第百五十話:叡智の紅雫・Ⅱ



 叡智の紅雫イゼル・ディアドロップ、それはベルリ領が手掛けた初のブランド商品である。


 新種の魔草である|≪叡智の紅実デュオニソス≫を原材料とした葡萄酒ワイン――という希少性を前面に売りに出した結果、王都でもかなりの評判となっていることをルベリはオフェリアからの文通で知っていた。


「正直、よく売れたよな。普通はそう簡単に売れないだろ」


「貴族というのは大抵が葡萄酒ワインだし、珍しいものには目がない傾向にある。そういった意味では希少な魔草を贅沢に原材料とした葡萄酒ワインなど世界樹ユグドラシルを有するうち以外では不可能な酒だからな」


 人工的な栽培が難しい魔草、それを使った葡萄酒をルベリ領で作ることが出来るのはひとえにヤハトゥがいつの間にか植えて城と接続していた世界樹ユグドラシルのお陰だった。

 単に本体が別の場所にあるイリージャルのための巨大な中継施設か何かだと思っていた世界樹ユグドラシルなのだが、正式名称は戦略級侵略樹式「世界樹機構ユグドラシル・システム」というものらしい。


「なあ、兄貴……やっぱりって言葉が入っているのは」


「ふーはっはっはァ! ルベリよ、そこら辺はふわっと流しておこうと決めたではないか。何がとは詳しく聞かなかったが大陸全土に伸びるまでは百数十年ぐらいかかるらしいし……つまりは死んだあと! セーフだ!」


「セーフ……セーフかなぁ?」


 ディアルドとルベリは一応詳しく聞いたのだが難しすぎてわからなかったというべきか、あるいは脳が理解を拒否したというべきか。

 なんか根を伸ばしてなんやかんやしてくれたお陰で土壌の魔力問題がある程度できたので魔草の栽培自体に成功できた……それだけわかっていればいいだろう。

 あとなんかヤハトゥがシレっとベルリ領内ならホログラムで現れるにようになっただけ、それ以外をディアルドとルベリは色々と聞き流すことにした。


「いいか、ファーヴニルゥやヤハトゥたちのことは良い感じに受け流せ。天才である俺様だって詳しくつめると「あっ、これダメなやつだな……」と理解を放棄して焚書したぐらいだからな」


「兄貴は何を知ったんだよ……」


「知らない方がいいこともある。……そう言えばイリージャルの書庫に関して特に制限してなかったな、大丈夫だとは思うが一応後でエリザベスが何を調べたか知っておくべきか? まあ、それは後で考えるとして」


 あまり深く考えてはいけない古代文明の遺産については一先ず脇に置いておくとして、ディアルドは話を続けた。


「ともかく、なんやかんやあったが無事に≪叡智の紅実デュオニソス≫の人工栽培には目途が立ったわけだ。そして、それを使った葡萄酒ワイン――叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの生産もな」


「それにしても良く売れたな、普通の手段なら短期間で酒が作れるわけがないって思われるんじゃないか?」


「ああ、だからこの領で行われている魔法による栽培についてを商人たちに見せて納得してもらって買ってもらった」


「大丈夫だったのか? 前に兄貴も言ってたじゃん、貴族は魔法に誇りを持っているからそういった使い方は好きじゃないって」


「それは確かだ、貴族の世界ではそれが常識だからな。自分や自分の領地で同じことをやろうとする貴族は居ない。下手すれば爪弾き者になってしまうからな。いくら有用かつ効率的な手法であったしても」


「なら、貴族の連中はそんな葡萄酒なんて忌避するんじゃ……」


「いや、そうでもない。自身の領地や近くの領地でやられるのならともかく、僻地でやる分には特に問題視などしないだろうさ。そう言ったところは懐が深い――というのも違うか、何か問題があっても知らぬ存ぜぬで通してベルリ領の責任にすればいいだからな。奴らからすれば」


「そういうもんか」


「そういうものだ。奴らにとっては王国内でも希少な魔草を使った葡萄酒ワインであるということ、そして希少なそれを確保できたという実績こそが重要なのだ。話題性とでも言うべきか」


「なるほど、それで商人たちがこぞって求めてくると思った」


「まあ、間違いなく高く売れるのは間違いないからな。貴族への伝手の有る大商会なら猶更だ。献上することで関心を得ることも出来るだろうしな」


「へえ……何というかそれってただの名産品じゃなくなってきてないか? 味とか二の次というか」


「いや、味だっていいとは思うぞ? たぶん」


 葡萄酒ワイン作りにおいて重要な要素である発酵具合だが、「イーゼルの魔法」を使えるディアルドなら自由に調整が可能だ。

 それを悪用することで彼は自身の舌を頼りにベストな状態を見極めた。



 天才である自身の味覚が満足できる出来にして完成させたので、単なる希少性だけを売りにした葡萄酒ではない――つもりではあるのだが。



「ただ、まあ……あれだ。試飲回数が少なかったからな。もう少しジックリとやればもっと極められた気がしなくもないが――叡智の紅雫イゼル・ディアドロップだからな……」


「?? すればいいじゃん、別にそれくらい。兄貴らしくないぜ、そういうの拘る癖に」


「…………」


「……そういえば結局私って叡智の紅雫イゼル・ディアドロップって飲んだことないんだよなー」


 ディアルドの様子に不信感を覚えたのだろう、ルベリはそんなことを口にした。

 彼女は領主でありながら名産として作ったはずの叡智の紅雫イゼル・ディアドロップを飲んだことが無かった。


 それは事態は別に変なことではなかった。

 ルベリからすれば一度盛大にやらかしてしまったこともあり酒関連に苦手意識を持っていたこと、それと単に近頃は忙しかったこともあった。


 完成した叡智の紅雫イゼル・ディアドロップは特に問題もなく売れ、それどころか想定もしていなかったほどの反響と人気も出たこともあり、彼女からすれば順風満帆だったので試飲すらしてなかったことなど、つい忘れていたのだが……何故だか彼の態度にそのことが頭をよぎったのだ。


「そうだったったか?」


「その反応……何かあるな?」


 微妙に視線を逸らしたディアルドの様子にルベリの警戒心が最大まで上昇した。

 そこで思い出したのは叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの原材料、それは世にも希少な魔草を贅沢に使った一品であり――




「なんかがあるとか言わないよな??」


「……ふーはっはっはァ! 変な効果ないぞ!」


「つまりじゃないってことはわかった。さあ、吐け」


「いや、本当に変な効果は無いのだ。どちらかというとむしろ喜ばれるようなものというか」


「じゃあ、私が飲んでもいいよな?」


「うーむ……ルベリにはまだ早いと思う」


って何が!?」




 絶対何かやらかしてやがるなこの野郎、という確信と共に掴みかかるルベリ。

 それに対してディアルドは無抵抗だった。


「うむ、安心するのだルベリ。いや、本当に身体に悪いものじゃないから。何なら感謝されるぐらいというか、現実に効果に気付いた貴族たちはリピーターになってくれたみたいだし」


「ん? どういうことだ?」


「ほら、これ。ベルリ家宛に来た手紙だ。貴族らしい婉曲な言い回しではあるが叡智の紅雫イゼル・ディアドロップの素晴らしさをたたえる言葉に、良ければ融通を利かせて都合して貰えないか、と。金はいくらでも払うとまで……」


「私宛に来た手紙なのになんで兄貴が勝手に読んでるのかは一先ず置いておくとして……ここまで人気が出ると逆に怖くなるんだけど。依存性のある怪しい薬とかじゃないんだろうな?」


 ルベリはその手紙の内容を読むとジト目でディアルドを見つめた。

 確かに彼の言った通り、貴族特有の言い回しではあるものの美辞麗句が並べられていたのだがだからこそ、さらに怪しく見えるというべきか。

 所詮は小娘でしかない彼女の機嫌を窺うような言葉を飾ってまで更に欲しがる叡智の紅雫イゼル・ディアドロップとは何なのか……きっちりと問い詰めておくべきだとルベリは判断した。




「……怒らない?」


「保障はしない」


「ちぇー」




 笑顔で言い切った彼女にディアルドは観念したかのように口を開いた。





「精力剤だ」


「???」


「いや、これは直接的に言い過ぎたか。少し柔らかめに言うなら……そう滋養強壮に効くとかそんな感じの……あー」


「――なんて?」


「つまりは元気になる感じの効果がある。そりゃもう凄い感じに」


「…………」





「まあ、貴族ともなると優秀な魔導士を抱えているものだ。飲み食いするものに危険が無いか魔法で調べるのは当然。特に叡智の紅雫イゼル・ディアドロップは材料が材料だからな、楽しむ前に念入りに調査をしただろうからそこでその効用が判明したのだろう。それでこの反応のよさということだ。いやー、それにしても素晴らしい作用のある名産品になったものだと――」


「兄貴のばかやろー!」





 もう隠す必要は無いと意気揚々と喋り始めるディアルドに対して、ルベリの返答は右の拳だった。


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