第92話 フライが懐かしい

 そう思っていたのだが、鈍痛どんつうがあるという沙織の首を見るため、後ろに回ってみたら、服の背中に大穴が開いていた。


 露出した背中部分は、まだ特殊スーツが色を付けてないので、まるで裸みたいだった。


 それを沙織に告げると、彼女は大慌てで背中に手を回した。


「え、あ、本当だ、それに気持ち悪い液体が服に染みている」


 沙織は、消化液が染みた服を手早く脱ぎ捨てることに全神経が行っていたのだろう。

 俺が目の前にいることを忘れて、沙織はトップスを脱ぎ捨て、ボトムスも脱ぎ捨てた。

 俺は全裸の美少女に呆然ぼうぜん見惚みとれていた。


 沙織はあわてて、スーツに地肌を隠すように指示を出した。

 すると、初期の頃のように、沙織は全身黒いレオタードになった。


「今見たことはすぐ忘れるのよ、コウタ」


 小さいが胆力のこもった声と、凄まじい眼力に圧倒され、俺はこくこくと頷くしかなかったが、記憶には強く焼き付けたのだった。



 しのぶは、キャシーに残った僅かな綿毛を取ってやっていて、こちらには気がついてない。


 服をぱたぱたとやっていたキャシーが、沙織の服装の変化に気がついた。


「あれ、どうしたの、レオタードになっちゃって、あ、そうか服の背中に穴あいちゃったよね」


 沙織が、二人に対し、服が怪物に溶かされたことを説明した。


 そうなんだと言いながら、キャシーがその場に残った魔石に手を伸ばした。


「ギャー、あ、熱い!」


 凄まじい声をあげて、キャシーは魔石を落とした。

 泣きそうな顔で、治癒魔法を使い始める。


「あの高熱で焼いたんだ、熱が冷めるまで少し待った方が良い。

 しのぶ、ウォータボールで熱冷まししてくれ」


 しのぶが、ウォーターボールをぶつけると、魔石がジュッと、音を立てた。

 湯気がもうもうと立ち上がる。

 しのぶが大量の水で魔石を包む。

 しばらくすると、魔石から気泡が立たなくなった。

 俺は、その魔石を取り上げて、キャシーに差し出す。

 おっかなびっくりで、キャシーが、つんつんと指を魔石に突き出す。


「キャシー、俺のへっぴり腰を笑っていたらしいけど、おまえも結構ビビり過ぎw」


「さっきは、めちゃ熱かったにゃ。

 あの怪物には毛を飛ばされて、めちゃくちゃ全身がかゆかったし、針で刺されたみたいに痛い所も多かったし。

 もう、ほんとにひどい目にあったにゃ、、、」


 これが、昔の漫画で出て来る、トホホっていう感じなんだなと、俺は納得した。


 一連の作業を終えて、何事か考えている様子だったしのぶが、すっと顔を上げて、俺に目を向けた。

 普通のジト目とは違った、疑い深い視線だ。


「コウタさん、姉さんがあいつに抑え込まれていた時、何故あんなにも冷静でいられたんですか。

 姉さんが心配じゃなかったんですか!

 私、とても信じられません」


 そのそしり方が激し過ぎて、沙織が慌ててしのぶをなだめる。


 抑え込まれた時に気絶してしまって、その時の俺の態度を見てなかったから、沙織は、救い出された後の俺の活躍だけを知っている。

 だから、しのぶが何故そこまで俺を非難するのか、まるで分からなかったのだ。


「確かに、コウタはあの時、とても冷静だった。

 私は逆に、このパーティのリーダーはコウタしか居ないって思ったよ、しのぶ」

 キャシーが助け舟を出してくれた。


「そうかも知れませんけど、、、

 私をやりから咄嗟とっさかばってくれたコウタさんが、姉さんの時は、どうしてあんなにも冷静、いや冷淡れいたんだったのか。

 コウタさん、ちゃんと説明して下さい!」


 まあ、そこまで言われたら、きちんと誤解を解かないと、この先、二人との友情、もしかしたら愛情?が、ここで壊れてしまいそうな気がした。


「ハエトリグモのユーチューブ動画をたくさん見た時に、タランチュラの動画も見たんだよ・・・」


 こうして、俺は詳しくその動画の様子を説明した。


「防刃耐性のある特殊スーツなら、上顎うわあごの牙も通らないし、耐腐食性もあるから唾液だえきの消化液も全く効かないと思ったし、あいつが沙織を離すのは時間の問題と見ていた。

 あの時沙織が気絶せずに、ライトセーバーでも振るっていれば、脚を切り落とせなかったとしても、カブトムシの時のように、あの化け物はすぐ沙織を離しただろうね」


 俺がそう言うと、ようやくしのぶは納得してくれたようだ。


「気絶さえしなければ、私一人でもあの気色悪いデカグモを、ライトセーバーで倒せたかもしれないのよね、もしかしたら」


 声を押し殺してそう言ってから、

「でも、あんなの絶対無理」と、沙織は吐き捨てた。


「ああ、沙織のライトセーバーなら、あの8本の脚をあっという間に切り取って、身動きできなくして、しのぶの大火球一発で楽勝、そうなりゃ俺の出番なんて無かった筈さ」


 俺は、沙織、しのぶと視線を移しながら、少しおちゃらけた感じで言った。


「そうね、コウタは最後の砦なのにゃ」


「そ、そうですよね」


 今度こそ、しのぶは納得したようだった。


 ああ、助かったぜ、危うく妹分の信頼を失う所だった。

『信頼を得るのには時間が掛かるが、失うのは一瞬である』

 この教訓が骨身に染みて分かった。



「コウタの、その小さい鉄砲は、凄まじい威力だね。

 相手が蜘蛛なのに、蜘蛛の糸で身動きできなくさせるって、反則にもほどがあるにゃ」


 俺の右手にあるものを見て、キャシーがそんなことを言った。

 冷静でいたつもりが、実は興奮が醒めてなかったのか、銃をしまうのを忘れていたことに、俺は今気がついた。


「ああ、この銃はブラックウィドウって名前だが、同じ名前の蜘蛛がいるんだ。

 そいつの動画も見たことがあるが、他の色々な蜘蛛と戦って、糸を吐き出す攻撃で連戦連勝だったぞ」


 キャシーと、横で聞いていた他の二人も、ブラックウィドウの由来ゆらいに感心していた。




「で、どうする、あの魔法陣。

 俺は、ダンジョンはもうたくさんなんだけど」


「まだ身体が痒いし、私も暫くは休みたいにゃん。

 あんなモンスターが、第1階層のガーディアンで出るなんて、全然聞いたこと無かったしね」


「私は、もう十分、二度ともぐりたくないわ。

 巨大こうもりも、巨大蜘蛛も、もう二度と見たくない」


「そ、そうですよね、帰りましょう」


 こうして、俺たちは初めてのダンジョン冒険を終えた。

 二度目があるのかどうか、今は分からない。




 ダンジョン探索で、すごくいやだったことが、最後に続いたな。


 言葉が通じるほど知性がある相手を、必要もないのに殺したくない。

 親子の情愛と、主君に対する忠誠との板挟みで、処刑するとかしないとか、そんな修羅場は見たくない。

 合図を待てと言ったのに、仲間にも俺にも油断があった。

 俺はあの部屋に入ったらすぐ、後方を確認すべきだったのだ。

 タランチュラの動画を見たことがあったから、沙織の危機にどうにか対処した。

 とは言え、終わってから冷静に振り返れば、この異世界の怪物がたとえオオツチグモに似ていたとしても、その攻撃法や武器が、地球出身のタランチュラと同じものだとは限らないし、むしろ同じだったことが奇跡的な偶然だったのかも知れないのだ。

 もし違っていて、沙織に何かあったなら、俺はしのぶの信頼も同時に失ったことだろう。


 ダンジョンに入れば、戦いになり、またこうした思いを繰り返すことになる。

 二度とダンジョンには入りたくない、それが本音だ。

 それでも俺は3人に対し、本音を言えなかった。


 こうして考えてみると、俺がいつでも本音を言えた相手は、今までフライ以外には居なかったかも知れない。

 突如、フライのことが懐かしくなった。

 最初はあんなに嫌っていたのになw

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