第14話 第14章
理沙は、三枝信二が見舞いに来てくれた日の夜、
――夢でもいいから、信二さんと自分の昔を見てみたい――
と思っていた。
三枝信二のことを思い出したいというわけではない。三枝信二が訪ねてきたことで、自分の中の何かを思い出したいと思うのだ。三枝信二は、二人は別れていたと言った。その言葉に対しての証明はどこにもない。
――証明とは何か?
それは自分が納得できるかどうかという精神的なケジメであり、理沙の中で一番今掴みたいと思っていたことだった。
ただ、夢というものほど自分の意志とすり合わないものはない。自分が望んだことに対して、ハッキリと違う答えを出すのだ。まともに答えてくれて納得させてくれたことなど一度もない。
――それが夢の続きを見せてくれない証拠でもあるのかも知れないわ――
と思うのだった。
いい夢であれ、悪い夢であれ、印象深い夢は必ず、結果が現れる寸前で途切れてしまうものだ。それを理沙は、
――夢とは、自分を納得させてくれないものだ――
として、普段の素直ではない自分の気持ちを表しているように思えてならないのだ。
夢に対していろいろな考えがあることも分かっている。自分と同じ考えの人もいるかも知れないが、見つけることはまず無理だろうと思っている。なぜなら自分と同じような考えを持っている人が、人と夢のことで話をするはずがないからだ。
理沙にとって夢とはアンタッチャブルな世界である。立ち入ってはいけない世界であり、受け入れるしかない世界だと思っている。そんな世界の話を他の人とするというのはあまり好ましくない。他の人が話していることに相槌を打っているだけでしかなかった。
――考えが違う人の話を聞いているだけならいいというのだろうか?
自問自答を繰り返したが、そこまで否定してしまっては、角が立ってしまう。
――仕方がないことは仕方がない――
として考えるしかないのだ。
理沙は夢を神聖なものとして理解していたが、まったく別世界のものだとは思っていなかった。どちらかというと、背中合わせの世界が存在し、そこにあるのが夢の世界ではないかと思っている。
夢の世界を考える中で、近い存在が、鏡の中の世界だと思っていた。鏡の中の世界もこちらの世界と生き写しで、こちらの動きに合わせて向こうも動く、そこに時間差はありえない。
ということは、こちらの世界は鏡の向こうの世界から、「鏡の中の世界」として意識されているのかも知れない。
こちらの世界の人間が、いちいち鏡を見て、
「向こうにも世界が存在する」
などということを意識することもほとんどないだろう。
鏡の中の世界に対して特別な思いを抱いている人は、ある意味「変わり者」と言われるだろう。特に人に話すことではない。
そういう意味でも、鏡の中の世界と、夢の世界とでは共通点も多いのかも知れない。人に話しをすると、
「何バカなこと言ってるんだ」
という人も少なくはないだろう。口に出さなくても、話題を変えようとするか、会話自体をお開きにしてしまうかのどちらかではないだろうか。中には話題にしたい人もいるかも知れないが、それは学生時代までのことで、卒業してからというもの、なぜかそういう話ができる人がまわりにいるような気がしないのだ。
きっとそう思っている人がほとんどだろう。
理沙が思うに、一つのグループがあれば、その中で理沙のような考えを持っている人は必ず一人以下なのではないかということである。皆無か一人か、一人である場合は自分だけ、二人以上いなければ成立しない会話では、一人以下はありえないのだ。そう思うと、理沙は話ができないことを納得するしかなかった。
そもそも学校を卒業して、社会人になってから、何かのグループに入ろうなどという発想はまったく現れない。グループという発想は仕事とプライベートを分離した際、プライベートの中ではありえないという発想が理沙にはあったのだ。
学生時代には確かにグループ意識があった。
ただ、そのグループ意識は、
――他の人と同じでは嫌だ――
というものだった。
――おや?
理沙がそのことを思い出すと、同じ考えの人が自分に対して共鳴してくれているのを感じた。最近出会った人で、その人が誰であるか、思い出そうとしていた。
――そうだ、この間ラウンジで一緒にいた人だ――
弥生のことである。
理沙は勘が鋭い方だというわけではないが、このことに関しては、ある程度自信がある気がしていた。気持ちが通じる何かを感じていたが、それが、
――他人と同じでは嫌だ――
ということであったとは、入院しなければ分からなかった。入院の原因が心中というのだから、皮肉なものだった。
他人と同じでは嫌なくせに、一人で死ぬのが怖いということだろうか?
いや、理沙にとっては逆である。苦痛を伴うことは人と一緒など、想像しただけでも気持ち悪い。痛みこそ一人で感じていきたいと思っていたはずなのに、生き返ってみると、心中だったという。まわりも信じられないような顔をしていたが、一番信じられないのは自分なのだ。
ただ、もう一つ考えているのが、
――私が心中するくらいだというのなら、自殺する人は、間違いなく皆心中なんじゃないかしら――
という考えであった。
何か確信めいたものを感じた。こんなに漠然とした意識なのに、そして、これほど乱暴な意見もないであろうに、理沙が弥生と考えが共鳴したことで生まれた発想だった。
ということは、弥生に対しては、最初から他人だという意識がないのだろう。他人と一緒では嫌だという意識が強いのであれば、他人に思えない人が相手であれば、とことんまで信じてあげようという意識が生まれる。
理沙は、その日の夢で、三枝信二が現れたのを感じたが、意識していなければ、それが三枝信二だということが分からなかったに違いない。なぜなら、夢の中に出てきた三枝信二は、この間やってきた人とはまったく違ったイメージだったからだ。
夢に出てきた三枝は、いかにも計算高い人だった。
夢の主人公は三枝である。そして夢の中に理沙は出てこなかった。
ただ、理沙が夢を見ていて、三枝の気持ちが手に取るように分かってきた。
「俺は、たくさんの女を自分のものにしていたい。そして、一人の新しいオンナを手に入れるために、今まで付き合っている女から、新しい女のために使う金を貪るのだ」
「なに、元々その女と付き合い始めた時だって、他の女からお前のために金を貪りとったんだ。お前だっていい思いをしたんだ。今度は違う女に移っただけさ」
「別れようなんて、ケチなことは言わないさ。お前は何も知らないでいいんだ。知らないのが幸せなのさ。俺を含めてな」
三枝信二は女から貪りつくして生きてきた男だ。夢の中だということで、抑えが利かない妄想を抱いてはいるだろうが、まったく意識のないところからここまで酷い発想が生まれるわけもない。三枝信二に対して、心の奥底にこんなイメージを抱いていたに違いないのだ。
こんな男を心の裏側に抱いていたというのは、本当だろうか?
三枝が理沙に話してくれた内容と、夢の内容はあきらかに矛盾している。
三枝は理沙との付き合いをかなり長い間のことだと言った。もちろん、途中まで友達としてのつき合いもあったと言っていたが、三枝信二が帰った後、考えてみれば理沙は彼の言葉を思い起して思い出したこともあった。
――確かに私は途中まで友達だと思っていた人と、お付き合いをしたことがあることに違いないようだわ――
次第に思い出してきたが、それが本当に三枝なのか分からない。
三枝信二の表情を見て、一部だけしか見たことがあるという感覚がない。三枝信二という男についても、考えれば考えるほど、霧の中に隠れてしまうそうに思うのだ。
理沙は、今までに付き合った男性の半分は、そんな感じだったように思えてならない。その人の一部だけしか覚えていないというのは、それだけ気になっていたのがその人の一部だけだということで、今までに一人として、その人全体を見たことがなかったのかも知れない。
本当に好きになった人なんて、今までにはいなかったのだと考えると、どこかで一度自分の気持ちをリセットする必要があるのではないかと思うのだ。
今までに何度かリセットしたことがあるような気がする。失恋もある意味では頭の中の「リセット」に違いないだろう。「リプレイ」ではなく「リセット」。同じことを繰り返しているようでは、先に進むことなどありえない。
今まで付き合った男性の中で、一番忘れられなかった男性は誰だったのだろう?
初めて付き合った男性だったのだろうか?
その人のことを思い出してみると、よみがえってくるものがあった。
理沙は、今まで男性と付き合って、「リプレイ」ばかりを考えていたのかも知れない。「リプレイ」とは、付き合っていた人とうまくいかなくなって、再度やり直したいという気持ちになるのだが、それは根本的なところでどこが悪いのかという見方ではなく、まず最初に戻ってやり直したいと考えることだった。
最初にさえ戻ることができれば、やり直せると思うのは、自分たちが悪いわけではなく、ぎこちなくなったどこかに分岐点があり、分岐点に気付かずに来てしまったからだと思うのだ。
もう一度最初からやり直すことさえできれば、二度と同じ過ちを犯さないという思いがあるからで、過ちがあると、最初からみとめてしまっているのが、「リプレイ」である。
「リセット」の場合は、最初に戻るのは同じでも、そこからすぐに前に進むわけではなく、そこがいけなかったのかを考えることである。
時間が止まることはないので、リセットを考えるのであれば、リセットする前に、どこが悪かったのかを知っておく必要がある。そして、事前対策を考えて、先に進む道を模索する。よほど計画的であり、無理のないやり方だ。
ただ、リセットはリプレイと違って、リスクを伴うような気がする。再度うまくやり直すには、不必要なものは、容赦なく排除する必要がある。戸惑っている時間はない。そのために、記憶しておくべきことなのかを見誤ってしまい、記憶が欠落したことがあるのだと考えたことがあった。記憶喪失であれば、そう一筋縄ではいかないが、記憶の欠落であるならば、無意識に自分の中をリセットしてしまったことによるものだと信じて疑わなかった。
弥生が理沙を見て、理沙が弥生を見て、お互いに、
――自分の足りないところを補ってくれる特徴を持っている人だわ――
と感じていた。
理沙がリセットをどこかで掛けたのだろうが、それがいつだったのか分からない。しかも、リセットを掛けることで記憶が欠落することは何となく分かっていたが、記憶の喪失とは別のものだと思っていたので、自分がリセットを掛けたから、記憶がないという意識はない。
弥生の場合は、自分がリセットを掛けたという意識自体がないので、記憶の欠落の真意を分かるはずがない。
お互いに記憶がないことと、リセットの関わりに関しては否定的だ。弥生に関しては意識すらないので、記憶の欠落の真意が分かるまでには、相当時間が掛かるかも知れない。
だが、時間は掛かるだろうが、弥生の場合は、記憶の欠落の意識が宿るのは一瞬かも知れない。欠落した記憶が自分の中でどのように再燃してくるのか、あるいは、このまま思い出すことはないのか、自分の意識と本当に同じラインに立っているのか、想像の域を超えることはできない。
リプレイは堂々巡りを繰り返すことになる可能性はかなり高いが、リセットして堂々巡りを繰り返すことは少ないだろう。
リセットすることで、一度戻った場所から再度繰り返すのであるから、堂々巡りを繰り返さないようにするためには、一番いいのは、下手な意識は捨てることであり、変な記憶が残っていると、堂々巡りを繰り返してはいけないと思うあまり、自意識過剰になってしまい、知らず知らずに再度同じ道を歩いてしまっていることがあるからである。
――何かをリセットしようと思ったのかしら? そしてその時に記憶の欠落を一体どれだけ意識したのだというのだろう?
理沙は夢の続きを見ることができないのは、このリセットに繋がる記憶を一本にしてしたいたくないという考えの元だった。自分が見たいと思っている夢の記憶を一度遡るために、わざと夢を忘れないというのであれば、
――この夢は、本当に自分だけのものなのだろうか?
というおかしな考えが頭を過ぎることがあった。
夢の中では時間の感覚もなく、本当に時系列で動いているのかどうかも、信じられないことがあるくらいだ。
三枝信二の夢を見た時、
――この男はとんでもない男だ――
という印象を受けるのだが、少なくとも意識の中に漠然としている三枝信二は、自分が慕うに値するほど、曲がったことのできない性格だったのである。
夢とは自分を納得させてくれないものだと思っているが、その逆もあり得るのかも知れない。
――覚えている記憶のパーツを無意識に繋ぎ合わせたことで、記憶が一貫しているのだと思っているだけで、本当は夢はすべてが断片的にしか覚えていないものだ――
という考え方が存在するのだとすれば、
――納得させてくれないものは、勝手に作り上げた幻想を見ているからだ――
という発想に行きつかないことで、納得させてくれない。つまりは、自分が夢に対して素直にさえなれば、思い出せなかった断片的なことも思い出せるのかも知れない。そうなれば繋がってくる意識の精度はずっと増し、欠落した記憶を結び付けるというものではないだろうか。
納得が辻褄合わせに繋がるのであれば、夢は何か辻褄を合わせようとするものに影響を与えるのではないだろうか。辻褄を合わせるというよりも、
――夢とは、現実世界で忘れていたものを思い出させるもの――
として解釈できなくもない。
夢が潜在意識の中でしか展開できないものだということをずっと信じてきたが、果たしてそれだけのものなのかどうか、少し疑問に感じてきた理沙だった。
夢が潜在意識でしか見ることができないという意識を持っているのは、弥生も同じであったが、弥生も最近、
――本当にそうなのだろうか?
と考えるようになっていた。
そのきっかけを与えてくれたのが、心中だったのかも知れない。
理沙は、知らない相手と心中をした。心中に「失敗」し、目が覚めた時、実際にどこにいるのか分からなかった。まさか生き返ったなどという意識はなかった。
――あの世というものは、今の世界と寸分狂わないものだったの?
と、真剣に感じたほどである。
そこに疑念はなく、あるのはただの驚きだけだったのだ。
驚きとは、驚愕ではなく、自分が思っていることが、普段ではするはずのない発想であったことに対しての驚き、つまり、自分自身に対しての意外性だったのだ。
そして、夢から覚めようとしたその時、
――今見ている夢を、他の誰かも見ているのかも知れない――
と感じた。
それはシチュエーションとしてのイメージより深く、かといって、その人が自分の夢の中に登場するというところまでは想像できないものだった。あくまでも、
――夢を見ている人――
として、客観的なイメージだ。
それは理沙も同じ立場だった。
夢の中に理沙自体は出てこない。夢を見ている自分は、夢の中に入り込んでいて、まるで自分が主人公を演じているように感じるのだが、実際には夢の中に登場していない。
今まで覚えている夢には、必ず主人公として自分が出演していたという意識があった。だからその時の夢も、自分が出演していないなどありえないといいう意識があり、実際に夢から覚めていく過程で、
――この夢は忘れそうもない――
と感じた時、
――主人公は自分なのだ――
という意識が強く残った。
だが、実際に出てきたのは二人の男、何か話をしているのだが、それを聞いていたはずなのに、覚えているのは途中だけだった。
記憶として残っている会話部分は、すべて繋がっているように感じるが、それは夢から覚めて思い出そうとする時に感じることだった。
――ひょっとして、会話の途中を端折って覚えているんじゃないかしら?
肝心な部分が抜けているところが、いかにも夢という感じではないか。そう思うと、夢を覚えているというのは、その人にとっていいことなのか悪いことなのかは別にして、自分の中で作為的に作られた記憶ということになる。
夢に限らず記憶というものは、そういう意味ではすべて作為があるのではないかと思うのも無理のないことだろう。記憶が欠落している部分があるという意識があるから、記憶や意識が繋がっていないという感覚に陥るが、実際には、欠落した記憶部分を意識することなく、思い出す記憶こそが真実なのかも知れない。
――無理に思い出す必要なんてないんだ――
と、考えると、一気に肩の力が抜けていくのを感じたのだ……。
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