第九十八話:ある白魔導士の王都帰郷・Ⅱ



「ここか……」



 エリザベスは久しぶりに……いや、実際の日数的に考えるとそれほどでもないのだろう。

 だが、次々にベルリ領にて起こる問題が彼女の時間の感覚を曖昧にさせた。


(とても懐かしく感じる。酷く昔に思えるな)


 王都へ降り立った時のエリザベスの感覚というのはそんなものだった。

 それだけ刺激的であり、そして自由な生活だった。


 無論、王都ほどに揃っているわけではないし、仕事をやらなくていいわけではなかったが、ここ最近であれほどに魔法研究のみに打ち込める時間が今まであっただろうか。


(記憶に無いな)


 兎にも角にもエリザベスはあの地ではただの優秀な魔導士としての価値だけを認められていた。

 それ以外の魔導協会ネフレイン幹部としての権威とか貴族としての彼女の立場だとか……まあ、そこら辺は口にしていないので彼らが知らないのは当然なのだが――


(ディーは何かしら気づいているかもしれないな。彼は聡明な男だからな)


 それはそれとして、ともかくあそこではエリザベスの能力のみが見られた。

 ルベリに貴族としての最低限のマナーやら礼儀などを教えてやってくれと頼まれもしたが……それくらいだ。

 あとは領地の運営における細々した知識に関しても教えたぐらい……か。

 あれもあくまで基礎中の基礎程度のもの、そもそも領地の規模が違い過ぎて参考になるかは微妙なところでルベリの頑張りで形になっている。


(家の教育で知識だけはあっても結局は統治の経験なんてないしね)


 そんな感じで多少頼まれごとをされるぐらいで、それ以外は魔導士としての腕を認められ協力させられ、エリザベスは毎日を魔法の研究に費やせる日々。



 エリザベスは自由な日々を過ごしていたのだ。

 だというのに――



(以前よりもだいぶ王都の空気は悪くなっている。どこもピリピリしている。やはりコーラル卿の……)


 コーラル公爵家の起こした……いや、というべきか。

 ともかく十三年にも渡る重職を利用した不正な国家予算分にも匹敵する横領事件、その発覚は王都を揺るがせるような事態に発展した。

 なにせ金額が金額だ、抜いた金をただ貯めるだけならともかく、それを使って自らの勢力を大きくするために、あるいは更なる金を集めるために使いまくりその結果恩恵を受けた人間は途轍もなく広いとみられている。


(噂だと王家は今回の事件、本気で動いていると聞いている。事の大きさが大きさ、それも仕方ないことだけど……)


 そして今回の一件、一番厄介な問題は主犯であり、全てのことを知っていた当主であるヴィルフレムが死んでいるということだ。

 これでは幕引きを図ろうにも図れない。

 今の王都のどこかピリついた空気はその辺りが原因だ。


(下手をすれば王家と公爵家の全面的な衝突にもなりかねない、か。全く、どちらにも関わり合いたくないものだ)


 エリザベスは心底にそう思った。

 どちら側にもつきたくはないが一応これでも魔導協会ネフレインの幹部という地位にもある人間、こちらが関わり合いたくないと思っても向こうもそう考えるかどうかはわからない。


(王都の書店を巡りたかったけどやめておいた方が賢明か)


 余計なトラブルに巻き込まれる可能性がある。

 そう考えて王都に滞在中の間、うかつに外に出ないことをエリザベスは決めた。


 ただ、そうなると暇になるのも事実で。


(元老院に顔を出さなきゃいけないけど、それは明日になるようだし……それまでどうしようかな)


 魔導協会ネフレインの本部はリーザに絡まれる可能性がある。

 先ほどのこともあり、それは面倒なので候補から外すとなると……エリザベスの中の選択肢はかなり少なくなってしまう。


 基本的に交友関係が広くない人間なのだ。

 王都を適当にぶらついて時間を潰すという選択肢もなくなると途端になくなってしまう。


「……そうだ。どうせ、王都に来たんだし」


 そのため、色々と考えた結果。

 不意に頭に浮かんだのがこの場所だった。


 王家に連なる公的機関の一部署――「王立遺物管理室」



                  ◆



「へぇ、歴史に興味が?」


「魔法の研究の一環としては」


「ほう、それはとても珍しい」


 紅茶を差し出され、エリザベスはそれを素直に受け取り飲んだ。

 彼女の目の前のソファーに座っている老人は「王立遺物管理室」の室長であるアイゼンバルドだ。

 突然来訪したエリザベス相手に嫌な顔一つせず招き入れ、こうして紅茶と菓子を出してもてなし始めたのだ。


「珍しいですか?」


「そうですな、魔導協会ネフレインに所属しているあなたならその理由もお分かりかと思いますが……」


「……それもそうですね」


 「王立遺物管理室」とは遺跡ダンジョンから回収された遺物の精査をすることで古代文明のことを解明することを目的とした歴史研究の部署である。

 エリザベスも最近、嫌というほどに味わう羽目になったが古代の魔法技術のすさまじさは現代の比ではない、遺物を調べることでその一部でも解析に成功すればそれは途轍もない価値になるだろう。


 つまりはそういった目的の為に設立されたのが「王立遺物管理室」になる。


 反面、王国という国家において歴史の研究というのはとても繊細な側面がある。

 魔法の真実……つまり、魔法という技術を貴族だけのものにすることで今のドルアーガ王国を作ったという事実、それが古代の時代を調べてしまえばわかってしまう可能性があるからだ。


 それ故に王国において歴史研究という学問はあまり発展していない。

 個人の趣味でやっているのが大半だ。


魔導協会ネフレイン王立遺物管理室ウチのことを何かと嫌っていますからな」


「私は政治そっちとは距離を置いているので」


「なるほど、そういう……ふむ」


 そして、特に歴史研究に対し強い反発を持っているのが魔導協会ネフレインであり、彼らの圧力もあって王家の肝いりで設立されこそしたものの様々な縛りが与えられ窓際の部署となってしまったのが――今の「王立遺物管理室」の現状だとエリザベスは聞いていた。


 彼女の言葉を聞いてじっとこちらを見つめていたアイゼンバルドであったが、何かに納得したかのように頷いた。


「そのようですな。ほほっ、「幻月」の名を持つ貴方様がいきなり来られたので何事かと思いましたぞ」


「それはその……すいません」


「それで何かご用件ですかな?」


「いえ、用というほどのことはなかったんだけど」


 彼の質問にエリザベスは困ってしまった。

 本当に目的があってきたわけではないのだ、確かに少し前とは違い歴史に関しても興味がわいたのは嘘ではないが――


(何ならヤハトゥに聞いた方が早いだろうし……)


 生き字引のような存在が居るのでそこまでの必要性を「王立遺物管理室」に彼女は感じていなかった。

 それでもエリザベスがここへ来た理由があるとしたら、それは……。



(ディーは……彼は確か王都に居たことがあるという話だった。それにあの古代の知識を考えると……やっぱりここが怪しいよね?)



 そんなことをふと思ってしまったからだ。

 彼女からするとかなりの謎の人物であるディアルドだが、王都でならそのヒントを掴めるかもしれないと気づいてしまった結果だった。


(なんとなく思いついてここにきてしまったけど、やっぱり知らないところで探るような真似は考えてみればはしたない気がする。失敗だったかな……まあ、適当に時間を潰せればいいか)


 そんなことを考えながらエリザベスは口を開いた。


「ええ、実は私は今……ベルリ子爵の要請を受けて開拓のお手伝いをしていて」


「おおっ、ベルリ家の名。懐かしい、また聞くことが出来るとは……。それに開拓というとベルリ領の?」


「はい、ベルリの家に王家から与えられた王国の東部の開拓令。それを子爵は引き継がれており、その協力を」


「なんとも……聞くところによるとまだ年若い少女だとか。だというのにそんな難事に従事することになるとは、一からの開拓ともなればそれは筆舌にし難い困難の連続でしょう」


「…………そうですね」


 エリザベスは一瞬何とも言えない表情になった。

 彼女からすると多少の不便さはあるものの自由だし、さらにその不便さに関してもかなりの部分で解決できそうな見通しが立っているのでさもありなん。


「それにしても東部の開拓となるやはり古代の遺跡の件で?」


「ええ、あそこの一帯は多く残っているとかで。それで私としても興味が湧いたという次第でして」


「なるほど、なるほど。あそこは長年人の手が入っておりませんからな、そういったものも多くあることでしょう。いいでしょう、何か役に立ちそうな資料でも……その代わりと言っては何ですが、もし遺物を発見したら少し都合してもらえれば」


「勿論です」


 古代の遺物という意味では特級のものであるイリージャルについて、一切喋る気もないがエリザベスは平然と言い切った。

 らしくないと言われることも多いが、それでも彼女は貴族であった。




「さてさて、どんな資料がいいか……一言で歴史と言っても時代によって様々ですからな。特に古代に関するものとなるとウチでもそうそう」


「そういうものですか」


「ええ、前まではとても優秀な人材がいたのですがね。古代文字の解読がとても得意で……彼がいたならよかったのですが。彼は突如として消えてしまって……」


(……もしかしてディーのこと?)


「彼は真面目で勤勉な優しい好青年で」


(いや、ディーのことじゃないね)


 アイゼンバルドの言葉にふとエリザベスはディアルドのことかとも思ったが、なんだ人違いかと思い直すも――



「――時々突発的に高笑いをする癖のある子だった」


(間違いない、これはディーだ)



 続く彼の言葉に彼女はそう確信したのだった。

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