第四十九話:とある少年の悩み


 奇妙なことになったものだ、とアリアンは思った。


 あの日、あの時、夕暮れに染まる街の中で彼は強盗に襲われた。

 それを助けたのが蒼穹姫として名高い彼女であった。


 空から舞い降り悪漢どもを細剣一つで叩きのめすその姿は正しく華麗の一言に相応しい。

 アリアンはきっと紅に染まる空を銀の軌跡を残して翔ける彼女の姿は生涯忘れることが出来ないだろう。


 蒼穹姫ファーヴニルゥ。

 その活躍は噂に聞いており、その姿も遠目に幾度か見たことはあれど。


 ――「大丈夫かい?」


 話しかけられたことはない。

 夢にも思わなかった。


 そして、まじまじと見つめることすら憚れるような笑顔を向けられ、アリアンはドギマギとしながら言葉を交わし……気づけばベルリ領へと移住することを彼は了承する羽目になっていた。


 思い返してみても流れをよく覚えていない。

 ファーヴニルゥという存在に見惚れていたのもあるのだろう、我に返った時にはすでにオーガスタへと帰る空路の途中だった。


(まあ、結果的には悪くはなかったけど)


 ほぼほぼ流されるままにベルリ領へと住むことが決まったアリアンだったが、現状の生活に満足していた。

 最初こそオーガスタと比べ何もない土地に不安を募らせたものの、食べ物には困らないし土地が余っているのと魔法の実験と称して持ち家まで貰った。

 仕事は多くあったが盗品や違法な薬物の売買の帳簿をつけさせられるよりははるかにマシだし、最年少というのもあるのだろうが彼らはアリアンに優しかった。

 ルベリは何だかんだと気を使っていたし、ディアルドはいつも通りの態度で無意味に偉そうではあったが振舞ってくれる料理はおいしかった。


(それにワーベライト様、も……うん、独特の雰囲気の人だけど悪い人じゃないと思う)


 魔導協会ネフレインの才媛が何故こんな僻地に居るのだろうと思いはしたものの、そこはあまり気にしてはいけないことなのだろうとアリアンは思いこむことにした。

 意識しては態度に出しまいそうだったから。


(うん、ワーベライト様は悪い人じゃない……。それに――)


 ふと空を見上げると東の空を翔け抜ける銀色の星があった。

 それは何かに気付いたかのように鋭角の軌道を描いたかと思うとぐんぐんとこちらへと迫り、そしてアリアンの前にふわりと着地した。 



「ファーヴニルゥ様!」


「やあ、アリアン。帰りかい?」


「はい! 川の仕掛けを確認してきたところで……ほら、見てください! 一杯取れました!」


 そう言ってアリアンは持っていた桶の中身をファーヴニルゥへと見せた。

 そこには五人で食べるには十分すぎるほどの川魚が入っていた。


「うん、いいね。これなら十分だ。僕のは必要なかったかな」


 彼女が言っているのは飛んできたときにも片手で掴んでいた大きな猪のようなモンスターだ。


「わっ、凄い。大猪ジャイアント・ボアの成獣じゃないですか。確か討伐難易度だと100は超えているはずのモンスターなのに……」


「おや、詳しいんだね。その通り、でもその程度の相手じゃ僕の敵にはならないのさ。せめてドラゴンくらいじゃないとね」


 他の人が言えば傲慢にも聞こえるかもしれないセリフでもファーヴニルゥが言えばそうとは聞こえないなとアリアンは思った。

 討伐難易度が100を超えたモンスターを一人で倒せれば一先ずは冒険者としては一端と世間的に言われる。

 なので一人で狩ってきただけならばあり得ないことではないが、彼女の異常なところは損なモンスターを狩ってきたというのに服や髪の先まで一切の汚れもないところだろう。

 怪我は勿論、返り血の一つ、埃の一つも痕跡もその騎士風にデザインされたバトルドレスには存在しない。


 それは即ち、それほど圧倒的な力の差でモンスターを討ったということになる。

 その事実にアリアンは尊敬の眼差しを向けた。


「す、凄いですね」


「当然さ、なにせ僕はマスターの剣にして鉾さ。この程度では……ね。っと、大丈夫かい? 指から血が出ている」


「あ、ああ、これですか? ちょっと仕掛けを上げる時に糸で指を切っちゃって、でも大したことは――」


 アリアンが言い終わるより先にファーヴニルゥは動いた。

 胸元からハンカチを取り出すとおもむろに彼の指に巻き付けたのだ。


「えっ、あの」


「深くはないみたいだけど何かあったら問題だ。あとでルベ――子爵様に頼んで直して貰おう」


「い、いえ、そんなこと! 悪いですよ、それにこの布も高そうですし」


「君の身体の方が大事だよ。さっ、もうすぐ昼になるし行こうか?」


 彼女はそう言ってさっさと歩きだしてしまったのでアリアンとしてはそれ以上言うことは出来なかった。

 そのままついていくことにする。


(本当に不思議な領地だ)


 辺りを見渡せば土人形ゴーレムが行き交い、農地は異様な速度で植物が成長し、もう収穫の時期らしい。

 それもこれも魔法によるもの。

 そう言われれば納得は出来るものの、こんな使い方をしているのはアリアンは初めて見た。


(ここでは初めて見るものばかりだ)


 魔法とは武力であり権力であり象徴である。

 少なくとも王国ではそう学ぶ。

 だというのにベルリ領は違うように思えた。


(父さんたちにも見せたかったな……)


 忙しくとも長閑で平穏な様子を眺めながら、ここで骨を埋めるのも悪くはない――などとアリアンは考えているとふとアリアンは思い出した。


(ああ、それにしてもアレについてはどうしようか)


 アレ、とは彼が持っている白本ホワイト・ブックのことである。

 こうなってくると取扱いに困るものではあった。

 使い方次第では財産になるので隠し持っておくというのもありだが、面倒ごとにもなりかねないのも確かな代物だ。



(まあ、あとで考えればいいかな。それよりもある程度素性を話せば魔法のこととかも教えてくれるかな? 魔導士が一人増えれば領のためにもなるだろうし……うーんでも切り出し方をどうするべきか)




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