*⋆꒰ঌ┈ 8月7日:命と家族 ┈໒꒱⋆*
キングは、もう、いない。
年老いているようには見えなかった。
王者の名にふさわしい堂々とした姿は、他の犬たちを黙らせてしまうほどの圧倒的な存在感を放っていた。
決して威圧的ではなく、男気にあふれていて、とてもかっこよかったキングには、もう会えない。
キングを知っているのは僕だけだ。もし僕が忘れてしまったら、キングは消えてしまう。
そんな思いが浮かび、僕は、心のアルバムに栞を挟んだ。
僕はキングを絶対忘れない。いつの日か、きっと、もう一度彼に会えると思うから。
僕は、自分のベッドで目が覚めた。
「夢だったのかな。」
昨日、キングが『処分』された。僕はそれを夢と思いたかったけれど、現実という事実からは逃げられなかった。
「あの獣医さんが、やったのかな。」
この前、僕をぐちゃぐちゃになでた、獣医さんを思い出した。
「あの人だったらいいな。あの優しい手なら、きっと大丈夫。」
何が大丈夫なのか分からないけど、そう思った。
お日さまは、もう空に顔を出していた。
クロが待っているかもしれない。
僕は、いつもの窓に移動した。
僕は、この窓の向こうの世界をほとんど知らない。僕にとっては、サンの下から見上げる空は一枚の絵画。でもあの向こうを鳥が舞っている。ちゃんと、その世界は存在しているのだ。僕はサンに飛び乗った。
「遅いぞ。何かあったのか?」
そこにはすでに、クロがいた。
「おはよう、クロ。なんでもない。寝坊しただけ。」
ぶっきらぼうな口調だけど、僕を心配してくれているのは、すぐ分かった。僕は、そんなクロの気持ちが嬉しかった。
「おい、お前。彼女はいるのか?」
「彼女?」
突然、クロが僕に質問した。
クロの質問はいつも突然だけれど、今日のは内容も突然だ。
「ああ、そうだ。」
そう言うと、クロは首をかしげた。
「恋の季節くらい、あるだろう?」
僕はようやく理解した。
「僕にはね、恋の季節がないんだ。」
「どういうことだ?」
クロは、目を丸くした。
「人間と暮らすとね、去勢とか避妊の手術をすることがあるんだよ。僕も、去勢してる。」
「なんだと!」
クロの声は、明らかに怒っていた。
「人間はなんて身勝手なんだ! レディといい、シェリーといい……、お前までもか!」
いつか言わなければと思っていた。クロなら確実に怒るだろうと、分かっていた。
「クロ、ねえ、落ち着いて。」
僕は、できるだけ優しく言った。
「あのね、これはひどいことじゃない。人間と暮らすのに、必要なこともあるんだよ。僕は、恋の季節を一度も経験していない。恋をしたいとも思わないし、それを不幸だとも思わない。でも……、」
僕は目を閉じて、しっかりと言葉にした。
「授かった赤ちゃんが捨てられるよりなら、僕は、恋の季節なんてない方がいい。クロ、君みたいな猫を増やしたくない。そしてクロ、君はもっと幸せになるべきだ。」
そっと目を開け、僕はクロを見つめた。
クロは、驚いたようなショックを受けたような、そんな複雑な目をしていた。
「君やユズのような、悲しい猫を増やしたくないんだ。人間の飼い主がちゃんと育てられないなら、そういう手段をとる必要もあると思う。それも、人間の責任の一つなんだ。」
僕は、金色の瞳を強い気持ちで見つめた。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
「だから私は、自分の家族を持つことができない。」
私は、ふたりの顔をまっすぐ見た。
「しかし、これは決して恥ずべきことでも悲しいことでもないと思っているよ。」
鴉は驚いていた。
「オレは、家族がいてよかったと思ってる。命を次の世代に渡せないなんて、オレには考えられない。」
私と鴉の会話を、鳶は黙って聞いていた。
「ボクは、」
彼独特の優しい声が響いた。
「家族を持つ喜びを経験できないことは、やっぱり悲しいことなんじゃないかなと思うけれど、ユズさんやクロさんを考えれば、必要なのかなとも思う。」
私は、ゆっくりうなずいた。
「避妊、去勢するかどうかじゃない。幸せと思えるかどうかは、共に暮らす人間次第なんだ。」
私は、家族との思い出に、少しだけ浸った。
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