第10話 第10章

 目が覚めたと思った理沙は、気が付けば、ラウンジで表を見ている弥生と目が合った。弥生が自分を見ているのを感じると、自分がそれまで何をしていたのか、急に恥かしくなった。

 弥生が自分のことを気にしているなど思いもしない理沙は、もちろん、弥生が自分と同じような自殺の経験があるなど、知る由もない。

 だが目を合わせているうちに、

――この人とは初めて出会ったような気がしない――

 と思うようになっていた。

 弥生に対して意識があったことの裏付けではないだろうか。弥生を見ていると、ついたった今、弥生が自分のことを気にしているなど思いもしなかったという感情が、ウソだったと思えた。自分が感じたことを、ここまで短い間に否定してしまうことなど今までにはなかったことだ。自分の中のプライドが許さないのだろうが、一度自殺を考えてしまうと、プライドなど消えてしまったのかも知れない。

 弥生のまっすぐな目を見ていると、自分もさっきまで眠っていたと思っていた時、まわりから、まっすぐな目に見えていたのではないかと思えてきた。

 理沙も弥生の中に自分と同じ共通点を見出そうとしていた。話もしていないのに、共通点を見出すというのもないのだろうが、理沙には弥生を見ていて自分が無表情に変わっていくのを感じた。

 それは良く言えば、朴訥な無表情さではなく、純粋な無表情さである。悪く言えば何も考えていないように見えてくるところでもあり、弥生がどのように解釈するかであるが、人によっては

――バカにしている――

 と思うかも知れない。

 しかし、話もしていないのだから、相手の表情だけで判断するのは、性急すぎる、勝手な思い込みでしかないのだ。

「あなたは、ここから何が見えますか?」

 先に口を開いたのは、弥生だった。

 弥生は理沙が、起きていて夢を見ていることなど知らないので、単純に何が見えるか聞いてみた。

 聞かれた理沙も困ったものだ。何と言って答えていいか少し考えていた。

 そしてゆっくり口を開いたかと思うと、

「最初は何も見えませんでした」

「真っ黒い状態だったんですか?」

 話の腰をいきなり折ったのは、見えなかったという意味を確かめたいと思い、普通見えなかったという場合に、見えるはずのものを口にしたのだった。

「いえ、見えていたのかも知れないけど、覚えていないというのが正解かも知れません。紛らわしい言い方をしてすみません」

 理沙は冷静に答えた。あまりにも冷静すぎて、弥生は一瞬臆してしまったが、

「いえ、謝ることではありませんよ。確かに私が今、話の腰さえ折らなければ、そのまま話を続けていても問題ないわけですからね。却ってそれが自然な流れのはずですから……」

 と弥生は諭すように話した。

「そのうちに、私は過去の記憶の中にいたような気がするんです。前を向いて見ていたように見えていたかも知れませんが、その時、私は夢を見ていたんですよ」

「あの状態で夢を見ていたというのは、私には俄かに信じられるものではないですね。でも本人がそう言うのだから、本当のことだと思いますよ」

 二人の静寂の中での淡々とした会話がラウンジの中に響いていた。知らない人が聞いたら、さぞや冷徹な会話に聞こえるかも知れない。声に抑揚はあるのだが、その抑揚は一体どこから来るというのだろう? 二人からは感情は感じられず、思っていることと、感じていることの事実を口にしているだけだった。

 だが、二人には感情はしっかり存在している。相手に合わせるような口調になっているだけで、お互いに感情を押し殺そうという意識はない。ただ、必要以上に感情を表に出すことをしていないだけで、本音をぶつけ合っている二人の表に出す感情は、必要以上のものはない。そのことが会話に抑揚だけを感じさせるものとなっているのだった。

「あなたは、完全に過去の記憶がない状態なんですか?」

 弥生が声を掛けた。

「いえ、私も最初はそうだと思ったんですけど、先生のお話では、ところどころの記憶は残っているらしいんです。でも、その記憶が引っかかって、完全に思い出すための障害になるかも知れないとは言われましたね」

「私も記憶が欠落しているって言われたんですよ。自分の中では、記憶が欠落しているという意識が薄いんですけどね。だからひょっとすると、今感じている記憶が間違って繋がっているんじゃないかって思うくらいなんですよ」

 弥生は自分の記憶が間違っているのではないかと、かなりの確率で感じている。理由としては、

――間違っていてほしい――

 という願望が含まれているからで、自殺を試みたことへの記憶が特に曖昧な気がしていたのだ。

 理沙と話をしてみたいと思ったのは、そのあたりにも理由がある。理沙も記憶がないというがどのあたりの記憶がないのか、そこが気になるところであった。

 特に理沙の場合は心中である。単独で自殺を思いきったのとは違っているだろう。

 ただ、理沙は心中の相手が顔見知りではないという。

――とにかく一人で死ぬのが嫌だったというだけなのかしら?

 弥生は却って死ぬなら一人で死ぬべきだと思っている。自殺する人にもいろいろな人がいるだろうが、衝動的に自殺を試みたのなら別であるが、最初から自殺しようと思っているのであれば、身辺整理をしてから死を迎えようとする人、そして、死ぬことだけに神経をすり減らして、それ以外のことは頭にない人。後者は身勝手な自殺かも知れないが、こっちの方が人間らしいような気がする。一度でも自殺を試みたことのある人は、もう一度自殺を試みることがないだろうと思っているのは弥生だけだろうか? 理沙を見ていると自分の考えが怪しくなってくるのを感じていた。

「理沙さんは、自殺をしたこと、後悔しているんですか?」

「私は、どうして自殺しようと思ったかということが、意識の中で曖昧なんですよ。これも記憶を失ったからなのかも知れないと思っているんですが」

――やはり――

 弥生は、わざと聞いてみたのだ。

 自分も自殺を図った時の心境を曖昧にしか記憶していない。ただ理沙のように記憶の欠落のせいで覚えていないとは思っていない。逆に記憶していないわけではなく、記憶が曖昧だということで、自殺を図った時の心境を思い出したくないからだと思うのだった。

 記憶していないわけではなく、無意識の中に働いている意識が、思い出したくないという気持ちを封印し、過去の記憶の中に紛れ込ましているのかも知れない、

「木を隠すなら森の中」

 という言葉もあるが、それよりどうして封印してしまおうと思ったのかが分からない。

 自殺をしたという事実は消すことができない。記憶から消してしまうことは絶対にできないのだ。

 手首に残った躊躇い傷が消えるわけでもなく、もし消えたとすれば、その時こそ、気持ちの中に消すことのできない傷を残してしまうことになるからだ。

 絶対に消せない事実だけが残っていて、その時の心境を消してしまうことは、まるで皮だけ残して骨がない状態になってしまうのではないだろうか。思い出したくないのなら、思い出さないようにすればいいだけで、何も封印してしまうことはない。思い出せないということが、プレッシャーになることを分からないわけでもないだろう。

 ただ、人間はそこまで器用にできていないのかも知れない。

 中途半端に記憶を消そうなどというのは虫のいい話で、

――少しでも消してしまおうと思うのなら、一部だろうがすべてだろうが同じこと、すべてが消えてしまうしか方法はない――

 ということなのだろうか?

 どちらを選ぶと言われれば、すべてを消去するような真似は普通ならしないはずである。それをしてしまったということは、それだけ切羽詰った心境にあったということで、思考回路もマヒしていたのかも知れない。

 そう思うと、弥生は記憶の欠落は一部が消えているものではなく、一つのテーマすべてが消えてしまっていて、記憶しているものは、中途半端ではないということであろう。

 ただ記憶の欠落には時間が掛かる。意識してしまえば記憶が欠落している途中なのかも知れない。

――途中までが消えてしまった――

 と思うのは、すべてが過程で、進行状況を図り知ることは、その時の弥生には無理だったのだろう。

 理沙と面と向かっていると、話をしなくても、思考回路が次第に繋がってくるのを感じた。

――ツーカーの仲――

 と言われるが、それは一緒にいる時間に比例してのこともあるだろうが、それだけではない。

――どれだけ感性が繋がっているか――

 ということでもあるだろう。

 弥生に、じっと見つめられた理沙も似たようなことを考えていた。すべてを忘れてしまったと思っていたことが、先生の話で、それはすべてではなく、一部だと聞かされて、ずっとそのことが頭にあり、考えていたが、結論が出るはずもない。

 それは頭の中で考え方が堂々巡りを繰り返しているからだ。

 堂々巡りとは、考えていることが、途中で知らず知らずのうちにふりだしに戻っているからではないかと思っていたが、今の理沙は違うことを考えていた。

 堂々巡りは、自分の中で勝手に限界を作ってしまい、なるべく考え方を限界に持って来ようとする作用が働いている。限界に近づくとおのずと、元に戻ろうとする習性があり、元に戻って考え始めると、

――あれ? また同じことを考えている――

 と思うのだ。

 無意識であるのかも知れないが、知らず知らずのうちに戻っているわけではない。本能のようなものに導かれて元に戻っているわけであり、知らず知らずではないのだ。

 堂々巡りを繰り返していると、同じ考えでも世界が狭まってくるのを感じる。世界が狭まってくると考えられる範囲が凝縮されているので、容易に結論を導きさせるように思うのかも知れないが、本人には狭くなったという意識はあるが、凝縮されたという意識がない。したがって、意識していたことすべてが収まっているわけではなく、途中で毀れてしまうことを感じるのだ。

 記憶の喪失であったり、欠落というのは、そのあたりに原因があるのではないだろうか?

 医者はハッキリとは言わないが、分かっているのかも知れない。

 理沙は、今弥生と話をしていて、そのことに気付き始めていた。

 話をしていると言っても、言葉に出して何かを話しているわけではなく、目の前にいる弥生と会話のシュミレーションをしている感覚だった。

 弥生も理沙と一緒にいるとシュミレーションをしている。

――会話が却って邪魔になることもあるんだわ――

 と、弥生は感じていた。

 弥生は理沙の中に、

――自分が忘れてしまっていることを、彼女は持っている――

 と思っていた。

 それは彼女が「知っている」というわけではない。「持っている」という表現がふさわしいのだ。

 弥生は自分が自殺した時のことを思い出そうとしていた。

――一番思い出したくない――

 と思っていることであるのは確かだが、思い出そうとしても、どうせ途中までしか思い出せず、そこから先は諦めてしまう。理沙のように頭の中で堂々巡りを繰り返すことはないのだ。

 他のことを思い出そうとした時は、理沙同様、堂々巡りを繰り返そうとする。

 それは理沙と弥生二人だけに言えることではなく、誰にでも言えることなのではないかと弥生は思っていた。

 だが、このことに関しては、理沙は違う思いがあり、堂々巡りを繰り返すのは、特別な人間だけだと思っていた。それが誰なのか、理沙には自分で分かるのだという意識があり、弥生は堂々巡りを繰り返すことのできる一人であると思っていた。

 弥生と理沙は共通点が多いが、一つ一つを比較すると、違っているところも結構ある。理沙よりも、弥生の方が相手を見る目があるような気がしていた。ただ、あまりにも見えすぎてしまうのは、結局は自分を苦しめるだけではないかと思い、追いつめてしまっている自分がまるで悲劇のヒロインのように感じることもあった。

 弥生が自殺を図った時、

――一人で死んでいく自分は、孤独なんていう気持ちはマヒしてしまって、精神を凌駕しているに違いない――

 と思っていた。

 そのまま死んでしまえば、何も感じずによかったのだろうが、生き残ってしまったために感じなくてもいいことを感じないといけなくなってしまった。

 何よりも死ぬことで、すべてを精算したと思っていたのに、生きてしまったことで、また自分を思い出さなければいけない。

 まったく新しい人間に生まれ変わってしまることができるわけではない。生き残ったということが、どれほど中途半端なことかということを思い知らされた。

――まわりの人たちは、一人の人間の命を救ったと、まるで英雄気取りだけど、死に切れなかった人間にとっては、まるでヘビの生殺しのような心境だわ――

 一度、すべてを捨ててしまった自分が、今さら元に戻ってきて、どうするというのだ。人によっては、身辺整理をして死を迎えた人もいるはずだ。生き返ってしまえば、世の中の荒波に裸同然で放り刺されたようなものではないか。それならいっそ死んでしまった方がいいに決まっている。

 救ってくれた人が、その人の人生の面倒を見てくれるわけではない。

「生まれ変わったつもりで頑張ればいいんだよ」

 と、救ってくれた人はいうだろう。

 だが、それこそ他人事、英雄気取りでいる人に一番言われたくない気持ちだ。

「ありがとうございます。助けてくれて」

 人によっては、口ではそう言って礼を言うかも知れないが、理沙も弥生も、そこまでの気持ちは自分の中にありえなかった。

 完全に別世界に行ってしまった自分の心境を、誰が思い図ってくれるというのだろう。特に弥生は、前の生活に戻っているが、それは心境がマヒしてしまったからだ。時間が解決してくれるという人もいるが、そんな単純なものではない。

 だが、こんな時ほどちょっとしたきっかけで元に戻れるのかも知れない。

――これ以上のどん底はないんだ――

 という思いがあるからだ。

 どん底にいれば、後は上を見るだけと思うことで、ふりだしのイメージが頭を過ぎる。すると、誰か一人でも自分のことを思ってくれる人がいれば、それだけで生きていく糧を見つけることができたような気がしてくるだろう。

 単純なことでもいい。それこそが生きがいというもので、普通に暮らしていた今までは感じたことのない生きがいを、一度どん底を見てしまうと、そこから見つけるものは、すべてが生きがいになっていくものだと思うのだ。

 今、弥生はそのことを考えられるようになってきた。

 だが、理沙にはそこまで考えられる余裕があるとは思えない。時間ではないと言いながらも、ショックを取り除くには、どうしても時間が必要だ。一気に取り除くことのできないものは、ゆっくりと時間を掛ける必要があるからである。

 弥生が理沙を見ていて、本来ならまだハッキリとしてきているはずのない理沙の意識が、思ったよりしっかりしているのではないかと思えてならかなかった。

 弥生には過去を思い出すことの恐怖があるが、理沙には、その思いがなさそうだ。

――この人は、自殺の原因を過去の記憶として封印してしまったのではないのかしら?

 と思った。

 確かに過去の記憶として封印してしまうのが一番楽かも知れないが、それは死に切れなかったことを吹っ切れてしまった時に考えることで、なかなか吹っ切れない弥生は、過去の記憶として封印してしまったことを少し後悔していた。

 思い出さないようにする決意が必要であるにも関わらず、気持ちの中で封印してしまったことを思い出さないようにできるか、今頃迷っているのだ。

 欠落した記憶を引っ張り出そうとしていることからも言えることで、中途半端な気持ちでいることに耐えられなくなったのだ。

 少しの間であれば耐えることもできるかも知れないが、これ以上は難しい。その思いを弥生は、

――堂々巡り――

 として感じてしまっていることで、自分が理沙を意識していることの証のように思っているのだ。

 理沙は刑事から、

「どうして心中しようなんて考えたんだい?」

 と聞かれて、どう答えていいか分からなかった。

 心中したという意識が本人にはないからだ。意識にあることと言えば、自分が死のうとしているところに、男の人がやってきていて、なかなか死ぬまでに時間が掛かったということだった。その人の様子までは分からなかったが、気配が薄かったのは感じていた。

――私もこれくらい気配が薄いのかも知れない――

 と思ったほどで、死を決意した人の近くには、こんな人が寄ってくるのかも知れないと感じたほどだ。

 理沙が死のうと思ったのがどうしてなのか、その部分の記憶がない。肝心な部分の記憶がなくなってしまえば、それ以外のことは覚えていても、記憶がないのと同じである。自分が誰なのかということは分かっても、まわりの中でどのような位置にいるのか分からないと、身動きが取れるわけもない。そう思うと記憶のないことが幸いしている気もしている反面、身動きが取れない辛さは、自分を最悪な状態に導いていることを示していた。

 理沙も記憶がない自分を顧みて、

――記憶がないことに何か意味があるのかも知れない――

 と考えるようになっていた。

 だが、記憶がないだけに、いろいろ考えてもすぐに限界にぶち当たり、そこから先は堂々巡りを繰り返してしまうことを自覚していた。理沙が考えている堂々巡りとは少しイメージが違っているのかも知れないが、弥生も自分と同じように堂々巡りを繰り返しているとは夢にも思っていなかったのだ。

 二人がラウンジの同じ部屋で話らしい話をしたわけではなかったが、それでも考えが似ているイメージを感じることで、次に会った時、すでに相手の気持ちが分かっているのではないかと思った二人だった……。

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