*⋆꒰ঌ┈ 7月29日:信じる理由 ┈໒꒱⋆*

 僕は、いつもの場所に座って、クロがやって来るのを待っていた。


 シェリーの物語は、ユズとの出会いに続き衝撃の強いものだった。


「やっぱり、クロの言う通り『人間は信じられない生き物』なのかな。」


 僕は、ユズやシェリーを思ってため息をついた。



 窓の外から人の声が聞こえた。若い女の人が犬を連れて散歩をしている。ずっと眺めていたら、その女性の姿がお父さんやお母さん、お姉ちゃんに見えた。


 僕は、今までの自分の人生、いや猫生を振り返った。


 僕は、いつからここにいるのだろうか。てっきり、生まれたときからここにいると思っていたのだけれど、どうやら違うらしい。お姉ちゃんたちが、それについて話しているのを一度だけ聞いたことがある。


 僕が生まれたのはお母さんの親戚の家なのだと、お姉ちゃんが言っていた。そういえば僕にも『きょうだい』がいたような気がする。確か、全員お姉ちゃんだったと思う。



『健太は、そこにいた子猫たちの中で一番小さかった。抱きしめただけで壊れてしまいそうなほど柔らかくて。でも、あなただけが私たちの膝の上で眠ってくれたの。そのとき、この子しかいないと思ったわ。』



 いつかお母さんが僕の頭を撫でながら言ってくれた。


 小さいころは、お母さんの膝の上やお姉ちゃんの布団の中で一緒に寝ていたのを、ぼんやりと覚えている。


 お父さんからマグロのお刺身をもらったり、お姉ちゃんとサイクリングに行ったり、お母さんに甘えて一緒に寝てもらったり。お留守番は寂しかったけれど、僕はいつもみんなと一緒だった。


「おはよう、クロ。そこにいるんだろう?」


「物思いにふけっていたようだったからな、帰ろうかと思っていたところだ。」


 僕に気づかれてばつが悪かったのか、ふてくされた顔で、いつもの茂みからそろそろと姿を現した。


「僕が物思いにふけるのはいつもじゃないか。」


 そんなクロがとてもかわいく思え、笑みがこぼれた。


「何がそんなにおかしいんだ。」


 僕は、まいったなとそっぽを向いたクロの横顔を眺めながら、クロの猫生を考えた。



 どんなに苦しかっただろう。

 どんなにつらかっただろう。



「お前は、すぐ自分の世界に入る癖があるんだな。」


 クロの言葉で、僕は我にかえった。


「さっきから呼んでいるのに、まったく聞こえないんだもんな。」


「え? 呼んでたの? ごめん、まったく気づかなかった。」


 僕とクロは、穏やかに笑った。


「それはそうと、」


 クロのするどい声が心に響いた。


「お前、なんでそんなに人間を信じられるんだ?」


 この質問は、予測できていた。だから僕は、今までを思い返していたのかもしれない。


「言うと思っていたよ。正直なところ、クロと出会って、クロと話をして、人間を信じる心がかなり揺れているんだ。だからさっき、色々考えてみたよ。もしかしたら、本当に人間は信じられない生き物なのかもしれない。どんどん木のさわやかな匂いは減っていくし、静かな夜を邪魔する爆音が道路を走って行ったり、綺麗な夜空が見えなくなったり。僕たち動物をいじめる人もいる。人間たちは、そうやって僕らを苦しめる。だから、君の言う通りなのかもしれない。」


 僕は、振り向いてお母さんが寝ている部屋を見た。


「だけど、だからといって、僕の家族のことを信じられない人間だって思えないんだ。」


 僕は、視線をクロに戻した。


「もしかしたら人間の中には信じられる人もいるかもしれないよ。少なくとも僕は家族を信じてる。」


 クロは、僕の言葉を聞いていら立っているようだった。僕から視線をそらし、吐き捨てるように言った。


「まるで、シェリーと同じだな!」


 クロは自分を責めている。シェリーを救えなかったことを悔やんでいるのだろう。


「クロ、きっとそれが『飼い猫』なんだと思うよ。何としても信じ抜こうとするんだと思う。シェリーはきっと……、」

「黙れ!」


 クロは僕を、矢のような金色の目でにらみつけたけれど、僕は言葉を止めずにクロをまっすぐ見すえ、落ち着いた声で言った。


「……きっと、幸せだったと思う。」


「何故だ……、何故なんだ。俺には理解できない。」


 いつも凛としているクロは、僕の憧れだ。そのクロが、僕の前でうなだれている。僕は初めて、彼の弱い姿を見た。


「家族だから。」


 クロは、顔を上げて僕を見た。



「家族だから。」



 僕はもう一度繰り返した。


「クロがシェリーを守りたかったように、僕は、僕の家族を守りたい。クロとシェリーが血の繋がらない親子のように、僕と僕の家族の血も繋がっていない。でも、それがどうしたの? 例え人間でも、僕にとってはたった一人のお母さんだし、たった一人のお父さんだし、たった一人のお姉ちゃんなんだ。僕は、家族を愛してる。クロ、君がシェリーを愛したように。」


 僕の口から、こんな言葉があふれてくるなんて思わなかった。多分、誰よりも僕が一番驚いている。


 クロの目は、ぼんやりと僕を捕えていた。


「そうか……。」


 そうつぶやいて、友は帰って行った。



*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*



「まさか私の口から、あんな言葉がすらすら出てくるなんてね。あのときは本当に驚いたよ。」


 照れ笑いしながら、翼を持つ二人の友にそう言った。


「本当に、家族を大切に思っているんだな。」


 鴉のささやきは、優しかった。


「もしかしたら、」


 鳶は、キリッとした目を輝かせていた。


「クロさんと話をするようになって、健太さんの中に変化が起きたのかもしれませんね。」


「ああ、そうだろうね。」


 私は、鳶の言葉を受けて続けた。


「実際、クロと出会うまで、自分の正体は猫だと知らなかったからね。」


 鴉がくすりと笑った。


「それまでは、どんなに自分が幸せか、どんなに家族を愛しまた愛されていたかなんて、考えたこともなかったからね。」


 私は、抜けるような青空のずっと向こうにある世界に、思いを馳せていた。

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