第二百二十四話:オーガスタ異変・Ⅱ
冷たく銀色に輝く刃。
それは真っすぐにルベリの腹を突き刺さった。
「何を……っ、してやがる!?」
「ぜ、ゼルオラ様っ!? 何を?!」
その光景を見た瞬間、オフェリアの中で意識が明確に切り替わった。
貴族としてのペリドット侯爵家の令嬢として――ではなく、騎士団であるヘリオストルを配下とする貴族軍将としてのオフェリアに。
とっさに自身の腰に下げている剣の柄に手を伸ばし、引き抜こうとしたところで――気づく。
(セオドールらの反応がおかしい?)
セオドールらとゼルオラとの共謀での凶行。
オフェリアは今の一連の犯行をそう認識していた。
何せルベリに刺さったのはセオドールの配下が腰につけていた短刀だ。
彼らがそれを渡し、ゼルオラがそれを使ってルベリの不意を突いて刺殺した――そう考えるのが正しいはずなのに。
(ならばどうしてセオドールたちも驚いているんだ? ゼルオラを見ながら)
まるで予想外な出来事を見てしまったかのように彼らの表情は凍り付いている。
それが何を意味しているかは分からないが、少なくともそれは確かなチャンスだった。
「壁になれ!」
「「「はっ!!」」」
狭い室内の中、こちらの配下の三人の騎士はオフェリアの命に従って剣を抜き放ち、セオドールらの前に壁になるように立ちふさがった。
「来るなら斬れ!」
「「「はっ!! オフェリア様!」」」
指示を出すと同時にオフェリアはルベリの近くへと向かった。
なぜか彼女を刺した下手人であるゼルオラはぼんやりと立っているだけだった、それを突き飛ばすと踏ん張ることもできなかったのか地面に倒れ込んだ。
微かに幼い呻き声を上げ、その声に動揺しそうになった自身を叱咤し、あれはただの下手人であると頭の中で反復しながら、オフェリアはルベリを助けようと怪我の治療を――
「血が……無い?」
無かった。
確かに刺されたはずのルベリの腹部、銀色の刃は確かにそこを貫いたはずだ。
それをオフェリアは確かに見た。
だが、駆け寄るまでの数秒――目を話していた内に貫かれた服や肉体、そこから流れた赤い血も痕跡すらなく。
そして、刺さったままだった短刀もいつの間にか抜けて地面に転がっており、その短刀の刃はまるで当たり前のように汚れ一つなかった。
(一体何が――)
そんな思考がオフェリアの頭に過った瞬間のことだった。
「~~~っ、いったぁ!?」
「「「……は?」」」
そんな叫び声が部屋の中に木霊した。
声を上げたのはオフェリアたちでもセオドールらでもなく、
「ううっ……痛い、痛いよぉ……兄貴ィ……」
「る、ルベリ!? お前どうして」
その声の主は刺されたはずのルベリであった。
彼女はまるで傷口を覆うように腹部を抑えながら呻き声を上げて床をゴロゴロと転がっていた。
刺されたのだから痛がっていること自体、特におかしなことではないが動きや声の様子から意外に元気そうであるのが見て取れた。
短刀で腹部を一突きされたとは思えないほどに。
「ぐすっ、ううっ……痛い……痛みはダメなのかよぉ……」
「痛みはダメ――そうか「イーゼルの魔法」か!」
ルベリの零した言葉にオフェリアは思い出した。
彼女の持つ特別な魔法術式、時間を操る魔法のことについて。
(自分に使って怪我自体を無かったことにしたのか……)
つまりは時間を巻き戻すことで怪我を負う以前の状態にしたのだ。
だからこそ、傷もなくなり流れた血も破けたはずの服も修復したというわけだ。
(痛みの方はダメだったようだけど……。いや、だとしてもあの不意の攻撃を受けて魔法を展開したのか?)
ルベリが無事な理由について理解したからこそ、オフェリアは改めて冷や汗をかいた。
魔法とはとても繊細な技術である。
手順があり、正しくルールに則ってこそ初めて魔法は魔法として成り立つ。
故に些細なミスも許されない。
それを不意の攻撃を受けて怪我を負った状態でオフェリアたちが気づかないほどの速さで行うなどと――優秀な魔導士であるオフェリアだからこそ、その事実に驚愕した。
(ルベリは奇跡使いだってのは聞いたことがあるが――これほどかよ!?)
思わず息を呑みつつ、それでもオフェリアはすぐさま意識を切り替える。
「「イーゼルの魔法」……あれが?!」
「ベルリ家に伝わるという時を操る古式魔法」
「本当に……」
彼女の言葉によって事態に気付いたのだろう、ざわめくセオドールらを尻目にオフェリアはルベリに肩を貸して無理矢理に立たせた。
(無事なのは良かったとしても状況が良くなったわけじゃない。まずはここから離れないと)
そう考えまずはこの場から逃げようとするオフェリアたちであったが、それよりも先に動いた人影があった。
「――死んで? 死んで? 死ななきゃ、ベルリ子爵は死ななきゃ!」
「ゼルオラ様!?」
それはゼルオラだった。
ルベリを刺した後、まるで糸が切れた人形のように無気力に倒れていた彼女であったが、ルベリが無事だと認識した途端、まるでスイッチが切り替わったかのように襲い掛かってきた。
「≪
「うおっ!? こっ、こいつ……っ!」
先ほどとは違い手に刃物は持ってはいないが彼女には魔法がある。
光の魔法の刃を作り出したかと思うとゼルオラは突き刺しにかかってきた。
≪
「オフェリア様!?」
「問題ない、この程度なら……っと!」
「貴様っ! ゼルオラ様に剣を向けるなど……っ!」
「ふざけんな! 攻撃して来てるのはそっちだろうが!」
言い返しながらオフェリアは巧みに剣を片手で操りゼルオラの≪
武門であるペリドット家の令嬢として恥じぬ鍛錬を己に強いた彼女は剣の腕も一流だ、肩を貸しているため片手が使えないとはいえ、遮二無二に振るわれる児戯な刃程度相手にもならない。
(くそっ、どうすれば……)
苛立たし気にオフェリアは内心で吐き捨てた。
手っ取り早く襲い掛かってくるゼルオラを切り捨てる――という手段もある。
いくら無事だったとはいえ、彼女はルベリを刺しているのだ切り捨てたって名分的には問題はない。
とはいえ、
「死ななきゃ、子爵は死ななきゃ……」
「ええい、クソ! これはどう考えてもおかしいよなっ!」
明らかにおかしいゼルオラの様子を見ながらオフェリアは零した。
感情の消えた表情と眼、
およそ剣の鍛錬などしたことないであろう危なっかしい動きだというのに、応戦するために振るわれているオフェリアの剣など気にもせずに斬りかかってくる姿、
明らかに異様な光景だった。
まるで与えられたただ自動的に実行しようとしている
(斬るべきか!?)
明らかに異様なゼルオラの状態。
とても正気には思えず、だからこそオフェリアは判断に悩んだ。
(ゼルオラがおかしいのは間違いない。どうにか正気に戻せれば……いや、だがセオドールたちも限界だ)
ゼルオラの行動に驚いていたセオドールたちであったが、オフェリアと斬り合い始めたことで冷静さを取り戻したのか今にもこちらに攻撃を仕掛けてきそうな様子だ。
様子から察するに向こうからしても事態が把握できていないようだが……それでもゼルオラを殺されるわけにはいかないのだろう。
(――っ、どうする!?)
もはや全面的な戦闘は避けられない状況、少しでもマシな状態にするには今すぐここから脱出することだがそれをゼルオラが邪魔をしてくる。
なら、
「お、オフェリア……?」
「すまねぇ、ルベリ」
「でも、ゼルオラは……っ!」
「わかってる! だけど――」
意識を取り戻したらしいルベリに対し、オフェリアはそう言い放つ同時に剣の柄を深く握り込んだ。
「ごめん」
「っ……兄貴」
「ふーはっはっはァ! なんだぁ? 俺様を呼んだか!」
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