狭間世界
森本 晃次
第1話 目立ちたがり
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
――俺って目立ちたがり屋なのか?
と考えるようになったのは、いつの頃だっただろうか?
あれは確か中学時代のことだった。本人にはそんな意識はなかったはずなのに、人から言われただけで萎縮してしまったあの時のことを思い出しただけで、今でも顔が真っ赤になってしまう。
中学生になるまでは、友達と対等な意識はなく、いつもまわりに萎縮している男の子だった若槻祐樹は、中学に入って、まわりが同じ小学校から来た友達と盛り上がっていたり、新しくできた友達と楽しそうに会話をしているのを横目に見ながら、小学生の頃のように萎縮していたのだ。
小学生の頃、苛められっこだったというわけではなかったが、自分から人に関わっていくことができず、気がつけば、そばを通った人を無意識に避けるような素振りを見せるようになっていた。そんな行動は自分よりもまわりの方が敏感に感じるもので、そのうちに祐樹のそばを通っただけで、わざと足を蹴飛ばすような素振りを見せて、からかわれることが多くなった。
そんなことをするやつの顔をチラッと覗くと、ゾッとするような悪寒が走った。ニヤッと笑ったその顔の歪に歪んだ口元に視線が集中してしまい、目が離せなくなってしまいそうだった。しかし、その恐怖の方が先に立ち、すぐに顔を背けることを躊躇わなかったことで、祐樹は何とか視線を逸らすことができたのだが、祐樹が今でもすぐに人から目を逸らすのだけは、誰にも負けないほど早くなったのは、この時からだったのだろう。
祐樹は自分の小学生時代を、中学生になってから忘れてしまった。もちろん、完全に忘れたわけではなく、忘れようと思っても忘れられるものではない。
――思い出したくない――
という思いよりも、
――忘れ去りたい――
という思いの方が強いことで、自分に対しての強い暗示を示すことで、まるで他人事のように感じるのだった。
――そうだ。他人事なんだ――
中学に入ってから、いつの頃だっただろうか。祐樹は、
――自分のことはすべてが他人事だ――
と思うようになった。
最初は他人事のように思うということは、簡単なことであり、楽なことだと感じていたのだが、実際に他人事のように思うようになるというのは、自分がまわりに対して萎縮した意識を持ち続けなければいけないということであり、決して楽なことではないということに気付かなかった。
だから、中学に入ると、
――自分は何でもできるんだ――
と思うようになっていた。
もちろん、できることは限られていたが、小学生の頃のようにまわりに対して萎縮していた自分を解放することが、何でもできると思うことだと思うようになっただけのことで、本当に何でもできるわけではなかったのだ。
とにかく萎縮することにかけては、誰にも負けなかった。それが祐樹の本能であり、無意識と言う言葉が、祐樹の萎縮する態度を示しているのではないかと思えるほどだったのだ。
苛められっこではなかったはずの小学生時代。実際には自分のすぐそばに苛められている子がいた。
その男の子は、いつも祐樹を意識していて、苛められながら祐樹を恨めしそうな目で見ていたのだ。
「助けてくれよ」
そう言っているように思えてならない。
それなのに、何もできない自分が何を考えていたのか、それは、
――そんな目で見るなよ――
と思っていたのだが、それは彼に対しての思いではなく、彼が自分を見ることで、他の苛めっ子が祐樹に気付き、苛めの矛先を自分に向けられることが怖かったのだ。
一緒に山に登って、友達が足を踏み外し、崖から落ちそうになっているのを思わず手を差し伸べてしまった時の気持ちだ。
「助けてくれ」
という懇願の言葉に対し、祐樹は心の中で、
――どうして手なんか差し伸べたんだ?
と感じていることだろう。
彼を助けなければいけないという思いよりも、このままでは自分まで道連れにされてしまうという思いが、恐怖よりも、手を差し伸べたことへの後悔が強くなり、目の前で懇願している友達の腕を切り落としてでも自分だけが助かりたいと思うに違いないと感じていた。
そして実際にそう感じる自分を他人事のように見ている。それは、逃げの気持ちではない。客観的に見ることで冷静に考えても、自分の考えが間違っていないということを証明したいという気持ちからだった。
山に登ったという想像は、祐樹にとって、
――自分が萎縮する人間である――
という意識を持たせることで、さらにそれをいかに他人事のように見ることができるかという発想から生まれた想像ではないだろうか。
祐樹は自分がそんな少年であるということをその頃から分かっていた。大人になるにつれて分かってきたように思ったのは、最近のことだったのだ。
いつ頃からだっただろうか、祐樹は山に登った時に崖から落ちそうになるシチュエーションを夢に見るようになった。
――なんてリアルな夢なんだ――
目が覚めても、すぐには夢であったということに気付かない。しかし、目が覚めるにしたがって、夢であったことを最初から分かっていたように思えてならない。なぜなら、何度も同じ夢を見ているからで、
――また、同じ夢を見ていたんだ――
と感じることで、すぐに目が覚めることもあったくらいだった。
夢というのは潜在意識が見せるものだというが、最初にこのシチュエーションを感じた時のことは、鮮明に覚えているように思えた。それが小学生の頃だったのは分かっているのだが、何度も繰り返して見るこの夢も、どんな精神状態の時によく見るのかということまでは、自分でも分かっていなかった。
子供の頃なので、正当防衛や緊急避難などという法律の専門用語は知るわけもなかったが、
「手を離しても、罪になることはない」
というのは、分かっていたような気がする。
だが、夢に出てくる友達が、いつも同じやつだとずっと思っていたのだが、いつの頃からか、相手が別人であるかのように感じるようになっていた。
それはきっと、自分の中で、
――小学生の頃の自分と、今の自分では違うんだ――
と感じたからだと思っていた。
しかし、実際にはそうではなく、やはりここも自分が何でも他人事のように思うことが影響しているからではないかと思うようになったからだった。
他人事に思うことと、行動として萎縮してしまう自分。同じ人間の中に同居しているのは、どこかおかしいと思うようになったのは、中学の頃からだった。
確かに萎縮してしまうことで、他人事のように思うことができれば、自分にとっての救いになるだろう。しかしよく考えてみると、他人事に思えるようになってしまえば、萎縮してしまう必要もなくなるのだ。それなのに、萎縮している自分と他人事のように思う自分が同居していると感じたのは、
――ひょっとして二重人格なんじゃないか?
と感じたからだった。
この思いは半分違っていて、半分はその通りだった。
二重人格であるということは間違いのない事実のように思える。しかし、二重人格だからと言って、萎縮と他人事に思う気持ちが同居している理由にはならないように思えた。その理由は、同じ二重人格でも、片方が表に出ている時は片方が裏に回っているというような二重人格ではなかった。いつも自分の中で表に出ている相容れない性格同士が、自分を矛盾する考えに導いていることで悩んでいる自分を感じていた。それは無意識ではあったが、他人事に思うことへのプロローグでもあったのだ。
ただ、祐樹は自分のことを二重人格だと思うようになり、そして、まわりもそんな目で見ていることが分かってきたが、二つの性格を自分の中で正確に把握することができていない。
一つの性格が分かっていないのだから、もう一つの性格も分かるはずがない。それぞれに半対照的なものであるかのように思っていたが、どうやらそうでもないようだった。
両方が表に出ているという考えも、自分の性格を一つとして理解できないからだった。――その思いが自分を他人事のように見せるのかも知れない――
と、祐樹は考えた。
考えることが嫌いではない祐樹は、絶えず自分のことを見つめながら性格を把握しようと努めていた。それなのに、まったく分からないのは、他人事のように感じるからだということよりも、むしろ萎縮してしまう性格になるのではないかと思うようになっていた。
その萎縮というのも、まわりに対しての萎縮ではなかった。
――萎縮の相手が自分だと考えると、辻褄が合う――
要するに自分に対して萎縮しているから、他人事のように思えてしまうのだ。自分を直視できないというのは、誰にでもあることなのだろうが、自分に対して萎縮している自分を感じているくせに、自分を怖いとは思っていない。他人事のように思うからそうなのだろうが、逆に自分を他人事のように思うということは、自分が自分を殻の中に閉じ込めてしまっているということを示しているのだと感じるからだった。
中学生になると、まわりを見る目が本当に他人事になっていた。
楽しそうにしている連中の、何が楽しいのかと思っていると、
――俺はあいつらとは違うんだ――
という意識が強くなっていくのを感じた。
つるんでいる連中を見るだけで嫌な気分にさせられたのは、その頃の自分が本当の孤独を知らないからだったに違いない。
まわりの連中と自分は違うと感じるようになると、寂しさなんかどこへやら、まわりに対して他人事と感じている自分を誇らしげに感じるほどだった。まわりから、
「寂しいやつだ」
と思われるのも嫌ではなく、むしろありがたかった。
自分が寂しくもないのに、哀れみを込めたかのような目で見ている連中を欺いている感覚が快感だったのだ。
とにかく、自分はまわりの人間と同じでは嫌で、少しでも違うところを見つけて、それを自分の悦びとしていたのだ。人と接することが嫌で、ひどい時には、同じ空気を吸っていると思うだけでも嫌なことがあった。それが欝状態のようなものだったのだということに気付いたのは、大学三年生になって躁鬱症になってからだった。
躁鬱症は最初は深刻に考えていたが、誰にでも大なり小なりあることだと聞かされて、うまく付き合っていくことを考えるようになった。その頃には、さすがに人と関わることを嫌だと思うことはなくなり、億劫なことはあっても、人並みに人付き合いができるようになっていた。
一番人付き合いが苦手だったのは、中学に入った頃からだっただろうか。ただそれも中学に入ってすぐのことではなかった。中学に入りたての頃は、むしろ友達を作りたいと思っていた。前向きな考え方を持っていた少年だったのだ。
それがまわりと関わることを極端に嫌になったのは、自分の中にある萎縮が顔を出し、萎縮を意識しながらでも、自分が苦しまずにすむにはどうすればいいかを考えると、そこには自分を他人事のように思うことだった。
その思いは考えていたよりもずっと楽で、自分を正当化することのできるものだとして、自分の性格の中枢を担っているかのように感じられた。
小学生の頃に、友達がいなかったわけではなく、よく友達の家に遊びに行くこともあった。
友達になるきっかけは、いつも自分からではなく相手から声を掛けてこられる。自分から声を掛けることができる勇気があれば、もっとたくさんの友達ができていて、中学時代の自分も随分と違った生活をしていたに違いないと感じていた。
小学生の頃も、中学に入ってからも、友達はいつも一人だった。特に小学生の頃は、声を掛ける勇気がないだけではなく、声を掛けてきてくれた相手に対して、
――彼は自分よりも上なんだ――
と感じることで、彼を通して他の人を見ると、
――彼だけではなく、まわりの皆もすべて俺よりも上なんだ――
と感じるようになっていた。
小学生の頃の祐樹は、絶えず自分から見て、相手が上か下かを判断する子供だった。
友達がいないことで、どうしても見る相手は親であり、先生であった。すべてが目上であり、いつも上ばかりを見ていると、対等な位置で見ることができない子供になっていた。クラスメイトのすべてが自分よりも上だとは思いたくないという気持ちもあったからなのか、友達が複数だと怖い気がしていたのだ。
「友達を紹介してやるよ」
と、友達になった子から言われると、その瞬間萎縮してしまい、せっかく友達になった相手が遠くに行ってしまったような気がしてくるのだった。それが嫌で嫌で仕方がなく、わけもなく自分を責めたりしたものだった。
そんな祐樹だったが、いつも引っ込み思案だったというわけではない。時々、自分が目立ちたくて仕方がないことがあった。自分の存在を示すという意味での目立ちたがりだったのかどうか、今となってはハッキリとは言えないが、祐樹にとって目立とうという気持ちが表に出た時が本当の自分なんだと思うことの方が多かった。
そのせいもあってか、普段から引っ込み思案に見られている人間が表に出ようとするとどうしても無理が出てしまう。そのことを意識しているはずもないのに、表に出た瞬間、
――しまった――
と感じてしまい、我に返ってしまうことが多い。
それを後悔という言葉で片付けていいものなのかどうか自分では分からなかったが、どうしようもない気持ちになるのは、まるで禁断症状のようであり、その時は自分が自分ではないような気がしていた。
自分を他人事のように考えていることの多い自分なので、それも無理のないことなのかと思うがそうではない。禁断症状はあくまでも自分を自分だと思うことで起こるものだと今では思っている。
中学時代のあの時、思わず口にしてしまった言葉が、
――目立ちたい――
という気持ちから出たものだとは今では思えないが、ずっとそう思ってきたことが自分の中で、
――目立ちたがりな性格が見え隠れしている――
と、ずっと思わせていたのだった。
目立ちたいと思うことが決して悪いことではないと思う反面、
――自分に果たして合っているのだろうか?
と思えるのだ。
他の人であれば悪いことではないと思えることも、自分だったら悪いことに思えることも決して少なくはない。
もちろんその逆もあることであり、他の人には悪いことでも、自分にはいいことにしか思えないことも少なくないということだ。自己防衛のようにも聞こえるが、それくらいの気持ちがないと、自分に自信が持てないと思っていた。
祐樹は自分が自信過剰だとは決して思っていないが、時々、
――人にないものを自分はたくさん持っている――
と感じることがあった。
それを自信過剰だというのであれば、自信過剰なのかも知れない。しかし、祐樹はそうは思っていない。
萎縮を感じたり、まわりや自分さえも他人事のように思えるような性格が、自分の中の真髄のように思っている祐樹にとって、自信過剰とも思えるくらいの方が、ちょうどいいのかも知れない。
「出る杭は打たれる」
というが、まさにそうではないだろうか。
祐樹の中学時代のクラスは、まさに、その
「出る杭は打たれる」
というような状態だった。
小学生の頃から、一つのクラスにいくつかの団体が存在していて、その中心にいるのは目立ちたがりの、いわゆる
「ガキ大将」
のような男の子が存在していた。
小学生の頃だから、ガキ大将という表現でもいいのだが、中学に入ると、集団のリーダーとして、そこそこの存在感を持っていた。
入学当時は、それぞれの団体ごとに気を遣っていたようだが、そのうちに身近な団体をそれぞれが意識するようになり、一触即発の状態が、緊張を持って、いくつか存在するようになった。
それでも、均衡が守られていたのは、
――最初に動いた方が負け――
という考え方があったからなのだろうか、誰も動かない間は、息苦しさを伴った微妙な空気が渦巻いていた。
しかし、そんな空気の中で長いこと均衡が保たれるわけもなく、緊張の糸が一つでも途切れると、後は無法地帯のようだった。
クラスの皆は必ずどこかの団体に所属しているような感じだったが、無所属の人間もいた。だが、その無所属であっても、一種の団体であり、ただ、無所属という団体には、リーダーは不在だった。
誰が見ても自由な気風に、緊張を司っていたそれぞれのグループを構成している連中は憧れるようになっていた。
リーダーを中心に、睨み合いのような緊張が続いているが、その間にも一人二人また一人と気付かれないうちに、団体から抜けている。
気がつけば、団体を構成していたメンバーのほとんどは所属しておらず、睨み合っているのはリーダーとその腹心だけである。傍から見ていると、これほど滑稽なものはない。
やっている本人たちは、拍子抜けしているようにも思えるが、振りかざした鉈を下ろすことはすでにできなくなっていた。
振り下ろすこともできず、かといって、戻すこともできない。緊張は硬直に変わって、メンバーから置き去りにされたリーダー連中は、次第に疲れ果て、集団は瓦解していく。
「やっと、まともになった」
と、口には出さずとも、誰もがそう感じ、ホッとしているに違いない。
当の本人たちであるリーダー連中も、ひょっとするとホッとしていたのかも知れないと思えた。
そんな状況の中、クラスメイトは一つに纏まったわけではない。下手に一つに纏まると、そこから誰かリーダーが出てきて、またしても、最初の頃のような少数派の団体がいくつも出来てくる危惧があったからだ。
それでも、自然とグループはできてくるもので、まわりから見ると集団に見えるが、実際にはまとまりがあるわけではないグループにしかすぎなかった。
祐樹もその中の一つのグループに所属しているような感じになった。グループの中にはリーダーがいるわけではなかったが、実際に入ってみると、自然と誰かがリーダーシップを取っている。
彼はリーダーシップは取っているが、リーダーというわけではない。まわりはリーダーのように思っているかも知れないが、実際にはリーダーではない。本人がリーダーだという自覚がないからだ。
これこそ、彼のカリスマ性なのかも知れない。
カリスマというと大げさに聞こえるが、リーダーとしての自覚もないのに、自然とリーダーシップが発揮されるのは、生まれつきの彼の才能なのかも知れない。
誰にでも一つは才能らしきものを持っているのだから、たくさん人がいれば、リーダーシップが才能の人がいてもおかしくない。
メンバーはそんな彼を慕っている。本人も自覚はあるようで、まんざらでもないようだ。ただ自分のことをリーダーだとは思わない。どこがどう違うのか分からないが、祐樹にはそれがいわゆる
――カリスマ性――
なのだと思っていた。
カリスマ性というのは、持っている本人に負担をかけるものではない。
団体があって、リーダーとして君臨していると、その人にはカリスマ性があろうがなかろうが、まわりに担がれてのリーダーであったりもする。
いわゆる、
――お飾り――
として、ひな壇に乗せられたまま、発言できないという状況の中で、実際の権力はその側近にあるというような、まるでどこかの帝国主義のような感じであれば、リーダーというのは、損な役回りでしかないではないか。
中学時代にそこまで考えていたわけではないが、何となく分かっていたような気がする。最初にリーダーありきのグループが存在し、一触即発の状態が息苦しさを呼んだ。しかし、途中からリーダーなしのグループになってからというものは、カリスマ性のあるなしによって、グループの存在がハッキリしてくるのだった。
その両方を経験したことで、お飾りのようなリーダーの存在を感じることができた。それを思うとやはり、
――カリスマ性のないグループには将来がない――
と言えるのではないかと思えたのだった。
祐樹は、一時期、
――俺にもそのカリスマ性があるのではないだろうか?
と感じたことがあった。
それは、最初のリーダーありきのグループに所属しておらず、いつも他人事のように見ていたからだった。
萎縮する性格ではあったが、それはあくまでも、自分に合わない連中に対して、嫌悪を抱いていたからに過ぎないと思えたのだ。
他人事として見ていたことで、無所属にも入っていなかった。完全に表からの傍観者でしかなかった祐樹だったが、一触即発が終わってからできてきた団体には、いつの間にか自然に入っていたのだった。
自分から入ったという意識はなかった。誰かに誘われたわけでもないのに、なぜそのグループの中にいたのか分からないが、入っていることに違和感を感じることはなかった。まるで最初からいたかのような感覚に、居心地の良さを感じたのだ。
祐樹が自分の入ったグループに最初、誰もリーダー的な人がいないことは分かっていて、それが、
――まるで無所属のようだ――
という雰囲気を醸し出させていた。
しかし、リーダーがいないわりには、こじんまりとした纏まりがあった。メンバーを見る限り、誰もカリスマ性を感じないし、それぞれに特徴はあるのだが、突出するような特徴はなかった。誰もが、
――帯に短し襷に長し――
で、
――どんぐりの背比べ――
だったのだ。
――だったら、俺が――
という人がいるわけでもなく、皆自由だった。自由な風潮を楽しむグループが、その時は主流になっていたが、まわりから見ていると、どのグループにもリーダーシップの取れる人はいるようだった。
――やっぱり、カリスマ性のようなものがなければいけないんだ――
と感じたのは、カリスマ性の感じられないグループが、いつの間にか解散しているのを感じたからだった。
だが、最初にできたグループのリーダーと、その後にできたリーダーシップを発揮する人が見え隠れするようなグループとでは、何かが違った。それがカリスマ性であることは分かっていたが、どうもそれだけではないような気がしたのだ。
誰が見てもリーダーだと言える、自他共に認める人は、きっと目立つ存在でないとありえないのだろう。
リーダーシップだけを取ることのできるカリスマ性のある人にとっては、目立つ存在であっても、目立たなくてもどちらでもいいと思えた。
しかし、結論から言うと、実際には逆だった。
誰が見てもリーダーである人は、
――目立つ人であっても、目立たない人であってもどちらでもいい――
という人であり、リーダーシップだけを取るカリスマ性のある人は、
――目立つ存在であってはいけない――
という縛りがあったのだ。
つまりは、カリスマ性には縛りが存在しているということになる。
もちろん、この考え方は、祐樹だけのものであり、
――他の人に話すと笑われるだろうな――
と思うに違いなかった。
まわりに対して萎縮していたり、まわりを他人事のように感じていた祐樹だったので、縛りがあっても、そこに問題は感じられない。むしろ、縛りのない方が、自分にとっては怖い気がしたので、その思いが自分を、
――カリスマ性のある人間だ――
と感じさせたに違いない。
では、カリスマ性とは一体なんだろう?
人を引っ張っていく力であり、そのことを相手に感じさせないことがカリスマ性のように思っていた。
しかし、実際に調べてみると、
――預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的・または常人を超える資質のことを指す――
と書かれていた。
つまりは、人を引っ張っていくというよりも、宗教的な意味合いの方が強く、
「支配」
という言葉と結びついて、独裁的な発想を抱くことを思わせるものが「カリスマ」と呼ばれるものだということだ。
パッと聞いて、どこか胡散臭さも感じられたが、いい意味での捉え方をされている方が一般的なので、最初はカリスマというのは、自分には関係ないと思っていた。
しかし、何となく気になっていたのは、超自然的な意味での発想を頭に抱いていたからなのかも知れない。自分では意識していなかったかも知れないが、言葉を感じているうちに、知らず知らず言葉の意味の真髄に、近づいていたのだろう。
友達になった連中は、祐樹のことを誠実なやつだと思っていたようだ。ただそれは祐樹が後から感じただけのことで、彼の本当の正体を知っていたのかも知れない。だが、そんなことは誰も口にしないし、せっかく友達になったのだから、彼らの態度をそのまま信じていたのだ。
それは彼が本当に誠実な気持ちからではなかった。ハッキリいうと、人付き合いが苦手で、あまり人と関わりたくないと思っている人間にとって、相手がいう言葉を信じるしかなかったのだ。疑ってみればいくらでも疑える。最初から客観的に他人事のように見ることができれば疑えたのかも知れないが、疑うだけの勇気もなかったのである。
祐樹は自分から人に関わろうとしないだけで、相手から関わってこられた時の態度をどうすればいいのか、考えたことはなかった。実際に人から絡んでこられることなど小学生の頃もなかったし、中学でもないと思っていた。それなのに、一人の友達が祐樹に近寄ってきたことから、友達の輪に入ることになってしまったのだ。
その友達は、傍目から見ていると、誰にでもいい顔をするような、八方美人に見えるタイプだった。祐樹にとってはもっとも嫌なタイプの人間であった。虫が好かないというよりも、自分とは合わないと思ったからだ。
――どこまで行っても分かり合えない平行線を辿るんだろうな――
と感じさせる相手だったのだ。
そんなやつなら放っておけばいいのだろうが、彼に限っては、どうしても気になってしまっていた。その思いというのは伝わるのか、彼の方から話しかけてきたのだった。
「若槻君は、僕と同じ小学校から来たんだよね?」
と、唐突に話しかけられてビックリした。
「何だよ。そんなに驚くことはないじゃないか」
と、彼は笑いながら言ったが、彼としては、それほど唐突な気がしなかったのだろう。
――まわりから見ればどっちが普通に見えるんだろうか?
と感じたが、祐樹には、お互いにどっちもどっちで、両極端の二人ではないかと思えたのだ。
そう思うと、急に気が楽になった。
――二人とも異端児なんだ――
と思うことで、普段見せない笑顔を不覚にも見せてしまった祐樹に対し、
「なんだい。そんな顔ができるんじゃないか」
と言って、また笑った。
完全に会話の主導権を相手に握られ、たじたじの祐樹だったが、相手が上から目線であるのが分かっていながら、嫌ではなかった。
彼の名前は、瀬戸と言った。
瀬戸は、クラスの中でも身長は低い方で、一見目立たないタイプだったが、話をしてみると、結構すごいやつだった。
小学生の頃から文武両道であり、勉強はトップクラス、スポーツもテニスを中心に野球、冬はスキーと、達者であった。
そんな彼が目立たないのは、自分から目立たないようにしていたからだった。
「若槻君は、もっと目立ってもいいんじゃないかって思うんだけど、どうなんだろうね?」
と言われて、
「いやぁ、俺なんかこれといったとりえもないし、自慢できるものなんか何もないんだよ」
と言うと、
「別に目立つのに、自慢できるものがある必要はないのさ。自分の意見を持っていれば、それでいいのさ」
と言ってくれた。
彼のように何でもこなしてしまうやつに言われると、今までなら、
――皮肉言われているようだ――
と思うのだろうが、彼に対してはそんなことはない。
――謙遜してるんだろうな――
とさえ思うくらいで、自分にそれほどの技量のないことを恥じたほどだった。
彼とそんな話をしていると、
――まるで小学生の頃から友達だったような気がするな――
と感じていた。
違和感のない関係こそが友達と言えるのだろうと思っていると、彼も同じことを考えているようで、今まで見えなかった相手の考えていることが見えてくるようで、自分が成長したような気になって、嬉しかった。
それからしばらくは、彼と二人だけでグループを作っているような感じだった。
――彼ほどの技量があれば、もっとたくさん人が寄ってきそうなものなんだけどな――
と感じたが、考えてみれば、秀才や天才と呼ばれる人というのは意外と孤独だったりするのではないだろうか。大学生になって、授業で心理学を受けた時、教授が余談でそんな話をしていたのを、後になって思い出し、中学時代の大学時代でかなりの時間差があるにも関わらず、その話を聞いたことの前後関係が曖昧な気がしていたのだ。
――昨日のことよりも、一週間前のことの方が、まるで昨日のことのようだ――
と感じることは往々にしてあった。
定期的にあると言ってもいい。それはきっと、印象の深さが、時系列に優先することがあることを、最初から自覚していたからなのかも知れない。
――瀬戸には、カリスマ性があるのかも知れないな――
と感じたが、そのわりには、他の人が惹き付けられるわけではない。どちらかというと避けられているように見えるくらいで、祐樹も彼から話しかけられなければ、避けていたに違いない。
「どうして、俺に話しかけてきたんだい? 他にもっと話しやすい人はいるだろうに」
と、一度聞いてみたことがあった。
「うん、でも、他の人は見ていると、明らかに僕を避けているように感じたんだよ。話しかけると、気軽に話を返してくれたかも知れないけど、そんな関係は長くは続かないような気がしたんだ」
「俺だって、同じかも知れないじゃないか」
「若槻君は、一見話しかけにくそうに見えるけど、一度分かり合えると、なかなか離れられないような関係になりそうな気がしたんだ。最初に話しかけた時だって、本当はすごく緊張したんだぜ」
と言っていた。
「そうかな? 俺にはそうは感じなかったけどな。いきなりだったので、後ろを向きながらの返事だったように思えて、今から考えると悪いことをしたなって思っているんだよ」
というと、
「確かに、最初だけは誰もが同じリアクションを示すと思うんだけど、問題は次なんだ。そのまま後ろを向いてしまう人にはいくら話しかけても同じことで、その時は何とか繕っても、二回目はないのさ。それに比べて若槻君は、驚いた反動ですぐに前を向いてくれた。そして後ろを決して振り向こうとはしなかったんだよね」
「それは誤解さ。俺は今までずっとまわりに対して萎縮してしまっていたので、本当は後ろを向くのが怖いのさ。後ろを向いている間に何されるか分からないと思うと、怖くて後ろなんか向けないさ」
と正直に話すと、
「そうだろうと思ったよ。でも、そのおかげで僕には話しやすかったし、他の連中のように一目置いているふりをして、実際には敵対心をむき出しにしているようなことはないんだ。若槻君は、本当は勇気があるんだって思っているんだ」
「祐樹だけに?」
と言って笑うと、
「そう、ゆうきだけにさ」
と、二人で笑いあった。
その時、祐樹は彼に一目置いている連中と違って、自分が彼にカリスマ性を感じていることに気がついた。
「とりあえず、二人きりだけど、グループのようなものだね」
と祐樹がいうと、
「グループと呼べるかどうか……。でも、君がそう思うのなら、それでいいんじゃないか」
と瀬戸がいう。
そんな関係が一月ほど続いただろうか。そのうちに瀬戸に話しかけてくる人が少しずつ増えてきた。
「僕もグループに入れてほしいんだけど」
と、最初に言ってきたのは、無所属のやつだった。
彼は、最初、
「若槻には少しの間、内緒にしていてほしいんだけど」
と言っていたようだ。
「分かった」
瀬戸は、その申し出を簡単に受けた。そして、約束どおりしばらくの間、このことを祐樹には内緒にしていた。
すると今度は祐樹に、
「グループに入れてくれないか?」
と、別のやつが言ってきた。そしてそいつも同じように、
「瀬戸にはしばらくの間、内緒にな」
と言ってきた。
祐樹も、瀬戸と同じように内緒にしていた。つまりは、二人は揃ってお互いに相手に対して秘密を持ったのだ。
最初に耐えられなくなったのは、祐樹の方だった。
「実は俺に対して仲間に入りたいと言ってきたやつがいて、そのことをお前に黙っていてほしいと言われて今まで黙っていたんだ。本当に申し訳ないことをした」
相手の名前は明かさなかったが、正直に話すと、瀬戸も、
「実は」
と言って、胸の奥にしまいこんでいたことを話してくれた。
「お互いにスッキリしたよな」
と言って、腹を割って話したことをすがすがしい気持ちで安堵のため息を漏らした。
「これからどうする?」
「もう少し、お互いに知らなかったふりをしようぜ」
「うん」
二人は、知ってしまったことで、態度を変えるようなことはなかった。それよりも、今まで何も言わないことがわだかまりのようになっていた気持ちが開放され、今度は、
――知っているのは自分だけではない――
という孤独ではないという気持ちの余裕から、今までわだかまりを作らせた原因となった連中を欺くという、
――してやったり――
の気分になっていた。
二人に対して他の連中が同じような態度を取ってきたのは、
――俺と瀬戸が対等な立場にまわりから見えていたからではないか――
と思っていた祐樹だったが、実際には違っていた。
これも、その時に気付いたわけではなく、もっと大人になって、そう、大学時代に始めて思い出したかのように気付いたことだった。
祐樹が感じていたように、瀬戸にはカリスマ性があった。
そしてそのカリスマ性は、瀬戸を最初に意識したのが、彼から声を掛けられてからだった祐樹に比べて、最初はまわりから注目していた連中からすれば、祐樹が感じたよりも数倍の威力に感じられたようだ。
まるで後光が差しているかのようで、お釈迦様かキリスト様かとでもいうようなカリスマ性に近かったのかも知れない。
しかし、どうしても距離を置いて見るため、その感じ方は人それぞれだった。レベルの違いもあり、そのカリスマ性に対しての対応も、違っていたに違いない。
だからこそ、直接瀬戸に話しかけるやつもいれば、瀬戸と一定の距離を保てるように、祐樹に近づいてきたやつもいる。
そこから先はきっと同じ目線になったのだろう。お互いに、
「相手に知られないようにしてほしい」
と懇願したのは、そのためだったに違いない。
しかし、二人にいえることは、二人とも、カリスマ性を持った瀬戸の存在を大きく感じたのは、祐樹という男の存在があったからだ。
その証拠に祐樹が瀬戸から声を掛けられるまでは、誰も瀬戸に近づこうとはしなかった。ひょっとしてカリスマ性のようなものを感じていたのかも知れないが、眩しすぎて、それが海のものとも山のものとも分からずに、ただ、
――近寄りがたい――
と感じていたのかも知れない。
そんなまわりの目に対して、背とは殺伐としたものを感じていたのだろうか。
「一人でいるのが、無性に怖くなることがある」
と、あの瀬戸が言っていたことがあった。
「怖くなる? 寂しくなるではなく?」
「ああ、怖くなるんだよ。痛いほどの視線を感じることもあって、逃げ出したくなることもある。まるで一人夜道を歩いている時、大きな壁全体に巨大な人影を見た時のような感じだといってもいいかな?」
と言われて、祐樹は想像してみたが、
「なるほど、それなら俺も怖くて仕方がないだろうな」
と答えた。
そして、そんな比喩ができる瀬戸の話を聞いていると、
――案外、自分に似たところがあるのかも知れないな――
と感じたのだった。
二人は自分たちが対等だと思っていた。
実際に、二人だけの時はどちらが主導権を握るということもなく、何をするにもどちらかの提案をお互いに話し合って、納得がいかなければ進めなかった。しかし、一人の男が二人の間に割って入るように、
「俺も、グループに入れてくれ」
と、正面切って正々堂々とやってきた。
これが正規のルートなのだろうが、彼をいきなり許してしまうと、それまで二人が秘密にしていた彼らの立場がなくなってしまう。
「どうする?」
二人きりになって祐樹は、瀬戸に話しかけた。
「俺は、正規のルートで入ってこようというやつを無碍に断わるようなことはしたくない。だから、彼が三番目のメンバーだと思うよ」
と言った。
それが当然のことであり、相手に黙っていてほしいなどという言い分は、彼らのわがままであることも承知していた。
しかし、だからと言って、彼らの意思を無にするわけにもいかない。その時初めて祐樹は瀬戸の考えに否定的な態度を取った。
「どうしてなんだ?」
瀬戸は不思議で仕方がないと言った態度だったが、考えてみれば瀬戸の立場だったら、それも当然のことだ。
――瀬戸の立場?
そこまで考えると、瀬戸の意見は正当であるがゆえに、彼の言葉が聖人君子の言葉のように聞こえた。それまで感じていた彼に対してのカリスマ性が急に冷めてきた気がしたのだ。
――おかしいな。カリスマ性を認めているんだから、彼の言っている正当性を認めるのが当然なのに――
と、自分の考えがどこに向かっているのか分からなくなっていた。
それが彼に対しての嫉妬だということにその時は気付かなかった。瀬戸を見るたびに、自分が捻くれていくのを感じた。本当にどうしてしまったんだろう?
それでも、彼の正当性を揺るがすことはできなかった。
「そうだな。瀬戸君のいうとおりだ」
と、認めざる終えなくなり、後から来た彼が三番目のメンバーになっていた。
祐樹は、自分に最初にメンバーに入りたいと言い寄ってきたやつに対して申し訳ない気持ちで一杯になるんだろうと思っていた。しかし、実際には違った。
――あいつがあんなことを言ってこなければ、俺がこんな中途半端な気持ちになることはなかったんだ――
と感じた。
瀬戸が、彼に対して言い寄ってきた相手に対してどのように感じたのか分からなかったが、瀬戸がその場を丸く収めて、祐樹に言い寄ってきたやつも、瀬戸に言い寄ってきたやつも、いつの間にか、グループに入っていたのだ。
それから何もなかったかのように平穏なグループが形成された。本当なら、
――これでよかったんだ――
と思えばいいのに、祐樹はそんな気分にはとてもなれなかった。
自分が完全に置き去りにされたかのような気分になると、またしても、グループ内のメンバーに対して萎縮と、他人事のように一定の距離を保つようになっていた。
――瀬戸のことだから、分かっているだろうに――
と思ったが、瀬とは別にそのことを危惧しているわけでもなく、気がついていない素振りしかしなかった。
――後から入ってきた連中も、最初からメンバーだった俺も一緒くたではないか――
と、祐樹は思えてならなかった。
別に特別扱いをしてほしいというわけではない。ただ、二人が作ったグループだという自負だけはお互いに持っていたかったのだ。祐樹はその気持ちを忘れたわけではないのに、瀬戸の態度を見ていると、メンバーが増えた時点で、一度グループがリセットされたかのような雰囲気になってしまったことは、祐樹にとって許されざるものであった。
しかも、瀬戸は皆に対して平等だった。
瀬戸に対して、自分を頼ってくれた相手も、自分に知られず、祐樹を頼ってきた相手に対しても同じような態度だった。祐樹にはそれが信じられなかった。瀬戸に感情というものがあるのかと感じたのもその時で、彼に対して感じたカリスマ性というもののメッキが剥げかけているのを感じたのだ。
――誰に対してもいい顔ができるやつというのは、信じられない――
と、前から思っていたのを思い出した。
まさしくその時の瀬戸がそうではないか。一定の距離を保つことで、瀬戸が祐樹にどんな感情を持つのか興味があった。祐樹はグループ内の誰に対しても一定の距離を保っていた。
それは、瀬戸が誰も差別しないという態度に似ていたが、祐樹の中では、
――断じて同じではない――
と言い切りたい気持ちでいっぱいだった。
祐樹は、グループの中でどうでもいいようなことが気になってしまうこともあれば、気にしなければいけないようなことを他人事のように冷めた目で見ていることもあった。
――天邪鬼という言葉が自分に似合っているのではないか――
と、感じるのだった。
元々、二人で結成したものに対し、祐樹は格別な思いがあったのに、瀬戸にはそんなことは関係ないとでも言わんとする態度に、祐樹は瀬戸の性格が分からなくなっていった。
最初から分かっていたわけではないが、せっかくゆっくりでもいいので、分かりかけてきたというのに、たった一つの疑念が、すべてを台無しにしたように思えて悔しかった。それも瀬戸が望んだものであるのなら納得がいくのかも知れないが、瀬戸が望んだことだとは思えないところが、祐樹を疑心暗鬼にしてしまった。瀬戸には悪びれた態度がまったく見られないからだった。
祐樹に対して、グループに入りたいと感じたやつの気持ちが分かる気がした。
「瀬戸には言わないでくれ」
と言ったのは、瀬戸の性格が分かりかねていたからではなく、瀬戸という人間が、いわゆる「人たらし」であり、言いように言いくるめられることを恐れたからなのかも知れない。
後になって、その人から、
「あの時、若槻君はきっと瀬戸君に何も言わないということはないと思っていたんだ。瀬戸君は、自分を相手に曝け出す手法で、相手を自分の懐に入り込ませて、丸め込むことを得意としているんじゃないかな?」
と言われた。
「なるほど、その通りだね。あの時は君との約束を破ってしまったことを、本当は後悔していなかったんだ。自分の中で後ろめたさはあったんだけど、後悔はしていないという矛盾した考えを持っていたくせに、その思いをもどかしいとは思わなかった。それよりも、その後に正攻法で入ってきたやつに対して、正当に彼を三番目だとして扱った瀬戸に対して憤りを感じたんだ。実に不思議なんだ」
「若槻君は、瀬戸君相手にしか、まともに相手を見ようとしていなかったのかも知れないね。君には人を他人事のように見ることが多いように思うんだけど、瀬戸君を他人事のように見ているつもりでも、本当は他人事として見ることができない自分に、君は気付いているのかな?」
それを言われて、ハッとした。
「どうなんだろう? 俺は瀬戸に対してこそ、他人事のように見ていると思っていたんだけど、まわりから見るとそうでもないのかな?」
というと、彼は苦笑いをして、
「若槻君は、それをきっと意地だと思っているんだろうね。でも、それを意地だと思っている間は、相手のことを他人事のようになんて見ることはできないのさ。冷静な目で見て、表情に考えていることを出さない。それが他人事であり、結構難しいことなんじゃないかって僕は思うんだ」
「君はどうして、グループには入りたいけど、瀬戸には黙っていてほしいって言ったんだい?」
「実は瀬戸にも君に対して黙っていてほしいって言って、グループに入りたいと言ってきた人がいただろう?」
彼はそのことを知っていた。後から聞いたのか、それとも最初から知っていたのか、それが問題だと思った。
「ああ」
どうして彼が知っているのかを考えるとゾッとした。
二人だけのグループだったはずなのに、
――いつの間にかすべてがまわりに筒抜けになっていたのではないか?
と思うと、背筋がゾッとしたのだ。
「僕は最初から分かっていたんだよ。というよりも、そいつと僕とはグルでね。お互いに相手に知られないようにグループに入りたいって、持ちかけたのさ」
「そうだったんだ」
と、感心したが、考えてみれば間抜けな話だった。
「大体、グループに入りたいと言っているのに、もう一人のメンバーに少しの間黙っていてほしいなんておかしいだろう? 妙だとは思わなかったのかい?」
と言われて、祐樹はその時のことを思い出そうとしていた。
――あの時、俺は他人事のように聞いていたような気がするな――
と思ったが、そおことは口が裂けても目の前の彼には言えないと思った。そんなことを言えば、
「お前は、人の話を何だと思っているんだ」
と言われると思ったからだ。
しかし、元々欺くような態度で接してきたのは相手の方ではないか。会話が始まってからすでに祐樹は彼の雰囲気に呑まれて、萎縮してしまっていたのかも知れない。
――萎縮?
グループに入りたいと言ってきた彼が、
――おかしなことを言う――
と思った時、急に怖くなったのを思い出した。
その感情が自分を萎縮させ、萎縮が他人事の感情を浮かび上がらせ、その時の感情が、――他人事のようだった――
と感じさせたに違いない。
二人がグルだということを聞くと、祐樹は、
――俺だけが蚊帳の外で、何も知らずに踊らされていたんじゃないだろうか?
と感じた。
そう思うと、
――グループの発起人は自分である――
と思っていたのに、本当は、自分以外の二人と瀬戸が最初から画策していて、こんな形のグループ結成になったのではないかと思った。
だが、そこに何のメリットがあるというのだろう?
――ひょっとすると、俺がおだてに弱いとでも思って、担ぎ上げることでグループの均衡を保てると思ったのかも知れない――
と感じた。
確かに、おだてに弱いところはある。
萎縮してしまうことが多いと、えてして、おだてられると、相手の言葉を信じてしまうことが往々にしてあったりする。
そんな自分を祐樹は、意外と嫌いではなかった。
「おだてられて実力を発揮する人間の発揮した実力は、本物ではない」
と言う人もいるが、祐樹はそうは思わない。
「おだてられて実力が発揮できるのであれば、それがその人の実力だ」
と思うからだ。
そしてその実力は、まわりの役に立つものだと信じている。ただ、祐樹のように萎縮してしまって、他人事のようにしか思えなくなってしまうと、せっかくの実力の半分も発揮できなくなってしまうと思っていたのだ。
彼はそのことにも触れた。
「瀬戸君は、若槻君の実力を認めてはいたんだよ。それがどんな実力なのかは、決して口には出さないんだけどね。でも、相手の実力なんていうものは、人から聞かされて感じるものではなく、自分から体感で感じるものだって僕も思っている。だから、それ以上は聞かなかったんだけど、瀬戸君は決してウソをついたり、人を持ち上げたりする人間ではないので、信用はできるよね」
「そうだね、瀬戸は決して人を持ち上げたりしないよね」
と、反復するように、自分に言い聞かせながら、祐樹は答えた。
――なるほど、人を持ち上げることができないので、こういうまわりくどいやり方をしたんだろうか? 途中紆余曲折を繰り返しながら、最後には真理に持っていくようなやり方が彼のやり方なのかも知れない――
と感じた。
しかし同時に感じたのは、
――最後にはというけど、「最後」ってどこなんだろう?
と感じた。
――物事には始まりがあれば終わりがある。始まりや終わりに気付く人には分かるのだろうが、始まりも終わりも気付かない人には、何もなくその場を通り過ぎる、始まりがあって終わりを感じないことは多いかも知れないが、始まりを感じることなく終わりだけを感じるということはあるのだろうか?
まるで禅問答のような考えが、祐樹の頭の中を巡っていた。
その頃から、また少し人を信用できなくなっていた。子供の頃には人が信用できなかったので、楽しみというと、家に帰ってテレビを見ることだった。戦隊もののヒーロー特撮だったり、アニメだったりと、同年代の子供が見ているものとさほど変わりはなかったのだろうが、祐樹は心の中で、
――他の連中とは違った目で見ているんだ――
と思っていた。
どのように違った目なのか、他の人がどんな視線で見ているのか分からないはずなのでハッキリ言えるわけはないのだが、それでも、
――違うと思うことが重要なんだ――
と祐樹は信じていた。
思い込むことが大切で、番組を見ているうちに次第にヒーローに思い入れを深めていったが、ふと考えると、
――これだったら、他の連中と同じではないか――
と考えるようになった。
それなら、悪役の方に思い入れを深めればいいことで、悪役を見ている自分が次第に正義のヒーローこそ、悪者に見えてきた。
――悪役の役の作り方がわざとらしい――
と感じるようになり、ヒーロー番組が主役であるヒーローを引き立てるために、他の登場人物が存在しているだけではないかと思えてきた。
そう思うと、道徳であったり、平等や平和を口にしている連中が偽善者に見えてきたのだ。
テレビの悪役も、
――どうしてそこまで人間に悪さをすることに執着しなければいけないんだ――
そう思ってくると、悪の結社の言い分は世界征服などと言いながら、やっていることは、ごく局地的で、しかも決まった人間だけに向けられるものである。
また、巨大化したロボットなどが街で悪のロボットと戦っているのだが、平気で街を壊している。
本当であれば、人の生命や財産を、守るはずなのに、足を踏み出しただけで、ビルのいくつも破壊されてしまっている。どうして、誰もいないところで戦闘しようとしないのか、これも大きな疑問である。
実際に、人間と同じ大きさの時は、街中での戦闘は行わず、崖のある荒野のようなところでしているではないか。
当然、セットの問題や撮影の許可など、制作側の都合によるものなのだろうが、見ているいたいけな子供にそんなことが分かるはずもない。
祐樹のように疑った目で見ればいくらでもあらを探すことはできるというもので、それを考えない番組スタッフは、よほど子供をバカにしているのではないかと思うほどだった。
中には祐樹のように疑念の目で見ている人もいるだろう。映し出される映像をまるで茶番のように感じながら見ている人は、それはそれで面白く見ているのかも知れない。しかし、祐樹には、面白く見ることはできなかった。それだけ真面目なのだろうが、融通が利かないともいえるだろう。
それでも見ていたのは、他にすることがないだけで、そのうちに、スタッフの考えまで、想像するようになっていた。
疑念の目で見ている他の連中は、面白く見るところで、それ以上考えようとはしていない。なぜなら、それ以上を考えてしまうと、せっかく面白いと思っていることを、一度打ち消して、再度見つめ直さなければ、それ以上先に進めないからだ。
真面目になってしまうと、自分がその番組を見る意味がなくなってしまうと考えるからで、なぜ見るのをやめないのか分からないが、彼らにも彼らなりの執着が番組にあるのかも知れない。
祐樹は、特撮番組を自分なりに分析してみた。
「まず、やっていることがワンパターンであること」
このことは、特撮番組に限ったことではないが、ワンパターンの番組のいいところは、きっと、視聴者に余計なことを考えさせないで済むところではないかと思った。
「どうせ、子供が相手なんだから」
という思いがあるとすれば、それは憤慨に値することであるが、実際に小学生の途中までは、ワンパターンに対してなんら疑念を抱くことはなかった。
正義のヒーローに憧れるという心境は、ここからきていると考えるのが一番無難なのかも知れない。
ヒーローのセリフも毎回同じで、彼らのキャッチフレーズだった。
――まるでアイドルのようだな――
グループを結成しているアイドルは、それぞれにキャッチフレーズを持っていたりする。たくさんの人がいる中で自分という個性を表に出すにはキャッチフレーズが不可欠なのか、当然のことだろう。
戦隊もののヒーローは、それぞれに自分の色を持っていて、ずっと続いてきた理由の一つに、色というものがヒーローの性格を表しているからだろう。
「赤と言ったらリーダーで、青と言ったら……」
という具合にである。
そうでなければ、四十年近くも毎年新しい戦隊ヒーローが生まれるわけもない。長寿番組として認定されてもいいくらいだ。
祐樹は、
――俺だったら、どれになるんだろう?
と考えた。
――目立たない緑なんじゃないかな?
と思ったが、その時ハッと思った。
――どうして、どれがいいって考えなかったんだろう?
普通であれば、
――赤に憧れるよな――
と思うのだろうが、そうは思わなかった。
――そんな大それたこと――
と感じたのだ。
しかし、どう考えても自分が赤であるわけはない。憧れるにしても、自分の技量をわきまえなければ憧れたとしてもなれるわけはないと、結局は断念しなければならない。それまでに使う時間と精神的な労力を思うと、とても耐えられないだろう。
「子供なんだから、もう少し夢を持てよ」
といわれるかも知れない。
――しかし、夢ってなんだんだ?
そう思わないわけにはいかない。
夢を見るにしてもできないことを追いかけることは、無理なのだ。寝ていて見る夢でも同じこと、
――寝ていて見る夢だって、気持ちの中で絶対にできないと思うことはできるはずはないんだ――
ということは分かっている。
あれはいつのことだっただろうか、祐樹は空を飛ぶ夢を見たことがあった。
高いところから飛び降りようとしていたのだが、いきなりどうしてそんなシチュエーションになったのか分からない。ただ、
――これは夢なんだ。夢だということが確定しているんだから、飛ぶことだってできるはずだ――
と考えた。
しかし、実際に飛んでみると、宙に浮くことはできても、自由に飛びまわることはできない。潜在意識の中で、
――人間は空を飛ぶことはできないんだ――
と感じているからだった。
それに、夢であることが確定していると思っていても、飛び降りてどうなるかということは確証があるわけではない。そう思うと、足も竦むし、飛び降りる勇気とは別の神経が自分を惑わしているのを感じた。
それは、明らかに怖がっているということである。勇気が持てないということは、その恐ろしさを証明していることであり、それ以上、どうしようもないからだ。
本当なら飛び降りるなどありえないことなのに、飛び降りてしまうのは、夢独特の精神状態が存在しているからなのであろう。
祐樹はそれを、
――もう一人の自分に、背中を押されたからだ――
と感じたのだった。
どんなに夢だという確信があっても、自分を傷つけるかも知れないと思うことは、夢の世界でも実現は不可能なのだ。
そこまで考えてくると、祐樹は自分がどれほど精神的に冷めた考えを持っているのかということを思い知った気がした。戦隊もののヒーローをテレビで見ながら、冷めた目で追いかけてしまうのも、仕方のないことだ。
しかも、他の人とは一緒ではないという自負がさらに冷めた目を加速させ、次第に自分を孤立させていった。
さらに、空を飛ぶ夢を見たのは一度ではなかったような気がした。夢を見ながら、
――以前にも同じような思いをしたことがあったような気がする――
というデジャブ現象のようなものを感じた。
そして、この夢を最初に見たのがいつだったのかということも、ハッキリとしなかったのだ。
――戦隊ものへの意識があった小学生の頃だったのか、それとも、実際にはつい最近のことだったのか?
と、記憶の曖昧さを今更ながら痛感していた。
また、こんなことも頭の中にあった。
――目立ちたいなんて、俺には無縁なんだな――
と考えたが、そのうちに不思議な感覚に襲われていくのを感じた。
あれだけ、戦隊ものでは悪役に思い入れしていたはずなのに、正義のヒーローのセリフだけが頭の中に残っていた。
「正義は必ず勝つ」
「悪の栄えた試しなし」
戦隊ものの始まった初期の頃からのお馴染みのセリフのようだが、祐樹はそのセリフが頭に残って仕方がなかった。
偽善者とまでは言わないが、ただ、悪だと判断されたものをやっつけるという単純明快なストーリーの、決まり切ったセリフなど、どこが面白いというのだろう。
――他の子供は騙せても、俺は騙されないぞ――
と思っていた。
ただ、アニメの世界になると、ギャグ的な要素を持った番組で、正義のヒーローよりも、悪役の方がスポットライトを浴びている作品もあった。
悪役は必ず負けるのだが、彼らにも悪役として登場するだけの理由がハッキリとあり、戦隊ものでは決して語られることのない裏のえっぴソードなどが、この番組の根幹だったりする。 ただ、それはユーモアを交えたものでなければいけなかった。道徳的なものもあるのだろうが、悪役というのは、どうしても悲哀に満ちたものとなるのが当然であろう。そう思うと、彼らの言い分をどのように成立させるかが焦点である。
「日本人というのは、敗者に弱い感情を持っているからな」
と言われ、
「判官びいき」
という言葉があるのを中学になって知ったが、小学生の頃の自分が悪役に思い入れていたのも、その判官びいきのせいだと思えなくもなかった。
そうであれば、
――俺も結局は製作者の策にまんまと嵌ってしまったようなものだ――
と思わないわけにはいかなかったが、後から思うと、
――それもいいかな?
と思えた。
悪役を引き立てるのにユーモアが使われていることで、祐樹は自分を正当化できた。この心境は自分だけではないのかも知れないが、この場合はそれでもよかったのだ。
目立ちたいと考えている人を見ていると、
――何やってんだ――
と、見るに堪えないように感じられた。
他の人はそこまで執着はしないだろうが、目立とうとしている人に嫌悪を感じてはいるだろう。
しかし、思っていても顔に出さないことが本当にいいことなのか、祐樹には疑問だった。――相手に気持ちを隠そうとするのって、卑怯なんじゃないか――
と考えたが、最初はさすがにこの考えは、少し強引ではないかと思えた。
そう考えることがではなく、
――卑怯だ――
という言葉に祐樹は自分で反応していた。
人から、
――卑怯者――
といわれると、きっと指先に痺れが起きてしまうほど悔しい思いをするに違いない。そんなことは分かっているつもりなので、あえて卑怯という言葉を自分の辞書の中から消したいと思うようになっていた。
だが、祐樹は自分の気持ちを知られたくないと思っている。当然矛盾した考えなのだが、本人は、
――矛盾ではない――
と思っている。
それは自分を天の邪鬼だと思っているからで、祐樹の中では天の邪鬼という存在は、必要悪のようなものだと位置づけられていた。
ヒーローに憧れた子供の頃には、目立ちたいという意識はなかったが、ヒーローを見ていて、
――格好いい――
という意識だけがあったのは覚えている。
悪役が気になるようになってからは、ヒーローに、
――わざとらしさ――
を感じた。
それはセリフに対してで、昔からよく言われていた。
「悪の栄えたためしはない」
だったり、
「俺たち○○戦隊がいる限り、この世に悪は栄えない」
などと言った、どこかで聞いたようなセリフが横行していた。
もちろん別の作品なのだから、少しずつ言葉を変えているのだろうが、相手が子供であっても、気がつくというものだ。
――それを分かっていてセリフを決めている人も、いい加減なものだ――
と感じていた。
だが、嵌って見ていた頃の自分は、そこまで気付かない。本当に術中に嵌ってしまっていて、後から思い出すと、苛立たしいやら、恥ずかしいやらで、顔が真っ赤になり、
――穴があったら入りたい――
という心境になったことだろう。
中学生になってから、そんな恥ずかしい思いを抱くようになっていたはずなのに、時々、自分はまるで正義のヒーローにでもなったかのようなセリフを吐いていたのをまた、それからしばらくして思い出すと、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
今度も苛立ちを感じたが、それは気付かずにまわりから指摘されても、すぐに分からなかった自分の馬鹿さ加減に覚える苛立ちだった。
――今回は誰が悪いわけではない――
という思いがあったからで、しかも、相手を著しく傷つけていたということに後になってからしか気付かなかったことへの苛立ちだった。
あれは、中学二年生の頃のことだった。
そろそろ三年生になろうかという頃、グループの中のおかしなわだかまりが抜けてからのことだった。
わだかまりは、しばらく続いた。
自分とグループリーダーとの確執に結びついた、それぞれに、
「相手には黙っていてほしい」
と言った連中を、そのまま受け入れるかどうか、最初は悩んでいた。
しかし、グループに一人の男性が入ってくれたおかげで、わだかまりは少しずつではあったが、瓦解していった。
彼は、クラスの中でも誰からでも好かれるような、まるで聖人君子のような人だった。彼の存在は意識していたが、
――自分とは住む世界の違う人なんだ――
と思うことで、彼と友達になるなど、考えられないと思っていた。
名前は天神君といい、まさしく神の力を宿しているのではないかと思えるほどだった。
だからといって、不思議な力を持っているというわけではない。実に普通の男の子ではあったが、何でも平均的にこなしていた。
何かが突出して優れているというわけでもなく、何かが目立つというわけでもない。
誰にでも愛想がいいのだが、なぜか彼は存在だけで目立っていた。
「あいつは生まれながらの中心にいるような男なんじゃないかな?」
と瀬戸は言っていたが、最初はそのことを認めたくなかった祐樹だったが、瀬戸の言葉を聞いていると、まんざらでもない気がした。
確かに天神の言い分はすべてに間違いがないが、どうして目立つのか分からなかった。瀬戸のいうように、中心にいる男だと思えば認められないこともないのだが、中心に彼を据えることにどこか違和感があった祐樹には、すぐに瀬戸の言葉を信じることができなかった。
それでも認めざるおえないと感じたのは、天神の態度からというよりも、やはり最後は瀬戸の言葉だった。最初に言った
「生まれながらの中心にいる男」
と言う言葉だけが瀬戸の天神に対しての評価だったが、その一言が、最後になってやっと効いてきたのだった。
天神がグループに入ってくると、なぜか他にも、
「グループに入りたい」
という人が続出した。
中には女性もいて、初めての女性に、メンバーは嬉々としたものだが、少しずつ大所帯になってくるのを、祐樹はあまり喜ばしいことだとは思えなくなっていた。
しかし、最初のわだかまりは、天神が入ってきたことでなくなってしまった。
どさくさにまぎれてしまったわけではない。意識してはいたはずなのに、不思議とぎこちなさが消えてきた。
きっと、皆の視線が天神に向いてきたからではないかと思う。
最初はお互いにまわりの人を放射状に見てしまっていたので、一人ひとりがぎこちないと、皆の距離が縮まることはない。しかし、同じ放射状でも、誰か一人が中心になり、傘の柄の部分になることで、一つにまとまるのだ。
その役目を担ったのが、天神だということになる。奇しくも、
「あいつは生まれながらの中心にいるような男なんじゃないかな?」
と言った瀬戸のセリフが、メンバーの危機を救ったことになるのだ。
天神は、それでも目立つことはなかった。ただ、それはグループのメンバーとしてであって、個人個人では、それぞれに友情を育んでいるようだった。
元々、天神を慕って入ってきたメンバーで増えたグループなのだ。彼らにしてみれば、個人的に仲良くなるのが苦手な連中にとっては、グループの中の一員として仲良くなる道の方がどれほど簡単であるか分かっていたからであろう。
ただ、グループのリーダーは自他共に瀬戸であり、そのことをわきまえながら、グループは構成されていた。しばらくの間は、その立場が功を奏したのか、メンバーに平穏な日々を与えていた。
「このグループは癒しになるわ」
と言っている人もいて、うまく回っていたのだ。
その影には天神の存在が不可欠だった。
天神は、表には出てこなかったが、裏ではメンバーの相談役のような役回りを演じていた。
そのことを祐樹も瀬戸も知らなかったが、
――知らぬが仏――
とはこのことで、おかげで、わだかまりなど、まったくないグループだったのだ。
グループは、男子六人、女子三人のメンバーとなっていた。
女性の三人は、天神に憧れて入ってきたのだったが、そのことを、一人は公言していたが、後の二人は何も言わないが、きっと心の中には同じような思いがあるのだろう。
公言している女性は、性格的にもあけっぴろげで、品行方正、天真爛漫という言葉が似合う感じで、
「彼女なら、天神とカップルになっても、別に誰からも何か文句が出ることもないだろうな」
と、言っている人もいた。
彼女は、派手好きで、
「このメンバーでは誰も彼女についてこれる人はいないだろう」
と言われるほどの女の子だった。
だから、まわりからは嫉妬を受けることはなかったが、灯台下暗し、他の二人のうちの一人の女性から、極度の嫉妬心を抱かれていた。
彼女は、自分から告白することもできず、派手好きな彼女と対抗できるわけでもないと思っていた。
しかし、救いとしては、
――天神君が、あんな女に惹かれるわけはないわ――
と思っていたからだった。
しかし、派手好きな女性のアプローチは、過剰に見えた。その様子を見て、精神的に尋常でいられなくなったその子は、派手好きな女の子への八つ当たりを考えたのだ。
いくらかの嫌がらせを受けていたようだが、派手好きな彼女を、影で誰かがいつも助けているのか、嫌がらせがまともに彼女に向かうことはなかった。
それでもある日、思いつめた女の子は、派手好きな彼女を、廊下から突き落とすという暴挙に出た。
それは白昼堂々、授業の合間の休み時間、教室の移動の間に行われた出来事だった。
「きゃあ―」
という数人の女の子の悲鳴、派手好きの女の子は身体から発せられる香水のような匂いのために、誰も近づくことがなかったので、彼女を突き飛ばすなど、他愛もないことだった。
しかも、あまりにも堂々とした犯行に、誰もが想像もしていなかったことであり、まわりにいた人も、一瞬何が起こったのか分からなかったことだろう。
ちょうど、祐樹は、それを階段の下にいて見ていた。誰もがその瞬間の出来事に凍り付いてしまったかのような状況で、どちらを見ていいのか、判断に困っていたようだ。
階段の上にいた人は、突き落とした彼女を見つめてしまい、その表情のすごさに、すぐには視線を逸らすことができなかった。
階段の下には、祐樹とグループの他のメンバー二人がいて、一人は天神だった。
派手好きな彼女は、グループの中でも浮いていた。そして、突き落とした彼女も、一番最初に入ってきた女性だということもあって、皆が注目していたが、次第にその本性に暗い影を見てしまったことで、浮いたような存在になっていた。
そんな二人に確執があるのは、何となく皆分かっていたことだろう。そして、その原因が天神にあることも分かっていた。
もし、同じグループでなければ、完全に無視すればいいのだろうが、同じグループではそうもいかない。それでも、
――触らぬ神にたたりなし――
という言葉にあるように、なるべく触れないようにしていた。
そんな中で起こった、
「突き飛ばし事件」
二人のうちどっちに対して同情的になるかというと、メンバーそれぞれで心境が違っているだろう。
二人に直接関わったことがある人はほとんどいないだろうから、その心境は、客観的に見たものでしかない。したがって、どちらに同情的に感じるかということは、その人の性格そのものを表していると考えてもいいだろう。
「おい、大丈夫か?」
一番落ち着いていたのは、本当は原因を引き落としたはずの確執の当事者である天神だった。
彼女は意識を完全に失っていた。
天神は、耳を口元に持っていって、呼吸を調べ、今度は胸に耳を当て、心臓の音を確認していたようだ。
「誰か先生のところに言って、救急車を手配してもらってください」
と叫んだ。
階段の上でうろたえている女の子は、すぐには行動に移ることができなかったようだったが、
「早く!」
という瀬戸の声に、ハッとした彼女は、急いで先生のところに走っていった。
瀬戸はその場にいたわけではなかった。階段の上にいつの間にか現われていて、どうやら、
「きゃあ―」
という女性のただならぬ声を聞いて、急いで駆けつけてきたに違いない。
その状況を一目見て、
――尋常ではない――
と判断したのだろう。
階段の下で、天神が冷静に彼女の様子を診ているのを確認して、
「少し安心した」
と、後から言っていたが、さすがにその時、まわりのうろたえが尋常ではなかったので、自分が大声を掛けることで、その場の雰囲気を変えたかったと言っていた。
「天神には、あの場を冷静に判断して対処することはできるだろうが、緊急の場合に、まわりを動かすようなことができる人間ではない」
と言っていた。
それはまるで、
「それができるのは、この僕しかあの場ではいなかったんだ」
と言いたかったのかも知れないが、そんなことを口にできる男ではないことは、祐樹にも分かっていた。
しかし、なぜあの時のことを瀬戸は祐樹に話してくれたのか、祐樹には分からなかった。
――あの時の俺は、顔から火が出るほど恥ずかしい行動を取っていたにも関わらずなんだけどな――
と感じた。
今から思い出しても恥ずかしくて仕方のないあの場面、瀬戸や天神はどういう感情で祐樹を見ていたのだろう。
――他の連中が、どんな風に思おうとも俺には関係ない。瀬戸と天神にどのように思われていたのかということが一番なんだ――
そう思っているにも関わらず、瀬戸はあの時のことを事あるごとに口にする。それは一体どういう心境からなのだろうか?
しばらくしてから、救急車がやってきた。祐樹はその間、少しずつ冷静さを取り戻していたが、この場の雰囲気に呑まれていたのも確かだった。
しかし、
――目立つなら今なのかも?
と感じていたのかも知れない。
救急車がやってきて、救急隊員が彼女を抱え起こす。その頃には、おぼろげであったが、彼女の意識は戻っていた。ただ、何が自分に起こったのか分からずに、ボーっとしていた。
そんな彼女を見るのは初めてだった。誰だって、自分に予期せぬことが起きれば気が動転したり、その場に乗り遅れてしまうこともある。特に彼女はその時の当事者であり、さらには被害者であった。担架に乗せられ、表に止めてある救急車へと運ばれる。やじ馬がたくさんまわりを囲んでいたが、ざわざわしていた。誰も声を掛ける人もおらず、ただ、隣の人とヒソヒソ話をしていた。
当事者でわる、担架に乗せられた彼女もまるで針の筵のような心境だったかも知れないが、祐樹も何をどうしていいのか分からず、戸惑っていた。
しかし、いざ救急車に乗るというところで、祐樹は思わず声を掛けていた。
「先生に聞かれたことに正直に答えるんだよ」
彼女がかろうじて頷いたのをいいことに、祐樹はさらに言葉を続けた。
「どこか悪いところがあれば一緒に診てもらえばいい」
という一言を言うと、彼女はハッキリとした躊躇いを見せたが、すぐに笑顔で頷いた。
笑顔と言っても、自分でも状況が分かっていない状態なので、苦笑いでしかなかったが、それでも精一杯の笑顔だったのだろう。その時、祐樹はそのことに気づくべきだったのだろう。
すると、横から祐樹がそれ以上何かを言うのを妨げる人がいた。
祐樹の肩に手をかけて、少し強く押さえるようにしていた。相手が確認できない間は攻撃的な相手に対し、自分も攻撃的になりそうになったが、相手を見て、その気持ちはすぐに萎えたのだった。
「瀬戸君」
後ろを振り向くとそこにいたのは瀬戸だった。
「もうそのくらいにしておけ」
そう言って、さらに肩に置いた彼の手に力が加わった。
さすがに瀬戸にそこまでされると、祐樹は逆らうことはできなかった。
瀬戸もそれ以上何も言わずに、下を向いていた。その先にあるのは彼女の顔で、お互いにアイコンタクトを取っているようだった。
――一体、何なんだ――
祐樹は、自分を制しておきながら、瀬戸と彼女の間に暗黙の了解のようなものがあったことに納得がいかなかった。
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