第2話 あなたの色彩

彼の目の前にはいつもキャンバスがある。生まれた時から目が悪く、少しずつ少しずつ世界がぼやけ、ここ数年は何かをみた記憶はない。

陽だまりのような優しさと柔らかさで満たされたスケッチブック。それを胸に抱き彼女が訪れるのを待っている。そこに描かれているのは人でも毎朝餌を食べに来る鳥でも、彼の思い出でもなく、彼女が語る景色ばかりだった。



 彼女は嘘つきだった。見たこともない景色やしたこともないあれこれを彼に聞かせた。


「この世界は残酷だ。汚いんだ」


本当のことなど言えやしなかった。見えないのなら見なければいい、知らなくていい、だから伝えるのは全て本の中の世界や彼女の理想郷だった。

太陽の日差しでさえ寒い。1度彼の温かさに触れた彼女には他の何かではあたたまることはできなくなっていた。


「鈍い」

何も動かない心が、身体中全部淀んだ私は、こんなにも眩しいあなたの目の前に立っている。この口から嘘が止まらない。止めたくない。あなたの暖かさを知ってもなお、どうにも動かない心のままで私は......。


彼は油絵で景色を描くのが1番得意らしい。質感や重ね方、手で匂いで感じるのが合っているんだとか。彼の世界は現実よりリアルだ。目の見えない彼が世界の誰よりも全てを見ている。

そして、彼女はそんな彼の世界しか信じられなくなっていった。

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