第4話 家令の異名
ドレッシングルームと呼ばれる部屋に連れて行かれた。
「さあ。就職が決まったなら服を作らなきゃ」と金糸雀に引っ張ってこられた。
桜や桃に似たピンク色の可愛らしい花木の描かれた壁紙がとても印象的だった。
桜にしては桃色が濃い。
「ティーセットと同じよ。アーモンドの花だってね」
と金糸雀がメジャーを取り出しながら言った。
確かに、カップに描かれていたものと同じ。茜はじっと花を見た。
こんな花なのか。確かによく見ると、実が成っていて、割れているものには何か種のようなものが入っている。花木に鳥や蝶が所々に遊ぶ構図。
居心地が良い部屋だった。ミントグリーンのソファが置かれ、カリン色のローテーブル。
「翡翠様の第二太子の
元王子様はなかなか商魂逞しいようだ。
続きの部屋はまるで花畑の様に衣装や美しい生地で埋まっており、見た事もない色とりどりの布地に目を奪われた。
トルソーがあちこちに置かれ、途中まで作られているドレスやジャケットが飾られていた。
「すごい」
思わず声を上げた。
「ありがと。アンタ、お裁縫は好き?出来たら手伝って貰えると助かるわ。今年、あとマリエを二着仕立てなきゃなんないの。孔雀に夜なべでビーズ刺繍させてるけど追いつかなくって。あの子、リュビネル刺繍じゃなくて手作業だから仕上がり綺麗だけど時間かかるのよね。後はボビンレース。これも買うと高いけど、孔雀にやらせるとタダだからねえ」
トルソーの胸元を飾る花と鳥の模様に織られたレースを示した。
驚いて茜は金糸雀を見た。
「これ、作ったんですか?」
「私や他の家令が着てる家令服は皆私が作ってる。家令はね、皆、自分でいろいろやらなきゃなのよ。このアーモンドもエントランスの絵も、緋連雀っていう海軍のおっとろしい女中将が描いたものだし。売り物はそのテーブルのサイズでトラック買えるんですって。自分の仕事としてはもちろんタダ働きだけどね」
そんな話を聞かせられて、自分に何ができるだろう、と茜は不安になった。
「ああ、別に今から覚えればいいのよ。絵画、縫製、宝飾彫金、塗装工、建具、溶接工、電気、水道設備、土木、建築・・・」
だいぶいろいろあるようだ。
「孔雀お姉様は?」
あの女家令は何が得意なのだろう。
「孔雀は細かい作業が好きよねえ。これとか」
金糸雀がガラスケースを指差した。
輝くばかりの宝石類が納めてあった。
眩しいカットのネックレス、優美なカメオのピン。
「美術品の修復、宝飾と彫金の類が一番得意かしらね。・・・明らかに、白鷹お姉様が宮廷所有の宝飾品のメンテナンスやリフォームやら、美術品の修復を安く済ませようって魂胆で孔雀に覚えさせたんだけどね。今は、注文の結婚指輪をぎーこぎーこ夜なべして作ってるわよ。あとガス工事も得意よ。炊飯器はガス炊きに限るとか言ってあっちもこっちもガス引っ張っちゃう・・・」
金糸雀が笑った。
「さて。アンタは何が好きかな。好きなことやればいいのよ」
何が好き、だなんて聞かれた事はなくて。
でも、トルソーに飾られたウェデイングドレスがあまりにもきれいで。
「上手にできるかわからないけど、こういうの作ってみたいです」
金糸雀は、助手が出来た、と喜んだ。
「さ。じゃあ、採寸しちゃいましょう」
メジャーをぴしりと持ち替えた。
こんなに測るのかと驚くくらいあちこちを測り、その都度金糸雀は不思議な計算式をメモする。
「聞きたい事はある?」
茜は頷いた。まだまだ聞きたい事ばかりだ。
「金糸雀お姉様は、デザイナーなの?」
主に国際法や軍事法廷を生業にしている弁護士なのだと聞いてはいたが。
「私、家令の仕事としては仕立てはタダ働きだから、自分で小遣い稼ぎにブランド持ってるの」
ほら、とタグを見せられた。
茜でも知っているブランド名がいくつもある。
「副業禁止じゃないからね。皆、結構あちこちで荒稼ぎしてんのよ」
家令とは、そういうものなのだろうか。
「あの・・・じゃ、もう一つ。さっきの。孔雀お姉様のお子さんて」
恐る恐る金糸雀に確認すると、多分、双子は翡翠と孔雀の子供なんだと言った。
「まあ、宮廷ではままある話よ。家令と王族の距離は近いし。最近はいなかったけど、官吏や女官や乳母や禁軍と王族が、なんて話は宮廷ではザラよ」
「多分というのは?」
「女家令の子はどうせ家令と決まっているから。あまり父親がどうとか関係ないの。女家令の子の父親は誰かなんて干渉しないのが通例」
「はあ・・・。あの、さっきの男の子もですか・・・」
「あの子は、多分、天河様と孔雀の子」
耳を疑った。
「いいのよ。わかるわ。ここまでくると宮廷でもあんまりない話よ。それにね。孔雀はあれで骨の髄まで家令よ。白鷹お姉様と梟お兄様が、その為に十歳で無理矢理親から引き離して召し上げたの」
「嘘でしょう・・・」
「本当。今時どうかしてるわよね。児童労働もいいとこよ」
家令は丁稚奉公から始めるのが当たり前なんだよ、と白鷹が押し切ったのだ。
十歳だなんて。まだ小学生ではないか。
「あとは質問ないの?」
「じゃあ、あの、足音がしないのはなんでですか」
「あら、気づいたの」
転ぶのではないかと思うほど高いヒールを履いているくせに、カツンとも音がしないのだ。
金糸雀がちょっと足を上げて、靴底を見せた。
足音がしない理由があって、歩き方にもコツがあるらしいが、靴底の裏側にスエードやフェルトやコルクが貼ってある。宮廷で音を立てて歩いていたら不躾、という昔からの習慣らしい。
「とりあえず家令服は儀典に着るものと普段用と。後は勤務用の家令服に近いデザインのスーツ。それから軍服と祭礼服は配属が決まったら作るから」
家令はそれぞれ軍隊にも所属する。さらに神職まで兼ねるらしい。オリュンポスと呼ばれる神殿か、バルハラと呼ばれる聖堂。どちらかは、適正によるらしいが。実際はその時々の人手不足の方につっこまれるらしい。
「孔雀お姉様は、自分でなりたくて家令になったんじゃないの?」
「子供だったらからねえ。まあ、お菓子あるよとか、猫がいるよとか言われて、半分騙されて連れて来られたのが本当よね」
「誘拐じゃない。ひどい。何で逃げなかったの?」
つい、口から出た。
「ま、孔雀に聞いてごらん」
金糸雀は茜の背中を叩いた。
孔雀に、疲れたろうからまずはゆっくりしてね、と驚くほどいい部屋に案内された。
小さな胡蝶蘭の壁紙。これもまたまだ見ぬ姉弟子の一人が描いたものなのだろう。
寝具、ソファ、カーテン等のファブリックが白と淡い紫で統一されていた。
浴室におかれたアメニティはバニラとラベンダーのいい香りがした。
今まで四畳半が自分に与えられた部屋だったのだ。それも妹に占領されて居場所等無かった訳だから、戸惑うばかり。
そして、驚いた事に、毎日朝になると新しい服と靴を金糸雀が持ってくるのだ。
今日はこれ着なさい、とワンピースやパンツスーツの類。
家令服以外にこれ程は必要ではないだろうと恐縮すると、孔雀にだって可愛いじゃない、と理由になるのかならないのかよくわからない事を言われる。
公立校の制服とは全く違う、しっかりした、でも柔らかい生地。
靴はやはり裏底がコルク貼りで、足音がしないようになっていた。
茜はその服を身につけて、見学という名目であちこち見て回っていた。
未成年だからダメと言われたカジノと、翡翠の部屋以外ははどこでも出入り自由。
食事はレストランで好きな物を注文するように指示され、三食をそこで取っていた。
ラタンで編まれた椅子とテーブルで揃えたその上に色とりどりのパラソルが飾ってあった。常に家令の誰かと食事を共にするようになって居た。
そして、毎日午後になると孔雀にお茶に誘われて私室に行く。
一番気に入ったのは、初日に姉弟子達と午後を過ごした甲板の庭園。
この船は中型の部類に入るそうなのだが、一般的な部屋数の三分の一以下に設計されているらしい。一部屋が大きいということだ。茜が家族と住んでいた標準よりは小振りであろうがいわゆる建売住宅一階部分よりも一つの部屋が大きい。
孔雀の趣味の良さには宮廷に仕えていた頃から定評があるらしいが、更にリフォーム好きで、食器の類も大好きと有名らしい。
総家令時代には、あちこちの離宮を改装したのよ。模様替えが大好きで年中ガタガタやってる女っているじゃない。あれよ。と姉弟子は笑っていた。
この趣味の良さと居心地の良さを気に入り、年単位で借り上げているいわゆるセレブがいると言うのも肯けた。
すぐにでも仕事がしたいと言うと、服も全部はまだだし、いいのよ、と孔雀に返された。
こんなに沢山の服を用意されて、まだ必要なのか。と改めて驚く。
でも、どうにも落ち着かない。教育機関があるのなら早く行きたいと食い下がると孔雀はため息をついた。
「それがねえ。ガーデンの責任者が白鷹お姉様なんだけど。カジノで遊んでてまだ帰らないって言うもんだから。多分、いい加減そろそろ飽きるから・・・」
なんとも呆れた理由。
「白鷹お姉様と一緒にガーデンに行けばいいんですか」
「そうなの。あとはガーデンには
金糸雀の母親なら優しそうだ。なんとなく、かの姉弟子には好感を持っていた。
お世辞にも愛情を感じられないような物言いをする両親に毅然と書類と小切手を突き出した金糸雀。茜はまるで突然救世主が現れたような、そんな感覚を抱いていたのだ。
「緋連雀お姉様が赤鬼なら、青鷺お姉様は青鬼よ。軍での渾名もね、緋連雀お姉様が火喰蜥蜴のサラマンダー、青鷺お姉様が毒蛇の王のバジリスク」
とんでもない二つ名に茜は青ざめた。
「金糸雀お姉様は何かあるんですか」
「人食いワニとかクロコダイルとか。マンイーターって呼ばれてるわね」
孔雀はまたしてもおかしくて仕方ないというように笑った。
茜は青くなった。ガーデンとはどんな地獄の訓練所なのだろう。
「大丈夫よ。ガーデンはね。私たちの庭という意味だから」
孔雀が立ち上がって、キッチンで何か始めた。
茜は先ほどからあれこれ食材を出してる孔雀を改めて見た。
「翡翠様がグラタンが食べたいと仰るものだから。一緒にケーキも焼いてしまおうと思って」
「孔雀お姉様、お料理されるんですか」
孔雀がそれがねえ、と苦笑した。
「私も翡翠様も、お城にいた時の夜食癖が抜けなくて」
「厨房から持ってこればいいのではないですか?」
この船を支えるセントラルキッチンはほぼ二十四時間動いている。
「ダメダメ。あの方、基本孔雀の飯しか食わないから」
新たな声が割って入り、なんとも美形の家令が入ってきた。
「雉鳩お兄様。おかえりなさい」
孔雀が女家令の礼をし、雉鳩が礼を返すと、茜を見た。
「君が新しい妹だね。よろしく。ようこそカオスへ」
微笑みかけられて、つい戸惑ってしまう。
「鵟と申します」
この名前を名乗るのも不思議な事に慣れてしまった。
「
アカデミーとは、各国の頭脳が集まり研究をしている機関。
「そう。そして、双子のナニーね」
「そうなの。双子、雉鳩お兄様にしつこいくらい懐いちゃってねえ」
「夜泣きにおんぶで、おかげでこの十年でぎっくり腰が二十七回だよ」
雉鳩が大げさに腰をさすりながらソファに座り、光沢のあるグレーの封筒をテーブルに置いた。
「双子のアカデミーの入学案内。選考会に回すから後は好きな時に入学したらいい」
「雉鳩お兄様のところに行けるなんて言ったら、あの子達、明日にでも飛び出して行っちゃう」
孔雀は兄弟子にコーヒーを出した。カップにはみ出さんばかりに可愛らしい羊の形の泡が乗っている。
「最近凝ってるの。ラテアートと言うのよ」
「へえ。何これ。洗剤?飲めるのかよ」
雉鳩が息で泡を吹き飛ばしながらカップに口をつけた。
いつも思うが、なぜ彼女がお茶汲みをしているのだろう。
年かさの者からしたら確かに妹弟子だろうが、彼女は総家令だったのだろう。
「総家令の総は、総務の総だからよ」
孔雀がそう言って笑った。
「雑用、苦情含めての総だな。実際、家令のうち、茶を入れる技術があるのは五人、そのうち茶を出せと言われて文句を言わず出せるのは二人」
不思議そうにしていたのに気づいたのか、雉鳩がカップに口をつけながら言った。
「雉鳩お兄様の入れるコーヒーってすごいのよ。漢方薬みたいなの」
「緋連雀の雑炊のような玄米茶よりはマシだね。・・・鵟、家令はアカデミーに進学出来る。待っているよ」
彼はそう言うと、双子のところへ行くと言ってカステラを口に放り込むと部屋を退出した。
「あの、雉鳩お兄様は・・・」
「あだ名?大海蛇、シーサーペントよ。毒蛇とか毒蠍って言う人もいたけど」
俳優のように端正な彼が、と驚いたが、他の姉弟子も相当だ。
自分が作詞作曲らしいへんてこりんなグラタンの歌を歌いながらオーブンの準備をしているこの姉弟子の渾名は何だったのだろうと不思議に思った。
「何か聞きたい?」
そんな顔をしていたのだろうか。
「あの、孔雀お姉様は、小さい頃、家令になったって。辞めたくなかったんですか」
なぜ、彼女がまだ年端もいかぬ子供のうちに家令になったのだろうか。
自分に似た身の上だったのだろうか。
「そうねえ。連れてこられて、お前は今日から家令なんだよと言われたまま結局、今よ」
「孔雀お姉様の家令のおうちのお生まれじゃないんですよね」
「あら、興味ある?」
「興味と言ったら失礼ですけど・・・」
孔雀はいいえ、と手の平を見せて微笑んだ。
「満たしたいと思う欲求は須く満たせる。これもまた家令の第一歩ね。あなたが私の話を聞きたいと言うのならば、話さなければならない事よ」
葡萄色の目が優しく揺れた。
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