第2話 同じ日を繰り返す

 バーに連れていってもらったことを、普段であれば忘れっぽいはずの昇は忘れるような気がしなかった。特に女性に連れて行かれ、ペースを完全に相手に握られた状態であったのだから、一緒にいる時は、有頂天になっていたはずである。

 有頂天になっていると、宙に浮いたかのような気持ちになって、完全に自分のペースではなかったはずだ。そんな時の心地よさは、もちろん夢心地であったはず。当然のように意識が飛んでいてしかるべきだっただろう。

 それなのに、よく忘れなかったものだ。

 しかも、

――今度はいつ綾に話しかけよう――

 と考えていたことだろう。なかなか話しかけられないのは、それだけ昇の性格がシャイだということなのか、それとも、あの日の自分が特別で、調子に乗って自分から声を掛けてしまうと、玉砕に繋がらないとも限らない。せっかくうまく行きかけているものを、自らの手で壊してしまいそうになるのが怖かったのだ。

 しかし、話しかけられないのは、相手の雰囲気にも大きく依存していた。綾を見ている限り、あの日の出来事がまるでなかったことであるかのように、まったく昇に対して、それまでと態度が変わることはなかった。それはまるであの日が事故であったのではないかと思うほどで、もし事故だとすれば、綾の方が、昇との一日を忘れたいと思っているのだとすれば、昇にとって、これほどショックなことはない。

――それなら、思い切って話しかけてみて、玉砕した方がスッキリするのかも知れないな――

 と感じるほどであった。

 あれから、綾のことを意識しない時は、ほとんどなかった。

――寝ても覚めても、綾のことを気にしている――

 まさにそんな心境だったが、こんな気分にまさか自分自身が陥ってしまうなど、それまで想像したこともなかった。

 ずっと彼女がいなかった男は、諦めの境地からか、

――彼女ができたとしても、四六時中、その人のことを考えていたりはしないだろう――

 と思っていた。

 仕事だってあるのだ。一つのことに集中してしまうと、肝心なことが疎かになってしまう。彼女ができたとしても、それは肝心なことがあっての彼女であって、自分の本分を忘れることはないと思っていた。

 その思いは、今も持っている。しかし、まだ彼女だと言える関係にまで発展したわけではない昇が、今までに、本当に彼女と呼べる人と付き合ったことがあったのかどうかすらハッキリと覚えていないのに、一人の女性が、まるでこの世の中心にいるかのような錯覚に陥ってしまっているのは、まんまと、何かに引っかかってしまったというのだろうか?

――そういえば、自殺するのだって、菌のようなものがあるというではないか――

 人を好きになるのだって、何かの菌によるもので、どこまでが自分の意志によるものなのか分からない。

 なぜなら、男性の中には、自分から相手を好きになることはないが、

「俺は、相手から好きになられて、それで好きになる方なんだよな」

 と言っている人もいる。

 昇の同僚にも同じような人がいるが、得てしてそんな人の方が、誰かに好かれて、その人のことを意識するようになると、まわりに包み隠すことなく、相手の女性を好きになったことを曝け出している。

「人って分からないものね」

 他人事のように傍観している噂好きのOLたちにとっての、格好の話の肴にされているようだ。もちろん、本人はそれでも構わない。肴にされることが、自分にとっての何かの証だとでもいうのだろうか。それまでまわりに対して自分を隠すことばかり考えていた人が急に変わるのだから、恋愛感情というのは、やはり自分からだけではなく、外部からの、そう「菌」のようなものが影響していると考えるのも、間違いではないのかも知れない。

 昇は、綾のことを考えている時、

――まるで自分ではないみたいだ――

 と感じる時があった。

 それは、好きになった人に対して、自分が何をしたいのか、明確に分かった瞬間を感じたからだ。そのくせすぐに忘れてしまう。忘れっぽい性格が災いしていると思いながら、

――忘れっぽいのは、本当に自分の性格なのだろうか?

 と思うようになっていた。

 自分の中にいるもう一人の誰かが表に出てきた瞬間、それまでの自分が打ち消されてしまったことで、それまで考えていたことが中断されてしまったかのように感じる。もしそうなのだとすれば、

――俺って、結構残酷な運命なんじゃないかな?

 と感じた。

 いやいや、忘れっぽいだけのことで、残酷などという言葉が結びつくはずもない。残酷だと思うのは、自分に対してではなく、自分の中にいるもう一人の誰かではないだろうか?

 その人は、決して表に出ることもなく、本当であれば、ひっそりと影のような存在でなければならない。そんな人が自分の中にいるのかも知れないと思うと、少し気持ち悪くなった。

――でも、これって俺だけの問題なんだろうか?

 他の人にも同じように、もう一人の誰かが自分の中にいて、その人は決して表に出ることもなく、影となって支えてくれている。まるで守護霊のようではないか。

 守護霊という言葉は、何度となく聞かされたことがあった。

「ご先祖様が、あなたを守ってくれているのよ」

 と、いう話だったが、考えてみれば、

――自分を守るためにいる守護霊って、あの世に行けずに、この世を彷徨っている霊のことになるんじゃないのかな?

 ということは、何かこの世に未練のある人たち?

 そんな人が自分の先祖にいるということだろうか? 守護霊は、誰にでもいて、しかも、一人ではなく、数人はいるという話を聞いたこともあった。そんなにたくさんの守護霊が、そう都合よくいるというのもおかしなものだ。

――ひょっとしたら、守護霊という役目を果たさなければ、成仏できないのかも知れない――

 つまりは、死んでから成仏するまでには段階があり、守護霊としての時間が誰にでもあるということになる。

 すると、今度は新たな疑問が出てくる。

 先祖というのは、自分を産んでくれた親から遡るわけなので、時間的な問題として、数人の人が守護霊として守ってくれているのだとすれば、一体自分の守護霊は、いつの時代の人たちになるというのだろう?

――百年前? それとも二百年前? そんなに長い間成仏できずに、守護霊になるために待っていたということになるのだろうか?

 どう考えても理屈に合わない。

 元々、死後の世界のことなのだから、現世の理屈に合わせようというのが無理なことである。ということは逆に言えば、何とでも解釈できるということであり、発想も無限に広がってもいいということになるだろう。

 今までに、死後の世界のことなど考えたことはなかった。ただ、テレビドラマなどで、見ていて共感するところはあった。本当はあまり気にしたくないと思っていることでも、気になって見てしまうのは、やはり、

――俺にも好奇心があるということだろうな――

 と思えたからだった。

 好奇心があっても、探求しようとは思わない。それは死後の世界というものが神聖なもので、それを侵すということは、

――神をも恐れぬ暴挙――

 になると思ったからだった。

 そう思うということは、神を信じているという証拠でもあり、死後の世界と神がいかに結びついているかなど分からないが、頭の中で一つになりながらも、

――侵してはいけない神聖な世界――

 というイメージを持っていた。

 そんな昇が、いつ頃からだろうか、不思議な現象だったり、死後の世界のことを、無意識に考えるようになっていた。

――俺の中にもう一人誰かがいるような気がする――

 と感じるようになったから、死後の世界や不思議な現象について気になるようになったのか、それとも、死後の世界や不思議な現象について気になるようになったから、自分の中にもう一人の誰かを意識するようになったのか、どちらでもいいように思っていたのだが、今は、その順序の違いが大きな影響を自分に及ぼすことになるような気がして仕方がなかった。

 綾と一緒にバーに行ってから、一週間が過ぎていた。

 その日は朝から、駅のホームから身を乗り出しそうになり、少し怖い思いをしたのだが、すぐに気を取り直し、会社に着く頃には、そんなことは忘れてしまっていた。それは昇にとって、

――いつものこと――

 であり、本人も思い出すことはないことだったのだ。だが、その日は何となくムズムズしたものがあり、それが朝の目覚めから繋がっていることを、昇は分かっていたのだ。

――目覚めは、悪くなかった――

 よかったというわけでもなかったのだが、悪い目覚めなのかいい目覚めなのかというのを判断するのは、目が覚めた瞬間ではなかった。会社に着くくらいの時間になって朝のことを思い出した時、

――今日はいい目覚めだった――

 と、感じる。

 逆に朝のことを思い出さなかった時は、いい目覚めではなかったと、自分で感じるようになっていたのだ。

 それは、自分にとっての、

――納得――

 であり、自分を納得させることは一日の間に何度かあるが、その最初が、言わずと知れた朝の目覚めである。目覚めがいいか悪いかでその日の気分が変わってくるはずなのに、目覚めのことを考えるのが会社に着く頃だというのであれば、

――それまでの自分が本当に自分なんだろうか?

 と考えるようになったとしても、不思議ではなかった。

 特に、その日は、ホームから身を乗り出しそうになったのを感じた。その時、一瞬誰かに背中を押されたような気がして、反射的に振り返った。

――お前は?

 誰かがそこに立っていた。見覚えなどあるはずのない人なのに、どうにも他人に思えなかった。

 だが、その顔に対して、

――俺じゃないか――

 それは鏡で見たこともない表情だったが、一瞬、自分だと感じた時、自分以外にありえないと思ったのだ。

 その表情は、今まで見た誰の表情よりも恐ろしいものだった。

――俺がこんなに恐ろしい表情ができるなんて――

 表情をするという発想よりも、「できる」という発想になっていた。それだけ自分のことを「過小評価」していたということなのだろうが、恐ろしい表情が、果たして

――豊かな表情の一つ――

 として、数えてもいいのだろうか? 昇は自分に対して感じることを今までにしてきたことがなかったのを今さらながらに感じていた。

 今まで自分に対して感じていたと思ったのは、夢を見る範囲内でしか感じたことがなかったのかも知れない。つまりは、自分に対しては都合よく、すべて妥当なところでしか判断していなかった。逆に言えば、妥当なところでしか判断できないことしか、自分に対して感じることができなかったのだ。つまりは、夢と同じ発想である。

 夢の中では何でもできると思われがちだが、実際には、潜在意識の範囲内でしか、行動できない。それは自分だけに言えることで、他人がたとえ空を飛べたとしても、自分にはできないのだ。それだけ夢の中での中心は自分であり、中心である自分は潜在意識を飛び越えることができない。夢というものが、何かの呪縛に捉われていると感じるのは、昇だけだろうか。

 昇は、自分に突き飛ばされた瞬間を、

――夢だったんじゃないか?

 と感じたが、それにしてもリアルだった。

 前後の記憶は繋がっているので、夢だったとすれば、辻褄が合わない。そう思うことがリアルさに繋がったのだ。

 ただ、夢というのは、寝ている時にだけ見るものだという発想であれば、その通りなのだが、起きている時に見るものも、夢の一種だと考えればどうなのだろう。その時は夢という言葉ではなく、幻影に近いものになるのだろうが、果たして起きて見る夢を、「幻」として判断していいんだろうか?

 昇は、自分の発想がどんどん深みに嵌っていくのを感じ、ハッとした。

 そして、急に我に返った時に、一つの結論めいたことに辿り着いたのに気が付いた。

――夢の中で自分に突き飛ばされたのを見て、最初、それが自分だと分からなかったんだよな――

 と感じた。さらに、

――ということは、夢を見ていたのは、俺本人ではないという考えを持ったとしても、それはそんなに奇抜な発想になるんだろうか?

 と感じた。

 誰か他の人が、ホームから突き飛ばされた夢を見ていた。その夢になぜか自分が入りこみ、夢を見ている主人公の目になって、恐怖を感じた。

 では、元々夢を見ていた人は、自分が突き飛ばされるところを客観的に見ていたということになるのだろうか?

 そういえば、自分が夢を見ている時も、時々自分が他人事のように見ていることに気付くことがあった。その時は、何も感じなかったが、感じなかったのは、自分が夢を見ているという意識があったからだろうか。普段夢を見ている時、

――今夢を見ているんだ――

 という意識を感じたことは一度もなかったような気がする。夢の中だけで完結する、自分を納得させられる意識が、実在しているのかも知れない。

 昇はその時に夢を見ていた人がどうなったのか興味があった。

――本当に死んでしまったのだろうか?

 もし、死んでしまったのだとすれば、自殺だったのではないかと思っている。しかも、それは自分の意志による自殺ではなく、「自殺菌」によるものではないかと考えていた。

「自殺菌」によって自殺させられたのであれば、その人は現世を霊となって彷徨っているか、それとも、意識も記憶もない中で、現世で「生き直しているか」のどちらかであろう。

 昇は、その人は現世で「生き直している」と思った。

 記憶や意識をなくしたというのは、起きている時だけで、夢を見ている時は、意識も記憶も残っているのではないか。しかし、それを自分のこととして見ることはできないので、誰かを借りることで、記憶や意識を再現できる。それが唯一の「自殺菌」により自殺した人がこの世で感じることのできる、

――生きていた時の記憶――

 だと思った。

――この人は、俺を通してなら、自殺する前の自分の記憶を取り戻すことができるのかも知れないな――

 と感じたが、それも今は夢の中でしか実現できないことだった。

 ただ、それは現世を生きている自分の発想の限界であった。

 だが、それにしても、よくここまで発想できたものだと、我ながらビックリするほどだった。

 まるで見てきたかのような発想に、今度は自分でどこまで納得できるのか、考えてしまうほど、一度生まれた発想は、留まるところを知らない。

 そうやって考えてくると、一日を繰り返してしまっている発想を頭に抱いたことも、まんざら遠い発想ではないのかも知れないと感じた。

 今までに、何度か、

――一日を繰り返しているのではないか?

 と思ったことがあった。

 この間は、初めて感じたように思っていたが、その思いが急に変わってきたのも、

――自分の中に他に誰かがいるのではないか――

 という発想を持った時だった。

 元々、一日というものの定義は天文学的なものであって、一日という単位は人間だけのものではないかと思っているところに、何者かの力が働いて一日を繰り返しているのだとするならば、その何者かの力というのは、人間以外の何物でもないような気がする。

――ということは、自分の発想の域を出ないということだろうか?

 そう考えると、夢の延長線上にあるものだという考えが一番納得のいくものになるだろう。

 夢と一日を繰り返している発想が同じところから来るものだとすれば、

――一日を繰り返しているのは、本当に自分だけなのだろうか?

 という発想も生まれてくる。

 一日を繰り返すのが自分だけだからこそ、この発想は奇抜なものとして、自分の中に戻っていたはずだ。しかし、他にもいるとすれば、自分の中で説明がつかなくなる。それを恐れたことで、一日を繰り返すのは自分だけだと言い聞かせているのかも知れない。その発想が、今度は夢との間に分離を呼び、夢と一日を繰り返しているという発想が、簡単に結びつくものではないと思えるようになった。

 不思議なことを理解するには、夢だと思うことが一番手っ取り早い。その考えに逆説を唱えているようなものだった。

 この間、バーで綾と話をしている時、

――俺は肝心な部分の何かの記憶を失っているような気がする――

 と感じたのを思い出した。

 それがどんな記憶なのか、その時は想像もしていなかったが、一日を繰り返しているという考えを持ったことで、何か思い出せそうな気がしてきた。

――徐々に俺は、自分の記憶の核心に触れようとしているのかも知れない――

 と感じていた。

 昇は、それが本当に自分の記憶なのか分からないということを意識しながら、わざと意識しないようにしていた。下手なことを考えると、せっかく、思い出せるかも知れない記憶が思い出せなくなると思ったからだ。

 一日を繰り返しているという発想は、いろいろなことを連想させてくれる。そして、最後に辿り着いた意識が、

――元に戻るには、死ぬしかない――

 ということだった。

 そこまでの結論に辿り着くまで、果たしてどれだけの時間を要したというのだろう。

 いや、時間を要したというよりも、いろいろな考えが頭の中を過ぎったのだろうと思う。その中で、どれとどれを結びつけて、自分の中で確立したものにしてしまうかが大きなポイントだと思っていた。

 しかし、結びつければ結びつけるほど、堂々巡りを繰り返す危険性が高まってくるとこに気付かなかった。

 ここでは敢えて危険性だということにするが、堂々巡りを繰り返すことが危険性だけを孕んでいるという発想には最初から疑問を持っていた。モノには危険性が表に出てきているものは少なくはないが、危険性ばかりを見ていると、その内面にあるものを見逃してしまいそうな気がする。

 昇は、危険性ではない堂々巡りを考えてみようと思うようになっていた。その手始めとして、

――一日を繰り返している――

 という発想であった。

 あまりにも唐突で、信じられない想像上のものだからこそ、できることではないかと思うのだった。

 一日を繰り返しているという思いは、午前零時を回った瞬間に気付くものだと思っている。逆に回った瞬間に気付かなければ、自分が同じ日を繰り返していることに気付かないのではないか。つまりは、同じ日を繰り返していても、そのことには気付かない。なぜなら、本人が気付かなかった瞬間に、前の日の記憶は失われてしまうからだ。

 前の日の記憶が失われるのは、そう考えてみれば、当たり前のことであり、失われた瞬間から、もし同じことを繰り返していたとしても、それはその人にとって、

――今までになかった新しい世界――

 であることに変わりはない。

 考えてみれば、今までになかった新しい世界という方が、新しく作るという意味では大変なことのように思う。それが当たり前のように過ぎていくということは、新しいものを作るというのは、日常茶飯事の出来事なのかも知れない。

 パラレルワールドというのを聞いたことがあるが、無限に広がる可能性の世界の中で、一つのことを繰り返すという方が、かなりのレアなタイミングということになるではないだろうか。

 では、一度でも、午前零時を回った瞬間に、

――同じ日を繰り返している――

 と感じたとすれば、かなりのレアなタイミングを引き当てたことになる。

 そして、気が付いたくせに、すぐにはその事実に対して意識できないということは、

――日が変わった瞬間に、毎日、すべての人がしなければいけない「リセット」となるのだ――

 と、感じた。

 ということは、一日を繰り返すということは、その「リセット」することを忘れたということになるのだろうか?

 リセットが無意識に行われるのであれば、「忘れた」という感覚はおかしい。

――何者かの手によって、リセットが邪魔されてしまった――

 と考えるのが妥当ではないだろうか。

 そこで考えたのが、「自殺菌」のような菌の存在だった。

――自殺菌以外にも人間に寄生して悪さをする菌が他に存在するのではないか?

 という発想が生まれても無理もないことだった。

 しかも、さらに次の発想として、

――これは、人工的も誰かによって作られたものである――

 と考えるのはあまりにも突飛過ぎる発想であろうか?

 確かに自殺菌も、それ以外の菌の存在自体の発想は、かなり奇抜なものである。そこから派生した発想で、誰かの手によって作られたものだというのは、自然の成り行きによるものなのかも知れない。

 しかし、昇が菌の発想に関しては、無理のないことだと思うが、それが誰かの手によるものだというのは、飛躍しすぎだと思うのだった。その間には目に見えない境界線のようなものがあり、ひょっとすると、境界線を超えて発想できる人は、限られているのではないかと思うようになっていた。

 確かに発想には、誰にでもできるものと、一線を超えてしまうと、限られた人にしかできないものがあるというのは、昇も感じていることだった。しかし、発想し続けていくと、留まるところを知らなくなるのも昇であって、境界線を超えるのは、そんな「勢い」のようなものは必要なのだろうと感じていた。

 だが、「勢い」はその時の雰囲気から自然に生まれたものではなく、突発的なものでなければいけないという思いもあった。

――「突発的」というよりも「偶発的」だと言った方がいいかも知れない――

 昇は言葉を選ぶことで、頭の中を整理しようと思っていた。実は今までの昇からは考えらえないことだった。

 昇は結構いろいろ突飛な発想をすることが多かったが、その時に自分に言い聞かせる言葉についてはいい加減なところが多かった。

――分かればいいんだ――

 という程度のもので、言葉の意味がどうであれ、自分が納得できればそれでいいと思っていた。それなのに、今回は言葉を選んでいる。それだけ、自分の中に感じた、

――忘れてしまっている肝心なこと――

 に対しての意識が強いのだろう。

 思い出すには、少し怖い気がしていたが、それでも、どこかで思い出すことになるのだろうと思っている。偶発的に思い出すのではなく、それなりに心の準備ができていなければいけないのであれば、今のうちから意識しておこうというのは、昇だけに限らない、

――人間の心理――

 なのだろう。

 昇は自分の中で、

――一日を繰り返している――

 と、自分の中で感じたことがあったのを思い出していた。それがいつのことだったのか分からなかったが、そのことが、忘れてしまった肝心なことに繋がっているのではないかと思うようになっていた。

 ただ、昇が意識していたのは、

――一日を繰り返している――

 というもので、

――同じ一日――

 という言葉がついてこなかった。もし他の人に言えば、

「同じことじゃないか」

 と言われるのだろうが、昇はそうは思わなかった。

「一日という言葉の上に『同じ』という言葉を付けずに発想したというのは、同じ一日だとは思っていないということなんだ。もし、同じような一日を繰り返したとしても、どこかに違うところが絶対にあるはずで、それを見つけることができれば、次の日は新しい日になると思うんだ」

 何やら禅問答のようだが、昇はその発想を捨てきれないでいた。

「一日が決まった時間に思うんだけど、ひょっとしたら、毎日少しずつ違っているのかも知れないというのも俺の発想なんだ。結局、俺の発想は留まるところを知らないことになるんだな」

 というだろう。

 一日が同じ時間ではないという時点で、同じ日を繰り返しているとしても、「同じ日」ではないのだ。つまり、そのことに気が付いた時点で、次の日への扉は開かれたことになる。それが昇の発想だったのだ。

 日が変わった瞬間に、同じ日を繰り返しているという発想を、抱かなければ何ら問題がないはずなのに、どうして気が付いてしまうのだろう。

 もちろん、毎日を繰り返している人が、最初からその思いに行きつくはずもない。何日の同じ日を繰り返して、

――自分は、同じ日を繰り返すという世界から、永遠に逃れられないのだ――

 と感じた時、やっと、そのことに気付くのかも知れない。

 しかし、気が付いた時には、すでに堂々巡りに慣れきってしまっていて、新しい発想をすることができなくなっているのだ。

 自分が感じていることに対しての発想はできるのだが、この状況を打破しようとする発想には至らない。堂々巡りが邪魔をするのだろうが、この時も、何らかの菌が邪魔しているのかも知れないと思うと、同じ日を繰り返していると思っている人の気持ちが、分かっているように思えて分かっていないことに気付かされる。それが、発想する上で存在していると感じている「境界線」によるものなのだろう。

 昇は、自分が一日を繰り返していたと思った時のことを思い出そうとしてみた。しかし、思い出すことはなかなかできなかったが、その頃のちょうど、何かに悩んでいたのを思い出した。

――俺は一つのことに集中すると、他のことを考えることができなくなるからな――

 物忘れが激しいのも、そのことが一番の原因だと思っている。さらに、集中していることに悩みや迷いが発生すると、その感覚はさらにひどくなり、覚えられないどころか、

――すべてを忘れてしまいたい――

 と思うところまで発展してしまうことが多かった。

 今でこそなくなってきたが、中学時代から三年くらい前まで、

――俺は躁鬱症なんだ――

 と思うようになっていた。

 その根拠は、定期的に落ち込むことが多かったことや、落ち込み始めると、まるでアリ地獄のように抜けられなくなることが最初から分かっていたことによる。そのうちに、いろいろなことが分かっていると、

――これが俺の中の躁鬱症なんだ――

 と思うようになった。

 躁鬱症というのを意識するようになったのは、最初からではなかった。ある日突然、

――俺は躁鬱症なんだ――

 と感じたのだ。

 まず、急に疲れやすくなったことが一つで、身体もそうなのだが、一番感じたのは、目の疲れだった。

 目の前に見えているものが、急にハッキリと見えるようになった。

――本当なら逆なんじゃないか?

 と思われるのだが、

 今までは信号の青を緑色のように見えていても当たり前のように感じていたのに、目に疲れを感じるようになると、真っ青に見えてくるようになった。

――きっと疲れている目で、一生懸命に見ようとしているからに違いない――

 と思った。

 確かにその傾向はあったに違いない。

 特に夕方に疲れを感じるようになる。

 それまであまり感じたことのなかった「夕凪」の時間を意識するようになったからだ。「夕凪」というのは、夕方から夜に変わるまでの限られた時間、風がピタッと止む時間のことをいう。実際に意識していなかった時は、

――風が止む時間があるなど信じられない――

 と思っていた。

 暗くなりかける時間の方が、風が吹いている感覚が強かったからだ。

 実は、それは雨の日との錯覚であり、雨の日の薄暗い時に吹いてくる風を夕方の風と同じように思っていたからだった。確かに似ている時間なのだが、雨が降る日と夕凪とではまったく違ったものだ。それを混同しているというのは、自分が意識しているもの以外に関しては、ほとんど、記憶していないということを表していた。

 躁鬱症の時、一番鬱病の悲哀を感じるのは、「夕凪」の時だった。夕日が沈む前の時間というのは、消え入る蝋燭が、最後の力を振り絞って灯ろうとするのを感じさせる。一日の疲れを一番感じさせる時間でもあるだけに、そんな感覚を感じるのに、風が吹いてこないのは、とどめを刺されたような感覚に陥ってしまう。

 だが、「夕凪」を少しでも克服しようと思ったとしても、夕凪というのは限られた時間なのだ。しかも、鬱病の時、夕凪の時間は結構長いくせに、心境が変わってしまうと、あっという間に終わってしまう。まるでこちらの気持ちを察しているかのようなのだ。

――鬱病の時は、時間に完全に呑まれてしまっている――

 と感じることがある。

 自分の意志に完全に時間が逆らっていた。

 元々、時間というものが、その人に影響を与えることがあっても、一人の人間が時間を自由に操ることなどできるはずはない。だからこそ、時間に操られるのではなく、うまく利用する方向で行こうと考えるのである。

 時間を自分で操ろうなどと、もし考えたとすれば、その人は本当に、同じ一日から逃れられるようになるかも知れない。

 そうなった時、逃れる方法は、本当に死ぬしかないという結論に達してしまうだろう。同じ時間を繰り返すことは、そういう意味では、

――自分の傲慢さへの報復――

 になるのだろう。

 その時は必ず、何者かの手によって作り上げられた状況と言えるだろう。そうでなければ、報復ではないからだ。

 躁鬱症というのは、

――必ず終わりがやってくる――

 というのが、当然の発想である。

 鬱状態が一定期間続けば、後は躁状態が待っている。躁状態が一定期間続けば、その後には鬱状態が待っているのである。

 躁状態から鬱状態に移行する時のことは分からないが、鬱状態から抜け出す時というのは、その前兆に気が付いていた。それは、真っ暗な中に黄色い明かりがついているトンネルから、表の世界に抜け出す時のことを連想させた。つまりは、鬱状態だと言っても、真っ暗ではないということだ。

 鬱状態というのは、やることなすことがすべてうまくいかないというわけではない。一つのことをしようとすると、やればやるほど、悪い方に向かっていくというまるで、抜け出すことのできないアリ地獄のような発想だった。

――もがけばもがくほど深みに嵌ってしまう――

 それが鬱状態だった。

 だが、一般に言われる鬱状態が、昇の思っている鬱状態と一緒だと言えるのかどうか、昇には分からなかった。

 鬱状態の人に、

「あなたは、鬱病ですか?」

 などと聞けるはずもないからである。

 ただ、一度昇の方が他の人に、

「あなたは鬱状態ですか?」

 と聞かれたことがあった。

 それ以上もがいても逃れられないことが分かっていただけに、

「ええ、そうですよ」

 と、相手に対して露骨に嫌な顔をしたのを覚えている。その時の表情は鏡に写したわけでもないのに、なぜか想像できた。鬱状態であれば、自分がその時できる表情がどんなものか、容易に想像できたようだ。それだけ、その時できる表情には、限りがあったに違いない。

 その時、急に肩から力が抜けていくのを感じた。

――もがけばもがくほど、抜けられないんだ――

 ということは、その時の状況に身を任せればいいということになる。相手はその時それ以上何も言わずに二コリと笑って去っていった。

 その人とは、それから一度も会っていなかったが、その人がそれから数日後に死んだというのを聞かされて、愕然としてしまった。

――何か話をしておけばよかったかな――

 その人が死んだことに驚愕したわけではない。その人とそれ以上話をしなかった自分に対し、後悔があったのだ。

 どんな話になったかなど、想像できるものではなかったが、何か目からうろこが落ちるような話ができたような気がして仕方がなかった。

 だが、その時、一つ不思議な感覚にも陥っていた。

――この人と、またどこかで会えるような気がする――

 というものだ。

 正確に言えば、死んだと聞いた時にそう思ったわけではなく、もっと前、つまり声を掛けられた時に感じたことだった。だからこそ、死んだと聞いた時、驚愕したのだ。

 ただ、その驚愕は、後悔に繋がるものではなく、恐怖を伴うものだった。人が死んだと聞かされたことで、これほどの恐怖を感じたことはなかっただけに、自分でビックリしたのだ。なぜなら、その恐怖は、今までに感じた中でも、

――これ以上ない――

 と感じさせるくらいのものだったからだ。

 それからしばらく、昇は自分のことを、

――鬱状態になった時に、自分に声を掛けてきた人は、死ぬことになるんだ――

 という、まったく根拠のない妄想を抱くことになった。ただ、そんな妄想を抱く時というのは、自分が鬱状態に入っている時で、鬱状態から抜けている時はそんなことを考えたりはしなかった。

 なぜなら、躁鬱状態にある時の昇は、鬱状態から通常の状態に移行するわけではなく、いきなり躁状態に移行する。そして、躁状態に翳りが見え始めると、次に待っているのは鬱状態なのだ。

 そんなことの繰り返しが一年ほど続いただろうか。それが中学時代に一度あり、次には高校時代に一度あった。その間に躁と鬱をどれだけ繰り返したのか、数えたこともなかった。

 躁状態に入った時は、自分が鬱だったことを完全に忘れている。逆に鬱状態に入った時、少しの間、躁状態だった時のことが頭の中に残っている。

――残っていなくてもいいのに――

 と思うのだが、その時に感じた躁状態というのが、直前まで感じていた躁状態なのか、それともそれよりも前の躁状態だったのか分からない。考えても思い出せないのだ。

――思い出せないからこそ、鬱状態なんだよな――

 と、今さらながら鬱状態であることを再認識するのだが、そこに何の意味があるというのだろう。躁と鬱を繰り返しながら、堂々巡りから抜けられないことを感じていたのだった。

 この感覚は、昇が初めて「堂々巡り」を感じた時だった。あまり堂々巡りという言葉にいいイメージを持っていなかったのは、この時が最初だったからなのだろう。

 ただ、どうして堂々巡りにいいイメージを持っていなかったかなどということは分かっていなかった。漠然と感じる胸騒ぎのようなものがあっただけだった。

 そのうちに、いつしか、

――一日を繰り返している――

 と感じた時、最初に反射的に感じたのが、この堂々巡りの発想だった。しかし、発想はしてみたものの、一日を繰り返すことが妄想でしかなく、さらに何の根拠もないことで、堂々巡りとの関係について、それ以上考えようとはしなかった。ただ、意識だけは頭の中にあって、何かを考えるたびに、そのことが引っかかっていたのではないかと思うのだった。

 一日を繰り返しているという発想をいろいろな側面から考えているうちに、いつしか、「夕凪」の発想に辿り着いた。その時、

――どうして、「夕凪」の発想に、すぐ気付かなかったんだろう?

 と感じたほど、その時は連鎖反応であったかのように、一緒に躁鬱状態にあった時のことを思い出した。

――まるで昨日のことのようだ――

 躁鬱状態だった時のことを思い出したのだが、その思い出した瞬間というのが、鬱状態から、躁状態に変わる時のことで、正確にいえば、まだ鬱状態の中にありながら、トンネルの中にいることを想像し始め、そして、出口の明かりが見え始めた頃のことだった。

 その時に見える明かりは、レインボーに感じた。

 それまで、目に焼き付いている黄色が次第に晴れていく。トンネルの中での記憶は黄色しかなかったのだ。ということは、トンネルの中にいたのは自分一人でしかない。もし、他に誰かがいたとすれば、その人は完全な黄色ではなかったはずだからだ。

 確かに、限りなく黄色に近い色だったに違いないのだが、黄色ではないはずだ。もし、そうだったとすれば、その人の存在に気付くはずはない。

――鬱状態じゃなかったら、きっと気付くんだろうな――

 と、感じた。

 妄想の世界で、何を感じようとも、すべて根拠のないことで、信憑性などありえない。自分を納得させられるはずもないからだ。

 昇は、そんなことを感じながら、鬱状態から見えるトンネルの出口。そこにレインボーが見えた時、そのレインボーは夜の静寂の中で咲いているネオンサインのようなものだということを分かっていた。トンネルの出口が「夕凪」であるという、これも信憑性のない思いがあったからだ。

 昇の躁状態はいつも夜から始まる。日が暮れてからの時間は、昇には結構長く感じられた。

 気が付けばまもなく午前零時、本当に一日を終わることができるのだろうか?

 躁鬱症にかかっている時は、最初にそれを考えた。ただ、一日という単位は、躁鬱症にかかっている時の昇にとっては、二十四時間ではなかった。自分が躁鬱症を繰り返している間に感じる感性としての一日、だから、同じ一日でも長さや感覚が普段とまったく違っていたのだ。

 そんな思いは、しばらく続いた。一年経って躁鬱症がなくなっても、しばらくの間、感じていた。だが、その頃には、一日という感覚ではない、

――堂々巡りを繰り返している単位――

 のことだったのだ。

 躁鬱症がなくなったのに、どうして堂々巡りがなくならないのか、その時の昇には分からなかった。

――夕凪の時間を意識しなくなるわけではなかった――

 というのが、本当の理由なのだが、すぐにはそのことを分からなかった。夕凪の時間を意識しているのは、どうしてもその時間から逃れられないという思いがあったからだ。雨が降る日であっても、夕凪の時間を意識してしまう。それだけ、身体に時間という感覚が沁みこんでいたからなのかも知れない。

 躁鬱症というのは、昇には一過性のもののように思えてきた。中学時代に一度、高校時代に一度、それからは二十五歳になるまでの間に一度も起こっていない。躁状態のように何もかもがうまく行っているような時期が少しだけ存在したり、鬱状態のように、何をやってもうまく行かない時期があったりすることがあったが、躁鬱症とは無関係だった。その意識他の人には分からない。それは、一度でも躁鬱症を自分の中に意識した人間でなければ分からないことだった。

 躁鬱症から時間が経ってしまうと、自分が躁鬱症に陥ったことがあるという意識も次第に薄れてきた。躁鬱症を意識すれば、その時のことを思い出すのだろうが、意識しないと、自分がかつて躁鬱状態に陥ったことがあるということすら、分からなくなっているほどだった。

 昇が同じ日を繰り返しているという発想になったのも、躁鬱症の時に感じた、

――逃れることのできない堂々巡り――

 という感覚だけが、残っていたからなのかも知れない。実際に躁鬱症になったということすら覚えていないことから、同じ日を繰り返すということと、自分の今までの実体験を結びつけることができないのだから、それだけ高校時代から今までの間に、かなりの時間が掛かっていたということだろう。

――時間の問題なんだろうか?

 距離にしても時間にしても、長ければ長いほど、記憶から離れていたり、意識から離れていたりするという発想は、自然と頭の中に入っているものだと思っていた。

 しかし実際は、必ずしも、そうとは言えないことが起こっているにも関わらず、頭の中に残っている発想が邪魔をして、すぐには納得できないでいたのだ。

 この場合の納得とは、承服とも言えるだろう。ただ、納得と承服とでは、似たような言葉でも、ニュアンスが違っている。

――納得というのは、自分ですることもできるが、まわりからさせられることもある。しかし承服は、まわりからさせられるもので、自分でするものではない。自分でするものだとすれば、それこそ納得なのだ――

 と、思っていた。

 納得することは、汎用性があるが、承服することは、相手からの一方的なものだ。それだけ承服しなければいけないものというのは、潰しの利かない、確固たるものなのではないかと思える。

 しかし、納得することは、汎用性があるだけに、いくらでも解釈ができる。そういう意味では自分に納得させるには、少し形を変えることも致し方ないと考えることもあるだろう。それが、本来の意味と違ってしまっているかどうか、分からない。そういう意味では、簡単そうに見えても、自分で納得することほど難しいことはないのかも知れない。

 同じ日を繰り返しているのを、午前零時を過ぎてすぐに気付かなければいけないということを、どうして自分で納得できたのかということが、今でも疑問だった。何ら根拠のない信憑性のないものをいかに納得させるかというのは、本当に難しい。

 昇は、自分で実際に触ったりしたものではないと信じないというところがあった。それなのに、妄想は人一倍で、妄想したことを自分の中で幾度となく納得させてきた。それができたのも、

――納得させるには、少しくらい納得させることを自分なりにアレンジしてもいいんだ――

 という発想を持っているからこそ、できたことであった。

 二十五歳という年齢になってくると、自分が子供ではないが、大人になりきっていないという意識がまだ残っている。その意識が自分を納得させることに対して、

――まだ、自分は甘いかも知れない――

 という意識を持たせて、中途半端な意識が、一日を繰り返しているという発想を生んだのかも知れない。

 同じ日を繰り返している発想から抜け出すには、どうしても、自殺菌の発想が頭から離れない。

「同じ日を繰り返している人が、そこから抜け出すには、死ぬしかないんだ」

 と、同じ日を繰り返している人は考えているが、それは、まるで同じ日を繰り返すことでノイローゼに陥り、最後は最悪の考えを持って、結論づけるしかないと思っているからであろう。

 その考えに導くのは、死ぬことを相手に承服される「自殺菌」の存在が必要不可欠になる。ただ、少しでも自殺したいと思っている人が罹るのが自殺菌だとするならば、同じ日を繰り返しているだけの何の罪もない人に対して、自殺を強要するようなことになるのは、ルール違反ではないかと思うのだった。

――だけど、本当にそうなんだろうか?

 昇は少し違う発想を持っていた。

――同じ日を繰り返していると思っている人は、もし、同じ日を繰り返していなくても、近い将来何らかの原因を持って、自殺することになる人なのではないだろうか。そうだとすれば、少し自殺するのが早まっただけで、決して自殺菌だけを悪く言うというのは、筋違いなのかも知れない――

 という考えだった。

 さらに、これも昇の考えだが、

――同じ日を繰り返していて、ノイローゼのようになって本当に死を迎えるのであれば辛いのかも知れないが、よく考えてみれば、同じ日を繰り返している人が、死を覚悟した時というのは、サバサバしているのではないだろうか。もし、そのままいずれ自殺を道を選んだ時、同じ日を繰り返して死を選択するよりも、かなりの精神的な苦痛を伴っているかも知れないと思うのは、自殺菌に対して、かなりの擁護なのかも知れない――

 とも思えた。

――俺って、自殺菌に何を贔屓しているんだ――

 思わず、吹き出してしまうほど、滑稽なことを考えていた。しかし、こう考える方が、死んでいった人のことを一番楽に考えられる。ただでさえ、余計なことを考えているのだから、気が楽に考えて何が悪いと言うのだろう。

 ただ、昇が読んだ本には、自殺菌で死んだ人は、霊となって現世を彷徨うか、それとも、何も前世の意識を引きずらないままに、記憶も意識もまったくなくしたままで、現世を「生き直す」ことのどちらかになると書いてあった。

 昇もその意見に賛成だった。

 そういえば、昇がかつて所属していた演劇部で、自分が描いたシナリオのことを思い出していた。

 昇のシナリオは、オカルトっぽい話が多く、なかなか人に受け入れてもらえないものが結構あったような気がする。

 元々、オカルトっぽさが多い演劇部だったが、それでも昇の発想はあまりにも奇抜だと言われていた。

「お前は、どうしてそんな発想ができるんだ?」

「頭に思い浮かぶんだよ」

「確かに俺は話としては面白いと思う。しかし、これはとてもシナリオとして使えるものではない。小説なら結構いいかも知れないが、もったいないな」

 と、部長からは言われた。

――そうなのかな?

 と、結局他の人のシナリオが採用されて、半分ショックで自暴自棄になりかかった昇は演劇部を辞めて、トラウマを産んでしまった。

 そのせいで、オカルトが書けなくなってしまい、しばらく自分の頭の中でもオカルトを封印していた。

 しかし、自殺菌の本を読むことでまたしても、その頃の発想が思い浮かんで来るのを思い出していた。

 なかなか彼女ができなかったので、まわりは、そんな昇からオーラのようなものを感じていたのかも知れない。

――彼には近づいてはいけない――

 それは、女性だけではなく、男性にも言えることだった。

 昇は自分の発想が一度嵌ってくると、留まるところを知らないことに気が付いていた。

――俺って、いつも何かを考えているよな――

 それこそ、一つのオカルトっぽいことを、さらに発展させて考えている証拠であり、

――気が付けば、発想が膨らんでいた――

 というほど、無意識なことが多かった。

 発想とは、

――無意識な発展から生まれるものだ――

 と、普通の人とは少し違った発想をする昇だった。

 昇は次の日、駅のホームで電車を待っている時、

――本当に毎日見ている光景なんだが、今日は何かが違っているような気がする――

 と感じた。

 目の前に迫ってくる電車を想像できるはずなのに、その時は電車がホームに滑り込んでくる姿が浮かんでこない。それよりも、言い知れぬ恐怖が襲ってくるようで、それは頭を上げた時に、目の前に迫っている電車を感じたからだ。

 まるでホームに落下した自分が、目の前に迫ってくる電車を感じた時のようだった。ホームに転落し、ギリギリのところで頭を上げると、そこに電車があったのだが、その後どうなったのか、想像がつかなかった。

 きっと、死んでしまったのだろう。もちろん、実際に死んだわけではないので、夢の中での出来事だと思っていたが、そんな夢を見たという意識はなかった。いきなり突然に、想像の中に割って入ってきたのだ。

――自分の夢ではなく、誰かの夢が入りこんできた?

 夢の共有について、昇は考えたことがあった。

 誰か、自分の知らない人と、夢で共有しているのではないかと考えたことがあった。それは、デジャブのように、初めて見たものを、以前にも見たことのように錯覚してしまうことも、夢の共有によって説明がつきそうに思うからだ。

 夢を誰かと共有しているということを考えた時、デジャブ以外のことも、説明がつきそうな気がするのだ。不可思議なことを、一つの仮説がいくつも説明をつけられるのであれば、突飛な発想であっても、決して無理なことではないのではないかと思えてきたのだ。

 同じ日を繰り返していると感じた時も、

――誰かと夢を共有しているのではないか?

 と考えたこともあった。

 しかし、翌日になると、それが勘違いだったことに気付くと、夢の共有も必然的に考えなくてもよくなってきた。

 ただ、同じ日を繰り返しているという感覚が自殺菌と結びついて考えることができたり、午前零時を回ってすぐに繰り返していることに気付くと、前の日の記憶が消えずに残っていることを自覚していた。

 逆に考えれば、同じ日を繰り返している時というのは、

――昨日、どうしても忘れたくない記憶が残っている時――

 だと言えるのではないだろうか。

 そういえば、最近、前の日の記憶で、忘れたくないことがあったことを、日が変わってすぐに気が付くことがあった。そんな時は、ほとんど忘れてしまっているのだが、その時の口惜しさにも、次第に慣れてくるのを感じていた。

――慣れてくるのって、結構辛いことでもあるんだよな――

 と感じていた昇だが、自分を納得させるのと、どこが違うのか、分からなかった。似たような感覚でいることこそ、恐ろしいことだということに、気付いていなかったのだ。

 前の日の記憶を忘れたくないと思っている時、日付が変わると忘れてしまうのは覚悟の上だった。日付が今にも変わりそうだと言う時に、

――このまま忘れてしまいたくない――

 と念じれば、忘れることはないのだろうか?

 いや、逆に同じ日を繰り返してしまうという呪縛に捉われてしまうのかも知れない。それは、前の日の記憶に捉われるということが、まるで罪でもあるかのような発想なのだ。

 だから、同じ日を繰り返していることに気付くのは、日付が変わってからすぐでなければいけないのだ。時間が経てば経つほど、前日の記憶は薄れていって、意識しなければいけない時ほど、意識の中に溶けてしまうのだ。

 同じ日を繰り返していることに気付かないのはいいことなのか悪いことなのか、それは昇にも分からなかった。同じ日を繰り返すということは、前の日に、忘れてしまいたくない何かがある時なのではないかと、思うようになってきたからだ。もし、まったく気付かなければ、前の日の記憶はすべて消え去ってしまい、自分の中に残った前の日の記憶というのは、作られたものになるのだろうか?

 しかし、前の日の記憶がまったくないなど、想像したこともない。人と話していて、前の日のことを話題にしないとは限らないからだ。

 前の日の記憶が消えてしまうということは、自分に限らず、他の人にも言えることなのではないだろうか。自分の記憶が消えてしまうということに、他の人を巻き込んでしまうことになるからなのだろう。逆にいうと、他の人が同じ日を繰り返していることに気付かない時、自分たちも、その人に合わせるかのように、記憶を消去されているかも知れないということだ。

――何と、極端な想像なんだ――

 何が基準になっているのか、まったく分からない。一つの可能性が次の瞬間には無限に広がっているというパラレルワールドの発想に結びつくものだとしか判断できないのではないだろうか。

 そんな中で、一度だけ、忘れたくない記憶が昨日の記憶だったということを感じたのを思い出した。まるで目からうろこが落ちたかのように、同じ日を繰り返しているという意識が頭を巡った。

 その時、時計は見なかったような気がする。普通なら、昨日の記憶だと思うのなら、無意識にでも時計を見ようとするのだろうが、その時は、時計など見る必要はないと自分で思ったに違いなかった。

 体内時計を意識したというよりも、時間は間違いなく翌日になっているという意識があったからだ。それが同じ日であったとすれば、そこまで

――忘れたくない――

 という意識にならないと思ったからだった。

 日付が変わるというのは、ただ時間が来たからというだけではなく、その人の中で確実に日にちが変わったことで、明らかな変化が訪れることを示唆しているのを分かっているからだ。

 忘れたくないと思っているのは、忘れるかも知れないという気持ちの表れでもある。自分がすぐに忘れてしまうことを意識し始めたのは、いつ頃からだったのだろう? きっと、色々な発想が頭を駆け巡るようになってからのことだ。頭の中で発想が展開を始めると、その端から忘れていくことも多くなってくる。それだけ、頭の中の限界を感じている証拠ではないだろうか。

 一つのことから発想が膨らんでいくのであれば、たった一つのことを簡単に忘れるてしまうことを、まったく意識しないだろう。だが、それを意識するようになった時があるとすれば、その時が自分の意識の中の限界を知る時に違いない。

 駅のホームで電車を待っている時、ホームから転落する想像をすることで、目の前に迫ってくる電車を見てしまった。それが、見たことがあるような気がしたのを、

――他の人と夢を共有しているからだ――

 と思うようになった。ただ、翌日になって、勘違いだったと思うのは、そう思わないと、前の日の記憶を変えてしまいそうな気がしていたからだった。

 前の日の記憶を変えるということは、簡単にできるはずのないことなのに、どうして、怖がってしまうにも関わらず、簡単に納得できることなのだろうか。怖いということは信じている証拠である。それだけ、怖くてもいいから、信じたいという気持ちが強かったに違いない。

 昇は、今までいろいろな発想を持ち、自分をその都度納得させてきた。そのため、少々のことで驚かなくなっていたり、考え方が漠然としていたりする。

 そんな昇が、ある日急に、

――以前話しかけてきた女性から、また話しかけられるような気がする――

 と感じた。

 それは、遠い過去ではないはずなのに、声を掛けられたという記憶があるだけで、どんな相手だったのかということすら覚えていないほどだった。

 その日昇は、いつもと同じ時間に出勤するのが怖くて、一つ前の電車に乗り換えた。

 そこで、以前声を掛けてきた女性に出会うのだが、相手が昇のことを覚えていなかったのだ。

 昇の方は、

――分かるはずないよな――

 自分の記憶の中にはない相手を思い出すなど不可能だと思っていただけに、相手がこちらのことを分からなければ、声を掛けてきた相手と出会っていたとしても、空振りに終わっていたに違いない。

 その日、昇は彼女のことばかりを気にしながら、その日を終えた。

――何もなく終わっちゃったな――

 本当に何もない日だった。

 いや、それよりも一日の終わりに、その日のことを思い返して、

――何もない一日だ――

 などと感じることがほとんどなかったのを思い出した。

 一日を振り返るなど、今までにはなかったことだったからだ。

 そんな日に限って、

――今日一日は長かったような気がする――

 と感じた。

 さらに、時計を見ると、まもなく今日という日が終わってしまうことが分かった。

――普段から時計なんか見ないのに――

 と思うと、長かったはずの一日が、実はまだ終わらないような気がして、仕方がなかった。

 何もなかった一日が終わってしまうのが、もったいないとでも思ったのか、急に一日に未練を感じている自分に気が付いた。そして、再度時計を見ると、

――ああ、終わっちゃった――

 午前零時を少しだけ回っていた。

 夜更かしをすることなど日常茶飯事の昇にとって、午前零時はまだ宵の口である。気を取り直してテレビを付けると、昨夜と同じニュース番組を見ていることに気が付いた。

 だが、日付は確かに一日進んでいた。

――今日は、四月十五日で、昨日は確かに十四日だったはずだ――

 自分の意識と違っているわけではなかった。だが、ニュースの内容は間違いなく記憶の中にある昨日のニュースだった。しかも、同じように日付が変わって初めて見たニュースだった。

――そういえば、昨日も時計を見たんだっけ?

 あの時も確か、日付が変わったかどうかを確認したくて時計を見たんだった。ただ、さっき見たのは、同じように日付が変わったことを気にしたかったから見たのだが、その理由として、何もなかった一日が終わってしまったことを確認するために見たものだったことだ。

 一昨日、何かを感じたから、昨日時計で日付が変わったのを確認したわけではない。日付が変わったことを確認したことで、自分の中で、

――その前の日の記憶がこれで消えてしまったんだな――

 ということを確認したかったことだけは覚えている。

 それは、一昨日のことを忘れてしまいたかったということに繋がってくる。

 昇は今まで、前の日の記憶を失くしてしまいたいという思いが何度もあった。日付が変わることで、生まれ変わりたいという思いが働くのだ。いや、

――生き直したい――

 と言ってもいいのではないか。それは自殺菌によって死んだ人が、選べる二つの道の一つに繋がってくる発想である。

 ここで、自殺菌と、同じ日を繰り返している感覚が結びついてくるなど、想像もしていなかった。

――ウスウス、この二つに因果関係があるのではないか?

 と感じていたが、具体的な結びつきに感じることはなかった。

 自殺菌も、同じ日を繰り返しているという発想も、本で読んだり、テレビの番組を見ていて、漠然と自分に置き換えてみたりして、想像力を膨らませていた。それがオカルト好きな昇の発想に時間を感じさせないほどの頭の回転を与えたのだろう。

 ただ、いくら頭の回転があったとしても、噛み合わなければ、すべてが空振りに終わってしまう。ただ、スピードが遅いと、噛み合うものも噛み合わなくなってしまう。ある程度のタイミングと、自分を納得させられるだけの理由づけが必要だった。

 そんな時のキーを握っていたのが、昇に話しかけてきた女性の存在だった。昇のことを、誰か他の人と勘違いしているようだったが、話しかけてみたはいいが、本人の中で、

――そんなことはありえない――

 とでも言いたげだったのが印象的だった。オカルト好きの昇には、何となくその気持ちが分かるような気がしていた。

 ただ、その時に感じたのは、まわりのスピードが急に遅くなったことだった。彼女が話しかけてきた時のことを思い出してみると、その時はまわりのことをそれほど気にしていたという意識はないのだが、今から考えると、まわりのスピードがあまりにもゆっくりだったように思えてならない。それは、まわりの空気が凍ってしまったかのように冷たかったからなのかも知れない。

 だが、本当にそれだけだろうか?

 昇はその時だけ、二人のスピードが、高速だったように思えた。まわりが二人を意識できないほどのスピードの速さで、まわりを意識させないような膜を張っていたのかも知れない。ただ単にスピードが速いだけなら、却って意識されてしまう。まわりに意識させないコツとなるスピードが存在していて、その域にその時の二人が入っていたのだろう。

――これって次元の違いのようなものなんだろうか?

 少し飛躍した考えだったが、ここまでくれば、少々の飛躍は想定内のことだった。次元の違いという発想は、同じ日を繰り返すという時間を次元と考えるなら、説明も付けられるかも知れない。また、次元の違いが別の世界を創造するのであれば、「自殺菌」なる菌の存在もあながち認められないものでもないだろう。

 確か、この間話しかけてきた女性と再会したのは、昨日のことだった。

――確か?

 どうしてハッキリと言いきれないのだろう?

 それは、やはり同じ日を繰り返しているという発想が頭の中にあるからだろうか?

 ということは、彼女と今日ももう一度再会することになる。そういう意味では彼女との再会は何度目だと言えばいいのだろうか?

 彼女は名前を香坂ゆりかと言ったっけ。

「私ですよ。ゆりか、香坂ゆりかです」

 と、あどけない様子で彼女は言った。まるで、

「どうしたの? 忘れっちゃったの?」

 と言わんばかりのその様子に、昇はどうリアクションしていいのか分からなかった。

「あ、いや、ごめん。ちょっと疲れているのかな?」

 と、ありきたりな返事をしたが、彼女はおどけたような態度で、

「なあんだ。それならいいのよ」

 と、何度も会っている周知の仲のような態度で接してくる。

 最初こそぎこちなかった昇だが、少し話をしていると、本当に彼女とは以前から知り合いだったような気がして仕方がなくなっていた。しかも、それは、

――そんな気がする――

 というだけではなく、彼女のことで知らないはずのことまで知っていたかのように思えてくるのだった。

「そういえば、この間見た映画、よかったわね」

――映画?

 そう言われて、自分の記憶を引き出してみると、

「ああ、確か、三月の末に見に行った『タイムアップ・リベンジ』だね」

 というと、彼女は最初驚いた様子だったが、急に身を乗り出して、

「そうよ。ちゃんと覚えているじゃない」

 ここまで大げさに驚いてくれると、却って恐縮してしまった。「タイムアップ・リベンジ」というのは、彼女が好きな映画勘監督の最新作で、恋愛モノにSFチックな話を織り交ぜた、異色作だった。

 だが、そんな作品を昇は見た記憶はなかったはずなのに、ゆりかに言われて、本当に見たような気がしてきたのだ。

 それから、ゆりかと少し映画の話に花が咲いた。

――どこかでボロが出るかも知れない――

 と思いながら、恐る恐るであったが、話を合わせるつもりだったが、実際に話をしてみると、昇の方が内容を覚えているくらいで、

――俺って、忘れっぽかったはずなのに、どうしたんだろう?

 と感じた。

――ひょっとすると、中途半端に思い出そうとするから思い出せないだけで、一瞬でも、真剣に思い出そうとすれば、後は芋づる式に思い出せるのかも知れないな――

 そう思った昇は、今度は真剣に、ゆりかのことを思い出そうと思った。

――おいおい、どんどん記憶が引き出されるじゃないか――

 と、自分でもビックリしていた。

 しかし、思い出して行くうちに、疑問も湧いてくるのだった。

――これって、本当に俺の記憶なんだろうか?

 本当にゆりかに対しての自分の記憶なのかどうか、それが疑問だった。

 ゆりかというのは、自分にとってどんな女性なのか、ハッキリと思い出すことはできない。それなのに、二人で一緒にいたという「表に出ている記憶」だけが存在するのであった。

――記憶って、一体何なんだろう?

 意識していたことを、記憶という格納する場所へ移行することだと思っているが、その考えに間違いはないはずだ。しかし、まずは、意識することから始まるはずなのに、意識したという覚えがないのだ。それなのに、記憶の中に存在していた。だからこそ、本当に自分の記憶なのかどうか、疑問なのだった。

 ただ、これは、

――自分が同じ日を繰り返しているのではないか?

 という意識の中で感じていることだった。

――同じ日を繰り返しているというのは、俺の勝手な意識の中でのことで、夢を見ているだけだっていうオチだったら、おかしいよな――

 急に、同じ日を繰り返しているという発想が滑稽に感じられた。本当は一番そのことを信じていたのは自分だったはずなのに、そして、信じていたのは、いずれ自分にも訪れるという根拠のない予想が当たっただけなのに、それを滑稽に感じるというのは、相当頭の中で堂々巡りを繰り返してきたことで、何か笑えるような結論に達してしまったのかも知れない。

――ゆりかという女性は、どこまで何を知っているのだろうか?

 昇が本当はゆりかを知らないということを知っている上での話なのだろうか? もしそうだとするならば、ゆりかにはどんな意図があるのだろう? 何よりもゆりかに何のメリットがあるというのか、昇には何も分からなかった。

 ゆりかと一緒にいると、今まで知らなかった世界が見えてきた。だが、それはいいことばかりではなく、怖いことも思い出したのだった。

 中学の頃から時々起こった躁鬱症。思い出した怖いことは、その時の鬱状態に似ていた。すべてがうまく行かず、絶えず何かに怯えていた。動くことに恐怖を感じていた時のことだった。

 それでも、ゆりかに対しての不安を感じることはなかった。

――一緒にいると癒される――

 そんな思いが昇にはあった。最近、同じような思いを抱いた気がしたが、それが、綾に対してだったことは、すぐに分かった。

 昇は、自分にとってそれほどたくさんの女性と関わった意識がないだけに、すぐに思い出せるのだろう。ただ、ゆりかと一緒にいると、綾のことが気になるようになったのは最近だったはずなのに、かなり前だったように思えてくるから不思議だった。

 ゆりかと一緒にいると癒されるのに、ゆりかの表情が冴えないのはなぜだろう? それにゆりかが最初に言った「博」という名前、誰のことなのか分からないのに、名前を呼ばれると、ドキッとしてしまっていた。

 ゆりかと知り合って約一か月が過ぎようとしていた。その間に、同じ日を繰り返しているという錯覚や、鬱状態になるようなこともなく、昇の中では、

――久しぶりに平穏な時期が過ごせた――

 と思える時期だった。

 最初は、

――もう一か月も経ったんだ――

 と思ったが、一か月前のことを思い出そうとしていると、今度は、

――まだ一か月しか経っていないんだ――

 と、まるで時間が短かったかのように思えたが、実際には一か月前のことを思い出そうとすると、またしても、霧に包まれたようにおぼろげであった。そんな時、ゆりかが昇の気持ちを察したかのように、

「そろそろ知り合ってから、一か月が経ちますね」

「そうだね。あっという間だったようで、長かった気もする」

「どっちを強く感じますか?」

「最初は短かったように思っていたけど、思い立ってみると、長かった気がするんだ。漠然と考えると短いけど、知り合った時のことを思い出そうとすると長く感じるとでも言えばいいかな?」

「そうなんですね。実は私も同じ思いなんですよ。一番最初にあなたに声を掛けた時に、またお会いできるなんて思ってもいなかったので、一か月前の再会というのは、私にとっては、結構大きな出来事だったんですよ」

「それは、俺だって一緒だよ。君に一番最初に声を掛けられた時、違う人と間違えられたにも関わらず、その時のことが頭から離れなかったんだ。まったく知らない人のはずなのに、妙に懐かしさを感じてね」

「再会した時、あなたは私が間違えた人のことに触れなかったわね。私にはそれが嬉しかったんだけど、あなたは、気にならなかったの?」

「気にならなかったと言えばウソになるけど、人の過去をいろいろ詮索したって仕方ないと思ったしね。それに、誰にだって人には言えない秘密を一つや二つは持っているものさ。気にしても仕方がないしね」

「私も実はあなたにいくつか感じているわ。私がいくらあなたのことを想像しても、想像の範囲を超えることのないものがあるっていうことを。想像を逸脱してしまって、中がギクシャクするくらいなら、余計なことは考えない方がいいって私は思うの」

「それは正解かも知れないね。俺も同じことを考えているから、おあいこさ。でも、普通カップルって、こんな話しないものだって思うんだけど、俺は悪い気はしていないよ。却ってお互いのことを包み隠さずに話せているようで嬉しい」

「でも、あまりそのことを意識してしまうと、プレッシャーになってしまって、却ってお互いにギクシャクしないとも限らない。やっぱり自然が一番なのよ」

「今が自然だからギクシャクしていないのさ。お互いに話をするのも、自分が言いたいからであり、自分のことを知ってほしいと思っているからでしょう?」

「そうね。こういうお話も大切なのかも知れないわね」

 ゆりかは、そう言って一か月前を思い出していた。さらに、

「私が昇さんと間違えた博という人は、元々私が付き合っていた人だったの」

 自分が間違えた相手のことを初めて話し始めた。もちろん、昇も博という人がゆりかにとって大切な人だったというのは分かっていたし、意識していないわけでもなかった。ただ、

――いずれ話をしてくれるだろう――

 と思って自分から話をしなかったのだが、話しをしてくれるその日がちょうど、再会してから一か月経ったのを思い返したその日だったのだ。

「その博さんという人とは、どうして別れたんですか?」

 いきなり核心をついた質問になったが、一番聞きたいことを後に放っておくことのできないのが、昇の性格だった。

「別れたというか、彼は私の前から急に姿を消したんです」

「その人の家や会社は?」

「実は、彼の話していた会社や家は、存在しませんでした」

「えっ、騙されていたということですか?」

「私もそう思ったんですが、どうも違うみたいなんです。彼の存在自体が、まるでなかったかのように、いろいろ調べてみたんですが、どこにもないんです。私も何が何か分からなくなってきて、相当頭の中が混乱してしまい、しばらくノイローゼのようになってしまったんです」

 信じがたい話だが、ゆりかの話が本当なら、ノイローゼになったとしても、無理のないことだ。

 あまり女性と付き合った経験のない昇だったが、ゆりかの話を聞いていて、自分が同じような立場に立たされた場合、どうなのかということを考えてみた。

 もちろん、男性と女性の立場の違いはあるのだろうが、そんなものは建前と考えて、親身になって感じてみることにすると、次第に気持ちが伝わってくるような気がした。

 呼吸困難に陥るほどの苦しさが襲ってくるようで、そのくせ、呼吸困難に陥っている状態を、他の人に知られたくないという思いが溢れてくるのを感じた。

 今まで自分のそばにいてくれた人が、急にいなくなったという感覚は、目隠しされている状態で、今まで自分を引っ張ってくれていた絶対的に信用できる相手が、急に消えてしまったような感覚である。一歩も動くことができない。先に進むことはもちろん、後戻りもできない。さらに、その場所にいてもいいのか分からない。そんな状態に置き去りにされた人間が、果たしてどうすればいいのかを考える。

 そんな時、昇は自分の無力さを思い知らされる。本当であれば、開き直ってでも、自分が進む道を決めなければならないのに、目が見えない状態で置き去りにされた場面を一度でも想像してしまえば、もうどうすることもできなくなっている。

 だが、ゆりかは、その状態から少しでも前に進んでいるようだ。昇にはどうしてなのか分からなかったが、次第に分かってくるようになると、

――なんだ、そういうことか――

 と感じるようになった。

 ゆりかは、開き直ったのだ。自分の置かれている立場を見つめることで、

――これ以上、悪くなることはない――

 とでも感じたのだろうか? それとも、昇の存在が、密かにゆりかの心を動かしたのだろうか? だが、昇には分からない。ゆりかの立場に立って考えようと思えば思うほど、その気持ちを計り知ることはできなかった。

――これが、男と女の違いなんだろうか?

 と、考えたが、半分当たっているようで、半分は違うように思う。ということは、それだけでは、まだ足りないということなのだ。

 では、一体何がゆりかを動かしたのだろう。

 昇を最初に博という人と見間違えたほど似ていることで、昇の中に博を見たのだろうか?

 いや、それなら、一か月も付き合っていて、違和感が一度もないなどということは考えにくいように思えた。

 昇は、博という男ではないのだ。

 これはれっきとした事実であり、ゆりかも分かっているはずだ。だが、似ているということで、

――少しでも博に近づきたい――

 という気持ちになったとしても無理のないことだ。しかし、どうやっても平行線で、交わることなどないことに、すぐに気付きそうなものである。

 気付いたら、違和感の一つもあるはずだ。それがないということは、気付いていないのか、それとも、ゆりかが相手に気付かせないほど、自分を表に出さない性格なのか、あるいは、昇が恐ろしいほど鈍感なのかのどれかであろう。昇が考えるには、そのどれでもないように思えてならない。

 ゆりかが昇と一緒にいるということを博という男が知ったらどう思うだろう?

 いや、そんなことを考える必要など、今の昇にあるはずなどなかったのだ。

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