第百六十六話:謀・Ⅰ



「で、どうするんだい?」



 翌日の昼、三人は王都の街中を散策していた。

 観光や買い物をするわけでもなく、その目的はディアルド曰く――例の刺客の行方を捜すというものだった。


「本当にそんなことが出来るのかな。手がかりなんて碌に残ってないんだろう?」


「マスターならできるんだよ、たぶん!」


「ふーはっはっはァ! うむ、その通りだ。この俺様に出来ないことはない、何故なら天才だからな!」


「機嫌がいいね。朝の発声練習もいつもより声が大きかったし……やっぱり昨日のって堪えたの?」


「ルベリ領ではやりたい放題出来ているからかもな……その反動というか」


「自覚あるんだね」


「俺様って天才過ぎて立場上の存在というのが凄く苦手でな。何というか本能的に反抗したくなる癖があるのだ」


「ああ、うん……何というか凄い納得」


「昔はもう少し上手かったような気も……いや、それほどでもなかったな。普通に仕返しとかしてたし、うん」


 などとぼやきながらもディアルドは話を修正した。

 今、彼らが何をやっているのか――という話。



「話がそれたな。まあ、あれだ。いくら天才である俺様と言えども手がかりがない状態ではどうにもならん。ならんが、手がかりなら得ることが出来た」


「手がかりって昨日のアレかい? 叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの匂いがどうこうって」


「ああ、それだ。刺客が落としていったメモ、その縁に微かについてた汚れだがあれは間違いなく叡智の紅雫イゼル・ディアドロップだった。匂いで思い出して調べてみたから間違いない」


「よくわかるね、そういうのっ……流石マスター」


「まあ、普通じゃない酒だからな。微量の魔力残滓も残っていたし」


「確か魔草を使って作ったんだっけ? ほとんど魔法薬そのものみたいな葡萄酒ワインだって話らしいけどどんな味なんだろう……興味あるな。私は製造にかかわってなかったし。――ねえ、返して貰ったやつ飲んでもいい?」


「ダメです。あれは匂いだけでも結構……ともかく、ダメ。淑女に飲ませるようなものじゃないから」


「そう言われると凄く気になるんだけど……。まあ、そこら辺の追及は後に回すとして」


 自分で作っておいてなんだが、自らの口では叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの効能って言いづらいなとディアルドは今更ながらに思った。


「メモにその叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの汚れが付着していた事実から推測できることはなんだ。我が剣たるファーヴニルゥよ」


「うえっ? うーんっ……少なくとも身近に叡智の紅雫イゼル・ディアドロップがあったってことだよね。依頼した側のものなのか刺客の方かともかく、メモに汚れが付着したってことはその場には叡智の紅雫イゼル・ディアドロップはあった」


叡智の紅雫イゼル・ディアドロップはまだ発売されたばかりのものだ。それに流通させる量にも制限をかけているから市井に流れたのはそう多くはない。そして、今の王都貴族の間ではかなり有名度を誇っているらしい。味ともたらされる効果と物珍しさが受けたのだろうと考えている。――流石は俺様が手掛けたプロデュース作品、大人気商品ってやつだ」


「キミの言うことは時々わからないけど、まあ大まかにはわかった。となると相当な争奪戦になっているだろうね」


「ああ、実際にルベリ領に直接取引を持ち掛けてくる家もチラホラ……まあ、そのことはさておき相当値段の方は高騰しているらしい。噂に聞くと――」


 ディアルドが集めた情報からの今の市場価格の高さにエリザベスは目を見開いた。


「そんなの貴族でも上流階級の人間しか買えないでしょ」


「俺様たちが売った値段も確かに高くはあったが軽く四、五倍くらいに増えているからな」


「でも、叡智の紅雫イゼル・ディアドロップを上流階級の人間しか買えないんなら……刺客かあるいは刺客を雇った依頼人はそれだけ裕福な人間ってことじゃないの?」


「つまりは貴族ということ、か。でも、だからどうしたのって話ではあるね。最も可能性が高いのがもう一人の王子様な時点でさ。それだけじゃいくらなんでも候補が多すぎるというか」


「まあ、そう慌てるな。だからこそ、絞り込む必要がある」


「絞り込むってどうやって? 叡智の紅雫イゼル・ディアドロップを購入した相手がわかるなら可能性があるけど……」


 とエリザベスは呟いた。

 それに対してディアルドは困ったように頬をかきながら答えた。



「いや、実はな……わかるんだ」


「何が?」


「正確に言うと流通した叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの位置を俺様……というかルベリ領は把握している」





「ど、どういうこと……?」




 彼の言葉に彼女は困惑の表情を浮かべたのだった。


「仕掛けとしては単純だ。秘密はこのワインボトルにある」


 そう言ってディアルドが渡してきた叡智の紅雫イゼル・ディアドロップが入ったワインボトルを受け取り、エリザベスはしげしげと眺めた。


 一見してただのワインボトルにしか見えなかった。


 やるならば徹底的に追及する彼の性格を表しているかのようにかなりしっかりとしたもので、そのボトルの表面には精密な凹凸が出来ており文様が作られていて少し個性的ではあるがとてもいいものであることはわかった。

 聞いた話だとヤハトゥに命じてイリージャルで製造しているらしい。

 人が作るならかなりの職人芸を要する細工をワインのボトルに施すことで叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの自体のグレードを上げる魂胆なのだろう、細かい所まで気にするものだとエリザベスは感心し――



 そこで彼女は気づいた。



「いや、これって魔法陣じゃないか?!」


「うむ、そうなのだ」


「そうなのだ……じゃなくて?!」



 何気なく指で触っていたため気づいてしまったが、それはただの文様ではなく規則性が存在していた。

 その意味を理解して思わず上げてしまった言葉をディアルドはあっさりと肯定した。


「えっ、これちゃんと機能しているの? 本当に?」


「ああ、イリージャルの工房で作ったからな。人の手では不可能な加工とて可能だ」


「凄いな……だってガラスでしょ? それにこんなに細かく……」


 魔法という現象を引き起こすためには術式――つまりは魔法陣が必要不可欠だ。

 魔導士はそれを自ら宙に構築することによって魔法を発動させるが、物質に魔法陣を書き込んだり埋め込んだりして発動させる……所謂、魔導具やマジックアイテムに類する技術も存在する。


 ただ、その技術にはある明確な特徴がある。

 それは素材となる物質に左右されやすいという点だ。


 魔法陣というのは魔法を発動させるための基礎であり、全て。

 宙に直接魔法陣を描く魔導士の魔法とは違い、魔導具として作るには仕込む必要があるわけだが……それがとても難しい。


 術式というのは些細な文字のミスや変化が加わると途端に成り立たなくってしまう非常にデリケートな存在だからだ。

 物質に魔法陣を仕込むという手法の特性上、正しく魔法陣を仕込むことができ、そしてそれを維持しやすいのが最適な素材――つまりは硬い金属類などが主に術式を刻む素材によく使用される。

 細かい加工がしやすく、そしてちゃんと手入れをして扱えばそうそう傷がついて魔法陣が停止してしまった……という事態を避けられるからだ。


 反面、柔らかい物質は魔導具の素材には向いていないとされている。

 単純に加工がしづらく傷や歪みなどで魔法陣の術式に影響を及ぼしやすくなる。


「特にガラスなんて……割れやすいから加工も難しいから聞いた事がないよ。それもこんな精密な術式を」


 だからこそ、エリザベスは驚いたのだ。

 そして、常識を知っていたからこそ気づくのが遅れてしまった。


 いや、むしろか常識を知っていてなお気づくあたりは流石というべきかもしれない。


「ふふふっ、イリージャル驚異の技術ってやつというやつだな」


「でも、術式だけじゃ……原動力となる魔力が無いと……」


「何を言っている? 魔力なら自前の物があるだろう?」


「? それってどういう」


「あっ、僕わかった。それって叡智の紅雫イゼル・ディアドロップそのものことでしょ、マスター」


「ふーはっはっはァ! その通りだぞ、ファーヴニルゥ。よくわかったな」


「そういうことか……。魔草を元に作られたものだから当然叡智の紅雫イゼル・ディアドロップは魔力を帯びている。その魔力を使う仕組みなのかい」


「ああ、ボトルの中の発する魔力をかき集めて起動に達すると発動する仕組みとなる」


「驚いた……術式が刻まれたボトルに魔力を帯びた中身。中身と一緒になることで一種の魔導具として成り立っていることか」


 魔導具やマジックアイテムなど、一見するとの滲み出るものが多いのだが叡智の紅雫イゼル・ディアドロップのボトルはそのらしさが一切ない。

 恐らくヒントが無ければエリザベスも事実に気付くことは不可能だっただろう。



「それで発動する魔法ってのは?」


「大した魔法ではない。叡智の紅雫イゼル・ディアドロップ自体から……というよりもそれから発散される微量の魔力を回収し、一定数まで蓄積出来たら信号を放つ魔法だ」


「信号?」


「俺様も詳しいことまでは把握できていないがヤハトゥ曰く、魔力波信号ピンガという技術で魔力を無色透明な特殊な波形として飛ばす魔法らしい。物質をすり抜けて広がることができ、それを受け止める魔法を使うことで色々とやり取りが出来たらしいんだが……まあ、これに仕込まれているのはそこまで複雑なものじゃない。至ってシンプルに広範に信号を放つように設定している」


「なるほど……色々と面白そうな魔法技術だから帰ったら改めて聞くとして――それでどうやって位置を把握できるの?」


「ベルリ領のあの木……世界樹ユグドラシル魔力波信号ピンガを受け取ることが出来る。魔力波信号ピンガは水面に石を投げ込んだ時のように円上に広がるから……」


「なるほど、王国の地図と合わせてることで方向からおおよその位置がわかるのか」


「ああ、しかも仕込まれボトルによって放たれる魔力波信号ピンガは同一じゃないからちゃんとわけて捉えることが可能だ。欠点があるとすれば叡智の紅雫イゼル・ディアドロップを飲み干されてしまうと機能しなくなることだが……魔力源が無くなってしまえばただの奇妙な文様があるだけのボトルだ」


「向こうが勝手に機能を失わせて証拠を処分してくれるってことか。なんというかよくもまあ手の込んだ」



 ただの領地のための名産品作りだという話だったがその裏で行っていた大胆過ぎる仕掛けにエリザベスはため息を吐いた。



 だが、すぐに気を取り直すと再度尋ねることにした。

 仕込んでいた仕掛けについては理解できたが、



「そもそも、なんでこんなことを?」


「確かにそうだね。マスター、なんで?」



 ディアルドは二人の言葉に少し考え込み口を開いた。




「そうだな、お前たちは酒というのがどういうものか知っているか?」




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