第6話 緋連雀
鵟、と呼びかけられて顔を上げた。
そう呼ばれて自然に反応するようになった自分が不思議だが、この新しい名前に親しみを感じるようになっていた。
ランドリーであるリネン室は、独特の不思議な香りに包まれていた。
洗剤と、柔軟剤と、アイロンの熱で炙られるいろんな繊維の匂い、オゾンのような、不思議と気持ちが穏やかになる香り。
「これ追加ね」
今、ほぼアイロンをかけて畳み終わったところなのに。
呆れて口をぽかんと開けた。
とんでもない美貌の持ち主で、旧宮廷軍閥の出の夫と再婚しているらしい。
ちょっと見ないくらいの美しさの姉弟子がにっこりと微笑んだ。
「まあ、おかしいったら、鯉の真似かしら。いえ、お前は、鮒くらいかしらね」
なんとも意地の悪い嫌味を言い、ぐいっと使用済みのリネンを押し付けてくる。
女中将、火喰蜥蜴、サラマンダー。それから、宮廷育ちの根性曲がり。それが彼女の慣用句らしい。
三代続く女家令の家系の彼女は、美貌も軍歴の誉れ高い、女官どころか世襲で一〇〇年以上続く女官長すら向こうに回す、かつて三国が睨み合って居た前線でも一歩も引かない女家令なのだという。
彼女の祖母も母もまた美貌で知られ、当時の皇帝の公式寵姫だったらしい。
彼女もまたそう目されていたが、そうはならなかったそうだ。
宮廷で毒を吐き、戦場で炎を吐いて暴れまわる、確かに、渾名通りの火蜥蜴、サラマンダーということらしい。
そりゃ王様の恋人なんてお断りされるわけだ、とよくわかる。
「じゃ。洗濯ね。ベッドメイキングはピシッとやるんだよ。孔雀はやわらかい布でもさもさしてるのがいいと言うけれど。私はシーツはピシッとしてるのがいい。ゆるみがあったらケツ叩くからね」
まるでシンデレラの意地悪な姉のような事を言う。
ある事に気づいた鵟が戸惑ったように緋連雀を見上げた。
「なによ」
「あの、緋連雀お姉様。服・・・」
胸元にうっすらシミがついていた。
「あら、やだ。着替えちゃうわ」
彼女は少しの戸惑いも見せずにばっさりと服を脱いで裸体になった。
ランジェリー姿の姉弟子はこちらがどきまぎする程だったが、首から左の乳房にかけて、鮮やかな赤い蜥蜴のタトゥーがあるのに、茜は驚愕した。
「きれいでしょ。私の師匠が彫ってくれたの」
「師匠ですか」
「ええ。私、日本画をやるのよ。見たでしょ。あの絵。覚えておきなさい。半畳サイズで車くらいは買えるのよ。師匠の絵なら、いいとこに土地付きで家が買えるわ」
鵟は驚いて姉弟子の肌の火蜥蜴を食い入るように見つめた。
驚いている妹弟子が愉快で仕方ないらしく、緋連雀はご満悦だ。
「いいでしょう」
「・・・なんか、不良みたい」
言ってからはっとした。
しかし、緋連雀はケタケタと笑い出した。
「いやだ、孔雀と同じ事言うんだこと。軍でタトゥーを入れてる人間は多いのよ。なんでかわかるかい」
「かっこいいから?・・・そういうのって理解できない」
そもそもそういうタイプは嫌いだ。
「ふふん。部隊の結束を高める為に同じシンボルを入れる場合もあるし。パートナーへの愛の印の場合もある。あとは死んだら、判別できるようにもね」
鵟ははっとした。
「怖じ気づいた?お前が入った世界はそういうところだよ。嫌なら孔雀に泣きついて辞めちまいなさい。白鷹お姉様に頼んでくれるわよ」
むっとした。なんで口を開けばこういう憎まれ口しか出てこないのだ。
「・・・やめません」
ふうん、とバカにしたように緋連雀が言った。
「そうそう、金糸雀はバラの花が腕にあるしね。孔雀の腹と背中には孔雀の羽模様があるんだよ。あれは私の生涯の傑作のひとつ」
こちらが戸惑うくらい大胆に下着まで脱いで全裸になる。
驚くべきは年齢の割に体にゆるみも無駄もない。いっそ華奢なくらいだ。
よく見るとあちこち古傷があった。
痛々しいものを感じて、鵟は視線をずらした。
しかし、金糸雀はまだわかるが、あの孔雀にもそんなものがあるなんて不思議でしょうがない。
「・・・嘘でしょ。あの孔雀お姉様が、そんな、刺青、なんて」
バカね、お前。と緋連雀はまた言った。
「私がサラマンダーだ、金糸雀がマンイーターだなんてかわいいもんよ。孔雀のあだ名はね、ルシファー、悪魔の王だよ。嘘だと思うでしょ。本人に聞いてみな。ああちなみに、私達は城じゃ三人セットで、三人官女なんて呼ばれたのよ。ゴーゴン姉妹とも、言われたけどね。それじゃ、ちゃんと洗濯するんだよ」
新しいシルクのスーツを見事に着こなし、そう言って立ち去った。
孔雀の私室のリネン類を持って、鵟はまた姉弟子の元を訪れていた。
「失礼します、孔雀お姉様。鵟が参りました」
教えられた通りにそう告げて、美しいドアを開けて、女家令の礼をした。
甘い果物とシナモンの香りと共に孔雀が妹弟子を出迎えた。
「お洗濯してくれたの?」
嬉しそうに言い、リネン類を受け取る。
「お洗濯っていいわよね。私、取り込むのも畳むのもしまうのも好きではないんだけどね。私、ランドリーの匂いって大好きなの」
それでは洗濯のほぼ全て嫌いではないか、と吹き出しそうになった。
「私もです」
いい匂いよね、と柔らかく孔雀も微笑んだ。
家に居場所がなくて、あちこち身の置き場を求めた事があったのだ。
駅ビル付属の学習室、図書館、そして、二四時間営業のコインランドリー。
「大体、自販機もあるし、トイレもあるし。エアコンも効いてるし、快適で・・・」
そんな話をちょっとしたら孔雀はショックを受けたように目を潤ませたのでそれ以上はやめた。
「ちょうどタルトタタンが焼けたところなの。お味見してくれる?」
早口言葉のような、タルト、というからにはお菓子なのだろう。
「それ、知りません・・・」
座って、と促されて、白地に緑色の鳥の羽が描かれたソファに腰掛けた。
「ええとね。昔むかし、タタン姉妹というお姉さんと妹さんがいて。二人で旅館兼レストランをやっていたんですって。ある日、妹が、忙しくって、お鍋のアップルパイ用のりんごを煮すぎてしまったの。大変と思って、お鍋の上にタルト生地を乗っけて、そのままオーブンで焼いてみたら、あらこれはすごくおいしい、というデザートができました。めでたしめでたし」
彼女はこう言った逸話をよく話してくれる。楽しく、心地よい。
可愛らしいリンゴの描かれたティーカップの温かい紅茶と、揃いの皿の濃い飴色になるまで煮詰められたリンゴのタルトが出された。
食べてみて、と促されて口に運んでみると、甘酸っぱく、ちょっとほろ苦く、口のなかでまた煮溶けてしまうかのような味で。
おいしい、とおもわず呟くと、よかった、と孔雀が微笑んだ。
「天河様が大好きなの。明日いらっしゃるから、焼いてしまおうと思って」
天河、とは、彼女の夫で、翡翠の次男。
じゃあ翡翠はなんなのだ、と思う。
「あら、それ。緋連雀お姉様の服ね」
バスケットの隣にハンガーにかけたシルクの家令服を見つけて孔雀が言った。
「はい、さっき洗ったので、後でお届けしようと思って。胸元にシミがあって。すぐとれましたけど」
「そう。・・・もう、緋連雀お姉様ったら無理しないといいんだけどねえ。いくら五人目と言ったって。もっとおとなしくしてもらいたいわ」
孔雀がため息をついた。
「あら、聞かなかった?緋連雀お姉様、五人目の赤ちゃん妊娠中でね。あまりお腹目立たないたちだけど」
ああではあの染みは母乳か。母親にも以前、出産前から似たようなことがあった、と思い当たった。
「ええ?あんな細いのに?」
お腹なんて、ちっとも出ていない。
「緋連雀お姉様、バレリーナだからね。すごいのよ。たまに呼ばれて海外公演に行って踊ってくるの。絵に踊りに、取っ払いのバイトで一番稼げるのは緋連雀お姉様ね」
鵟は仰天した。
「緋連雀お姉様って。城のご典医だった黄鶲お姉様が太鼓判押すくらいの多産安産でねえ。私なんか死にかけて産後も二年は寝たり起きたりだったのに」
あまり体が丈夫ではない孔雀からしたら尊敬すら覚える。
「緋連雀お姉様の一番目の女の子はね、
手を叩いて笑う。
鵟からすると引く話だが、家令の常識というものなのだろうか。
「でも、孔雀お姉様、緋連雀お姉様の旦那様って・・・」
夫は確か、元禁軍の宮廷軍閥と言っていたはずだ。
民主化された今でこそ民間人だが、特権階級には変わりない。
そんな人物の娘が、未だに家令になったりするのだろうか。
「ああ、違うの、雲雀ちゃんと緋水鶏ちゃんはね、梟お兄様の子だしね」
「・・・もしかして、保険金目当てですか?」
孔雀が吹き出した。
「やだ。おっかしいー。ふふ、緋連雀お姉様、いかにもやりそうだけど違うのよ。本当に緋連雀お姉様の粘り勝ち。梟お兄様の事が小さい頃から大好きだったんだって。嫌だ嫌だと言っていたけど、梟お兄様も最後は折れてねえ。ま、梟お兄様にしたって再婚ですけど」
孔雀はそう言うと、紅茶を継ぎ足した。
「まあ、雲雀ちゃんと、その下の緋水鶏は梟お兄様の子だしそのまま家令になったけど。禁軍の五百旗頭様との子二人と今お腹にいる子は、ちょっと揉めるかもね。今時禁軍なんて、だけど。跡取りさんに欲しいだろうしねえ。ま、そうなったらそれでいいわよ」
この姉弟子はもともと物事にあまりこだわらないたちなのだろう。
「皆がなるだけ望む幸せになるほうがいいわよねえ。そんなことよりもう一個食べちゃおうか」
アイスクリームをのせるとまたおいしいのよね、とうきうきとして言っている。
改めて不思議になる。
この彼女が、どうしたら、悪魔だのと。
やはりあの姉弟子は意地悪だ。
「あの、私、いつガーデンに行けますか」
「今ね、白鷹お姉様が丁度正念場だって。もうちょっと待ってね」
カジノでまた荒稼ぎしているのか。
「孔雀お姉様は、十五歳で総家令になったって。前聞いたけど」
「そうよ。労働基準局から文句来たんだから。当たり前よね」
「どうして?よりにもよって、なんでそんなことになっちゃったんですか」
ほんとよねえ、と孔雀は困ったように微笑んだ。
「あのね・・・、翡翠様のせいなのよ」
愛し気にそう彼女は口を開いた。
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