第15話 第15章

 理沙が自分の夢を他の誰かが見ているのかも知れないと感じ、無理に過去を思い出す必要などないのかも知れないと感じるようになっていた時、弥生も同じことを考えていた。

 弥生も理沙と同じ夢を見ていた。ただし、それは同じ日ではなく、理沙が見た次の日だった。

 弥生も、夢の中で自分が主人公として出てくるのかも知れないと思って見ていたが、結局出ていないことに気が付いた。

 ただ、そのことに気が付いたのは、夢を見ている時であり、目が覚めた時には、そのことも忘れることはなかった。むしろ大きな印象として残っているくらいで、そこが理沙との違いであった。

 同じ夢を見ているのに、他の人と夢の共有などありえないという意識は、必ず感じている中で、相違部分があるからだ。相違部分は肝心なところにあり、無意識に相違部分を大きな亀裂として壁を作ることで、他人との夢の共有がありえないと思いこませるのであった。

 理沙に比べると、弥生の方が夢に対しての意識は強かった。夢を見たと思ったその日は、夢に対しての意識をずっと持ち続けているくらいであった。そして、

――夢で見たことが自分の中にある記憶と錯綜するところがあるのではないか――

 とさえ思っているほどである。

 ただ、それが記憶の欠落を招くというところまで頭が回るわけではない。そこまで頭が回るくらいなら、

――誰かと夢を共有している――

 という意識が芽生えたかも知れない。

 ここまでの発想が生まれると、夢の世界を現実世界から垣間見ることができるのかも知れないという発想も生まれるだろう。

 だが、そんな発想を夢が許すわけはない。だからこそ、記憶の欠落を生むのだ。

 夢の共有、記憶の欠落、夢と現実の架け橋。それぞれ、発想が堂々巡りを繰り返す。どこかの壁を壊さないと、抜けることのできない堂々巡り。弥生は夢と現実の狭間で堂々巡りを繰り返していたのだった。

 弥生が堂々巡りを繰り返していることを知っている人物がいた。その人は、自分一人では気付くことはなかった。

「私は、彼女の夢の中に入りこみ、その心境を探ることができたんだよ」

「まあ、そうなの?」

――驚いたふりをすると、どうしてここまでわざとらしくなるのだろう?

 初老の男性は、そう思いながら、ベッドの中で自分にしがみついてくる若い女の頭をいとおしそうに撫でていた。

 表は凍り付きそうな寒さなのに、部屋の中は熱気でムンムンしていて、妖艶さが大人の世界を作り上げている。

 愛し合ったばかりの男性の匂いに、懐かしさを感じている女は、男に父親を求めているのを感じた。

――他のくだらない男に抱かれるくらいなら、父親のように慕っているこの人と一緒にいられることが幸せなんだわ――

 そう思って男の胸に顔を埋めて安心したように眠りに就きかけている女は穂香だった。ということが、穂香と一緒にベッドを共にしている初老の男性は三枝である。三枝は、穂香との逢瀬の中で、弥生の話をしているのだ。弥生の夢の中に入りこんだと言っているが、弥生が見ている夢の中にいた表情の分からない方の男性は、三枝ということになる。

 弥生の夢の中に出てきたもう一人の男性は、三枝信二だった。

 三枝と信二は、親子である。

 弥生が夢の中で、疑問に思ったことがある。

――この人はどんなに顔を隠そうとしても、私に分かってしまうということを知っているくせに、どうして、顔を隠そうと今さらながらにしたのだろう?

 という思いだった。

 それだけ三枝のことが弥生は好きだった。好きだったことで、自殺したことを、

――三枝さんへの裏切り――

 だという自己嫌悪を感じていたのだ。

 弥生には、三枝に対しての後ろめたさがある。もし、自殺に失敗しないで死んでいたなら、こんな思いはなかったかも知れない。ただ、それはこの世でということで、あの世に行ってから、どう感じるかも怖かった。死んでしまったことに後悔が起こることほど怖いものはない。誰も見たことのないはずのあの世とは、どのようになっているのだろう?

 三枝が弥生に対して、顔を隠そうとしたことが以前に一度だけあった。

 三枝は、弥生が店に入る前からの常連だった。そのたびごとに好きな女性を物色し、付き合うようになっていた。その話はママから聞かされたことがあったが、ママは三枝をそれほど悪い人だとは思っていなかったようだ。むしろ、男として慕うことのできる相手で、お付き合いも公認のところがあったようだ。

――三枝さんに任せておけば、心配ない――

 という信頼感がママにあるからこそ、弥生は、三枝と付き合ったことを後悔していない。

 弥生は、今三枝が、新しく入った穂香と付き合っていることを知っていた。

 弥生は自分が入った頃に感じた三枝への思いと、今とではまったく違うイメージを三枝に持っている。途中で徐々にイメージが変わって行ったわけでもない。だとすると、途中のどこかで急に変わってしまったのだろうが、それがどのタイミングだったのか、まったく分からない。

――タイミングだという考えを持っている間は、彼がどこで変わったのか、分かるはずがないような気がする――

 弥生は、三枝という男性が変わってしまったと思っていたことが、そもそも間違いだということに、気付いていなかったのだ。三枝は変わってしまったわけではなく、三枝には自分の中での計算があり、計算通りを態度に表しているのだ。変わってしまったと考えることは、三枝の術中に嵌ってしまったようなもの。見誤っているわけではないはずなのに術中に嵌ることで、弥生は三枝の手の平で踊らされているような気がした。

 弥生が三枝と深い関係になるまで、さほど時間が掛からなかった。

――こんな素敵な男性が、この世にはいるんだ――

 と、弥生はその時に感じた。

 今から思えば、それが三枝の巧妙なところなのか、それともすぐに好きになってしまう性格が弥生の中にあったのか、自分でも分からない。最初は、三枝の巧妙だと思った。それだけ自分が簡単に男性に靡くはずはないと思っていたからだ。

 そんな自分が、全幅の信頼を得られるほどの男性だと、すぐに感じるのだから、それだけ巧妙であってしかるべきだと思った。それでも相手に対してそれほど警戒心を抱くことなく、心地よさに身を任せられるような女だったことに、少々驚かされたが、それだけ自分が素直でいたいという気持ちの表れなのだろう。店に入ってすぐの頃は余裕がないはずなのに、三枝のおかげで余裕を与えられたような気がするのだった。

 三枝には、弥生には話していないことがあった。

 弥生は三枝の奥さんと娘が三年前に交通事故で亡くなったという話を知っていた。最初はママに聞いたのだが、本人からも聞いていた。三枝が自分にも話してくれるかどうか不安だったが、快く話してくれたことで弥生の気持ちがオープンになり、

「三枝さんを本当に好きになったのはいつなの?」

 と聞かれたとすれば、

「私に奥さんと娘が交通事故で死んだということを話してくれた時」

 だと答えるだろう。

「三枝さんは、本当はこの話を誰にもしたくないって言ってたんだけど、店の切り盛りをする私にだけは話しておかないといけないと思ったのと、弥生ちゃんには知っておいてほしいということで、私を通じて話をしてくれたのよ」

 とママから聞かされた。だから、三枝本人から直接聞くことはないと思っていただけに、話をしてくれたことが嬉しかったのだ。

――家族の話というのは、特別だものね――

 言いたくないことの方が圧倒的に多いと思う家族の話、弥生は複雑な心境だった。

 弥生もあまり家族のことを話したくなかった。家族のことを思い出すと、自分が自殺しようと思った時のことを思い出す。自殺の遠因に、家族のことが入っているからなのか、自殺して死に切れなかったことで、家族を見た時に感じた冷たさが、ひどく弥生の気持ちに影を落としているのか、そのどちらも考えられる。実際に死に切れなかった時、弥生は家族の冷たさを今さらながらに感じたのを思い出した。

――しょせん、世間体しか考えていないんだわ――

 言葉では心配しているようなことを言っていても、心の中では、

――家族から自殺者を出すなんて恥かしい――

 という思いだったのだろう。

 もし家に強制送還されようものなら、近所の人の目に触れないよう、隔離状態にされてしまうのではないかと思うのだった。

 三枝との付き合いは、いつも不安と背中合わせだったような気がする。安心感を得たいと思うからそばにいるのであって、不安が背中合わせであれば、そばにいる意味がどこにあるというのだろう?

 元々、三枝には裏表を感じていた。普通なら、裏表のない人がいいと思うのだが、裏表に厚みを感じると、その正体を探りたくなってくる。

 穂香は弥生と違って何でも話をしてくれる。

 今まで三枝は、穂香のような女の子と接することがなかった。自ら避けていたところがあるからだ。

――自分のことを自分から話す人の気が知れない――

 と思っていたが、それはまだ自分が少し若かったからだ。

 ちょうど今くらいの年齢になると、人間が丸くなると言われるが、今の年齢というよりも、奥さんと娘が亡くなった時から、変わったのは間違いのないことだった。

 それまでの三枝は、家族を顧みることもなく、仕事に熱中していた。

 ある日、熱中しすぎてオーバーワークになってしまった時、ちょうど優しくしてくれた女性に惚れてしまい、一時期付き合ったこともあった。相手の女性も三枝に憧れていて、告白された瞬間、家族のことが頭の中から完全にとんでしまったのだ。

――まるで、ずっと以前から意識し合っていたような気がする――

 そう思うと、運命を感じるのだ。

 もう少し若い頃は、物静かで慕ってくれるような女の子が好みだったはずなのに、何でも話をしてくれる女の子を気にするようになったのは、それだけ自分が寂しい心境にいることを自覚し始めたからであろう。

 しかも話を聞いていると、本当の娘のように思えてくる。まさか娘が死んでしまうなど思ってもみなかったので、自分の娘に望みたかったことを、他の女の子に望んでみたりしていたのだ。

 本当は、娘が父親に望んでいることと、父親が娘に期待していたことは一緒だったのである。死んでしまった今となっては確かめようもないが、三枝は家族を追って、自殺しようとまで考えたほどだった。

 三枝には、奥さんと結婚する前、付き合っていた女性がいた。その人は自分から何かを言おうとするような人ではなく、絶えず三枝の影となって黙っているタイプの女性だった。

彼女と別れることになったのは、彼女の家が頑なに三枝を拒否し、付き合うことを許さなかった。

 三枝は、そこまで彼女を好きだったわけではないので、

――反対されているなら仕方がない。無理を押し通して二人だけで幸せになれるわけはないんだ――

 と、思っていた。

 彼女にも同じことを言ったが、彼女は黙ってしたがってくれた。だが、その時の寂しそうな顔を三枝は一生忘れないだろう。

 ただ、その時彼女が身籠っていて、家族もそれを知ったことで、何としても結婚させられないと思っていた。

 子供は養子に出されたが、何と養子に出した家の苗字も「三枝」だったのである。

――何と言う運命のいたずら――

 彼女は、この運命のいたずらを感じ、三枝とは二度と会わないことを心に誓った。そして子供にも二度と会えないことを覚悟しなければならなかった。

 薄幸の女性というのは、どこまでも不幸にできているのか、その後、彼女の人生でロクなことはなかった。

 その時を境に失意は慢性化し、そのまま生きることに対しての感覚がマヒしてしまい、結局事故で死んでしまった。

 そのことを、彼女の家族は他人にひた隠しにしてきた。娘が子供を産んだことはもちろんのこと、家に住んでいたことすら誰にも話していなかったので、

「実家に帰ってきている時に事故に遭うなんて、可哀そうだわね」

 と、近所では言われていたくらいだった。

「あんな男と付き合ったりするから、こんなことになるんだ」

 と、彼女の家でのすべての責任は三枝に向けられた。三枝自身の知らないところで噂されているなど、思ってもいなかったが、彼女と別れさせられたことで、精神的に少し狂ってきたのも事実だった。

 三枝の知らないところで子供は元気に成長し、その子が高校を卒業する頃になると、自分の生い立ちが気になり始めたのだ。

 育ての親が実の親でないことは知っていた。親が高校二年生の時に話してくれたのだ。どうしてその年だったのか分からないが、大人の精神状態になったと判断したのだろう。「お前は私たちの実の子ではない」

 ショックがないと言えばウソになるが、それほど大きなショックでもなかった。まるで他人事のように考えたが、他人事のように思えるということがショックな証拠だということに、その時は気が付いていなかった。その子がちょうどその時に付き合っていたのが、理沙だった。男性の名は、三枝信二、理沙の前に現れた男だったのだ……。

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