第百七十二話:ニール・Ⅱ
僕はマスターから頼られている。
命を受けた時にファーヴニルゥが感じたのはそんな思いだった。
彼女のマスターであるディアルドは態度こそ軽いが思慮深い性格をしている。
ファーヴニルゥの殲滅兵装としての危険性を熟知した上で彼女のことを扱っており、自由が利くベルリ領ならばいざ知らず、それ以外の土地ではあまりファーヴニルゥのことから目を離すことはない。
大事にされている、というのは間違いない。
危険視だけをされている、ということも決してない。
そして、構って貰えることに不満があるというわけではないが――
「よし、頑張るぞー」
それはそれとして目を迂闊に離せない、と思われるのはいささか遺憾だ。
確かに殲滅兵装として戦闘能力に特化し、繊細な任務に対しあまり適性が無いというのは事実だったとしても……それはあくまでも目覚めた当初の話だ。
生体兵器である彼女の最大の特徴は成長できるということに一点に尽きる。
学習することによって自己の成長を促し、進化することが出来る。
それこそがファーヴニルゥの強み。
「人を殺してはいけない、物を壊してはいけない、騒ぎにならないようにスマートに、それでも何か起こってしまったら後片付けまで出来て一人前……よし!」
いざとなれば、命じられればそれを為すことには何の躊躇いはなくともディアルドの求めていることはきちんと把握できている。
自戒を込めて呟きながら彼女は魔法を発動させる。
「魔法術式を解凍。隠密兵装術式――≪ディ=ドゥ・ハーン≫起動」
一瞬煌くように宙に奔った多重の魔法陣。
知見に優れたエリザベスが、あるいは理解が出来るディアルドが見れば驚くだろう密度の膨大な魔法術式。
ただの人では不可能なほど高度で複雑な情報処理を一瞬の間に行い、ファーヴニルゥが魔法を発動させると同時に――
彼女の存在はこの世から消えた。
正確に言えば物理的に消えたというわけではない、ただ視覚的に捉えることが出来なくなったというのが表現としては適当だった。
それこそがファーヴニルゥが新たに自身にインストールした隠密兵装術式の効果であった。
「ヤハトゥの力を借りるのは癪に障るというか、負けたような気がして嫌だったけど……うん、どっちもマスターに仕える身だし。それに悔しいけど総演算能力は向こうが上だからなー、やっぱりこういった開発となると……うん、完璧」
隠密兵装術式は自身の存在を限りなく虚数に近づけることによって希薄化させることにより他者の認識や魔法による索敵すらも無効化させるという術式だ。
彼女はこの魔法を使用中、自身以外の知覚からは認識されることは不可能になるわけだ。
「ただ、やっぱり他の術式との併用は難しいかー。もうちょっと処理を軽くしたいところだけどそれは今後の課題かな」
術式による処理は恐ろしく重く、更に発動時間中の魔力消費は並の魔導士なら五分と持たないほどの量だがファーヴニルゥはそれを自身の性能のごり押しで解決していた。
「さて、とりあえず色々と回ってみるか」
ここで頑張ればきっと褒めて貰えるはずだ、と彼女は張り切って命じられた任務の為に侵入を開始したのだった。
◆
「うーん、見つからないな……」
ファーヴニルゥが主に命じられたのは黒の印があった――つまりは
赤の印、つまりは個人所有していた者たちも怪しくはあるが優先順位的には下がる。
少なくとも黒の印の方は裏の流通ルートに関わっている可能性が高いため、刺客の関係者という当てが外れたとしても何らかの成果が出るだろうとこの二つを優先して調査するようにディアルドから言われたのだ。
そのため、まずはファーヴニルゥはザハル商会の調査から始めることにした。
ザハル商会の本店は大通りに面した場所にあった。
彼女は堂々と正面から店内に入るとそのまま従業員しか入れない奥へと入り込む――それに誰も気づくことは出来ない。
隠密兵装術式を発動中の彼女の存在を誰も認識できないからだ。
ザハル商会ほどの店ならば防犯用の魔導具程度なら当然のように仕掛けてはあったのだが、それらを全てすり抜けることでファーヴニルゥは突破した。
今の彼女は確かにそこに居るが、同時にそこには居ないという曖昧な状態だ。
だからこそ、感知することは出来ない。
ファーヴニルゥは好き勝手に店内を捜索し、目的の地下の蔵を見つけた。
そこには大量の商品が保管されており、その中には
数は五本、記録されていた反応より減っているのは恐らく既に売れてしまったからだろう。
倉庫の中を調べると在庫管理用の書類も出来たので彼女はそれを見て記録した。
「販売先は……うん、記録されているね。物が物だけに」
ファーヴニルゥの記憶能力を以てすれば丸ごと記録することは大した手間ではない、ディアルドに見せる分は後で写したものを見せればいいだろう。
そう考えながら彼女は書類に目を通しながら呟いた。
商品の性質から考えればお得意様としてリピーターになってくれる可能性は高いのだ、だからこうしてキッチリと名前を残して置くことは商売として別におかしくないだろう。
「逆に言うとこうやって名前を残してるあたり、後ろ暗いことはないってことだよね」
真っ当な商売としておかしくないことをやっているということは、逆に言えば真っ当ではない非合法な手段には手を出していない所作ともいえる。
裏の流通ルートに関わっているのならこうして記録には残さないだろう。
「実は隠し倉庫があるってわけでもない感じだし、とりあえず販売相手の貴族の名前も手に入れたから収穫としては十分かな」
ファーヴニルゥはまだまだ王国の貴族事情には詳しくない。
だから、書類に記載されている名前を見てもどうにも判断することは出来ないが――ただ、一つわかったことがあった。
「……フランクリン伯爵家は当たりかもね」
ザハル商会の記録上、フランクリン伯爵家に
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