第百六十七話:謀・Ⅱ



「酒が何なのか……というのはどういう意味だい? 酒は酒でしかないと思うけど」


「ふむ……そうだな、少し聞き方が悪かった。俺様が言いたいことは酒という存在が如何に今の社会にどれだけ根差した存在かという話だ」


 ピンとこなかったのだろう不思議そうな顔をしているファーヴニルゥとエリザベスに対してディアルドは説明を行った。



「そうだな。まず酒というのは一般にも広く知られて飲まれているものだ。市民の労働者にとっては日頃の疲れを吹っ飛ばしてくれる友であり、貴族たちにとっては味や風情を楽しむ欠かせぬ嗜好品。他にもただ飲むだけでなく、料理にも使ったり宗教的な祭事の時にも使われていたりと……社会との繋がりはとても深い」


「それはまあ……そうだね」


「それだけ日常に浸透しているともいえる。だからこそ、よく売れる。表でも裏でもな」


「裏?」


「所謂、闇市とか闇商人とかそういうそういうやつらの流通ルートのことだ」


 正規の手続きを経て合法的に商売をするものも居れば法の目を潜り抜ける様にそういった者たちも居るのが世の常ではあり、そういった非合法な市場というのはどこの国でも規模の大小の違いこそあるものだ。


 それはこのドルアーガ王国も変らない。

 とはいえ、王国の闇市場は少しばかり特殊だった。


「特殊ってどういうことだい?」


「ちょっと前に色々とゴタゴタが起きていただろう? 南の方で」


「確かマスターも参加していた反乱がどうこうってやつ?」


「そうそれだ。それ自体はまあ最終的には治めることが出来たとはいえ、だ。結構な規模での紛争とかもあったし、家ごと取り潰されたところもあった。そうなるとどさくさ紛れに色々とあるだろ?」


「ああ、盗品とかそういうやつ?」


「そういうことだ。剣やら鎧やら後は食料、美術品や宝石類に希少な魔法薬の材料……とにかく現地では色んなものが流れていたものだ」


 戦乱が起こるとその気に乗じて物を盗んだり、出所不明なものが手に入ったりといったことがよく起こる。

 そして、それを金に換えるためにこぞって裏の市場を利用することで市場の規模が大きくなるのもまた必然だった。



「一種の特需みたいなものでな、結構な規模の市場に膨れ上がったものだ」


「そうなんだ……知らなかったな」


「まあ、エリザベスのような立場だとな。縁がないやつは全くと言っていいほど縁がない界隈だからな」


「マスターの言うって規模が大きいってことなの?」


「それとあとは……統制している存在が居ないってところが今の裏の市場の問題点だ」


「統制している存在が居ないってどういうこと?」


「大体、こういったものは誰か睨みを利かせておさめている存在が居る。法の目を掻い潜って物の売り買いをしている連中だからな、全員が全員好き勝手にやっていたら闇市じゃなくてただの無秩序でしかない。勝手に自然消滅してしまうものだ」


「だから統制している存在が居るってことか。でも、この王国にはそれが居ない」


「正確に言うと今は……だな。元は居たのだ、ヴィルフレム・コーラルという男がな」


 ヴィルフレム・コーラル公爵。

 王国の至る所に影響力を伸ばし、巨万の財を築き上げた男。

 彼が王国内の闇の市場の支配者的な立ち位置に居たことは裏に精通している者なら知っていることだった。


「公爵家ほどの権力があれば便宜を図ることは難しくない。自分に従順なやつらは優遇してそれ以外の奴らは法の裁きという建前で処分する。奴の立場ならそれほど難しい立場じゃなかっただろうな」


「でも、ヴィルフレムって人は……」


「ああ、死んだな。その死因については色々と噂はあるが……今はそこは置いておこう。重要なのは南部の反乱の影響で裏の市場が肥大化したというのにそれを統制する立場の人間だったヴィルフレムが居なくなってしまったということだ」


 それで何が起こるかと言えば今まで統制下におかれていた連中の暴走だ。

 所詮は非合法なことに関わっている人間が支配者が居なくなって大人しくしているわけがない。



「つまりは裏の秩序の崩壊というやつだ」


「そんなことに……いや、でもヴィルフレム・コーラルは亡くなったけど息子がいるんじゃないの?」


「でも、そのヴィルフレムって人のせいでコーラル公爵家って色々と睨まれているんじゃなかったっけ? 王家から」


「ああ、そういえばそうだった。どうしたって影響力が下がるのは避けられないのか」


「そもそもヴィルヘルムの才覚あっての行いだからな。現在判明した不正の数々、あれは公爵家が代々やったものではなくヴィルヘルムの代で行ったものが大半だ。あれだけの量をよくもまあ……正直、感心するぞ」


「感心してどうするんだい」


 エリザベスの突っ込みを聞き流しながらディアルドは話を続けた。



「まあ、その辺はさておいてだ。要するに話をまとめると今の王国内にはかなり規模の大きな闇市場というものが存在しているわけだ。そして、それは近年では活発化している。そうなってくると色々と困るわけだ。特に健全な交易を広めていきたいベルリ領の方針としてはな」


「ふむ……確かにね。そういったものが存在するとなると難しいのは確かだ。仮にベルリ領でとても素晴らしいものを作ったとしても流通の段階でケチをつけられる可能性だってあるわけだし」


「実際、裏の市場に流れて買い占められて暴利の値段で転売されたせいでイメージ悪くなって廃業に追いやられた店とかあるしな」


「うわぁ……」


「今後のことを考えればそういった裏の流通ルートを抑えておく必要があった。そこで考えついたのが叡智の紅雫イゼル・ディアドロップだったわけだ」


「そこがよくわからないんだけど」


 ディアルドの言葉にエリザベスはそう答えた。


 いや、やっていることはわかるのだ。


 一見して仕掛けが施されているとは見えないボトルに仕込まれた魔法術式。

 魔力波信号ピンガという位置を把握できる魔法を細工することによって商品の位置を特定することが可能。



「つまりは敢えて裏の流通ルートに流すことでそのルートを浮き上がらせようとした……というのはわかったけど、なんでそこで葡萄酒ワイン?」


「さっきも言ったが酒というのは二人が考えているよりも親しまれているものだ。基本的に需要も腐らないから裏でも古くからよく扱われている商材でもあった」


「ああ、工芸品とか宝石とかは人によるからね」


「それにそういった類の奴は案外足がつきやすいからな。そういう連中からすれば下手に価値のある工芸品や美術品などよりも遥かに扱いやすい」



 だからこそ、希少な魔草で作られた新種の葡萄酒ワインというネームバリューがあれば釣れるとディアルドは推測していた。

 更に言えばベルリ領という最近の話題性に富んだ領地の名産品で、しかもその効果も併せてこっそりと噂を流せば十中八九、彼らは関わってくると考えたのだ。



 そして、その考えは正しかった。



「正規ルートで販売する傍らで秘かに街を訪れた将来有望そうな冒険者たちに色々と理由をつけた叡智の紅雫イゼル・ディアドロップを渡させた」


「そこら辺、ルベリが文句を言ってたけど」


「冒険者のチームに渡せば恐らく売るだろうとあたりをつけていたのだ。価値のあるものだと言い含めておけば俺様なら売る。個人として受け取ったならともかく、チーム単位の連中に渡せば最終的には勿体無くなって金銭に換えるだろうと思ってな」


 冒険者相手に商売をやっているところはそういった連中と繋がりがある場合が多い。

 それを彼はよく知っていた。

 事実、別々の相手に渡したはずの物が何故か王都の一部に最終的には集まっていたのをベルリ領から離れる前のディアルドは確認している。


「要するに売られたのを誰かが集めたってこと?」


「恐らくはそういうことだろう。特定の個人が買い集めているにしては流れが組織的すぎるからな」


 王都で有名になるにつれてその傾向は顕著になった。

 希少性もさることながら効果も効果だから出せるだけ金を出してでも購入したいというものも多い、だからこそ味を占めたのだろうが……。



 結果的に言えばそれがディアルドに目をつけられるミスとなってしまったというわけだ。



「ちょうど王都に来ることになったからその下見でもしようかとも思っていたのだが……ちょうどいい機会だ。この機に尻尾を掴んでやるのもありだな」


「というかその裏の流通ルートってのを見つけてどうするつもりだったんだい?」


「まあ、そりゃ色々だ。邪魔だったら排除するし場合によっては利用したり、あるいはいっそのこと一部を乗っ取るというのもありか? まっ、何にしてもとにかく首根っこを抑えておくにこしたことはない」


「ああ、うん。何というか君は本当に色々と考えを巡らせるのが好きというか姑息というか」


「ふっ、そう褒めてくれるな」


「いや、褒めては……いるのかな? 凄いなとは思うけど」


 エリザベスの何とも言えない表情を無視しながらディアルドは宣言する。




「ともかく、だ。刺客が残した手がかり……叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの流通ルートを辿れば掴めるかもしれん。ダメで元々だが天才である俺様がやることだ。きっと上手くやれるだろうさ」




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