第3話 鵟
茜は話が進むにつれてますます緊張して紅茶を飲んだ。
あまりにも自分から遠い話。
甘い蜂蜜の香りが口から喉へと染み込んで心臓まで到達しそうに感じる程どきどきする。
何がなんだか分からない。でも自分に何かが起きているという事だけはわかる。胸が苦しかった。
「あなたのお父樣のおじい樣は、家令だったのだけど」
金糸雀も自宅で両親を前にそんなことを言っていた。
「・・・
見た事も聞いた事もない父の祖父を知っているのか。この老婦人は一体何歳なんだろう。
「鶍お兄様は、
感じ入ったように白鷹がつらつらと言った。
「ストイックなタイプが未亡人と駆け落ちする?」
金糸雀がそうからかうように笑った。
驚いて茜が目を見開いた。
「お黙り金糸雀」
白鷹が妹弟子を睨みつけた。
金糸雀は肩をすくめてまた目の前の小さなケーキを口に放り込んだ。
見慣れない赤と白のケーキ。
孔雀がどうぞ、と皿にとってくれた。
「ポン=ヌフというお菓子よ。新しい橋って意味の。これねえ、おいしいのよ。おすすめ。まあ、とにかく。・・・ええと・・・なんだったかしら・・・」
おかまいなしにマイペースで優雅な様子で孔雀は、焼菓子をつまんでしばらく考え込んでいた。なんだっけ、と小さく呟く。
この人はこの人で大丈夫なんだろうかと茜は訝しんだ。
「あ、そうそう。そうなの。もし、貴女がよければ。そう、よければ。なんだけれど。家令になってもらえないかなあと思ったの」
はいこれ、と冊子を手渡された。
開いてみると、ひよこのキャラクターが、家令になるとこんないいことがあるよと吹き出し付きで宣伝しているパンフレット。
「福利厚生はバッチリよ。これもどうぞ」
エコバッグ、うちわ、反射材。シルクハットを被ったニワトリが「君の活躍まってるよ」と言っているイラストが入っている。
「お前、こんなの作ったの」
白鷹がやはりひよこがいっぱい描かれた団扇を仰いだ。どういう仕組みなのか煽ぐと団扇が光るのに驚いて目を眇めていた。
「だって。ほら、秋の就職ガイダンスで説明会に来てくれた若者に配ろうと思ったの。でも誰も来ないから余ってしょうがない・・・。このエコバッグのスパンコールなんて私、夜なべでつけたんですよ」
「お前、エコバッグよ?スパンコールつけたら洗えないじゃないの」
話がすっかりすり変わっている。
「・・・あの、なんで、私のところに来たんですか。わざわざ探すものなんですか」
茜がそう尋ねた。
孔雀は微笑むと、お茶を注ぎ足してくれた。
「あのね、男家令の子供は家令にならない場合、蝙蝠でなくともね、それでも家令の管轄内にあるの。良くも悪くも干渉する。助けることができる。・・・あなたのおじいさまは、海外に出てしまって、いろいろあって名前も変わってしまっているし。それから子供達は家令には関わらなかったから、なかなかわからなかったの。・・・苦労したわね。ごめんなさいね。おうちのことを調べたの。お父様が亡くなって、それから大変だったのね」
父親はあちこちに女を作り、家になど寄り付かなかった。それでも介護士の母が家計を支えていたのだが、その母がある日結婚することになったのだ。再婚なんだろうと思っていたら、初婚だと言う。父と母は結婚していなかったのだ。
篠山という姓になったのは、母が義父と結婚し、義父の籍に入ってから。
以前は母の広瀬という姓名だった。実父の姓など知らない。
「父は生きていた方が迷惑でしたから。死んでいる方がいいくらいです」
女家令達が顔を見合わせた。
「なんでしょうか・・・」
茜は遠慮がちに尋ねた。
「家令だなあと思ったのよ」
金糸雀がため息をついた。
「下に妹が産まれて。母も母の夫も私の扱いを持て余したのは、仕方ないと思います」
積極的にではないが、いわゆる放置に近い状態だった。
「苦労したのね・・・・」
孔雀がもう一度言った。
「いえ、そんな。大変だったこともあったけれど・・・」
「大変だったのでしょ。それを苦労というのよね。気持ちがね、辛いものね」
そうか、とすとんと何故か腹に落ちた。いつも、そう、しんどかったのは、苦労していたからなのか。
「自分が大切にされなかったという体験は、とっても恥ずかしいような、腹立たしいというか、不当な気持ちよね。自分を諦めてしまうか、歪めてしまうか。でもあなたは頑張ったのね」
茜は紅茶のカップにそっと視線を落とした。
胸が苦しくなったけれど、自分の抱えていた正体不明の痛みに名前がついて、ほっとした。なぜか涙が出た。
その様子に孔雀がため息をついた。
「ごめんなさいね。もっと早く見つけることができたらよかったのだけど。あなたの選択がどうあれ、きっと私達助けになるから。あなたのお父様だって、もっと早く見つけられたら」
茜は首を振った。
「・・・変わりません。どうしようもないやつでした」
昨年死んだと聞いた。当たり前だと思う。生きていて、どこかで知らん顔で幸せになどなっていたら、私が殺しに行くところだと茜は言った。
それを聞いて女家令達が笑った。
「家令はね、何なのかしらねえ。どうしようもないひとが多いの。本当、仕事してなきゃただのろくでなしってひともいるし。家令が悪い鳥、と言うのはね、神話に出てくる悪い鳥の事をもじったものなの。群れでやって来ては毒を吐いたり畑を荒らしたり人を食い殺したりそれはひどい事をしていたのですって」
ステュムパーリデスの鳥と言うのよ、孔雀がため息をついた。
茜は聞いたこともない呪文の様な鳥の名前にただ戸惑った。,
「だからガーデンと軍隊で厳しく調教するんじゃないの。家令に適正がある男なんて社会じゃただの市井に放置された野良犬だよ。ろくなもんじゃない」
白鷹がテーブルを指で軽く叩いて茶のおかわりを催促した。
「教育でしょ。ガーデンというのは、はいこちら、パンフレット見開き中央にある、その建物ね。まあ、寮のある学校みたいなものね」
渾身の出来らしいパンフレットを示し、小綺麗な建物の写真を見せる。
「家令になるとまずここに住んで研修をするの。そこから軍に派遣されるんだけど」
ということはこの女たちも皆、軍隊に所属しているのだろうか。
「そうなの。私は海軍。金糸雀お姉様と白鷹お姉様は陸軍。まあ他にも、海兵隊、空軍。あとは神殿や聖堂でも働くのよ」
「あの、ここって、どこなんですか・・・」
何気なく地図を見て驚いた。とんでもない田舎だ。
聞いたこともない最寄駅から一時間バスに乗って、徒歩で三時間。全く最寄じゃない。
逃げられないようにだろうかと茜はちょっと怖くなった。
「他に誰かいるんですか」
「今はね、四人。あなたより少し年上の子達よ」
あまり聞きなれない鳥の名前を四つ教えてくれた。
金糸雀が書類を見せた。
衣食住、教育の保証。加えてとんでもない額の支給金が書いてあった。奨学金にしたって、ありえない高額だ。
戸惑う茜に、白鷹が口を開いた。
「お前の命の身代金。家令は一騎当千だよ。一人で千人分の働きをすると言われていてね。大げさに言えば千人分の金と手間をかけるんだから千人分働けということよ。家令になるなら、それはお前のもの。いらないなら、すぐに出て行きな。こちらは今後一切、干渉しない」
強い老婆の口調に、身が竦んだ。
「まあ、白鷹お姉様ったら。ずっと心配して探していたのは白鷹お姉様なのに。私に茜ちゃんのお写真何回も見せてくれたのに」
ねぇ孔雀、家令になると言ってくれるといいんだけど。この姉弟子は、そう先程まで言っていたのだ。
「少しでも好印象にって、カステラもっと厚く切りなさいとか、ポンヌフのジャムは高いやつにしなさいとかチョコレートもアイスクリームも出しなさいって言ってたのよ」
気まずそうに白鷹は妹弟子に舌打ちした。
「お前、空気読まないねえ・・・」
「ふふ。空気は吸って吐くものよ。・・・茜ちゃん、大丈夫。白鷹お姉様は身代金とか懸賞首とか言う言葉が好きなのよ。つまりそれはあなたのお小遣いだと思って。ねぇ、あなたに家令の適正があるとしたらきっと素晴らしいものでありますように。でもそれは普通に生きてたら身を持ち崩す一因にもなるかもしれない。せっかくだわ。幸せになって欲しい」
幸せになって。初めて言われた。両親に、そう望まれた事はあったと思う。望まれただけだけれど。でも、どうやって。
どうすればいいか、その方法を教えてくれるというのか。
「んん。まあ、幸せの基準は、家令基準ではあるけどね」
孔雀がちょっと口籠った。
「白鷹お姉様が仰るには・・・女がやらなきゃいけない面倒くさい事をなにもしないでいいし、やりたい事は全て与えられる。という事は約束するわ」
まだ若い者に対して何と身勝手で身も蓋もない説明だろうと言った本人も思ったのだろう。ちょっと反省しているような表情をしたのがおかしかった。
「でもこれにねえ。私はぐっときたものだから・・・」
ほらお前、適性があったのよ。私の見る目の確かな事、と白鷹は得意気に笑った。
金糸雀が、おお、バカバカしい、と苦笑しながら茜に笑顔を向けて言った。
「さあ、どうしようね。お前を悪い鳥が唆そうとしているけれど」
茜は決然と顔を上げた。心は決まった。
孔雀がその様子を見て楽しそうに白鷹と囁き合った。
良かったですね、お姉様。
ああ本当。安心したわ。こんな嬉しいことってないね。
「名前はどうするの。白鷹お姉様」
「白鷹お姉様のトシ的にも最後の妹弟子よ。よっく考えてよね」
また白鷹に睨まれて、金糸雀が肩をすくめた。
「
「のすり?」
そんな鳥がいるのか。
「あら、いいこと。小型の猛禽類でね、すごく高く舞い上がる鳥よ」
孔雀が微笑んだ。
「はい、白鷹お姉様。この筆ペン、すごく書きやすいの」
名前を付けた人が書類を書くらしい。
白鷹は受け取ると、青の混じった美しい墨で流麗な書面を記した。
こんな達筆で書かれても読めない。
いわゆる契約書よ、と白鷹が言った。
「署名をしなさい」
金糸雀が筆よりこっちがいいだろうとペンを渡した。拇印を押して署名をした。それを受け取ると、孔雀は自分の右手の親指の緑色の石の指輪をくるりと回して朱肉につけて署名の上に捺印した。印鑑になっているらしい。
白鷹はほっとしたようにその書類を一読した。
「これでよし。今日がお前の誕生日になるよ。・・・どんな時も家令である事を忘れないように。兄弟姉妹が円環状にいる事を忘れないように。最後の一滴まで血と命を燃やして生きなさい。そうすれば、必ず兄弟姉妹はお前に報いるよ」
決まり文句なのだろうか。白鷹がそう言うと、孔雀と金糸雀が立ち上がり、また美しい礼をした。
「さあ、あなたは今から私達の可愛い妹。どうぞそのようになりますように」
孔雀はそう言うと、茜の手を取って抱きしめて頬に軽く口付けた。
茜にはただ不思議な香りとしかわからなかったが、孔雀の好む白檀と月桂樹とトンカビーンズの香料と、それと彼女自身の不思議な香りに包み込まれた。
こんな風に他人に抱きしめられた事などないしそんな習慣もない。
孔雀は上機嫌でにこにこと笑っていた。
「ああそれとね。家令になったら何が起きたってもう思い悩まなくたっていいのよ。家令は、苦労とか不幸に執着しないで楽しく生きていけばいいんだからね。大変なことも多いのは本当だから、長続きするように嫌にならないようにね」
いい年した女が、なんという楽観的で即物的な生き方だろう、と茜は笑ってしまった。
それから、次から次へと、他の家令へと引き合わされた。
兄弟子、姉弟子と紹介される誰もがが容色に優れ、魅力的な人物であったのには驚いた。
美形というか、皆、人目を引くというか、華があるのだ。
しばらくゆっくりすればいいのに、という孔雀の提案を、茜、鵟は恐縮して断った。
まだ新しい環境での浅い日々での感想ではあるが、家令というのは誰もがちょっと変わっているようだが、この姉弟子はどうも他の兄弟姉妹と違う。マイペースというか、独特な感性というか。
驚いた事に、しかも皇帝が即位していた時代、家令の長であり、皇帝を支える総家令の職にあったらしいのだ。
もっとびっくりしたのは、こっちに来て、と嬉しそうな孔雀に連れられて、船の一番上階のフロアに連れて行かれた時。
そこに居たのは、元皇帝という人物と、先ほどまで果樹園の草の上で遊んでいた十歳くらいの同じ顔、背丈をした双子の少女と、まだ小さい男の子。
「
「そりゃあ大変なプレッシャーだね、早速かわいそうに。けど決まっちゃったからには、ようこそ。さあ、楽しんで」
彼はそう優しく言うと、微笑んだ。
子供達がそわそわして見ていた。
「ママ、新しいお姉さん!?」
「すごい、ブラックなのに募集来たの!?」
「・・・募集は来なかったの。スカウトよ」
孔雀の子供達のようだ。
「そうよ、あなた達のお姉さんになるんだから」
女家令の子は家令と言っていた。そうか、この子供達もいずれそうなるのか。
複雑な思いで見ていたのに、翡翠は口を開いた。
「家令はブラックだからね。自家生産するんだよ」
「まあ、翡翠様まで。だってハローワークからも断られる始末です。それでなくても労基に目をつけられていますしね・・・」
膨れた孔雀を愛しげに翡翠は見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます