第2話 狭間世界
救急車の後ろの扉が閉まり、けたたましい音とともに、救急車は発射した。中には付き添いとして天神が一緒に乗っていった。祐樹は納得がいかなかったが、状況としては、これが一番いい判断だったのだろう。
天神が救急車に乗って行ったことに違和感を感じたのは、祐樹だけではなかっただろうが、そのことをその時に誰が口にできるというのだろう。加害者と被害者は同じく女性で天神は、
「善意の第三者」
だったのだ。
祐樹は、彼女と天神が付き合っているのではないかというウワサを何度か耳にした。
「何度か」
というのは、相手が違って、それぞれに利害関係のない相手から聞かされた話なので、表現として、
「何度か」
ということになるのだろう。
そのことは、クラスでは公然の秘密のようになっていた。グループ内では当然誰もがウワサを知っていることだったが、もちろん、加害者の彼女も分かっていたことだった。
しかし、二人の間に、それなりの確執があったことは誰もが分かっていたのだろうが、一触即発のようで、
「危ない、危ない」
と思われていても、結局何も起こらなければ、次第に興味も薄れてくる。
二人の関係は、まるで、
――オオカミ少年――
の話のようである。
「オオカミが来た」
と言って、うそつき少年がまわりにウソをつきまくって、まわりを不安に陥れたが、実際には、その少年の言い分はウソではなかった。
これは誰か一人がその少年を、
――嘘つき呼ばわり――
することで、まわりの目が彼を嘘つきだという烙印を押してしまうことになった。
集団意識というのは恐ろしいもので、一人の言い分に誰かが同調することで、まるでそれが正論のようになってしまうのだから、恐ろしいものだ。
そして、嘘つきにされてしまった少年だったが、それでも本当のことを言い続けなければいけない。
「オオカミが来た」
そして結局、本当にオオカミがやってきて、少年も村人もオオカミの群れに襲われてしまい、全滅してしまったというお話だったような気がした。
これは、祐樹の思い込みのストーリーだった。
本当は、少年には虚言壁があり、ウソをつきまくっていたのだ。その本意がどこにあるのかは分からないが、ウソをつくことで、村人は彼を信用しなくなった。
しかし、その後、本当にオオカミの群れがやってくるが、誰も信用していないので、誰も助けにはこなかった。それで少年が食われてしまうというような話が本当だったのではないだろうか。
では、どうして祐樹はそんな勘違いをしたのだろうか?
祐樹という男は、ウソをつくのが嫌いだった。
もちろん、ウソをつかれるのも嫌で、ウソをつくという行為自体、まるで他人事のようだった。
そのため、オオカミ少年の話を聞いた時、話を聞きながら、何とも吐き気を催しそうなくらい、気持ち悪さが襲ってきた。
話を聞いていて、祐樹は少年に同情的な気持ちになったのだろう。
――嘘つき少年がウソをつくには、それなりに理由があったんだ――
と考えた。
最初にそう思ってしまったことで、祐樹は少年が悪い少年ではないと勝手に解釈した。
そのせいで、
――悪いのは、村人たちの方なんだ――
と感じるようになった。
つまりは、村人の誰かが、少年を嘘つきに仕立て上げ、自分たちの正当性を集団意識の中で確立しようと考えたと思うと、話の辻褄も合ってくると思ったのだろう。
そして辻褄を合わせるには、
「オオカミが来た」
と言って、村人に訴えるが、今度は本当のことなのに、誰も信用しないという感覚は、まるで昔の日本に存在した「村八分」という、考えに結びついてくる。
しかも、日本という国は、「判官びいき」の国である。
弱いものは悲劇の主人公に対して、実に強い感情を持っている。
「オオカミ少年が、村人に陥れられて、結局は村八分から殺されることになったんだ」
というストーリー展開であっても、別に違和感なく受け入れられたに違いない。
祐樹の感情は、判官びいきとは少し違ってはいるが、似たようなものである。
――少年は、一人孤独だったんだ。だけど、少年は自分を孤独だとは思っていただろうが、寂しいとは思っていなかったように思う。だから、ウソをついたつもりはないのに、いきなり嘘つき呼ばわりされたことで、少年は自分の中のもう一人の自分が表に出てきたことを感じたのではないか――
そこまで考えてくると、オオカミ少年と自分を重ね合わせてしまう。
――俺だったら、そんな無慈悲な村人なんか放っておいて、オオカミが来ようがどうしようが、自分だけが助かるように考えるんだけどな――
と思った。
少年が本当は嘘つき呼ばわりまでされて、本当にオオカミが来た時に、村人に声を掛けたのは、最後の自分への挑戦だったのかも知れない。
「僕は、このまま嘘つき呼ばわりされることは耐えられない。いっそのこと、死んでしまいたい」
とまで思いつめていたのではないかとも思えた。
昔の村であれば、村人から相手にされなければ、村には住めないだろう。
「このまま俺は村を出ていくか、村で無視されながら、針の筵に座らされて、将来のない生活をしなければいけないんだ」
と思うと、思いつめたとしても無理もないことだ。
そこで、少年は、
「死んでもいい」
と思い、村人は信じてくれなかったが、オオカミが時々近くまでやってきているのを利用して、わざとオオカミを村に誘導することを考えた。
――これこそ、自殺行為だ――
と思った。
死を覚悟してまで、村人に対しての自分の立場を証明するには、これしかないと思ったのだろう。
もちろん、大きな賭けだった。すぐ裏には「死」の一文字が潜んでいるのだ。
少年は意を決して、
「オオカミが来た」
と必死に叫んだことだろう。
少年に対して少しでも疑いを持たない人間であれば、彼の必死さは伝わったであろうに、誰も出てきてくれる人はいなかった。
集団意識と、村八分にされることの恐ろしさが、彼らをその場から動かさなかったのだろう。
少年は、そこでオオカミに食い殺されたのであろうが、村は何もなかった。これが結末なのだが、祐樹の解釈であれば、あまりにも少年がかわいそうであり、童話として成立しないことになる。
しかし、祐樹はその後の村をいろいろ考えてみた。
少年がいなくなったことで、少しだけ平和になったような気がしたが、実際には、誰もが少年に対して同情的な気持ちがあったかも知れないと思うと、その後に引き起こされるのは、
――村人同士の猜疑心――
である。
村人は、それまで集団意識によって、少年を皆で無視することで、平和の均衡を保っていた。
いわゆる、
――仮想的――
のような感覚だろう。
ただ、少年がこの村にとって、
――必要悪――
だということに誰も気付かなかった。
悪の根源のように思われていた少年がいなくなったことで、平和になると思っている人たちは、実に
――お花畑思想である――
と言えるのではないだろうか。
誰もが、少年を仮想的にすることで、村の精神的な均衡が保たれていたのだとすれば、少年がいなくなったことで、村の均衡はどうなるというのだろう。
祐樹はそのことを、時々考えるようになっていた。
特に、瀬戸を中心としたグループにいることで、
――自分も「オオカミ少年」に出てきた村人のようにならないようにしないといけないんだ――
と思うようになっていた。
祐樹は、救急車を前にしている時にその時のことを思い出した。そして感じたのが、
――俺はまさしくこの時に、何かを言わなければいけないんだ――
という思いであった。
しかし、それが裏目に出ることも分かっていた。それは、まるで死を覚悟してまで村人に自分をどのように思っているのかを確かめようとした「オオカミ少年」のようではないか。
ただ、今回は完全に玉砕したかのようだった。
そのことを瀬戸はどこまで分かっていたのか、祐樹に余計なことを喋らせないようにするには、面と向かって言えばいいことだろう。それが一番簡単で、相手に思い知らせるには効果的だ。
しかし、瀬戸はそれをしなかった。
下手をすれば、グループ解散の危機だとでも思ったのだろうか。
それとも、祐樹の気持ちを思い計っての行動であろうか。祐樹にはハッキリとは分からない。
――「オオカミ少年」かぁ――
瀬戸の祐樹を制するような表情で、よくオオカミ少年の話を思い出すことができたものだと、祐樹は自分に感心していた。
その日は、彼女のことが気になって、なかなか寝付かれなかった。
――大丈夫だったんだろうか?
という思いもあったが、それよりも、
「もうそのくらいにしておけ」
と言った、瀬戸の言葉が気になった。
何かを言いたいようだったが、言葉が喉に引っかかっているように思えた。瀬戸は人に気を遣うことにかけては
「さすが、グループリーダー」
と言われるほど、長けている。それは自他共に認めることであり、瀬戸も自覚していなければ、きっとリーダーとして君臨することは難しかったに違いない。
元々、このグループは烏合の衆のようなものである。祐樹と瀬戸が立ち上げたと言っても、二人は性格的に似ているわけでもなく、カリスマ性に富んだ瀬戸に比べて、祐樹は一匹オオカミだった。
――オオカミ少年――
と言われても無理もないように感じるくらいなので、祐樹自身、自覚している。
瀬戸も、そんな祐樹の気持ちを分かっているのか、祐樹が瀬戸に少しでも嫉妬心を抱くと、
「若槻には若槻のいいところがあるんだ。僕だって君がいないと、ここまでグループを纏めることはできなかったんだよ」
と言われて、複雑な思いだった。
同じ複雑でも、他の人であれば、
――俺の方がリーダーにふさわしいのに――
と感じることだろう。
しかし、祐樹は小さい頃であれば、
「リーダーになりたい」
と言っていた時期もあったが、今では
「リーダーなんて面倒くさいだけで嫌だ」
と言うだろう。
だから、瀬戸に嫉妬するということはないと思っていたが、瀬戸の方で祐樹に対して、
「君がいるから」
などと言われると、思わず舞い上がってしまいそうになる。
舞い上がってしまいそうになるということは、心のどこかでは、リーダーに憧れている自分がいるということを認めていることになる。
しかし、実際には自分で認めることなどできるはずもなかった。認めてしまうと、瀬戸に「譲った」リーダーの座が元々自分のものだったということを証明してしまうことになると思えた。
祐樹にとって、瀬戸の存在は、
――自分では果たせない立場を自分に代わって果たしてくれる人だ――
という思いがあった。
だから、嫉妬などありえない。それなのに、瀬戸が祐樹の気持ちを知っているかのように、タイミングよくいなす言葉を掛けてくるというのは、まるで彼が超能力でも持っているかのようで、時々恐ろしく感じることもある。
そんな瀬戸が、祐樹に対して制するような言い方をした。
瀬戸は祐樹に対しての気の遣い方で、よほどのことがなければ制するような言い方をすることはない。
「俺っておだてに弱いからな」
と、瀬戸との会話で時々口にするくらい、瀬戸は祐樹に対して、おだてまくるところがあった。
「おだてられてしか実力を発揮できないやつは、それだけの人間なんだ」
という自負を持っている先生が中学一年生の時の担任だった。
「先生の言うとおりだよな」
と、クラスの大半の人は、先生の言葉をまともに聞いていた。
しかし、祐樹は違った。
瀬戸と仲良くなってから、自分の気持ちを明かしたことがあったが、
「先生が言っているように、おだてられてしか実力を発揮できないやつって、本当にそれだけの人間なんだろうか?」
と聞くと、
「ああ、先生の話だね」
「うん、そうなんだ。俺にはどうもまともに信じてはいけないような気がするんだ」
祐樹は、先生の言葉を否定はしなかったが、
「信じてはいけない」
という表現で、自分の中で必死になって、先生の言葉を否定しようとした。
「なるほど、若槻は先生の言葉を全面的に信用していないわけではないけど、それに当て嵌まらない人もいると言いたいんだね」
「そうなんだ」
「しかも、君はその言葉は少なくとも自分には当て嵌まらないと思っているんじゃないか?」
「そうなんだ。そして、それは、俺の身近にもいるような気がするんだよね」
「それは誰なんだい?」
と聞かれて、一瞬戸惑ったが、
「今は分からないんだけど、俺と同じ気持ちのやつが、近くにいるような気がするんだ。そいつは、同じ考えを持ってはいるけど、少し微妙に俺とは違っているように思う。だから、それが誰なのか分からないんじゃないかって感じているんだよ」
「なかなか鋭いね。僕が若槻を信用できると思っているのは、そういうところにもあると感じている。君には他の人にはない、何かがあるんだって思っているよ」
と言って、瀬戸は微笑んだ。
その言葉を聞いて、
――まさしくおだてではないか――
と感じたが、悪い気はしない。
しかも、相手が瀬戸なのだから、一番信用できる相手から言われた言葉だった。これ以上信憑性を感じる言葉はなかった。
「ところで若槻は、おだてられて力を発揮する人は、本当にそこまでの人だって思うのかい?」
「えっ?」
「いやね、先生の言葉をまともに聞くと、先生はおだてられて力を発揮する人間を悪いと言っているわけではないんだ。目に見えている部分までしか実力を発揮できない人間だって言っているだけなんだよ」
瀬戸は何が言いたいのだろう?
「だって、それは悪口のようなものじゃないかい?」
と言うと、瀬戸は笑って、
「いやいや、君には分かっているんじゃないかな?」
何が言いたいのだろう?
「どういうことなんだい?」
「君は性格的に、表に出ていることがすべてだと思われたい人間なんじゃないかって思ってね。それは悪い意味じゃないんだよ。君が真面目で正直者だって言うことなんだ。でもね、人の性格なんていいところもあれば悪いことろもある。いわゆる長所と短所だね。よく言われるじゃないか、『長所は短所の裏返し』ってね」
「確かにそうだけど、『長所と短所は紙一重だ』っていう言葉も聞くよ」
「確かにそうなんだ。まともに聞けば、それぞれで正反対のようにも聞こえるけど、僕にはそうは思えない。二つとも同じ意味に感じるんだ」
「というと?」
「二つのものを見る時、それぞれを違った地点から見るとどうだろうな? すぐ隣にあるようにも見えるけど、他の人には、裏返しにも見えるかも知れないよね。それは見る視点が違っているからなんじゃないかな? そう思うと、僕には先生の話を人それぞれで受け止め方が違うと思うんだ。そして、先生はそのことも分かっている。分かっていて僕たちに話をしたんだよ。ただ、まだ皆中学生、どこまで先生の真意を分かるか、いささか疑問だけどね」
「どうして君はそんなことまで分かるんだい? まるで神様のように見えてきたよ」
というと、
「それはありがとうと言っておこう。僕は、先生と考え方が近いと思っているんだ。そう思って先生を真正面から見てみると、先生は顔を逸らしたんだ。きっと、今まで先生は人と顔を正面から合わせたことがないんじゃないかな? 先生自身も、自分が他の人と考え方が違っていることを分かっているんだって思うんだ。だから、人と顔を合わせることに躊躇してしまい、自分を正面から見ようとしている人に、自分の気持ちを悟られそうで、怖いと思っているんじゃないかな?」
瀬戸の話を聞いていると、どんどんその話の中に引き込まれていくのを感じる。そして引き込まれた話は完全に自分のまわりを包み込み、信憑性などという次元の言葉では片付けられないほどになっていた。
――これが、瀬戸のカリスマ性なのかな?
と感じた。
最初に知り合った時も直感でカリスマ性を感じたが、その時は信憑性を自分の勘に頼った。しかし、こうやって話し込んでみると、瀬戸が祐樹をどのように思っているのか分かってきたように思う。
そして祐樹は、
――このまま瀬戸についていけば間違いない――
と感じるようになった。
瀬戸と一緒にいれば、決して悪いようになることはないという思いと、まわりの誰もが祐樹の敵となったとしても、瀬戸一人が味方でいてくれればそれだけでいいのだ。
祐樹は、そんなことを思いながら眠れぬ夜を過ごしていたが、
――自分がおだてに弱い――
ということを思い出させられると、次第に身体に暖かさがよみがえってきたようで、心地よい気分になってくるのを感じた。
――今なら眠れるかも知れないな――
と感じると、次第にうとうとしてくるのだった。
その日、祐樹は夢を見た。普段であれば、夢を見ている時というのは、意識があるわけではない。目が覚めるとほとんど忘れてしまうということが分かっているので、わざと夢の世界であると思っても意識しないようにしていた。
しかも、夢というのは潜在意識が見せるもので、
――普段からありえないと思っていることであれば、いくら夢であっても叶えることなどできるはずはない――
と思っていた。
そういう意味で、
――夢と現実の狭間が分からない――
と感じていた。
つまりは、夢の世界だと思うことで、
――一度夢の世界に入り込んでしまうと、抜けられるのではないか?
という思いが祐樹の中にある。
――夢というものが独特のものであるのは分かっているが、その独特な印象を、現実世界と混同してしまうと、どちらが夢か分からなくなり、夢でも現実でもない世界に落ち込んでしまうのではないか――
という考えも祐樹にはあったのだ。
だから、祐樹は夢を見ていると思っていても、それを夢だと認めることをしないようにしていた。
ただ、目が覚めるにしたがって忘れてしまう夢であっても、覚えていることも少なくない。
――どこに共通点があるというのだ?
と考えていると、それは、怖い夢を見た時だけ覚えているということだった。
だから、最初は、
――夢は怖い夢しか見ないんだ――
と思っていた。
夢は怖いものであり、見ると抜けられなくなるという思いは、子供の頃に感じたのが最初だったのかも知れない。
ただ、その子供の頃というのがいつだったのか、中学生になってからの祐樹には分からなかった。
ついこの間のことなのか、それとも小学生の低学年の頃のことなのか、祐樹には夢という別世界に、この世界での時系列は通用しないと思うようになっていた。
夢の世界を祐樹は、
――想像するものではなく、創造するものだ――
と思うようになった。
想像とは、どんな夢を見たのかという過去の夢を思い出そうとすることであるが、それは自分でも不可能だと思えた。しかし、これから見る夢を、今から作り出すことはできるのではないかと思った。それが、
――想像ではなく、創造――
という発想である。
この発想は、瀬戸も同じように持っていたようだ。しかし、彼は夢の世界を否定するような考えを持っていた。ただ、夢を見るということがウソだというわけではない。夢の世界はあるのだが、それが特別な世界だとは思っていないようだ。
そのことを直接話したことはないのだが、なぜか瀬戸を見ていると、そう感じるのだった。
――ひょっとして、今までに俺の夢に何度か瀬戸が出てきていたんじゃないだろうか?
と祐樹は感じていた。
その日の夢も祐樹は瀬戸を感じてはいたが、決して話ができるわけではなく、
――瀬戸も自分のことを祐樹が気付いているということを知っているのではないか――
と感じさせられたが、表情からは何を考えているか分からなかった。
――まったくの別人のようだ――
普段の瀬戸からは考えられないような雰囲気だった。
瀬戸は冷静沈着であるが、普段から暖かさも秘めていた。それなのに、夢に出てきた瀬戸には冷徹さがあり、
――何が違うんだろう?
と感じさせられたが、
――冷たさが徹底している――
ということしか分からなかった。
それは、読んで字の如しであり、冷たさが徹なのだ。
夢の中の独特さが、そんな雰囲気を創りだしているのだろう。それこそ、「創造」である。
――これが本当の瀬戸なんじゃないか?
とも感じられた。
暖かさを持ったその表情は、見せ掛けであり、俺たちが騙されていると思い始めた祐樹は、そう思うことが夢であるということを感じさせ、いつの間にか考えが堂々巡りを繰り返してしまっていることに気付いていた。
――そうか、夢というのは、繰り返しなんだ――
と思ったのは、
「夢というのは、目を覚ます寸前の一瞬に見るものらしいぞ」
という話を聞いていたからで、その話をしてくれたのが、他ならぬ瀬戸だったというのは皮肉なことではないだろうか。
瀬戸は、夢に対して特別の思い入れがあったようだ。
以前、夢について語り合ったことがあったが、すぐにその会話の内容は忘れてしまっていた。何か重要なことを聞いたような気がしたはずだったのに、なぜか思い出せないでいた。
――一体、何を聞いたというのだろう?
最初は、何とか思い出そうと、必死になって考えたが、思い出せない。喉まで出掛かっているのに、クイズの答えが出てこない時の感覚に近いのかも知れない。
だが祐樹は感じていた。
――思い出せないだけで、記憶から消去されたわけではないので、何かのきっかけがあれば、きっと思い出すことがあるはずだ――
と考えることで、
――記憶の奥に封印されているんだ――
と思うと、無理に思い出すこともないと感じて、少し気が楽になったものだ。
そう思うと、もう思い出そうという思いは失せてしまい、それ以上深く考えることはやめたのだ。
今回、自分の夢に瀬戸が何度か出てきていると思った時、瀬戸と話をした時のことが思い出せるのではないかと感じた。こういう時の祐樹の予感は結構当たるもので、考えてはいるが、無理をしないようにしなければいけないと思っていた。
夢というのが堂々巡りを繰り返していると感じた時、祐樹は瀬戸の言葉の一つを思い出した。これがきっかけになり、今まで開けなかった『開かずの扉』を開けることができるのではないかと思えた。
ただ、それが開けてはいけない「パンドラの匣」でなければいいと感じているのも事実で、何か期待できることがあると、ついついその裏に潜む危険なものを考えないではおられない祐樹には目の前にある箱がどちらなのか、ドキドキしていたのだ。
――こんなことを考えている今が、本当は夢の中なのかも知れない――
祐樹は、急にそんな思いが頭を巡り、考えていた堂々巡りが半永久的に続いていくものではないかと思うと、恐ろしさで背筋が寒くなるのを感じた。
それは、自分の前と後ろに大きな鏡を置いて、そこに写っている自分が永遠に増殖し続ける想像をしていた。
小さい頃に初詣に出かけた時に入ったミラーハウスを思い出していたが、あの時とはまた違った赴きである。あの時は、自分がどこにいるのかということすら分からずに、宙に浮いているような感覚があったり、急に足元がなくなり、永遠の奈落の底に叩き落されるような感覚を味わったような気がしていたが、今回の目の前と後ろに置かれた鏡を見て、永遠に写り続ける自分を感じた時は、自分の居場所は分かっていた。
しかし、その居場所から逃れることは永遠にできない。絶対にできないということを宣告されたのだから、これ以上の恐怖はない。ミラーハウスのように、自分がどこにいるか分からない恐怖は、いつまでも続くはずがないという根拠のない思いが、祐樹にはあった。それを証明するのが、夢の世界であって、ミラーハウスの世界は、目を瞑ってしまうと、目を開けた瞬間、元の世界に戻っていることを示唆している気がしたのだ。
――必要以上の恐怖は、開き直りを産む――
と考えると、それなりに納得がいった。
目の前と後ろに置かれた鏡を想像するのは、あくまでも想像でしかない。ミラーハウスは自分が一度でも経験したわけであり、最初から想像していたものではないから、事実として逃れることができたことで、夢として片付けられるようになったのだ。だが、想像でしかない現象は、夢として片付けるわけにはいかない。それが、想像ではなく、創造だとすれば、自分で作り出した世界には、自分で責任を持たなければいけないという一応の筋が通った自分なりの理解がより恐怖を呼ぶのだった。
恐怖というよりも気持ち悪さだ。気持ち悪さは、身体が感じて、頭にその思いを伝えるもので、なかなか払拭することは難しい。しかも、堂々巡りを繰り返していると考えているので、その深さは尋常ではない。
瀬戸が出てきた時のかつての夢を思い出そうとしていた。
――夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくもので、一度忘れてしまうと、もう一度同じような夢を見ないと思い出すことはない――
と思っていた。
同じ人が出てきた夢を思い出そうとするのだから、思い出せるはずだ。
もし、思い出すことができるとすれば、今しかない。
その思いが祐樹の頭の中にはあったが、思い出せることと言えば、
――瀬戸が出てきた時の夢は、他に誰かが出てきたことはなかったはずだ――
という思いだけだった。
――瀬戸以外の人が一人でも夢に出てきていれば、もっと簡単に思い出せたかも知れない――
と祐樹は感じた。
だが、今回の夢は、瀬戸以外にも誰かが出てきたような気がした。最初祐樹はその人物を天神だと思っていたが、どうも違うようだった。
その人は女の人で、祐樹とあまりかかわりになったことのない人なので、なぜ彼女が自分の夢に出てくるのか、訳が分からなかった。
――夢というのは、潜在意識が見せるものだというではないか――
と自分に言い聞かせた。
確かに、潜在意識が見せるものだという話を祐樹は、全面的にと言っていいほど信じている。
祐樹はその女性が誰なのかすぐには分からなかったが、急に閃いた。
「あ、グループの中の派手好きの彼女だ」
と感じた。
その日の昼間、グループ内の女性の争いで、階段から突き落とされた彼女だった。
なぜ、彼女だと気がついたのかというと、夢にあるまじきことが起こって、それで祐樹が気がついたのだ。
祐樹は、夢の中で匂いを感じた。それは柑橘系の匂いで、いつも彼女がしている香水だったのだ。
さすがに中学生なので、それほどきつい匂いのものではなかった。それでも学校から何も言われなかったのは、その匂いが目立たないほどのものだったからであり、実際に他の人は、彼女の匂いを感じたことはないと言っていた。それを聞いた相手が天神と瀬戸だったので、それぞれの思いでウソをついたのかも知れない。
天神の方は、感じた匂いが自分の嫌いな匂いではなかったので、別に事を荒立てることはないと感じたと思った。瀬戸の方は、下手に彼女に執心して、相手に必要以上の感情を持たせることで、自分に対して自分が予期していない寛恕が芽生えるのを避けたかったのかも知れない。
それはお互いに女性に対してのポリシーのようなものなのかも知れない。
天神の方は、
「来るものは拒まず」
というところがあり、
「なるべく、相手に期待させるようなことはしたくない」
という思いであろう。
片方は自由な感覚であり、片方は相手に対しての気配りである。どちらに良し悪しというレッテルを貼るには忍びない考えだと思い、祐樹には二人の様子を傍観しているしかなかった。
――俺は一体どっちなんだろう?
中学時代のその頃まで、女性を好きになったことはなかった。
思春期に入っているので、女性に恋心を抱くという感覚はイメージとして持っていた。
そしていつかは訪れるであろう恋愛感情に思いを馳せ、祐樹は自分が好きになるはずの人が現われるのを、今か今かと待ちわびていた。
――覚えていない夢の中には、自分で勝手に創造した自分の好きになりそうな女性との恋物語が描かれていたのかも知れない――
と感じた。
どんな女性を好きになるというのか、自分でも想像はできなかったが、タイプとしては、おとなしめの女の子で、清楚さを醸し出す雰囲気の女性だと思っている。まさに白いワンピースに白い帽子が似合うようなお嬢様の雰囲気を想像していたことだろう。
しかし、実際には、
「好きになった人がタイプなんだ」
と自分から公言する時が、近い将来にやってくることをその時はまだ分からなかった。
それでも、
――さすがに派手好きな女の子を好きになるなどありえない――
と思っていたので、祐樹は彼女が夢に出てくるなど、考えられなかった。
だが、逆に考えれば、
――覚えている夢というのは、あまりいい夢ではない。どちらかというと、もっと見ていたいと思った夢こそ、目が覚めるにしたがって忘れてしまうものなんだ――
という思いがあるだけに、目が覚めても忘れないと思えるこの夢に出てきたのが、タイプではない彼女だということは、理屈には合っている気がした。
夢の中に出てきたのは、今のところ、瀬戸と派手好きの彼女だけだ。
何かを話しているようなシーンが思い浮かんだが、何を話しているのか聞こえない。
しかし、その時の祐樹にはなぜか話している内容が分かっているような気がした。
――読唇術を身に着けているわけではないのに――
その場はシーンと静まり返っていて、キーンという耳鳴りだけしか聞こえない。
――耳鳴りが、二人の会話を聞こえないようにしているんだろうか?
と祐樹は感じた。
夢なので、風が吹いているわけではない。空気が動いているという感覚があるわけでもない。
――待てよ。空気が動いていないから聞こえないんじゃないか?
声や音というのは、空気の振動で伝わるものだ。振動のないところで、何かが聞こえるわけもない。
――まるで宇宙空間の真空状態のようではないか――
と、宇宙に行ったことがあるはずもないのに、勝手な想像をして、自分で自分を納得させようとしていたが、それは当然無理なことだった。
無理だと分かっていても、それでも祐樹は巣尾像を膨らませる。
――普段からあまり余計なことを考えないようにしているくせに、夢の中であれば、こんなにもいろいろ考えているんだ――
と、感じていたが、本当は普段から無意識のうちに絶えず頭の中で何かを考えているということに気付いていなかった。
これは、祐樹に限ったことではなく、誰もがそうなのだろうが、一人でいる時や、まわりを意識しない時というのは、必ず何かを考えているものである。それが人間の本能であり、その人の本性に一番近いものなのではないかと、夢を見ている時の祐樹は感じていたのだ。
しかし、目が覚めてしまうと、そんなことを考えていたなどということすら忘れている。考えてみれば、夢を見たことを忘れるという現象は、
「一体何のために忘れなければいけないのか?」
という当たり前とも思える疑問を、どうして誰も抱かないのだろう。それを考えると、その奥に人間の本能とは別の、その人の本性に触れることになる発想は、夢の中だけで収めておくという思いを隠そうとしているのではないかと思う。
――それこそが、本能だと言えるのだろうが――
と、夢の中でもし、このことを考えたとすれば、祐樹は目を覚まそうとしている自分に言ったかも知れない。
――きっと、夢を見ている自分と、夢から目を覚まそうとしている自分、そして完全に目を覚ましてしまった自分という、この三人は、同じ自分であり、別の自分でもあるのかも知れない――
と感じた。
――つまりは、次元の違いがもたらしたものなのではないだろうか?
と考えられた。
祐樹は二人をじっと見つめていたが、そのうちに二人の力関係がハッキリと分かるようになってきた。
夢の中に出てきた瀬戸は、祐樹の知っている瀬戸ではなかった。祐樹の知っている瀬戸にはまわりを纏め上げる力があり、それは大きなカリスマ性だった。しかし、夢に出てきた瀬戸は、まるで自分の知っている瀬戸とはまったく違う人物で、完全に相手の言いなりになっているようだった。
――こんな瀬戸、見たくない――
と感じた瞬間、祐樹は自分の心の中に矛盾があることに気がついた。矛盾というのは、その相手が分かっているから、
――矛盾だ――
と気付くはずであった。
しかし、その時の祐樹はすぐにその矛盾の相手が何なのかすぐには分からなかった。ただそれが矛盾していることであると感じただけのことだった。
勘というものに近いのかも知れない。
少しでも根拠があれば、勘だとは言わないのだろうが、その時の祐樹には根拠がなかったわけではない。ただ、形になっていないだけのことで、
「根拠もないのに」
と言われれば、反論したい気持ちになったことだろう。
しかし、それもハッキリしないので、相手に提示を求められると、
「言葉にできることではない」
という苦しい言い訳をするしかないだろう。
「それだったら、根拠なんて言葉を口にするんじゃない」
と言われるに違いない。
祐樹もその通りだと思っているだろう。でも、それを認めることは、大げさに言えば自分を否定することになるようで嫌だった。
――これも一種の矛盾なのかも知れないな――
相手を説得できないのだから、自分の立場はないのと同じであった。それなのに、根拠を意識するというのはどうしてなのだろう? きっと祐樹の中で、瀬戸に対して感じていたカリスマ性が絶対的なものであるという意識があったからに違いない。
カリスマ性などというのは、自分で勝手に感じたことだ。これを根拠として口にすることは、決してできるはずのないことである。いくら、相手に罵倒されようとも、祐樹にはできなかったのだ。
ただ、祐樹も苦しかった。
――あんな瀬戸の姿、見たくない――
と思った。
その感情が、自分の中で、
――これは夢なんだ――
という確信を持たせたのかも知れない。
夢でもなければ、自分から瀬戸のカリスマ性を否定するようなことを感じるはずがないからだった。
祐樹は、これを夢だと思うことで、現実世界では絶対的だと思っていた瀬戸のカリスマ性を否定できる気がしていた。夢でしかできないこともあるのだということに初めて気付いた。
普通であれば、
「夢だからできるんだ」
と言われることでも、夢が潜在意識の範囲内でしか見ることのできないものだという意識を最初から持っていたために、
「夢だからこそ、できないんじゃないか?」
と、言いたい気持ちになっていた。
これも自分の中で感じた矛盾である。
祐樹は今回のこの夢では、何かを感じるたびに気付かされるのは、自分が矛盾を抱えているということだったのだ。
夢の中の瀬戸は、絶対に見たくないと思っている姿だった。
それがなぜなのか、最初は分からなかったが、すぐに分かるようになった。
――まるで自分を見ているようだ――
瀬戸の様子は、完全に相手に萎縮していて、
――次に一体何をされるんだろう?
という思いが強かった。
瀬戸が自分の夢の中で何を考えているか、次第に分かってきた。まず考えることとして、自分が取る行動が、どのように相手の反応として返ってくるかということである。
たとえば、苛められっこが、まわりからたくさんの苛めっ子に囲まれていて、まず最初に何を考えるかというのは、祐樹には分かっていた。
――どうすれば、被害を最小限に抑えることができて、この場から一刻も早く逃れることができるか――
ということしか考えていない。
そのためには、相手に逆らうことはせず、
――相手に攻撃をさせて、飽きるのを待つ――
という考え方、そして、同じ攻撃をさせることで、
――相手にやる気をなくさせる――
という考え方。
これは、苛めっ子の心理に立って考えたものであり、相手も何か自分に嫌なことがあったから、誰かを標的にして、自分の嫌な気持ちを晴らすための行動であると考えれば、無抵抗であれば、相手もそのうちにやる気をなくすであろうと思うのだ。
――抵抗するから、相手も面白がって攻撃してくる。攻撃されたから仕返ししているという気持ちが相手の自尊心になるんだ――
と考えた。
祐樹は小学生の頃、苛められっこだった。苛められっこを卒業してからは、苛めていた子たちとも和解して、仲良くなったりしたものだったが、その頃はまだ、ここまでの心境にはなれなかった。
――いつ、またしても苛めっ子に豹変するかも知れない――
という危惧があったからで、苛められっこというのは、相当精神的に懐疑心が強く、自分に対しても信用できないところが多々合ったりするものなのだ。
夢の中の瀬戸は、小学生の頃の自分に似ていた。見ているだけで、何かをずっと考えていることは分かった。見ていて自分が苛められっこの頃に感じたように、どうすれば相手の攻撃を最小限に食い止められるかということだけしか考えていないのが分かったのだった。
――こんなにも必死なんだ――
と思って見ていたが、苛めっ子の誰もが苛められている相手がそんなことを考えているなど分かっていない。もちろん、分かっていないからこそ、相手に増長させないのだ。
もし、相手にその気持ちが分かれば、面白がってもっともっと攻撃してくることだろう。本当に疲れ果てるまで苛めてくるに違いない。そうなれば、今の自分はなかったかも知れないと思うと、ゾッとするのであった。
これも、苛められていた頃に分かるはずもないことで、そのことが分かったのは、中学に入って、瀬戸のグループに入ってからのことだった。まわりと接している間は分かるはずもないが、一人になった時、ふと感じることがあった。
そんな時祐樹は、
――俺も少し大人になってきたのかな?
と感じるようになった。
少なくとも萎縮することはなくなり、まわりに対して自分の影響力もついてきて、それが決して悪いことではないということが分かるようになったからだ。グループ内の団結は、相手を信じることだと感じさせてくれたのは、瀬戸だったに違いない。
ただ、それまであまり夢を見たという記憶がなかった祐樹だったが、久しぶりに見た夢が、瀬戸の夢だった。
ただ、それも夢に時系列を意識できないから感じることができないだけで、本当はずっと夢を見続けていたのかも知れない。
もし、夢を見続けていたとすれば、それは連続した夢であり、
――前の日に見た夢の続きを今日の夜も見る――
そんなことはありえないと思っているから、それは夢ではないと感じる。
――では夢ではないとすれば何であろう?
夢と酷似したもので、眠っている間に見るものではあるが、
――現実から見れば夢に近いものであり、夢から見れば現実に近いものであるようなものだ――
と感じていた。
「まるでコウモリだな」
と、言われた気がした。
それは、この世界に入り込んだ時、自分が意識したことに対し、誰かに話をした。その人が誰だったのか、シルエットで分からなかったが、その答えが、「コウモリ」だったのだ。
コウモリというと、
――獣に会っては鳥だといい、鳥に会っては獣だという――
という性格のもので、それは自分の保身のためのものなのか、それとも、どちらでもないことへの悲哀から生まれたものなのか分からないが、この行動は本能がもたらすものだとしかいえないと祐樹は思っていた。
コウモリの話は、学校で生物の授業中に、生物の先生が話してくれた。もちろん、脱線した話だったのだが、妙に祐樹には印象に残った。
それも無理もないことだった。
小学生の頃に苛められていた彼にとって、コウモリの存在がどのようなものか、自分に置き換えて見てしまったからだ。
――俺は、なるべく被害を最小限に抑えようとしていたのは、自分の保身と同時に、どちらでもないというコウモリの悲哀に煮た裏の面を持っていたことになるんだな――
この感情は、プライドを捨てた人間であったことを示唆していた。
プライドがあれば、もう少し考え方が違っていたのだろうが、とにかく、苛めを受けている間は、そんなプライドなんかどうでもよかったのだ。
しかし、グループの一員になると、自分のプライドがメンバーの個性となって、自分が今まで味わったことのない自分の存在価値を感じることができると思っていた。
元々、苛められたことのない人にとっては、そんなプライドというのは、以前から無意識に持っていて、意識すること自体がおかしなことだと思っていることだろう。だから、まわりに気を遣うことをいとわないし、祐樹に対しても普通に接してくれているのだ。
――普通というのが、こんなにありがたいなんて――
グループに入ったことで思い知らされた。それが自分の成長であると思うことで、祐樹はそれが自分のプライドになってくるのを感じた。
そのように感じられるようになった頃だった。夢と現実の間に、もう一つ、夢か現実かが分からない世界が広がっていることに気がついたのは……。
夢と現実世界の一番の違いは、
――夢の中での主人公は自分だけど、現実世界では主人公は存在しない――
というものだった。
つまりは、
――夢というのは、自分が勝手に作り出した架空の世界であり、架空の世界だからこそ、自分という主人公が必要不可欠なんだ――
と感じたのだ。
では、夢と現実世界の狭間世界ではどうなのだろうか?
この世界には主人公はいるのだが、誰が主人公なのか分からない。
つまりは、主人公が一定していないので、ストーリーはいかようにも展開可能だということだった。
夢というのも、自分の妄想が作り出すものなので、ストーリーはどのようにでもなりそうなのだが、実際にはそうはいかない。それは潜在意識がなせる業なので、思ったようには勝手に出来上がってくれない。
それに比べて狭間世界では、
――主人公もおらず、そもそもその存在を知っている人はほとんどいないことから、一番自由な世界である――
という考えだった。
ということは、もう一つ重要な考えが頭の中にあり、
――夢は他人とは共有できないが、狭間世界では、自由に人の狭間世界を行き来できる――
というものだった。
これは、デジャブ現象に似ている。
デジャブというのは、
――以前にどこかで見たような気がするが思い出せない――
というもので、これが狭間世界のなせる業だと考えると、何となく説明がつきそうな気がする。
ただ、誰も信じてはくれないので、誰にも話していないが、今であれば、瀬戸に話をしてもいいのではないかと思っていた。
そんな時、自分の夢に出てきた瀬戸の様子が自分の知っている瀬戸とはまったく違っていた。だから、祐樹はその時、
――瀬戸のこんな姿は潜在意識にあるはずがない――
と感じ、
――これは狭間世界の出来事なんだ――
と自分に言い聞かせていた。
狭間世界と夢と現実とでは何が違うというのだろうか?
祐樹は、さらに漠然とした考え方をしてみた。
――夢の世界というのは、潜在意識が作り出したものであり、どちらかというと、現実世界に近いものだ――
と思っている。
しかし、狭間世界では、潜在意識というような縛りはないような気がする。さすがに何でもできるとは言わないが、現実世界と夢では、潜在意識にないことはできないものだと思っている。
現実世界によって培われた自分の中での「常識」が、潜在意識として意識の中に根付いているのであれば、夢というのは、意識の中で縛られているということになる。ハッキリいうと、
――夢は「想像」であり、狭間世界は「創造」だ――
といえるだろう。
想像は果てしない発想から生まれるもののように思えるが、実際には潜在意識という縛りがある。夢の中では無意識に行われているが、現実世界では想像することは難しい。したがって、実現できれば幸いなことであり、これこそが、現実世界での「夢」というものである。
ただ、創造は想像よりももっと難しい。潜在意識という縛りはないが、まったくの無から新しいものを作り出すのだ。想像も無から作り出すもののように思えるが、一番の違いは、
「形になっているかどうか」
ということである。
想像はその人の心理や発想という内に秘めたものであるが、創造は目に見えて作りあげられたものだ。そう思うと、目に見えるだけにごまかしもきかない。シビアなものだといえるだろうが、それでも想像もごまかしという意味では、
――自分をごまかすことになるのでは?
と思うと、決して軽んじてはいけないことである。
狭間世界はどちらになるというのだろうか?
祐樹は狭間世界を「創造」だと思っている。
それも、自分には意識できるものではなく、そのかわり、他の人から見て、本人のことではないか。
他の人も、
「まさか、本人が知らないわけはない」
と思っていることである。
それは当然であろう。
――自分も知らないことを、まわりが知っているはずなどありえない――
と思っているからで、皆が皆、そう思っているとは断言できないが、少なくとも、少数ではないような気がする。
しかし、祐樹はそれを人間の傲慢さだと思っている。
――自分のことを一番よく分かっているのは自分なんだ――
という発想は、当たり前のことのようであるが、冷静に考えると、
――俺は本当に自分のことを誰よりも知っているんだろうか?
と思い返してみると、決してそんなことはないような気がする。
人から言われて気づくことも少なくなく、その意見を素直に受け入れるかどうか、受け入れることができる人には分かることだが、受け入れることのできない人は、自分のことは自分が一番分かっているという当たり前の発想を鵜呑みにしているというのも、実に皮肉なことである。
だから、自分のことを一番よく分かっているのが自分だと考えるのは、傲慢だというのだ。しかも、その思いがその人の発想の根底にあるというのは結構面倒くさいことが多いだろう。
祐樹にとって自分を一番分かっているのは自分なのだという発想は、次第になくなってきていた。ただ、
――自分の一番の理解者が自分であればいい――
とは思えるようになっていた。
すべてを分かっているのが傲慢であるなら、理解しようとする姿勢は謙虚だといえるだろう。謙虚な姿勢はどんな場面でも、優遇されるような気がする。優遇するのは自分であって、自分で自分を納得するような心境になる上で、必要なことだと思っている。
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