第26話 最近、同僚との距離が近い。
「まあ……これなら少しはマシに見えるか。」
孫にも衣装、だなんて言うつもりはない。鏡の前に立っている自分は、いつも通り気怠げで死んだ目をしている。
でも今日ばかしは少し違うんだぞ俺!!
だなんて活気づけるために独り言を鏡に投げるが、そもそも心の根底が腐ってるせいで、この地堕落な様相を改善する気も湧いてこないのである。
ただ一つ、いつもと違っているところがあるとするなら、それは服装だろうか。
シワのない白シャツを引っ張り出し、髪の寝癖を整え、珍しく香水なんぞつける始末。
別に下心はないけど、男たるもの異性との逢瀬には気をつけなければならない。これは義務というやつだ。
うん、決して下心はないぞ。ないからな!!
俺は既婚者、不倫、ダメ、絶対。
そう頭に反芻させ、心に操を立てた俺は、玄関を飛び出す。
まあ実際は子持ちバツイチの訳ありなんだがな。まあそれは置いといて。
目指すはお約束の場所。待ち人は言うまでもない。
そう。今日はステラとのデートの日なのだ。
ーーーーーーーーー
噴水の縁に座りながら、俺はステラを待つ。
時間通りに指定の場所に来るとは珍しいこともあるもんだと、俺は自分のことながら、その成長ぶりに自己満足していた。
今は約束の時間の10分前ってところか。
時計を確認した俺は、辺りを見回してみるも、人目を気にせずイチャイチャと体を寄せ合う恋人ばかり。此処が王都の待ち合わせ場所として有名な事は理解しているが、もっと選ぶ場所があったろうに。
「あれっ?」
早くも脳内ピンク色な景色に若干の嫌気を感じていた俺であったが、それは直ぐの事。
素っ頓狂な声を辿ると、こちらは走ってくる乙女が一人。俺はただ、その清楚な美女に目を丸くした。
「随分とまあ。早いご到着で。」
白く華奢な腕に映える、夏色の小さくて可愛らしい腕時計を確認しているご様子で。
最近の流行では、時計を手首の表ではなく、裏につけるものなのだろうか?
どちらにせよ、目の前の女性が辺りの男どもの不節操な視線を釘付けていたの間違いない。
「……アゼル? どうかしましたか?」
そんな急に近づかれると反応に困ってしまう。
貴賓のある白のワンピース。
空色のリボンが特徴的な大きな白帽子。
木樹の蔦を利用した、王都南東の特産品であろう簡素な手持ちバック。
どれを取っても、互いに魅力を引き出す役割を果たしているため、形に無駄がない。尚且つ見栄えも最高という完璧な仕上がりだ。
そして極めつけは素材、つまりは彼女自身だろう。
理知的な顔立ちに、キレのある目元。睨まれたら最後、泣いてしまいそうな程怖そうなのだが、今は違うのだ。
朗らかに垂れ下がる眉と目元の相性が抜群で、改めて近くで見るとそのまつ毛の長さには感服すらしてしまう。
いつもの高圧的な様相に、少し幼さを感じさせる清楚さが、本当に魅力的なのだ。
まあ何が言いたいかというと……。
今日のステラは俺が言葉を失ってしまうほど、本当に綺麗だった。
「いや……すまん。なんでもない。」
「?」
これはほんとにダメだ。俺からすれば年下の女の子であり、数少ない仲の良い同僚だ。この歳で女性慣れしていないなどという、不名誉なレッテルを貼られるのは絶対に避けなければ。
俺はわざとらしく咳払いをすると、一歩後ろへ引いて、いつもの調子を全力で努めることにした。
「てか随分と早いご到着って何だよ。別に10分前だろ?」
「いえ。どうせアゼルの事ですから、30分ほど遅れやってくるのだろうなと思っていましたので、予定より20分早い時間を指定していたのですよ。」
「えっ。あーー続けて?」
「ですからもしかすると、まだ5分前ですしまだ居ないかな? と思っていたのですが。どうやら私の方が遅かったようです。御免なさい。」
「あ……うん。なんかごめん。」
「何故あなたが謝罪を?」
「いや何というか、アレだよ。日頃の行い的な?」
うん。取り敢えず、俺の信頼度がゼロに近い事はよく分かった。でもこっちの方がなんか楽だ。
だらしなく空へ腕を伸ばした俺は、肩の力を抜いていつもみたく大きく息を吐く。
「じゃあそろそろ行くか! で、どこ連れてってくれるんだ?」
そう。今日はデートなのだ。人によれば気を張って男らしさを演じる奴もいるだろうが、俺はフッ軽い方が良い。それの方が性に合ってる。
「それは着いてからのお楽しみです♪」
そう言って、満面の笑みを浮かべたステラはかなりの上機嫌で、今にも踊り出してしまいそうだ。
「だから……はい。」
「……ん?」
何かをねだるようにして、ステラの白い手の甲が俺の前に差し出された。
「はぁ、分かったよ。」
ステラが何をして欲しいのか、年長者の俺は手に取るようにわかるぞ。
俺は冗談のつもりで、懐からアストラン金貨を一枚、ステラの手に乗っけた。
「……一体どういうつもりですか。」
あ、やばい。ごめん冗談です、許してください。
そんな怒気を放たれたら背筋丸ごと凍ってしまう。俺はすぐさま弁解に移ったのだが……時すでに後悔と共に遅し。
「え……あの冗談だから。」
「やはりアゼルはゴミで屑です。訳してゴミ屑ですね。」
「えぇ……。」
失望した、と言うより頬袋を膨らませたステラは、そっぽを向いて不満を表現していらっしゃる。
「それじゃあ……。」
「えっ!? ちょっと!!」
遊びはさておいて。そろそろ行こうか。
ステラの手のひらを手に取った俺は、隣で肩を並べた。
「今日はステラが楽しませてくれるんだろ?」
「そ、そうですけど……!」
「何? これ間違ってたか?」
悪戯するように握られた手を目の前に持っていくと、ステラはいじらしそうに頬を真っ赤に染める。
「そうじゃなくてーー!!」
「分かったって。意地悪がすぎました。」
でも少し距離を詰めすぎた事も否めないかと、俺は握った手を離そうとしたのだが。
「あっ! ダメです!!」
それを阻止する勢いで、今度は俺の左腕に柔らかい感触が絡みつく。
「ほ、ほら!! 行きますよ!!」
「あー……うん。これで良いのか?」
えっと……ステラさん。流石にこれは距離が近すぎませんかね?
目を左下に晒せば、帽子の隙間から顔を覗かせてしまうほどの距離。
それはまるで、恋人と見間違われてしまうほどに。
「言及禁止です。それと……。」
「ん?」
そうして歩き出した俺達だったが、直後、上目遣いに切れ目を乗せて、ステラは本日最初の仕事面を見せた。
「次急に手を離したら……裁きますよ…。」
少しだ。ほんの少しだけ……胸がキュンとなった事は死んでも言うまいよ。
ーーーーーーーーー
「すみません。これと……あとこれも。試着お願いします。」
テキパキと指示を出すステラさんと、それに応じて忙しなく大量の服を運ぶ店員様。
そして、着せ替え人形のように扱われてる情けない俺がいた。
「あのステラ……これいつまで続くの?」
「ん? アゼルは身長も高いですし、スタイルも良いので。何でも似合うというのも悩みものですね。」
「えーーありがと。だけどそれってつまり。」
「まだこれからという事です。はい、次はこれをお願いします。」
そう言って、ステラ再び服選びをテキパキと楽しむ。
あーなるほどね。つまりまだ終わらないわけか……。
守銭奴……まあケチくさいと言うより、結構物欲のない俺からすると、こんな豪胆な買い物をするのは初めてで、ものすごく圧巻している、いやされている。
正義を地でいく真人間であるステラであっても、お嬢様な一面はどうやらあるようだ。
この黒いシャツなんて……一体いくらするのだろうか……。いや今はもう考えまい。
「アゼル! これなんていかがですか?」
「ん……おぉなんかすげぇかも。」
鏡越しに服を重ねてきたステラ。
その服は何と言うか……凄く良かった。俺好みのカジュアルな仕上がりに、動きの出る紐ネクタイ。だが試着してみると……。
「これ良いな。なんて言うか……。」
「一目惚れ、ですか?」
そう。まさにそんな感じだ。衝動買いをしてしまう理由が、何となく分かった気がするよ。
「ステラ、これにする。」
後はまぁ値段の問題か。
俺は後ろのタグを鏡に反射させて見るが…。
これ一着でこのお値段ですか。アストラン金貨7枚と銀貨8枚ときた。少しふざけてませんかねほんと。
「うん! やっぱなしッ!!」
やっぱり俺は守銭奴な奴だ。
ーーーーーーーーー
「あのステラさん。本当に貰って良いんですかね?」
そう言いながら、子供のように俺はその場でくるんとおニューの服を靡かせた。
「良いんですよもう。貰ってください。」
このやりとりも何回目だろうか。そろそろ嫌気がさしてきたと言わんばかりに、ステラは首をこちらに傾ける。
「でもさー。これ金貨約八枚分だぜ? 俺らの給料の五分の一よ?」
「そうですね〜。そう考えてみれば、私達は破格の高待遇ですよね。」
「まぁ教師ってのも国の奉仕人と変わらないからな。てかそんなことより、本当大丈夫なんですかね?」
「はぁ……。何がそんなに不満なのですか?」
「いや不満とかじゃなくて。流石に貰うにしては値段もアレだし……正直気が引けるんだが。」
分かってくれステラ。流石にこれだけ高額となると、俺もタダで貰うのは忍びないんだ。
「んー。まあアゼルの言い分も分かります。ではその服は……そうですね。」
身体ごと振り返り、足を止めたステラは俺ではなく、斜め下の地面と視線を交差している。
濁らせた言葉の続きを口の中で泳がせながら、少し恥ずかしげな顔が夏風にそよがれ露わになる。
悪戯な風がその大きな帽子を飛ばさないように、ステラは抑えながら、昔の面影を残したあの時の目を宿した。
「いつかの御礼ですよ。勇者様。」
俺を勇者様と呼ぶ彼女はいつの頃を思い出していたのかなどと、聞く必要はないだろう。
「だからそんな大層なことしてねぇよ。」
「ふふっ。ではそんな貴方に救われたのが私です。」
そう言ってくれるのは嬉しいんだがな。実際の所、救った人間の一人一人を全員覚えている聖人のような人間とはかけ離れた奴なんだよ。
俺はただ……あの頃の俺は、魔族を滅ぼす為だけに戦ってきた。ただそれだけなんだ。
だけど、そんな俺にもステラは、感謝と可愛らしい反応を見せてくれる。
そうだよな。この美女がそうまで言って俺に褒美を尽くしてくれたんだ。だから、この服は気兼ねなく頂くよ。
赤らめた頬を隠すように、ひらりと前へ進み出したステラに続いて、俺も背に追いつくように足を運びだす。
「で、次はどこに連れて行ってくれるんだ?」
今の俺は久しく胸が高鳴っている。まるで冒険の日々に身を投じていたあの頃のように、最近下り気味だった気分はもう最高潮だ。
「そう慌てずに。今のところ時間通りです。」
「流石だな。でもほら、」
「え!?! ちょっと!!!」
時間は有限だなんて、そんな言葉は今の俺には似合わない。でも在りし頃の俺なら、きっとこうした筈だ。
俺は改めてステラの手を取って前を走る。子供もみたいだと言われてもいい。今はただ、この時間が少しでも長く続くようにと。
俺たちのデートはまだ続くみたいだ。
元勇者です。死刑寸前だったので、仕方なく落ちこぼれ教室に赴任しましたが、正直もう帰りたいです。 甘党の翁 @hosinoumi
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