第5話 家令の異名

 孔雀くじゃくに「疲れたろうからまずはゆっくりしてね。ここがあなたのお部屋」と驚くほどいい部屋に案内された。

小さな胡蝶蘭こちょうらんが描かれた壁紙。

これもまたまだ見ぬ姉弟子の一人が描いたものなのだろう。

寝具、ソファ、カーテン等のファブリックが白と淡い紫で統一されていた。

浴室におかれたアメニティはバニラとラベンダーのいい香りがした。

今まで四畳半が自分に与えられた部屋だったのだ。それも妹に占領されて居場所等無かった訳だから、舞い上がるどころか戸惑うばかり。

そして、驚いた事に毎日朝になると新しい服と靴を金糸雀カナリアが持ってくるのだ。

今日はこれ着なさい、明日はこれ、とワンピースやパンツスーツの類。

家令服以外にこれ程は必要ではないだろうと恐縮すると、孔雀くじゃくに、だって可愛いじゃない、と理由になるのかならないのかよくわからない事を言われる。

公立校の制服とは全く違う、しっかりした、でも柔らかい生地。

靴はやはり裏底がコルク貼りで、足音がしないようになっていた。

その服を身につけて、見学という名目であちこち見て回っていた。

未成年だからダメと言われたカジノと、翡翠ひすいの部屋や他の家令達の私室以外ははどこでも出入り自由。

食事はレストランで好きな物を注文するように指示され、三食をそこで取っていた。

ラタンで編まれた椅子とテーブルで揃えたその上に色とりどりのパラソルが飾ってあった。常に家令の誰かと食事を共にするようになって居た。

そして、毎日午後になると孔雀くじゃくにお茶に誘われて私室に行く。

一番気に入ったのは、初日に姉弟子達と午後を過ごした甲板の庭園。

この船は中型の部類に入るそうなのだが、一般的な部屋数の三分の一以下に設計されているらしい。一部屋が大きいということだ。

家族と住んでいた標準よりは小振りであろうがいわゆる建売住宅一階部分よりも一つの部屋が大きい。

孔雀くじゃくの趣味の良さには宮廷に仕えていた頃から定評があるらしいが、更にリフォーム好きで、食器の類も大好きと有名らしい。

総家令時代には、あちこちの離宮を改装したのよ。模様替えが大好きで年中ガタガタやってる女っているじゃない。あれよ。と姉弟子は笑っていた。

この趣味の良さと居心地の良さを気に入り、年単位で借り上げているいわゆるセレブがいると言うのも肯けた。

すぐにでも仕事がしたいと言うと、服も全部はまだだし、いいのよ、と孔雀くじゃくに返された。

こんなに沢山の服を用意されて、まだ必要なのか。と改めて驚く。



でも、どうにも落ち着かない。教育機関があるのなら早く行きたいと食い下がると孔雀はため息をついた。

「それがねえ。鳥達の庭園ガーデンの責任者が白鷹はくたかお姉様なんだけど。カジノで遊んでてまだ帰らないって言うもんだから。多分、いい加減そろそろ飽きるから・・・」

なんとも呆れた理由。

「・・・白鷹はくたかお姉様と一緒に鳥達の庭園ガーデンに行けばいいんですか?」

「そうなの。あとはガーデンには青鷺あおさぎお姉様っていう、金糸雀カナリアお姉様のお母様に当たる姉弟子がいるの」

金糸雀カナリアの母親なら優しそうだ。

かの姉弟子には好感を持っていた。

お世辞にも愛情を感じられないような物言いをする両親に毅然と書類と小切手を突き出した金糸雀カナリア

まるで突然救世主が現れたような、そんな感覚を抱いていたのだ。

緋連雀ひれんじゃくお姉様が赤鬼なら、青鷺あおさぎお姉様は青鬼よ。軍での渾名もね、緋連雀ひれんじゃくお姉様が火喰蜥蜴ひくいとかげのサラマンダー、青鷺あおさぎお姉様が毒蛇の王のバジリスク」

とんでもない二つ名にのすりは青ざめた。

「・・・金糸雀カナリアお姉様は何か、あるんですか?」

「人食いワニとかクロコダイルとか。マンイーターって呼ばれてるわね」

孔雀くじゃくはまたしてもおかしくて仕方ないというように笑った。

なんという渾名あだなだ。

そんな人達が出入りする鳥達の庭園ガーデンとはどんな地獄の訓練所なのだろうとのすりおびえた。

「・・・大丈夫よ。鳥達の庭園ガーデンはね。私たちの庭という意味だから」

孔雀くじゃくが立ち上がって、キッチンで何か始めた。

のすりは先ほどからあれこれ食材を出してる姉弟子を改めて見た。

翡翠ひすい様がグラタンが食べたいと仰るものだから。一緒にケーキも焼いてしまおうと思って・・・」

孔雀くじゃくお姉様、お料理されるんですか」

孔雀くじゃくがそれがねえ、と苦笑した。

「私も翡翠ひすい様も、お城にいた時の夜食癖が抜けなくて」

「厨房から持ってこればいいのではないですか?」

この船を支えるセントラルキッチンはほぼ二十四時間動いている。



「・・・ダメダメ。あの方、基本孔雀くじゃくの飯しか食わないから」

新たな声が割って入り、なんとも美形の家令が入ってきた。

雉鳩きじばとお兄様。おかえりなさい」

孔雀くじゃくが女家令の礼をし、雉鳩きじばとが礼を返すと、のすりを見た。

「君が新しい妹だね。よろしく。ようこそ・・・カオスへ」

微笑みかけられて、つい戸惑ってしまう。

「・・・のすりと申します」

この名前を名乗るのも不思議な事に慣れてしまった。

雉鳩きじばとお兄様よ。今は、アカデミー長」

アカデミーとは、各国の優れた頭脳が集まり研究をしている機関。

「そう。そして、双子の乳母ナニーね」

「そうなの。双子、雉鳩きじばとお兄様にしつこいくらい懐いちゃってねえ。・・・私も翡翠ひすい様も天河てんが様もすっかり育児ノイローゼになってしまって。雉鳩きじばとお兄様が双子を育てたのよ」

「夜泣きにおんぶで、おかげでこの十年でぎっくり腰が二十回だよ」

雉鳩きじばとが大げさに腰をさすりながらソファに座り、光沢のあるグレーの封筒をテーブルに置いた。

「双子のアカデミーの入学案内。選考会に回すから後は好きな時に入学したらいい」

雉鳩きじばとお兄様のところに行けるなんて言ったら、あの子達、明日にでも飛び出して行っちゃう」

孔雀くじゃくは兄弟子にコーヒーを出した。

カップにはみ出さんばかりに可愛らしい羊の形の泡が乗っている。

「最近凝ってるの。ラテアートと言うのよ」

「へえ。何この泡。洗剤?飲めるのかよ」

雉鳩が息で泡を吹き飛ばしながらカップに口をつけた。

いつも思うが、なぜ彼女がお茶汲みをしているのだろう。

年嵩としかさの者からしたら確かに妹弟子だろうが、彼女は総家令だったのだろう。

「総家令の総は、総務の総だからね。雑用、苦情含めての総だな。実際、家令のうち、茶を入れる技術があるのは五人、そのうち茶を出せと言われて文句を言わず出せるのは二人」

不思議そうにしていたのに気づいたのか、雉鳩きじばとがカップに口をつけながら言った。

雉鳩きじばとお兄様の入れるコーヒーってすごいのよ。漢方薬みたいなの」

緋連雀ひれんじゃくの雑炊のような玄米茶よりはマシだね。・・・のすり、家令はアカデミーに進学出来る。待っているよ」

彼はそう言うと、双子のところへ行くと言ってカステラを口に放り込むと部屋を退出した。

「あの、雉鳩きじばとお兄様は・・・」

「あだ名?大海蛇、シーサーペントよ。毒蛇って言う人もいたけど」

俳優のように端正な彼が、と驚いた。

自分が作詞作曲らしいへんてこりんなグラタンの歌を歌いながらオーブンの準備をしているこの姉弟子の渾名あだなは何だったのだろうと不思議に思った。

「何か聞きたい?」

そんな顔をしていたのだろうか。

「あの、孔雀くじゃくお姉様は、小さい頃、家令になったって。辞めたくなかったんですか」

なぜ、彼女がまだ年端もいかぬ子供のうちに家令になったのだろうか。

自分に似た身の上だったのだろうか。

「そうねえ。連れてこられて、お前は今日から家令なんだよと言われたまま結局、今ね」

「・・・孔雀くじゃくお姉様の家令のおうちのお生まれじゃないんですよね」

「あら、興味ある?」

「興味と言ったら失礼ですけど・・・」

孔雀くじゃくはいいえ、と手の平を見せて微笑んだ。

「満たしたいと思う欲求はすべからく満たせる。これもまた家令の第一歩ね。あなたが私の話を聞きたいと言うのならば、話さなければならない事よ」

葡萄ぶどう色の目が優しく揺れた。

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