第22話 あの日花瓶が飛んできた事を、今でも覚えています。

 まだ時間余裕あるかな。後もう少しだけ、教室に戻るのは後にしよ。


「ねぇねぇどう思う? さっきの。」


 廊下で本を開こうとした私の手を止めたのは、他クラスの親友イレイナだった。


「さっきのって?」


「もうリエルったら関心なさすぎ。ほら新任の先生よ!!」


 いつもみたく、イレイナは新しい事に興味津々のご様子だ。


 新任の先生……ああ確か。就任式だというのに遅れて来た、白シャツの男性教師。


「確か名前は……。」


よ! !」


 あーそんな名前だったっけ。でも何がそんなにイレイナのお気に召したのか。


「アデル先生、今日からリエルの担任でしょー? 超イケメンだったし羨まだなぁ。白髪ってのもポイント高いよね!!」


「そうだっけ?」


「もー自分のクラスなのに反応薄ーい!」


「だってうちのクラス、先生の入れ替わり激しいし。」


「まぁそれはそうだけど。」


「どうせ1ヶ月もすれば辞めてくと思う。」


「前の担任は何ヶ月持ったんだっけ?」


 前の担任か……。もう夏休み前のことだし名前も思い出せないや。でも確か日数は……。


「名前は思い出せないけど、1ヶ月と23日。いつも通り、カトレア達にいじめられて休職中。」


「ひっど〜い。相変わらず、あの子達やる事エグいもんね。」


「……まあ。そうね。」


 どうせ今回の先生も直ぐに辞めるに決まってる。だから名前を覚えたところで無駄な事。


 そんな意味のないものを覚えるくらいなら、今は一つでも良いから魔術式を学びたい。


「イレイナー! そろそろ戻らないと先生にドヤされるよー!!」


 おっと。イレイナはやっぱり人気者だね。


「は〜い! ごめんリエル、また後で!」


 両手を合わせて、可愛らしい仕草で謝罪したイレイナ。


「うん。私ももう戻る。」


 そう言って、柄にもなく手を振ってみたが、ちょっとキモかったかな……。


 でもこんな私にもイレイナは、笑顔で手を振り返してくれる本当にいい子だ。


 さて、授業が始まるな。


 そろそろ行かなければ。魔術指南書を落とさないよう胸に抱きしめたい私は、早足気味で廊下を歩き出したが、


「ねぇ〜なんでイレイナ、あの子とつるんでるわけ?」


「辞めときなって。『イースター』のクラスなんて。」


 はいはい、わざと大きな声で言わなくても、聞こえてますよ。


 ほんとは今にも走りだしたいけど、それをすればまた笑いものだし。


「え〜〜。リエルはとっても良い子だよ! ほんと賢くって、テスト前とか頼りきりだもん!!」


「何それ〜。イレイナ優しすぎ〜。」


 よりにもよって、イレイナの声が一番大きい。でも他の取り巻き連中を除いて、彼女だけは本当に聞こえてないと思ってるとこが、彼女の魅力だと思う。


 だから、イレイナは……そう。良い子だ。今度お菓子でもプレゼントしてあげよう。





ーーーーーーー


 



「私は何度この光景を目に焼き付ければ良いのでしょうか?」


 愛弟子よ、それは俺が聞きたい所だ。


 此処は栄誉ある王都魔術学院の一室にて、新任の教師が一人。鎖で巻かれて正座させられていた。


 まあそれは言わずとも俺の事なんだが。新任の俺にとって、一番大事と言っても差し支えない一大イベントで遅刻をかまし、剰え魔導衣や正装を心掛ける中で、まさかの皺の寄ったシャツ姿ときた。


「申し訳ございません。私がもっと教育を徹底していれば……。」


「貴方は悪くないわ。常識のズレたこのクズが悪いんですよ。」


「今クズっていった?」


「取り敢えず、もっと縛っておきましょうか。」


「そうですね、是非そうしましょう。」


 今回ばかりはぐうの音も出ないな。


 だからステラよ。もう十分反省しているから、そんなに強く鎖を縛らんでくれ。


「はいはい御二人とも。時間は有限ですよ。」


 と言いながら、手を叩いて間に入って来たのは、魔導衣が映える厳格な魔術師。


「ではウィリアムズ。弁明の余地があれば聞きましょう。」


『ウィリアムズ』、そっちの名前で呼ぶって事は……。


「こんにちわ。キャロール・フィレンツェと申しますわ。対面は今日が初めてでしたね、勇気ある者。」


「出来ればそっちの名前で……もういいや。」


 当然、俺の事を知ってるわけか。


 片眼鏡をかけた、いかにも教育一筋ですって相貌。灰色のオールバックに白髪の一束が前髪に飛び出た、主張的な髪型でいらっしゃる。

年齢は……うん。美魔女っぽいとだけ言っておこうか。

 

 後説明それだけかよ。俺は続きを求めるように、レイシアへと視線を飛ばす。


「キャロールはこの第三階位生の主任。上司に当たるお方ですよ。」


 ご説明感謝の至り……と、呑気に考える暇ないか。


 レイシアもまた正座して俺の目の前へ。そんな真剣な目をされるとこっちまで緊張しそうだよ。


「いいですか先生。時間がありませんから一度だけしか確認しませんよ。」


「分かってるよ。」


「じゃあ私の眼を見て復唱してください。」


「逢瀬のままに。」


「じゃあ言葉にして。」


 どうやら答えないと先に行かせてくれないらしい。俺はここ一か月で、耳にタコが出来そうなほど言い聞かされたお約束を頭に並べた。


「俺が勇者である事はバレてはいけないだろ?」


「そうです。本当に最善の注意を払ってください。そのための偽名ですから。今の所、先生の正体を知る者は一部の学院関係者並び、大貴族と王族のみです。」


 何度も繰り返すようだが、思ってるより事を慎重に運んでるみたいだな。


 俺は嫌われ者だ。あの日から早いこと四年が経った。俺の手配書も街中で見ることは殆どなくなったよ。それでも俺の名は、まだ人の記憶には残ってる。


 まあ世間一般じゃ、俺は大罪人だ。馬鹿正直に名乗り上げて、教壇に立つことなんて出来ないんだろうさ。元勇者の教え子だなんて事実が経歴書に乗れば、それこそ人生の汚点になりかねん。


 当然、色んな推測が頭を過る。こう客観視してみれば、俺の立場は本当に危ういものだ。


 正直なところ、マルクス派閥は信用ならんというより、俺そのものを危惧している感じだろう。いざとなれば、俺なんて容易に王国から追い出すこともできるはずだ。でもそれをしないってことは……。単に王令か、それとも別の……。


 とりあえず、今この状況で分かる事は少ない。


 一応、どの程度把握されてるかぐらい確認しておいて損はないか。


「レイシア。ぶっちゃけ俺の事を知っている奴はどれくらいだ?」


「闘技場での事ですよね。」


「ああ。観客席に貴族院の連中がいたろ。」


「ご安心を。あの者達は言わば学院への融資者です。形式的な寄せ集めの御仕事ですよ。」


 なるほど。バレてはないと。でも一つだけ言わせてくれ。


「嘘つき。それにしては随分と貴族に紛れた手練れが多かったな。」


「……お見通しでしたか。」


 当然、バレバレだよ。その後のあったかもしれない未来もな。


 まあその先を事を聞くのは、流石に可哀そうってやつだ。レイシアも今、最善を尽くしてくれてるからな。


「そんな顔拗ねた顔すんなって。別に俺がした事が無くなったわけじゃない。警戒されて当然だ。レイシアのせいじゃない。」


「でも……」


「相変わらず、変なとこで泣き虫だな。悪かったよ。俺が意地悪だった。」


 まだいじけてる。謝罪しても王女様の機嫌は中々戻ってくれないか。


「ステラ、外してくれ。もう十分反省した。」


「はぁ。『解』」


 便利な魔術だな。身体が軽い。それと後はそうだな。


「それと俺に渡す物あるんだろ?」


「毎度の事、貴方は勘が鋭いですね。」


 そう言って、ステラは少し不機嫌そうにポケットに手を当てる。


「知ってんだろ。特別、眼が良いんでね。」


 またも「はぁ」と嘆息を漏らされた後、ステラは観念したと言わんばかりに、ポケットの存在を取り出した。


 その手には二つの物。一つは指輪、もう一方が透明な箱。中の液体にレンズが浮かん出る。


 指輪の方は真ん中に赤の結晶が埋め込まれた物。一見すると何処にでもある少し豪華な代物ってぐらいだが。


 俺の『万象眼』は刻まれた歪な魔術式を直ぐに読み取った。恐らく、魔力の流れを阻害する動きを持つ指輪って所だろうか。


 もう一つは……なんだこれ? まあいいか。別に害のある物じゃなさそうだしな。


「貴方って人は……。」


 ステラさんは俺が何の躊躇いもなく指輪をはめた事に、驚いていらっしゃるようだ。


「レイシアが用意した物なんだろ? じゃあどうって事ねぇよ。」


 それに尽きる。俺は貴族院の連中は信用してないが、レイシアとごく一部は別だ。レイシアが用意してくれたものなら、疑う余地はない。


「レイシア、これで良いんだろ。」


「……着け心地は如何ですか?」


「そうだな。なんかステラの鎖で巻かれてる時と似てるかな。」


 実際、魔力がかなり阻害されてる。正常な流れに大きな外乱を受けてるみたいだ。


 分かってる。本気出すなって事だろ? バレるかもしれないからな。


 まあこれでもストッパーぐらいの性能はあるか。それと後は……。


「これはどうすんの?」


 そう言って、俺はもう一つのケースを手に取った。よく見ると精巧な作りをしている。


 まるで瞳孔みたいな模様。それに大きさも丁度同じだ。どういう用途だ? まさかこれを目に入れるだなんて事はしないよーー


「眼に入れるんですよ。」


「は?」


「眼に入れるんです。」


「はっ……え? それ人間がやっていいことなん?」


 あ、これマジなやつだ。ステラさん、そのレンズのついた指先を、此方に向けてどうするつもりですか。


「ステラ、抑えます。早くしなさい。」


「えッ!? レイシアおま、ふざけんなっ!」


 さっきは本当に悪かったよ謝る。だからそう羽交締めで押さえつけんでくれ。ただでさえ左目を穿られたトラウマがあるのにそれはいくら何でも!?


「無理無理無理ッ!! 流石に無理だって!」


「痛くないから、大丈夫ですよ。」


「ほら行きますよー大丈夫。じっとしてーー。」


「ーー!!?ーー!?!ーーー!!」


 この後、めちゃくちゃ叫んだ。





ーーーーーーーーーー

 




「意外と様になっているではありませんか。」


「気分は最悪ですけどねー。」


 キャロールと廊下を歩いて暫くの事。

 

 準備の整った俺は、新任として自クラスへ向かっている所だ。


「履歴書で見た写真姿からは見違えるようですよ。」


「それは良かった。これで少しは後ろ指刺されずに済みますかね。」


「いいこと。この際、身だしなみについては深く言いません。ですが最低限、その髪と瞳を整えてから教室に立ちなさい。白染めは半月に一回。その瞳については、早く一人でレンズを付けれるよう努力なさい。」


 まあ……こればかりは頑張るしかないか。俺の容姿……というより、髪色と瞳は他人から恐れられるからな。


「迷惑かけます。」


「素直で結構。貴方も苦労が尽きませんね。」


「別に慣れっこですよ。髪も魔眼も生まれつきなんで。」


 それ以上、キャロールが俺の容姿に触れてくることはなかった。キャロールの言う通り、俺は世界から見ても異端なんだろうな。


 誰もが言う。この黒髪に黄金の色を宿す『万象眼』は、彼ノ竜を彷彿させると。


 触らぬ神に祟りなし。どんな馬鹿でも、黒竜という『禁忌』に触れる奴はいない。それが世界の常識なんだ。


 ……ほら見た事か。変にそっちの話に踏み込んだせいで、会話が途切れた。どうしてくれるんだよーこの空気。


 仕方ない。今度はこっちからなんか話題を振るか。


「えーと。キャロールさん。」


「キャロール先生で結構。」


「じゃあキャロール先生。俺のクラスはまだ着かないんですかね?」


 思えば、結構な距離を歩いてる気がするんだがな。流石に遠すぎないか?


「レイシア様より、この学院の現状を伺っていないのですか?」


「え? 何の事です?」


「なるほど、では説明しましょう。レヴァンネン、最後にもう一度だけ学院についておさらいです。」


 それはどうもありがたいことで。キャロール先生からの初授業が始まった。


「いいですか。貴方が配属されたのは『イースター』と呼ばれるクラスです。」


 それは流石に知ってるよ、主任殿。


 俺が任されたのは『イースター』というクラス。正直、配属が決まった時は、随分と可愛らしい名前だと拍子抜けしたものだ。


「知っての通り。王都魔術学院は全七クラス、学年は第一位階から第三位階で区分されます。」


 それも知ってる。一通りは事前研修の段階で、ステラから鬼のように知識を叩き込まれたからな。


「上から順に『ホルス』『イカロス』『ロックス』『ホークス』『オウル』『レイブン』『イースター』。貴方の配属先は最下位のクラスとなります。」


「それは初耳ですね。クラス順で評価が分けられると?」


「その通りです。」


 何か歪な感じがするが、まあいいだろう。一番上のクラスに配属されなかっただけ気が軽いし、幸運かな。


「着きましたよ。」


 説明を受けているうちに、担当のクラスに着いたようだ。


 それにしてもやけに時間がかかったな。見たところ、校舎の端ってところだろう。


「先に言っておきましょう。」


 そう意味深な言葉を残して、キャロールは俺の肩を叩いた。


「ご武運を。アデル・レヴァンネン。」


「え?」


 いかん素で返してしまった。でも今はそれどころじゃないらしい。


 俺は肩を押されて、教室の扉の前へ立つ。止まっていても仕方ないか。考えるを止めた俺は、扉に手を掛け横にスライドする。


 そしてついに、俺は教室へ足を踏み入れた。


 挨拶の言葉は既に準備済みだ。まずは第一印象が大事だ。


「え〜と。皆さん、はじめましーーー」


 だがその時だ。入って早々に挨拶を決め込んだ俺は、生徒の方へ顔を向けたが……。


「あぶッ!?」


 俺の反射神経は目と鼻の先に飛んできて固形物を、すんでのところ避けていた。


「……へぇ?」


 思わず、俺は意味もわからず声を漏らした。


 音の元凶に眼をやると、足元はすでに水浸しで、無惨に割れた破片と花が散らばっている。


 俺は徐に助けを求めようと、キャロールの方へ顔を向けたが、どうも主任さんでもため息を漏らしては、お手上げのご様子で。


 うん……。ご愁傷さまの意味を察したよ。


 開口一番で悪いが、取り合えず先に言わせてくれ。


「帰りてぇ。」


 さて皆さん。ようこそ、問題児だらけの教室へ。

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