第55話【早朝スパーリング】
「うう……。頭が痛む……。胸も少し苦しいぞ……」
俺がアビゲイルのスーパー頭突きアタックを食らって目覚めると次の日の朝だった。テントの中で半裸で寝ている。上着は着ているのだが、ズボンもパンツも穿いていない。
「あれれ、俺のパンツは……?」
テントの中を探したが俺のパンツは見当たらない。仕方無いので俺はノーパンでテントから出た。
「おーい、アビゲイルは居るか〜?」
しかし、アビゲイルからは返答が返ってこない。どうやら近くには居ないようだ。
「どこ行ったんだよ、あいつは?」
俺がチンチロリンをブラブラさせながらテントの周りを見回すと複数の冒険者たちが配給された朝ご飯を食べていた。それを見ていたら俺のお腹もはしたなく音を鳴らす。
「あ〜、俺も腹が減ったわ。飯でも頂くかな」
俺は股間をボリボリと掻き毟りながら配給の列に並ぶ。すると大鍋の前でジェシカとララーさんが食事を配っていた。
「よう、ジェシカ。俺にも朝ご飯をくれよ」
「何を半裸でほざいてやがる……」
「そんなことより、うちのアビゲイルを知らないか?」
「そんなことより、まずはズボンを穿いてきてからだ。話も食事もその後だ」
「わかったよ……」
俺はボサボサの頭を撫でながら異次元宝物庫から着替えのズボンと装備一式を取り出すと配給に並ぶ人々の隣で装着した。ズボンを穿いて革鎧も着込む。
「ジェシカ〜。今度はちゃんとズボンを穿いてきたぞ。飯をくれ〜」
「はいはい、器は食べ終わったら返しに来てね」
そう言うとジェシカは木の器にスープを注ぐ。そのスープからは海老の匂いが漂って来る。差し出された器の中を覗き込むと海老っぽい大きな肉が沈んでいた。
「あれ、この肉はなんだ?」
「昨日の晩に偵察に出たパーティーが狩ってきたジャイアントレイクロブスターのスープよ。お代わりは自由だから好きなだけ食べなさい」
「へぇ〜。これがジャイアントレイクロブスターの肉か……」
俺はテントの前に戻るとスープを啜って海老肉をほうばった。塩味だけの安っぽいスープだったが海老から出汁が出ていて結構と美味かった。これはなかなか行ける味である。
「なるほど、これがレイクロブスターの味か。海老そのままだな。旨々だ」
俺はスープをたいらげると器を返しに行った。
「ジェシカ。うちのアビゲイル知らない?」
「村はずれの広場でトレーニングをしていたわよ」
「トレーニングだと?」
俺は首を傾げた。
アビゲイルがトレーニングなんて意味があるのだろうか。あいつが体を鍛えても筋力がつくわけがない。何せあいつはゴーレムだからな。鉄骨と木肌で作られているのだ。肉体的には成長なんてしないはずだ。
俺は首を傾げながら広場を目指す。すると広場には数人の冒険者たちが集まっていた。
「お〜い、何してるんだ?」
俺が一団に声を掛けると数人の知った顔が伺えた。アビゲイル、アンジュ、ミゼラちゃん、カルラ、それにドリドルにスカーフェイスだった。しかもアビゲイルとドリドルはボクシングのファイティングポーズで向かい合っている。
「なにやってるんだ。戦ってるのか?」
俺の問に賑やかしのアンジュが答える。
「あのスケベ親父とアビゲイルちゃんのスパーリングだってさぁ〜」
「スパーリング?」
「なんでもアビゲイルちゃんが格闘術を習いたいらしいよぉ〜」
「アビゲイルが……?」
俺は黙ってスパーリングに励む二人を囲む輪に加わった。向かい合う二人は俺の登場に気がついていない。それだけ真剣に睨み合っているのだ。
アビゲイルはいつも通り無表情でファイティングポーズを作っていたが、ドリトルはいつも以上に真剣な眼差しでアビゲイルを睨んでやがる。
「あのおっさん、スケベ面の下に強者の表情を隠しているから怖いよな。マジで侮れんよ」
アビゲイルを見てみれば拳に鋼鉄のグローブを嵌めていた。リアルファイトと代わらない装備だ。だが、ドリトルは拳にタオルを巻いただけの軽装備である。防具も革鎧だけである。あの軽装でアビゲイルに殴られたら死んでまうだろう。
「さて、どちらから出るかな……」
両拳を顔の前に並べて背を丸めるインファイタースタイルで構えるアビゲイルに対してドリトルは背筋を伸ばして爪先で細かくステップを刻むアウトボクサーの構えであった。体は斜め、左肩が前を向き、右肩が後方を向いている。更には左腕は胸の前で構えられていたが、前の左腕はダラリと力なく下げられていた。サイドワインダーの構えだ。
そのドリトルから動いた。軽いステップで前に出ると同時に左の腕を鞭のように振るう。しかし、その鞭は早くて長い。そのスピードから拳先が消えたように見えた。
刹那、パチーーンっと乾いた音が鳴った。鞭の先がアビゲイルの顔面を叩いたのだ。その一打でアビゲイルの頭が激しく揺れた。
ドリトルが放ったのはジャブである。しかも普通のジャブではない。フリッカージャブと呼ばれるアウトボクサーが好んで使うヒットマン流のジャブだ。
フリッカージャブの特徴は長くて速いである。リーチが普通のジャブよりも長くて、更にジャブだけあってやはり速いのである。
リーチが長い理由は体を斜めに構えている分だけ半身分だけ長いのだ。この僅かな長さが戦っている者からしたら途方もなく遠く感じられる。
そのフリッカージャブでドリトルはアビゲイルのリーチ外から攻撃したのだ。
更に半歩前に出て間合いを詰めるドリトル。しかし次の一打はパンチでなかった。拳を開いて掌でアビゲイルの顔面を掴みに行ったのだ。
「パンチじゃあない!?」
アイアンクロー。
ドリトルがアビゲイルの顔面を鷲掴む。そして、アビゲイルの顔面を掴んだ掌が視界を隠す。
そこから更に身を寄せる。ドリトルの胸とアビゲイルの胸が接触した。
「やばい、ボクシングじゃない。離れろ、アビゲイル!」
俺の助言を聞いたアビゲイルが拳でドリトルの腕を払おうとした。しかし、それはミス行動。
「違う、そうじゃない!」
瞬時のシュミレーションの中で俺が思い浮かべた最悪。その最悪をアビゲイルが選択して、最善の攻撃をドリトルが選択してみせた。
その結果、アビゲイルの顔面を鷲掴みにするドリトルが腕を払われる前に脚を絡めてきたのだ。
大外刈りだ。
外側から片足を払われたアビゲイルの下半身が前に跳ね上がる。刹那の時にはアビゲイルの体が空中で斜めに寝そべっていた。
そこから掴まれた頭を叩き付けるように地面に背中から落とされる。更にドリトルがアビゲイルの胸元に跨りマウントポジションを取っていた。
「頂き!」
その言葉と共にアビゲイルの片腕を掴むドリトルが掴んだ腕を股に挟み込み体を横に倒した。
「腕ひしぎ逆十字固めだ!」
柔道やプロレスで使われる関節技だ。それを冒険者のドリトルがやって見せる。
「不味いな。完全に腕が伸びて決まったぞ……」
アビゲイルは腕十字に決められて、完全に肘が伸び切っていた。その腕からミシミシと音が聴こえてくる。
だが、アビゲイルには痛覚が無い。もしもアビゲイルに生物同様に痛覚が存在していたのならばギブアップしていただろう。
よって、アビゲイルは強引にも立ち上がる。ドリトルを決められた片腕にぶら下げたままグランドから起き上がったのだ。
そして、そのまま片腕にしがみついてるドリトルを自分の頭よりも高く持ち上げる。そこから地面にドリトルを叩き付ける積もりだ。完全な力技である。そして、腕が振り下ろされた。
「ぬうぉおおお!!」
振り下ろされるドリトルが叫んでいた。しかし、ドリトルが決めていた腕を離して飛んでいった。少し離れた場所に一回転してから綺麗に着地する。
そして、涼しげな表情でドリトルが述べた。
「はぁ〜い、今日のスパーリングはこの辺で終わりにしようか〜」
そう言うとドリトルの前に立つアビゲイルが礼儀正しく頭を下げた。礼儀を示す。
ドリトル。このスケベ親父は強い。ボクシングだけでなく、柔道の技も使いやがる。マジで侮れない強者だろう。
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