第9話 真鶴

状況が変わったのは、孔雀が十四になった年だった。

相変わらず、姉弟子や兄弟子と鳥たちの庭園で厳しくも楽しく日々を過ごしていた。

最近では真鶴に軍にも連れまわされて、ヒヨコと呼ばれてあちこち駆け回っていた。

バレエのレッスンで孔雀だけが合わないとずっと白鷹に物差しで肘だの膝だの頭だのひっぱたかれていたが、久々に軍から戻ってきた真鶴がレッスンを眺めていて孔雀の関節の入りの深さに気付いた。

いっぱいにまっすぐ思い切り手を伸ばせと言われて、大概は水平に腕が伸びるが、孔雀は更にしなるのだ。肘も膝も、普通よりも回転する。皆そうだと思っていた孔雀は驚き、原因が分かり、鏡でいわゆる、まっすぐに見える体の動かし方を覚えて、それから白鷹に叩かれる事は無くなった。相変わらず神楽ではまた怒られていたが、それはバレエは誰よりも見事に踊るのに、神楽ではなくまるで健康体操だと叱られる緋連雀も同じ。結局、白鷹は緋連雀を神殿ではなく聖堂に所属させる事にしたらしい。

また池のほとりでべそをかいていた妹弟子を見つけると、金糸雀は、情けなく落ちた化粧をタオルで拭いてやった。

「仕方ないわよ。あんなのなんの為にやるんだか。サッパリわからないわ」

そう言う帰国子女の金糸雀だが、二年前に神殿オリュンポスに行き、見事な舞を舞うようになっていた。本人は意味も意義も理解できない土着の原住民の宗教ダンス、ぐらいしか思っていないのだが。

情けをかけられるとさらに悲しくなったようで泣き止まない。

金糸雀はため息を付きながらも、神楽の衣装を脱がせにかかった。

紐や帯できつく締め上げられた衣装はこれでも簡易式。本来は、男手でないと着せられない程の重さのある凝った作りになる。

大分苦しかったのだろう、孔雀がほっとしてまた泣き始めた。

金糸雀は孔雀を丸裸にして、もう泣くなとまた慰めて家令服を着せてやると孔雀は涙を零しながら頷いた。

「・・・また泣いてんの。ほら、顔拭きな」

真鶴が見つけて妹弟子に駆け寄り、孔雀の口に美しい緑色の甘いお菓子を指で押し込んだ。

一気に甘さと果物の香りがして、孔雀は微笑んだ。

「真鶴お姉様、私も」とねだり、金糸雀も黄色いお菓子を口に放り込まれた。

「はい、泣かないの。ごはんだよ」

真鶴が促すと、二人は立ち上がった。

食堂での夕食は相変わらずで。

城に出仕している緋連雀以外全員が揃っていた。

「あっ、私の唐揚げ・・・・」

「名前書いてなかったじゃん」

そもそも兄弟がおらず一人っ子で育ってきた孔雀は食べ物を取り合ったことがないので、四兄弟で逞しく育った大嘴によくおかずやおやつを取られている。

まあいいか、後でお菓子でも食べようとそれほど文句も言わずキャベツを悲しく食んでいた孔雀に「大嘴、盗るんじゃないよ。・・・ほら、孔雀」と、見越していた真鶴が皿に唐揚げを置いてやった。

そんなこんなですっかり孔雀はこの美しくなんでも出来る姉弟子が大好きになっていた。

今回の海軍と陸軍の演習で、真鶴はさらに名を挙げていた。

実際は雪中訓練だったのだが、訓練前半で、羆が出るようになり、人喰いグマの討伐に内容が変わってしまった。

それを仕留めたのが、真鶴だった。

「すげえんだぞ・・・。真鶴姉上、ライフルで頚椎と心臓ブチ抜いてさ。その上、斧でぎったんぎったんにしたんだ・・・」

その様子は海軍側の雉鳩により生中継された。翌日、なぜそんなに肉片にしたがったのか明らかになった。羆の肉は真鶴と白鴎によりシチューにされ軍で振る舞われた。

上の世代の女家令は野禽を好むので、ガーデンにいた時によく狩猟をして食べていたらしい。

しかし、白鴎は血まみれの羆に腰を抜かし、雉鳩はシチューに手をつけなかった。

その勇姿は妹弟子達から絶賛され、孔雀は、雉鳩のライブ配信で見た姉弟子の姿は人喰い羆を退治しに行く村の勇者の酋長様のようだったとうっとりと言っていた。

「孔雀のおかげよ。おりこうさん」

孔雀が、羆の嗅覚は人間の百倍、聴覚は六十倍。視力はそれ程でもない。と書かれた手紙と、あらゆる臭いを消すという石鹸を大量に送ってきたのだ。宮城での勤務と共にアカデミーで研究職に就いている猩々朱鷺が開発したというその石鹸と洗剤は、作戦に参加する海軍と陸軍の殆どに行き渡った。一部を除いて。その一部に、白鴎がいたのだ。

つまり囮にされたわけだ。

「ツキノワじゃないんだぞ。ヒグマだぞ。・・・・こっちに向かってきた時は死んだと思った・・・」

とんでもねえ女だ、と改めて白鴎は「羆殺し」「レディタイガー」とあだ名のついた姉弟子を見た。

女神のようになんでもできるこの姉弟子は、本当になんでもやる。

「そうそう、お土産」

と、孔雀にバレーボールくらいある黒い塊を手渡す。

「わあ、これなあに」

「羆の尻尾よ。キーホルダーにしてみたの」

緑色のリボンがついていた。

心の底からいらない、と誰もが嫌そうな顔で見ていたが、孔雀は大喜び。

「おリボンついてる。かわいいポンポン。目玉をつけたらきっともっとかわいい。ありがとう、真鶴お姉様」

この妹弟子のセンスもどうも独特だ。

「ああ、子雀共、うるさいよ」

不機嫌な様子の白鷹が現れたのに、家令達が緊張して礼をした。

「お前達。城への出仕の予定を繰り上げることにしたからね。それぞれ軍への出向は一旦延期。孔雀と真鶴以外は来週から城に上がりなさい」

それだけ言うと、さっさと出て行ってしまう。

誰もがぽかんとしたままでいると、外出した白鷹を見送った金糸雀が戻ってきた。

白鷹から、かいつまんだ説明と指示が与えられたらしい。

「皇太子の二妃が亡くなったよ。今、城にいる家令は全員放逐されたらしいわ」

誰もがその衝撃を受け止めかねていた。

遅くに皇帝に即位し、リベラル派で愛妻家の現在の瑪瑙帝には正室しか居ない。となると二妃というのは皇太子の継室の事だ。

処分が下されたということは、二妃は自然死ではないのだろう。

宮廷など、伏魔殿。なんだってあり得る。

だが家令としては望まぬ展開に、城に乗り込んだ白鷹の怒りは凄まじかったらしい。

自らの下の世代である弟妹を睨みつけると、

「お前達、よくも宮城で継室を殺させたね!二度と城に戻るんじゃないよ!さもなきゃ私が全員殺してやるからね」

そう怒鳴りつけ、梟に処分を任せて来たらしい。

前皇帝と大戦を駆け抜けた戦歴のある元総家令の剣幕に、元老院も震え上がったらしい。

姉弟子の決定に従う他はなく、真鶴と孔雀以外はそのまま翌週から城に上がり、たまにガーデンに帰ってくるという日々が始まった。

その分、真鶴は軍にもアカデミーにも出向する回数も期間も長くなり、孔雀は戻ってくる姉弟子と兄弟子を待つ日々が増えた。もともとは教師役として出入りしていた城から出された兄弟子や姉弟子も以前のようにはガーデンに近づく事は許されず、会う事はできなかった。

相変わらず白鷹は厳しいし、詳細も知らされず、そもそも孔雀に尋ねる権利など無い。

二妃様、というのは、確かギルドの出身のはずなのだ。

前のギルド長の娘で、父親がアカデミーの外国人教授。海外育ちだと聞いた事がある。

王族の結婚は早いのが慣習だから、現在の皇太子も一五歳ですでに正室と結婚をしていたはずだ。その後すぐに継室を取り、そのギルド出の女性は皇帝より年上だったそうだ。

十五で結婚って、信じられない。

聞けば、家令が十五で成人というのもよっぽどな話だと言うのに、王族には成人と言う概念が無いらしい。

真鶴が言うには、

「神サマとまでは言わないけれど下々とは違うんだって言うちょっと偏った思想があってね。もともと完璧であるから王族に子供も大人もないのよ。子供は小さな人くらいの認識。生物的には何の根拠もないんだけど。今時まだそんな事信じてるとしたらカルトだけどさ。で、王族の結婚は政治だよ。家令の結婚どころか生き死にも人事であるようにね」

真鶴がそう言っていた。

「じゃ、白鷹お姉様って結婚してるの」

そんな気配が全くしないけれど。

「したした。四回結婚して四回離婚したもの」

「・・・なんで。怖い」

「当てつけ」

驚く妹弟子の頭を真鶴が撫でた。

「皇帝が継室を取る度に、結婚したんですって。でも皇帝って総家令の結婚の許可は出せるけど、反対はできないの。でも離婚はさせられるのよ。だから四回離婚させたのね」

なんで。孔雀はさらにわからないまま姉弟子を見上げた。

「あのひとたちが、皇帝で総家令だから、かな」

その時も姉弟子は、また自分の口に甘いお菓子を放り込んでくれた。

真鶴は、アカデミーで研究者として在籍している。

前期四ヶ月、二ヶ月の休暇、後期四ヶ月、また二ヶ月休暇。

休暇のその二ヶ月にきっと軍に出向で一緒に連れて行ってくれるかもしれない。

一番歳の近い大嘴は、すでに宮城に上がり、なかなか帰ってこない。

いつもおかずやお菓子を取られていたが、いないならいないでなんとなくつまらない。

出入りのメイドが食事を用意してくれるし、管理する職員もいるが、そもそも人里離れた元離宮。孔雀の最近の趣味は、荒れた庭園を手直しする事だった。

元離宮なだけあり、よくよく見ると古い木が実は木苺や胡桃の木だと気付いたのだ。

どちらも目立つ花が咲かないから気づかなかった。

休暇に姉弟子や兄弟子が戻ってくるようになると、手土産に宮城で出される菓子の類を買い込んで持って帰って来た。

それぞれに配属された部署で、若年ながら奉職しているのだ。

事情があるにせよ上の世代がごっそり抜けたのは正直厳しい。

放逐された上の世代の子供達は宮廷で育っているがまだまだ幼い。

評判のよろしくない家令になろうなんて人間は少ないのが問題なのだ。女官や官吏はあれだけ競争率が激しく大人気であるのに。

白鷹お姉様が怖すぎるんだ、と孔雀が文句を言いながら草むしりをした。

孔雀の通っていた私立の学校は幼小中高大学まであるのんびりとした学校で、そもそもあんな体罰教師は居なかった。

真鶴お姉様が戻ってきたら、白鷹お姉様にちょっと穏やかにしてくれるようにしてって言って貰おう。あの飛び抜けて優秀な姉弟子には、白鷹はあまり強く出ないから。

「マロ、真鶴お姉様、早く帰ってくるといいねえ。私もお前もカリカリだけじゃ栄養偏っちゃう」

元野良犬で現在飼い犬である雑種犬を孔雀は撫でた。

真鶴や鸚鵡、白鴎はそれぞれに料理がうまいが、真鶴がガーデンにいるときは特別おいしい食事を作ってくれる。マロにもスープを煮てくれる。

「そしたら私にもちょっとスープ頂戴ね。早く帰ってこないかな」

しかし、真鶴はその後、ガーデンに戻る事はなかった。


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