雀の事か。

「それとも、上の世代の家令達か」

「きっとアンタと一緒よ。それでもいいしどれでもいいと思っていたけれど、話が変わったの。担いで貰わなきゃいけない末の妹がいてね。私の天の北極はその子に決めたの」

梟がギョッとしたように真鶴を見た。

天の北極、とは総家令の事だ。

「・・・まさか・・・」

真鶴だけが上機嫌。

「私がそう言えば、すぐに戦力が宮城と軍基地に向かう事になってるの。どうする?あんたも首だけになって晒されてみる?どっちにしても今ここにいる王族は皆殺しにしてやるけどね」

そんな事白鷹が許すか、と梟は言おうとして止めた。

大喜びしそうでは無いか。血と騒乱を好む家令の典型のような姉弟子だ。

翡翠が梟に視線を向けた。

「・・・軍に異常は」

梟が首を振った。

「ございません」

軍を統率しているのは軍中央と呼ばれる組織だが、梟がその動向を把握していない訳がない。

「では禁軍か。あの犬もいかれてるな」

管轄外となれば禁軍しかない。皇帝の親衛隊が離反する等、言語道断である。

が、家令が関わったとなれば有り得ない話でも無くなる。

「梟、その末弟子と言うのは」

「・・・まだまだ雛子でございます。家令ですから軍属の経験も多少はありますし、神殿での神職にも付いてはおりますが。そもそもまだ十四。家令の成人年齢でもありません」

それにしても城で手伝いくらいはしているはずの年齢だ。

「城には上げておりません。離宮に出入りはしておりますが。・・・ギルド筋の継室候補群の出なのです。後宮で使い走りさせるには失礼があってはいけませんので」

とは言うが、実際は微妙な立場なので女官に知られたら虐められるかもしれない、という梟の気持ちがあるからだ。

緋連雀や金糸雀なら屁とも思わないしむしろ手加減してやれと思うが、あの末の妹弟子ではまだ不安だ。

合点が言ったと翡翠が頷いた。

「瑪瑙帝と皇后殿が気の毒がっていた子だね。・・・神官としては大分優秀らしいね。白鷹が早く神官長にしてしまわないと人手不足だと言っていたな」

まだ大分若いだろう、と聞くと。あの子はさらにその上になれるかもしれない、と白鷹が珍しく笑ったのを覚えている。

けれども慎重に行かなくては。大切な妹弟子ですからね、と言った事も。

翡翠は梟に顔を向けた。

「・・・梟、その末の妹弟子をすぐに神殿にやれ。大神官にする」

梟は狼狽したのが分かった。

「まさか。まだ神官見習いです」

「いずれ大神官になるのなら早くてもいいだろう」

大神官は、神殿の奥の院で奉職をする務め。他人との関わりを絶ち、目で見る事を禁じられて、神官長数名との接触が許されるのみで神殿に一生閉じ込められて過ごす。

皇帝の地位にある者は厳しい潔斎を済ませて、わずかな時間ならば接触する事は可能だが、それでも会話どころか発語、コミニュケーションの発信も受信も禁じられるのだ。

第一大神官になるまでが狭き門で、厳しい潔斎に命を落とす場合もあるのだ。

「お前は皇女だ。手は出さないよ。でも家令は皇帝の備品、実用品だ。そうだろう。一切はお前では無く今現在は翡翠の手にあるんだよ」

実質、瑪瑙帝の時代から皇帝であったのは翡翠だ。

大神官はその皇帝が崩御したら死出の旅路に随伴する事もあるのだ。

翡翠が命じて大神官になったならば、さらに家令ならばそれは翡翠の備品だ。

人質にしてやる、という事だ。

しばらくの間、真鶴は邪眼めいた目で翡翠を睨みつけていたが、立ち上がった。

「・・・馬鹿馬鹿しい。私そんなの関係ない、けれど」

まあいいわ、と真鶴はそう言って、何事も無かったかのようにドアへと向かった。

「それではさよなら、兄王様。本日は私の挨拶とお思いになって。それではご機嫌よう」

翡翠に命じられて梟はすぐに彼女の身柄を拘束しようとしたが、まるで何かの間違いのように、それとも魔法かのように、元皇女は誰にも不審にも思われることもなく彼女は城を後にした。


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